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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第八話 教会、喪失

 城に珍しい客が訪れていた。白を基調とした牧師風の服に外套を羽織った集団は厳しい表情で案内された一室まで歩いてゆく。

 教会からの使者であった。司教を先頭に四人、態々城まで出向いてくるような時はあまり良い事が無い。いつも何事か面倒な事が起きるので、城で勤務している者は緊張しながら礼をする。王室が治める城はヴァイス王国の権力の中枢ではあるが、教会はまた別次元の権力を持っていた。国内で一番の権力者が王ならば世界で一番の権威が教会の教皇なのである。

 その権威の象徴たる教会の礼服の集団が会議室の扉を開ける。中では既にガイウスが立って待っていた。


「ようこそおいでくださいましたタルキ司教。本来であれば我らが呼び出しに応じ出向く立場でありますのに、御足労いただき恐縮でございます」


「連絡せずに来たのはこちらの方だ。面を上げよ宰相殿」


 横柄な物言いに反応した顔を見られないように深々と頭を下げていた事が功を奏した。ちょっとした表情の変化で難癖を付けられては堪らない。神の威を借りているだけの愚物が、と思いはするが、目の前の人間はそんな簡単な輩ではない。全世界に浸透している統一宗教の上位の位階、この世全ての学を修めなければ成る事が出来ないと言われる司教なのだ。各国に一人いる大司教を補佐する聖職者であり、その声の影響力は王権すら覆す。


「閣下の直接の訪問、火急かつ重要な要件かと愚考します。しかしながら私めには覚えが御座いませんで、どのようなご用向きでしたでしょうか」


「覚えが無いだと? 白々しい」


 タルキは厳しい顔を崩さず言う。語気を荒げてはいないのに声自体が強さを孕んでいた。


「このまま庇い立てするなら王国に神罰が下るぞ」


「ああ、セラム少将のあの噂ですか。でしたればわたくしどもの調査で魔族ではないと確定しております」


「ふん、身内の調査など何の証拠になる」


「彼女に抵抗の意思はなく国に忠誠を誓っております。魔法使いから見ても魔力の痕跡は見当たりません」


「口だけなら何とでも言える。騙そうとしているだけなのかもしれん。魔力にしても体外に出さなければ見えやせんだろう」


「事の発端である魔物を操ったという噂も事実を見ればそうではない事が分かります。報告書ならこちらに」


 ガイウスが提出した紙切れをタルキは一瞥して机に放り投げた。


「知っての通り我々は退魔の使命を帯びている。この世全ての魔を滅するその日まで教会の役割が変わる事は無い」


「ではどうすると? 前時代のように疑わしきは火炙りにでもするおつもりですか」


「我々としても強引な手段は使いたくない。証拠が無い者を害する訳にはいかん。しかし疑わしきをそのままにしておくつもりもない。そこでだ」


 次に述べたタルキの提案をガイウスは呑まざるを得なかった。例えそれが明らかな罠だったとしても、一国の宰相如きが教会に逆らう事など出来ない相談だった。

 教会とは神の勢力。教皇は神の言葉を伝える者、その神の代弁者の補佐官が大司教、その意向を汲んで来ている司教の言葉に反論するのならば天秤に国の進退を乗せねば釣り合いが取れない。そんな存在がセラムの敵となったのである。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その日セラムは夢を見ていた。夢の中で夢だと自覚した。


 ――今迄の人生を振り返ってみれば概ね幸せだったように思う。裕福な家庭に生まれ生活に不自由は無い暮らしだったし、勉強も自由に出来た。やりたい事が出来ない人生を送る事が珍しくないこの世界でそれはとても幸運な事だったと思う。母親は自分が生まれてすぐに死んでしまったらしく顔も覚えていないが、「家族」は多く恵まれた。人を大切に想うのに血の繋がりはさして重要ではないと幼くして知っていた。

 ただ父があまり帰って来ない事だけは不満だったのは否めない。国の要職に就く父が人一倍多忙であるのは理解していたし、仕方ないと納得もしていた。だが淋しいと感じる幼心は偽りない本心だった。

 だからだろうか、父が帰ってくるとわたしはひたすらに甘えてみせた。これが自分の父親ながら良く出来た人で、こうした子供の可愛げのある甘えには全力で応えるのに、行き過ぎた我儘はぴしゃりとはねのけ許さなかった。そうした教育は周りの人にも伝えてあったらしい、お陰で我儘な甘ったれに育たずに済んだのは感謝しかない。わたしはそんな父が大好きだった。

 ある時わたしは仕事に出発しようとする父に「行かないで」と言った事がある。数年ぶりの我儘だった。半べそをかきながら腰にしがみつくわたしに父は頭を撫でながらこう言った。


「それでも父さんは行かなきゃならない。これは誰かがやらなきゃいけない事だからね。お国を守る為、なんて大層な事は言わない。父さんはお前や、父さんが大事にし、父さんを大事に想ってくれる人達を守る為に行くんだ」


 じゃあ帰ってくると約束して、と言ったわたしに微笑んで父さんは言った。


「守り抜くと誓うよ。約束だ」


 そう指切りをして父さんはいってしまった。後になって思えばずるい。父さんは帰ってくるとは言っていないしいつまでと期限も切っていない。

 わたしや、父さんが大事にし、父さんを大事に想ってくれる人達を守るという約束しかしていない。そしてそれが果たされたとはわたしは思っていない。


 これがわたしの最後の我儘になったのだ――。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「だから、わたしは……」


 自分の寝言で目が覚める。正面には石の天井。松明の火だけが灯りの、冷たい部屋。


「昔の夢、か」


 正しくは自分が成る前のセラムの記憶……なのだが、それが自分のものだと腹にすとんと落ちる。

 見た事も無い父親だった筈なのに鮮明に顔を思い出せた。不思議な感覚に戸惑いながらも、二度と忘れないようにと記憶を繋ぎ止める。


「自分の父親の事なのだからな。……ふふ、元の父親の事すら久しく思い返す事も無かったというのに、おかしな話だ。うちの父親はお国を守るなんて大層な仕事はしていなかったが……」


 そう呟きながらセラムが元の世界での出来事を思い返していく内に、ふと気付く。その気付きは静かな不安の波となり、心臓を震わせた。


「僕の元の名前、何だっけ……?」


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