第六話 鉄格子を挟み
セラムが投獄されて十日、そろそろ外の動きが気になってきた頃にガイウスが地下牢にやってきた。
ガイウスが牢番と二、三言話すと牢番は席を外して見えなくなる。周りに誰もいなくなってからガイウスは変わらぬ調子でセラムに話し掛けた。
「久しぶりだね」
「ええ、しかしいいんですか? 牢番がいなくなってしまいましたが。僕との面会は立会人が必須だったのでは」
「私を誰だと思っているんだい? これでも国の宰相様じゃよ。金と権力でこの程度の抜け道は当然作れる」
口を歪める老人にこの国の腐った部分を見た思いのセラムであった。しかしそうでもなければ一国を滞りなく運営する事など出来ないとセラムは思い知っている。兎角宮廷勢力や貴族連中は曲者揃いだ。狭い世界で権力と序列を上げる事しか興味が無く、有能な者の足を引っ張る事しか能が無い。ガイウスはそんな連中を相手取り政界の頂上まで上り詰めた男なのだ。周りに守られ自由に動かせてもらっているセラムとは根回し一つとっても地力が違うという事なのだろう。
「調子はどうだね。何か不都合は?」
「極めて良好。髭が生えない事に便利さを実感している今日この頃です。敢えて言うなら風呂に入りたいですね。五日に一遍しか入れないんですよ。これ冬場だからまだマシですけど夏場だったら地獄ですよ」
「特に無さそうでなによりじゃ」
久しぶりに人と話せる喜びに気分が高揚しているセラムの軽口にすげなく答えるガイウスの目には色濃い隈が刻まれている。
「お疲れですか」
「君の所為で寝不足じゃよ。まったく厄介な事態を引き起こしてくれたもんじゃ」
「それは、申し訳ありません」
セラムは姿勢を正し頭を下げた。
この件に関してセラムは一切悪びれるつもりはない。そもそもが無茶を言われており、悲劇があり、不可抗力であった。自身に非が無かったとは言わないが戦場で人が死ぬのは当たり前の事だ。軍が動けばその近くの生き物を巻き込んで被害が及ぶのは、火にガソリンを掛ければ激しく燃え上るのと同じ位当たり前の事だ。それについてセラムが謝罪したところで何一つ事態が好転する事は無い。だが悪びれないのと迷惑を掛けた人に謝るのは別問題だ。
「ふう、まずあの後のメルベルク砦周辺の被害じゃが、君は把握しておるか?」
「いえ、確認する間も無く帰還し、すぐに投獄されましたので存じておりません」
「酷いもんじゃよ。あの周辺で生きてる民間人はおらんそうじゃ。メルベルク砦はもう使い物にならん位壊されて、暴れ回った魔物共はそのまま散らばり破壊を続けた。ゼイウン公国軍は逃げたグラーフ王国軍の後を追う事も出来ず魔物の対処に追われておる」
セラムも予想をしなかった訳ではない。しかし実際その被害を聞くと責任の重さが圧し掛かる。
「ゼイウン公国、特にリーンハルト銀翼公はカンカンじゃよ。君が魔族であるのは本当か、君の身柄を引き渡せとせっついておる」
「僕は魔族ではありません。あれは魔物を操ったわけではなく魔物との遭遇戦から偶発的に起こった事態です。その証拠に我が軍も魔物による損害を多数被っています。しかし事態を引き起こした責任は取るつもりです。如何様にでも」
「思い違いをするんじゃない。君を引き渡したところで何一つ終わらん。一応向こうへの説明は君の報告書と君の副官の報告書を突き合わせてしておいた。こっちの不利にならぬよう多少ぼかした表現じゃが、君が魔族ではなく、故意にやった事でもないとは理解してくれたよ。君の身柄の引き渡しは軍事裁判の末投獄中なので不可能だと断った。しかし一点どうにもまずい事があっての」
ガイウスは椅子に腰掛け肘を突き顎を支えて深く溜息を吐いた。
「……遠征にヤルナッハ家の公女を連れて行ったそうじゃの」
「! いえ、それは」
「あちらさんが見たそうじゃ。君の看病をしていたメイド姿の女性が彼の御仁にそっくりだったと」
恐らく退却中に立ち寄った砦での事だろう。ベルがヤルナッハ家の公女だった頃を知っている人物があの場にいたのだ。
「まったく厄介な事をしてくれたもんじゃ。これが事実ならジオーネ家がヤルナッハ家の再興を支援していると取られても仕方ない。国際問題じゃよ」
「見間違い……いえ」
セラムは咄嗟に出かけた言葉を飲み込んだ。見間違いなどという出来損ないの言い訳で逃れられる情勢ではない、そんな事は分かっているのに思わず逃げた。無意識に目を背けた言葉を想う。それはベルの過去を全否定するものだった。果たして僕なんかがベルの過去を殺す権利があるのかと迷ったのだ。
セラムは数瞬の逡巡の後、背筋を伸ばし言った。
「ベルは僕のメイドです。ベル・レンブラントは決して某ヤルナッハなどという名前ではありません。僕の隊の編制表をリーンハルト銀翼公に送って示し、ベル・レンブラントというメイドが同行していただけだと公式に声明を出してくださって結構です」
それは今まで秘密裏に匿っていたリーゼロッテ・ヤルナッハを公的に死んだと認め、ヤルナッハ家が完全に滅亡したと世間に、そして当人に公表するに等しい。再興の目は完全に断たれベルが生まれ育った家は存在自体が抹消される。ベルの十歳までの過去が、想い出が全て否定されるのだ。
それでもただ生きていてほしいと思う。その願いはセラムのエゴだが、この判断をきっとベルは恨む事無く受け入れてくれるだろうと信じる事が出来た。
「それでいいんだね?」
「ええ。お願いします。どうかベルの……」
涙が勝手に目の奥から上がってくる。膝はがくがくと震えていた。今となっては自分の記憶が否定される苦しみはセラムも少しは分かるつもりだ。しかし今泣いてはいけない。ここで未練を見せてしまっては覚悟が示せない。
「ベルの今後の幸せを守ってやってください」
「分かった。事が大きくならぬよう取り計ろう」
セラムの心中で安心と喪失が綯い交ぜになり腰が砕けた。これでベルの半生は消滅したと思うと罪悪感に苛まれる。だがいつかは決着を付けねばならぬ事だっただろう。リーゼロッテ・ヤルナッハとして生きるか、ベル・レンブラントとして生きるか、それをベル自身に選ばせる事が出来なかったのが罪悪感の正体か。
「これで一つ。問題は山積みじゃ」
腰を抜かしている場合ではなかった。立ち上がる事も出来そうにないがせめて姿勢を整えなくてはならない。
「山になっておりますか」
「ああ、君がいない間にゼイウンからは責め立てられるわノワールからは非難声明が出されるわグラーフは攻めて来るわ散々じゃよ」
「グラーフが? 大丈夫なのですか?」
「多分の。またヴィグエントじゃよ。既にヴィルフレド大佐が撃退して今は睨み合い状態じゃ。あそこも攻められてやがて一か月じゃがヴィルフレド大佐はよく守っておるの」
「アドルフォ大将と僕が見込んだ男ですから」
セラムは誇らしげに言った。
「しかしノワールの内容は」
「魔族を軍幹部に据える我が国をどうこうと、まあ長文をこさえてきたわい。これで下手をうてば四方を敵に囲まれるのう」
「重ね重ね申し訳ありません。僕に果たせる責任があれば遠慮なく如何様にでもしてください」
「阿呆、儂を誰だと思っとる。この程度危機の内にも入りゃせんわい。ノワールの方は任せておけい。事実無根の言い分でどうこう出来る程この国は甘くないとフラウメルの嬢ちゃんに思い知らせてやるわい」
ノワール共和国の現議長フラウメルは三十半ばの女性なのだが、ガイウスからしてみれば「嬢ちゃん」なのだろう。歳の差を考えればそうかもしれないが。
「ですがもし僕を庇っているのなら要らぬ気遣いです。覚悟は出来ております」
「君はもしかして儂が君を親友の娘だから庇っていると思ってやしないか? もしそれだけだったらとっくに君の爵位を落として片田舎に転封しとるわい」
言い方は厳しいようにも聞こえるが実質は「戦争責任を取る立場から外して戦火に巻き込まれる恐れの無い辺境の地方領主として生かす事で親友の娘を守る」と言っているのである。ガイウスにとってもセラムは娘のような、姪のような、はたまた孫のような可愛い存在なのであった。
「君は有能じゃ。最早この国になくてはならん位にな。君は特別なんじゃ」
「やめてください、特別などと」
セラムは自分がそこらにいる一般人である事を誰よりもよく知っている。人よりは少し歴史やゲームが好きだったかもしれない、その程度の人間だ。たまたまこの世界でセラムとして生を受け、生きる為に、大切だと思う人を守る為に努力をして、人を殺し、人を生かし、惑い悩んで生きてきただけだ。そして大切な人も守れなかった矮小な存在だ。特別などと一言で言われてしまっては今迄の努力も悩みも苦しみも否定された気になる。
「僕より優れた人なら沢山います。立場ならアルテア女王陛下やリカルド公爵の方が上ですし、部隊の指揮能力ならヴィルフレドや副官のカルロにすら及びません。知恵や判断力など言うに及ばず、大体そういうガイウス宰相だって一政務官から宰相に上り詰めた傑物です。そんな宰相は自分が特別だなどと仰るでしょうか。僕はその場で出来る事を只一所懸命にやってきただけですよ。特別でも何でもない人間です」
「う、む。悪かった。そう言われてしまうとな、確かに儂は特別な人間だから宰相になれたというわけではないしのう」
ガイウスは少し勢いを弱め一拍おく。
「しかし君に代わりがいない事は確かじゃ。だから危険を冒してでも庇うし匿う。そこは勘違いしてほしくないのう」
「……ありがたく甘えておきます」
ただ迷惑を掛けているだけという妄執から救われ重荷が下りた思いがした。少なくともこんな事態を引き起こして尚必要としてくれる人物は多いと分かったのだ。
「さっき匿うと言ったが今の君は非常に危うくてのう、身の危険的に。君の命を狙う者共に貴族達がいるんじゃが」
「やはり魔族とお疑いですか」
「いや、それとは関係ない」
「へ?」
セラムから魔の抜けた声が出た。その「まさか味方に命を狙われているとは思っていなかった」という表情にガイウスが呆れ顔で続ける。
「君はとても聡くて勘が鋭い割に妙なところで抜けとるのう。君が色々なところで恨みや妬みや利害で敵を作っとるのは気付いとらんのか?」
「いえ、そんな事もあるかなあとは思っていましたが実害が無かったもので」
「一つも思い当たる事が無いのかい?」
「ええ、多分」
「君は余程優秀な護衛や部下を持っとるんだのう」
感心したように言うガイウスにセラムは如何に自分が恵まれていたか気付く。今迄ずっとベル達メイド隊が人知れず暗殺を防ぎ、爺や達政務官が外部からの圧力や妨害工作に負けず職務に励んでいたのだろう。




