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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第二話 新聞

 ベルにセラムからの指令を伝えられたプリシッラの行動は早かった。条件に見合う新聞社を選定しどのような記事が相応しいか即大雑把に考える。速度が命、それは諜報も報道も同じだった。


「じゃああたしは新聞社に交渉に行ってきますが、出来ればベル様にも付いてきてもらえると裁量の面で楽なのですが」


「かまいませんよ。それでは行きましょうか」


 その返事を貰いプリシッラはベルの準備が整うまで待とうかと立っていたが、ベルはそう言いながらもその場を動こうとしない。


「あの、準備は……」


「このままで構いません」


「いやいや構いますよ、主にあたしが。ベル様メイド服じゃないですか」


 ベルは年中そうであるようにメイド服を着ている。普段なら良いのだが今から行くのは裏工作の為の交渉だ。


「何を恥ずかしがっているのです。メイド服はメイドにとっての戦闘服、常在戦場の心構えからすれば如何なる時もすべからくメイド服であるべきと」


「違いますって! 今から何しに行くか分かってます? 他人にジオーネ家の人間とバレちゃ意味無いんですよ。もっとあたしのように周りに溶け込む格好で」


「ちらちらと谷間が見える服にショートパンツとサイハイソックスの隙間から見える太腿、まだ冷えるというのに貴女の格好も相当に浮きそうではあるのですが」


「あたしは任務上色仕掛けも使ったりするからこういう格好が多いんですよ。この上からジャケットを羽織るからいいんです。メイド服は流石に一発でバレますって」


「しかしながらこればかりは譲れません。寧ろ貴女は何故メイド服を着ていないのですか。貴女もフィリーネを見倣って……」


「……も、いいです。あたし一人で行くんでどの程度の裁量許してもらえるかだけ教えてください」


 プリシッラは痛む頭を押さえ色々と諦めた。どうにもメイド隊には変人が多い。その中で自分が常識人枠を担わなければならない事に疲れを覚える。


「全て貴女に任せます」


「へ? いいんですか?」


 家の存亡の危機に対し、あっさりと丸投げするかのような物言いにプリシッラは呆気にとられる。


「何をすべきかを理解しているのなら何も言う事はありません。セラム様は私に任せてくださいました。ならば権限は私にあります。そして私はメイド長なのですよ? メイドの人事と管理は私の分掌です。部下の性格、能力、特性、好み、信条、全て把握しているという自負があります」


 ベルはプリシッラを前にきっぱりと言い切った。ベルがここまで言うのは珍しい。普段はセラムを主人と敬い立場を弁えているが、セラムがいないという非常事態にベル本来の姿が出ているのだろう。

 元々ベルは君主の器であり、メイド隊はベルの部下となるべく育てられた者達だ。プリシッラは本来の主君に跪き宣誓する。


「畏まりました。このプリシッラ、身命を賭して事態の鎮静化に励みます」


「いってらっしゃい。外は囲まれていますから隠し通路を使って良いですよ」


 まさか攻められてもいないのにこの隠し通路を使う事になるとは思わなかった、と呟きながら地下通路の鍵を受け取る。

 ベルに見送られプリシッラは長めのジャケットを羽織ってハンチング帽を被りバッグを片手に新聞社を目指す。おしゃれで溌剌とした魅力は道行く人の目を引くが、特異という程ではなく特別目立つ存在ではない。一般人に紛れ込める一線の見極めが上手いのは、隠密とは隠れる事にあらず、溶け込む事であるという真髄を理解しているプリシッラだからこそだ。

 プリシッラが目を付けたのは大手の新聞社ではなく潰れかけたそれなりの規模の新聞社であった。これから交渉する事柄は権力に屈しず真実を正しく報道するジャーナリズムとは相反するものだ。なればこそ条件の一つとして金に困っている状況というのが重要だ。


「こーんにーちわー」


 アッピア出版と書かれた薄汚れた看板を横目に朗らかに挨拶するプリシッラに、インク汚れで黒ずんだ男達の物珍しそうな視線が集中する。


「どうされましたかお嬢さん。ここは販売はやっていないのですが」


「いえいえ、実はお仕事を頼みに参りまして」


「仕事ですか?」


 アッピア出版は新聞を作るのを主としている会社ではあるが、刊行物を作り卸す事もやっている。新聞だけでは経営が成り立たない為だ。

 何分現代と違い通信と交通の手段が発達していない。それは鮮度が命の新聞にとって致命的だ。遠くまで取材に行くのも難しく必然近場の話題が主な対象となる。それでは紙面に偏りがあるが故に時間を掛けて遠方の取材を試みるものの、それには多額の費用が必要になる。それに加え前述の組版を作る時間や紙の費用の問題があるのだ。刊行は不定期、客層は金に余裕があり世間の事件や話題に絶えず興味がある上流階級が主となる。そんな人間がどれだけいるというのか。部数が少なくなれば当然一部あたりの値段は高くなる。そうなれば購買数は更に減り赤字になるという悪循環だった。

 副業で出版物の請負もやっているものの仕事ばかりが増え従業員の給料さえ払えなくなるのも時間の問題、それがアッピア出版の現状だった。


「どのような仕事でしょうか。お聞き致します」


「ど~も~」


 案内された椅子に座りながらプリシッラは相手の視線、声色、格好、動き、あらゆる情報源を注意深く観察する。


(作業服に指先までインクで汚れた身なり、仕事に対する情熱は確かなようね。即座に対応した事と周りの反応から見るに管理者、社長か工場長といった人を束ねる人間。最初はちらちらと胸に目がいったものの基本は目を見て話しているわね。これは色を使うより真面目に仕事の話をした方が効果的かしら。藁にも縋りたいだろう状況ながら焦らず真摯に話を聞こうという姿勢が見える。如何にもおいしい話とばかりに熱を込めて話すと警戒心を高めてしまいかねない。ここは少し疑わしさを残しながらも言っている事は真実だと分かるように話した方がいいわね)


 机を挟んで相対すると、プリシッラは仕事の話をする時は真面目な出来る女を演じる事にした。


「わたくしはリナと申します」


 当然ながら偽名である。


「はじめまして。私はアッピア出版の社長をしております、コージモと申します」


「実はさる富豪からの依頼で貴社に書いていただきたい記事があるのです」


「それは情報の提供という意味合いでしょうか」


 プリシッラは間違えぬよう言葉を慎重に選んだ。


「依頼者の意向を汲んだ記事、という事です」


 コージモの眉が反応する。


「それは提灯記事を書けという事ですか? でしたらこの話は無かった事に」


「いえいえいえ、早まらないでください。何も一処ひとところに味方しろという訳ではありません。わたくし共が用意する扇情的な見出しと情報を使い御社の記事にしてくだされば結構。思想や理念とも無関係、偏りも無い記事です。見出しさえ決めさせていただければ内容には口出ししません」


 コージモが椅子に座り直し姿勢を整える。


「それを情報提供と言わず仕事と言うという事は」


「ええ、報酬も用意しています。まずは前金でこれぐらい、一記事につきこれだけ、続けて依頼する予定ですのでやっていただけるのならば最低報酬はこの金額になるでしょう。勿論首尾によってはそれ以上になります」


 プリシッラが提示した金額はアッピア出版の運転資金が半年賄える額だった。破格の報酬額にコージモは驚きつつも疑いを強める。


「解せませんな。こうまでして書かせる記事に偏りが無いと言う。依頼者の意図は何なのです?」


「それは話せません。知らない方がお互いの為でしょう」


「ではその書かせたい記事の内容を教えてもらわない事には」


「承諾していただければお教えします」


「何を書くのか分からないのでは判断がつきません。まったくの出鱈目を書いてしまってはこちらも新聞の信頼というものが」


「勿論受けていただけるのならばすぐにでもお教えしますよ。その上で記事の文面は貴方がたが考えてくだされば結構です。何も嘘を書く必要は無いのです。アッピア出版さんの新聞、わたくしも見させていただきました。内容や文面は固いが分かり易く書かれている良記事でした。あの腕があれば嘘にさせない文章も書けるでしょう?」


 コージモは指を組み言葉を飲み込んで考える。目の前の女性はふわふわとした外見をしているが瞳の奥は理知的で鋭いものを感じる。さる富豪と言ったがその依頼者は恐らく只の金持ちではない。道楽で世間を騒がせるような目的ではないのだろう。

 危険なものも感じる。だが目の前の金は魅力的だった。破格も破格、このままでは近い内に従業員を路頭に迷わせるかもしれない状況の中で、この依頼は救世主の手に思えた。だからこそ考えなしに答えは出せない。


「その条件ではあまりに横暴だ。依頼者の名も明かさずどんな記事を書かされるかも知らされない。せめて大まかな方向性でも示してもらわなくては」


「駄目です」


 プリシッラは即答する。


「知る事には責任が伴います。知らない方が良いという事もある。その為に多額の報酬を提示しているのです」


「金の問題じゃないと言っているんです。信頼の……」


「金の問題ですよ。文面はお任せすると言っているのです。寧ろどのような記事を取り扱うのか選ぶような事があればその方が理念や信条に引っ張られた『偏った記事』でしょう」


「……因みにお断りした場合は」


「この話が無かった事になるだけです。競合社さんは高く買ってくれるでしょうか」


「……即答は出来ません。数日いただけませんか」


「今この場でお決めください」


 プリシッラの返答は鰾膠にべも無い。第一声は快活かつ間延びした挨拶だったのに今の印象は鉄の女だ。


「従業員が多くていらっしゃる。みんな前途ある有望な若者ですね~。設備さえ整えばもっと大きくなる会社でしょうね~」


「~~っ分かりました。この話受けましょう」


「ありがとうございます。それでは第一号の見出しと情報と素案です。『兵士は見た! 敵将は魔族だった!?』この文字をでかでかと目立つように。興味の無い人間でも思わず二度見してしまいそうでしょう? これを大量に刷って格安で売っていただきたい。販売経路はこちらにお任せください。なに、必要経費はこちらが持ちますので記事を作る事に注力してください。大丈夫です。この新聞は売れますよ~」


 人懐っこい笑顔で調子良く捲し立てるプリシッラ。その二転三転ぶりに女性不審になりそうなコージモだった。

 余談ではあるが、これより数年の後アッピア出版は大衆紙として大手新聞社に名を連ねる事になる。世界初の下世話な(ゴシップ)紙の誕生である。


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