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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三章
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第一話 囚人セラム

 その日のジオーネ領は騒然としていた。領主が魔族になったという噂がまことしやかに囁かれ、領民は一様に不安を募らせていた。始めは笑い飛ばしていた領民達だが、セラム投獄の事実を聞くとその噂に現実味が帯びてくる。領主館は瞬く間に人々に囲まれてしまった。真相を聞こうと詰め寄る人から魔族を追放せよと叫ぶ人までその心情は様々だ。


「ひぃぃぃ、どどどどうなってるんですか先輩~」


 新米メイドのルチアが怯えている。聞かれたプリシッラも全てを把握している訳ではなかった。それでも可愛い後輩が安心出来るよう笑顔で返す。


「だぁいじょうぶよ。ルチアちゃんは普段通り仕事してなさい」


「でもでも、あの人達が壁を壊して入ってきたら……」


「あはは、その時はその時かな~。まあそんな事にはさせないから。あ、カーテンは開けないようにね」


「う~」


 ルチアは不安気な顔をしながらも奥に引っ込む。直後に入ってきたフィリーネがルチアの様子を見ながらプリシッラに話し掛ける。


「大丈夫かしらね、あの子」


「まあだいじょぶでしょ、思ったより図太い子よ。なんだかんだで大概の事は自分の中で飲み込んじゃうと思うわ。けどあたしんらの裏の仕事はあの子には知らないままでいて欲しいねえ」


 最近雇われたルチアはメイド隊がゼイウン公国から落ち延びた諜報部隊の残党である事も、ジオーネ家を裏から支える仕事をしている事も知らない。本当に只のメイドの女の子なのだ。だからこそ大事に育てたい先輩心なのである。


「そうね。ところでアデライデはどうしてる? 姿が見えないのだけれど」


「彼女なら多分食糧庫にでも隠れているわ。人が大勢いるのが苦手だから。ヤルナッハ家が滅ぼされた日を思い出すのでしょうね」


 メイド隊が元々仕えていたヤルナッハ家は十年前の内乱でゼイウン公国の御三家に滅ぼされた。取り潰しなどという上品なものではなく、本当に戦争で滅ぼされたのだ。


「当時あの子はまだ八歳、幼いあの子が負った心の傷は深いでしょうね」


「今でも男の人や怒気をはらんだ人が苦手だもんね。実際集団で家を取り囲まれて、まるであの日みたい」


 プリシッラが眉間に皺を寄せる。この状況はどうしても十年前を思い出してしまう。


「プリシッラは今後この家がどうなるか予測出来る?」


「いくらあたしだってこれじゃあ身動き取れないよ。情報が手に入んなきゃ予測も何もないって。ただ、この機会にジオーネ領を手に入れたいっていう貴族は沢山いるだろうね。同じくらいご主人を疎んでいる貴族も。先進的な事をしてきたご主人には潜在的な敵も多いからね。実際取り囲んでる人達の殆どは他領から来た人っぽいし。この家がどうなるかは上の人達がどれだけ守ってくれるか。それはもうやっぱりご主人次第よ」


 プリシッラが肩を竦め溜息を吐く。


「あーあ、国は戦争中、旦那様は亡くなるしご主人には魔族疑惑、これからどうなっちゃうんだろ」


「セラム様は魔族なんかじゃない!」


 プリシッラの軽口にフィリーネが激昂しプリシッラの胸倉を掴む。


「セラム様は間違っても道を踏み外すようなお人じゃない! 今は傷ついて、迷っていても、きっと笑顔で私達の所に戻ってきてくれる! そもそも戦争が悪いんだ! 何故セラム様が戦わなきゃならない!? 何故セラム様があんな思いをしなけりゃならない!? 何故……」


 胸倉を掴んでいた手から力が抜け落ちる。


「何故私はあの時あの場にいなかったんだ……」


 ヴィレムを守れずセラムを苦しめてしまった事をフィリーネは誰より悔やんでいた。フィリーネが合流した時には全てが遅かった。もしその場に自分やバッカスがいればと何度悔やんだか分からない。


「悪かった。あたしだってご主人が魔族になったとか信じちゃいない、それはメイド隊全員一緒よ。……とにかく今はご主人を信じましょう」


 崩れ落ちそうなフィリーネの肩を抱いてプリシッラが神妙に語りかける。プリシッラが常に明るく振る舞い軽口を叩くのは自分や周りを守る為の鎧だ。それが他人を傷つける言葉になってしまったのは、彼女もまたこの事態に余裕をなくしているという事に他ならない。

 家の周りの喧騒は今尚続いている。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ベルがセラムの元に来たのはセラムが投獄されてから三日後の事だった。


「身体検査は受けられたと思いますが事前に申し出た物以外は囚人に渡す事は出来ません。許可された物を渡す時は私を介して渡すようにしてください。面会時間は三十分となります。これからの会話は全て記録されます」


 立会人の元、主人とメイドが鉄柵越しに相対する。足枷をはめられボロを着せられた主人を見てベルが一瞬口を開けかけたが、思い直したようですぐにいつもの優しげな表情で語りかける。


「お元気そうでなによりですセラム様」


「だろう? こんな状態でも僕は可愛いからな。こう、背徳感がまたそそるだろう?」


「ええ、とても」


「うん、僕が悪かった。まず鼻血を止めなさい。……まあ僕は大丈夫だよ」


 自分がどんな状態かなんてセラム自身が一番よく分かっている。それでも主人を慮りこそすれ具合を気遣うような事はせず立場を立てるベルに、セラムは冗談で返す余裕を見せる。まだベルは敬愛する主人として今までと同じように接してくれる、その思いが伝わったからこそセラムはセラム・ジオーネでいられる。


「遅くなりまして申し訳ありません。手はどうですか?」


「右手はずる剥けてた皮も張ってほぼ治ってるよ。正直左手はまだ痛いけどね。それで、領内の様子はどうだい?」


「はい。領主館には説明を求める人や抗議文を携えた人、果てはセラム様の領主解任を求める人まで領地内外から集まり連日対応に追われています。政務は今のところ何とかやっておりますが、これから混乱や停滞する案件が出てくる事が予想されます。表立ってはいないものの領民の不安と緊張は高まっており、何らかの手立てを打って不安を解消しなければ近日中に治安に影響が出るでしょう」


「ふうむ」


 セラムは座り込んで考える。こういう時、普段なら真っ先に矢面に立ち持ち前の正直さで正面からぶち当たってきたセラムだったが、今回ばかりはここから出られない。張本人が表に出ず人に任せきりにするという態度が如何に反感を買いやすいか、ネット社会で人の噂の動きを物理的に見てきたセラムはよく知っている。多くの人にとってセラムが姿を見せようがない事など知った事ではないのだ。分かっていても姿を見せない事で心理的に苛立ちを覚えてしまうというべきか。

 ならばどうすべきか。


「民衆はまず説明を求めている。知る事で安心し、一定の納得を得たいんだ。けれど今すぐに説明出来るものじゃない。そもそも虜囚の身やその身内が説明したところでどれだけ納得が得られるものか。国から説明してもらうのが一番な気がするけど、その準備が整うのがいつになるか分からない。ここは……」


 小声で口に出しながら考えていると、牢番に「もっと大きな声で話すように」と怒られてしまった。そこで改めて記録されている事に思い至る。


(下手な事は言えないな。……よし、ここはロズウェル事件に倣おうか)


 ロズウェル事件とは千九百四十七年にロズウェル陸軍飛行場から「空飛ぶ円盤が回収された」という報告があがった事に端を発する一連のUFO関連の事件である。その中で「最初のUFO発見のニュースリリースは真の墜落現場から注意を逸らす為の策略」だという説がある。また、この一連の事件は次々とセンセーショナルな情報が飛び交い、結果的に何が信頼出来るものなのかも判然としない。重大なニュースを次々と出して煙に巻くその手法を「倣おう」というわけである。


「ふう、しかし最近は次々と新しい話題が出るよね。こりゃあ新聞社(・・・)も張り切ってるんじゃないかい?」


 セラムは牢番からは見えない角度で目だけを動かす。ベルが何かを察したように眉を上げる。


「新聞……ですか?」


 この世界には活版印刷自体はあるのだが新聞は不定期刊行だ。これには紙自体の値段の高さもあるが、日本語に使う文字が多い為に組版を作るのが大変で時間も掛かるというのが大きな理由だ。しかし一般に浸透していないとはいえ一度に大勢を情報操作するのにこれ程有効な手段も無い。


「ああ、きっと面白い記事がどんどん出るんだろうなあ」


「ならば今度新聞を差し入れる事にしますよ」


「本当かい? 疑わしいなあ。まあ本当『七』、嘘『三』くらいの割合で期待しておくよ」


委細承知しました(・・・・・・・・)


「掛かる金はジオーネ家から出しておいてくれ」


 新聞社に金を積んで嘘を三割混ぜた重大記事を連日書かせろ。金に糸目は付けない。方法は任せる。そう言ったのである。

 少なくとも牢番の記録には何気ない会話しか載っていない筈だ。ベルがどれだけ意図を汲んでくれたかは賭けになるが、セラムには確信めいたものを感じていた。長年連れ添った主従の繋がりとベルの聡明さを信じているのである。


「ああそうだ、領民にはいずれ正式に事の次第を説明すると声明を出しておいてくれ。まだ正確な日時は言えないが、国が調査中とまでは言っていい」


「畏まりました」


 その後、政務の話もそこそこに面会終了時間が来てしまった。セラムは名残惜しさに伸ばしかけた腕を、しかし掛ける言葉に迷うあまりに引き戻す。今更何を言えば良いというのか。こんな事態になった言い訳ばかりが頭を掠めかぶりを振る。

 言いたい事はそんな事じゃない筈だ。今言うべき言葉は……。


「ベル」


 メイド服のスカートの裾がふわりと舞いベルがセラムの正面に立つ。

 セラムは立てた親指を自身の心臓に突き立てるような動作をしてみせる。


「僕は僕だ。僕を信じろ」


 その言葉にベルは優しげで、力強く、そして少し呆れたような表情で言い放った。


「当たり前じゃないですか、見縊らないでいただきたい」


 言い訳をする必要は無かった。虚勢を張る必要も無かった。未だに無条件で僕を信じてくれる人がいるのだと、セラムは思い知った。


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