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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第百六話 牢獄

 セラム達が帰った時、王都は騒然としていた。凱旋を祝うという雰囲気ではない。セラムが通れば人の波が割れる。軍隊が通る時に民衆が道の端に寄るのは当然なのだが、あまりに過剰な反応ではあった。そしてセラムをちらちらと見ながらのひそひそ話、好奇と恐怖と猜疑の視線、どうやらすでにメルベルク砦での行動が知れ渡っているようだった。

 セラムは隊を解散させると後片付けをカルロに任せて一直線にアルテアの元に向かった。本来であれば侯爵、少将の立場と言えど事前予約をしておかなければ会う事が敵わない身分である女王陛下に待ち時間も無く謁見する事が出来た。というよりアルテアの方が待っていたようだった。

 謁見の間にはアルテアの他にガイウスと護衛の近衛兵がいる。セラムが入室すると近衛兵が緊張の面持ちを浮かべる。その理由を何となく察しながらセラムは恭しく跪き報告する。


「セラム・ジオーネ少将、只今帰還いたしました」


「ご苦労。本来であればゆっくり休んでもらうところですが聞きたい事があります。場所を変えましょう」


 そう言ってアルテアとガイウスは横の扉から出て行く。セラムも立ち上がり付いていく。セラムが近衛兵の傍を通った時、彼らの身震いが鎧に音を立てさせた。十三歳の小娘が大の男に畏れられる、それは決して良い気分のものではなかった。

 三人で小会議室に入り椅子に腰掛ける。直後アルテアとガイウスが組んだ手の上に頭を乗せた。正に頭が痛い出来事に直面しているという様、その原因であるセラムは居心地が悪いという表現では生温い状態ではあるが、これが自分がしでかした事であると全てを受け入れる覚悟であった。


「何故詰問されるかは分かっているわよね?」


「はい。ただ途中で気絶していた為に自分の行動の結果どうなって、どのような事態をもたらしたのか把握しきってはいません」


 アルテアは細く深く息を吐くと顔を上げて言った。


「あなたには魔族の嫌疑が掛かっているわ」


 セラムは黙っていた。予想通りではあるし、この二人が本当に疑っているのであればこうして三人で会おうとはしない筈だからである。否定も取り繕いも無意味だと悟っていた。


「勿論私達はあなたが魔族になるなどあり得ないと思っているわ。実際に会ってその顔を見ればその思いは確信に変わった。あなた、酷い顔してるもの」


「そんな顔をしていますか?」


「うず高く積もった後悔を煮詰めて固めたような顔ね」


 ばっさりと斬り捨てたアルテアにセラムがぺたぺたと顔を触り表情を整える。


「けれど事実はどうあれ既に噂が広まっているのがまずいの」


「やはり僕が到着する前にゼイウン公国の使者が来たという事ですか?」


 セラムの問いにガイウスが頷いた。


「そうじゃ。魔物と共にメルベルク砦を壊滅させた君を引き渡せと言ってきた」


「やはり先方は魔族とお疑いですか。そしてその噂を広めたか自然に広まったか、城下でもまことしやかに囁かれていると」


「ああ。勿論ゼイウン公国に引き渡すつもりはない。が、このままという訳にもいかん。何より君の身が危険だ」


 セラムは黙って俯いていた。


「教会の連中が動き出したという情報もある。百年前まで魔法使い狩りをしていた連中だ。魔族が出たとなれば存在を滅するまで止まらない、そんな連中だ。君はこれから命を狙われるだろう」


「……国の決定に全て従います。それがあなた方の決めた事ならば」


「早合点をするでない。ゼイウン公国の使者には事実確認をすると言って一旦帰した。儂らも君の悪いようにはせん。だが辛い事にはなるだろう」


 セラムは何があろうと全て受け入れる覚悟をした。そしてその翌日、開かれた軍法会議にて……。


「以上の罪状により被告セラム・ジオーネを禁固刑に処す」


 非情な槌の音と共にセラムは投獄された。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 地下牢の最奥でセラムは片膝を突いて座っている。


「まさか僕がここに入るなんてね」


 ここは他人と一緒に入れる事が出来ない国の重要人物や有名人等が収監される場所だ。かつてリカルドを収監した時にセラムが来た場所でもある。


「なんて皮肉だ。それにご丁寧に片足を鎖で繋ぐオプション付き。上の連中はよっぽど僕が怖いとみえる」


 いや、精一杯の譲歩なのだろうか。本当に魔族だと疑っているのならば両手両足を繋いで身動きを取れなくしても足りないくらいだろう。逆にそんな事をしても魔法の妨げにはならないからこの程度にしているのかもしれない。少なくとも魔法を完全に防ぐ手立ては今のところ開発されていない。


「にしても壁に繋がれてまるで犬のようだな。まあ不自由は無いしいいか」


 足の鎖を外すには別途鍵が必要というだけで、牢内を自由に歩き回れる程度の長さはある。例え牢の鍵を開けても逃げられないようにする為の措置というだけだ。

 この牢は個室で、決して劣悪な環境ではない。ベッドも差し入れの本も有り、紙と筆記用具まで用意してある。曲がりなりにも重要人物を収監する場所であり、足の鎖と外から丸見えな鉄柵に目を瞑れば少し質素な部屋でのんびりしているのと同じだ。


「このところ色々あり過ぎた。少し休んでゆっくり考え事をするにはいい環境かもしれないな。外の情報は欲しいけど、そこら辺はガイウス宰相やベルに期待しようか」


 近付けば魔族の怪しげな魔法や話術で誑かされる恐れがあるとして面会を許可されている者は限られている。特に軍関係者は厳しく引き離された。経緯が経緯だけに軍を操って行動を起こす事を恐れたのだろう。事情を知っているガイウス宰相とその部下数人、それに領地の政務が滞るという理由で、セラムに近しい者から指名した一人だけは一日一回の面会を許されている。セラムは面会人にベルを選んだ。彼女なら短い面会時間でも自分の意図を正確に外部に伝えるだろうと思ったからだ。


「ふう」


 セラムはベッドに腰掛けた。体がひどく疲れている。あまり自覚は無いが多分心が擦り減っている影響が体に出ているのだろう。


「いいさ。考える事は沢山ある。戦況の事、戦略の事、領内の統治の事、新戦術や組織の最適化、……それに自分の事」


 夢で見たあの女の子、彼女が本来のセラム・ジオーネだったとしたら今の自分は誰なのだろう。元の世界の自分は今どうなっているのか、そもそも元の世界の自分と今の自分は同一人物と言って良いのだろうか。もしこの自我が虚ろな仮初めの存在にすぎないとしたら。


「僕は何者なんだろう」


 セラムはベッドに寝転がって物思いに耽る。この自我は本物なのだろうか、この考えは本物なのだろうか、この思いは本物なのだろうか。


 ――あのヴィレムへの想いは。


「……っ」


 セラムの頬に涙が流れる。反射的に涙を止めようとしたが、そこで今の状況に気付いた。


「そうか、今は誰もいないのか」


 セラムは上に立つ者として弱い所を見せてはいけないと自分を律していた。頼りない指揮官で戦争に勝てる筈が無い。だからこそ部下の前では涙は見せなかった。弱い所を見せてしまったのはベルとヴィレムくらいなものだ。けれど今は誰もいない。寝る時と入浴時以外で一人だったのは初めての事かもしれない。


「泣いても……いいんだ」


 セラムは泣いた。ヴィレムとの想い出が浮かんでは心が痺れるような感覚に襲われた。


「僕が人の死で泣けるなんて」


 沙耶の時は泣けなかった。あんなに好きだったのに涙の一滴も出なかった。沙耶のお父さん(おじさん)は「本当に悲しい時は涙も出ないもんだ」と言ってくれたが、ただこれから先二度と沙耶に会えないんだという実感が無かっただけだったと思う。それからの人生は色が感じられなかった。涙を流して悲しんだという事はそれ以降無かった。映画の感動的なシーンでも横で泣く女を冷めた目で見ている事が多かった。

 自分は人らしい感情が欠落してしまったのだと思っていた。人が死ぬ事は当たり前の事で、多分もう他人の生き死にの事で泣く事は無いだろうと思っていた。祖母の葬式の時でも泣かなかったし、例え父母の死でも泣く事は無いだろう。

 そう思っていたのに。


「こんなに……っ」


 涙が溢れて止まる事を知らなかった。体のどこにそんなに水分が有ったのかと不思議に思う程流れた。


「良かった……。まだ僕は人間なんだ」


 泣いているのか笑っているのか分からない程ぐしゃぐしゃの顔でセラムは呟いた。

 疲れて眠るまで泣き続けた。心を切なく痺れさす想い出に浸りながら。


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