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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第九十八話 雨中の凶弾

「ぽつぽつと雨が降ってきたな」


 セラムが呟く。

 ヴァイス王国軍が濡れた落ち葉を踏みしめ歩く。セラムや一部の者は馬に乗って行軍しているが、歩兵の速度に合わせねばならずその速度はゆっくりとしたものだ。まだまだメルベルク砦までは距離がある。セラム達は他愛も無い会話を楽しみながら進んでいた。


「しっかしこの軍も変わりましたなあタイショー」


「バッカス、お前はまた……」


「彼の言葉使いはいつもの事だ、まあ許してやれカルロ」


 セラムの鷹揚さに「はあ」と返事をする。


「にしても確かにこの一年足らずで随分変わりました。方角の示し方とか」


 右とか斜め左後ろとかの言い方だと喫緊時に長く分かりずらい。そこでセラムは時計の文字盤を方角の示し方として軍の調練に採用した。尤もこの世界にはまだ機械式時計が無いので円形の文字盤も存在しない。皆に馴染みが無い概念だったので訓練に時間が掛かったが、そのおかげで自然と暗号の役目も果たすものになった。同じ日本出身のホウセン相手には通じないだろうが。


「まあ色々改善してるからね」


「俺としては飯が旨くなったのが嬉しいっすね。これ、タイショーが作ったんでしたっけ?」


「いや、僕は監修しただけだよ。まあ妥協は許さなかったけどね」


「おおう流石タイショー、痺れるっす」


 日本人として飯には拘る、というだけでなく、戦場という精神を極限まで擦り減らす現場において食事は最大の娯楽であり、それが旨いか不味いかは軍の士気に関わるのだとセラムは悟っていた。糧食を第一優先順位の補給物資と定めている軍は多いが、質にまで言及した軍はこの世界では珍しい。栄養価の概念が薄いこの世界ではとにかく保存が効き量があればそれで良いのが通念であった。


「へえ、セラムさんの作った料理ですか。それは食べるのが楽しみです」


「だから僕が作ったんじゃないですって。それに色々間違ってますよヴィレムさん。確かに戦場料理や器具もいくつか考案しましたが、監修したのは保存食の方です。作るのは主計科の人達であって僕じゃありません。大体保存食を食べる時は切羽詰まった時なんですから無い方がいいんですよそんなの」


「そんなものですか」


 ヴィレムが見るからにしょぼんとする。言い過ぎてしまったかとセラムが反省する。どうにもヴィレム相手だと必要以上にきつくなってしまうのが最近のセラムの癖だった。それが気を遣わなくても良い、心を許した相手に取る態度だと周りから見られている事をセラムは知らない。


「あ、あの、僕もちょっと言い過ぎました。帰ったら何か作ってあげますから」


「本当ですか? 絶対ですよ! うわー、セラムさんの手料理楽しみだなあ」


「まったくこの人は……」


 周りの兵達も微笑ましくその光景を見る。唯一ベルだけは憎しみすらこもった目でそれを見ていたが。


「ねえフィリーネ、今あの男に短刀を投げたら私かつてない力が出せると思うの」


「落ち着いて下さい。あれは歩く国際問題です」


「戦場で流れ矢で死ぬなんてしょっちゅうじゃない?」


「今は味方しかいませんから。そういうのは戦闘中にやるものです」


 何か不穏な会話が背後から聞こえる。この状況でもヴィレムが天真爛漫に笑っているのは器が大きいのか単に聞こえていないだけなのか。セラムは「まあいいか」と注意するような事も無く話題を変える。


「そういえば君は我が隊に編入されたばかりなんだっけ?」


 セラムが自分の馬を引いてくれている若い兵士に話し掛ける。セラムが彼に話を振ったのは彼が見るからに緊張していたからだ。セラムは後輩などの世話を焼くのが嫌いではない。彼にも新しい職場に早く馴染んでもらおうという心遣いからだった。


「は、はゃい! しょうちょう殿!」


 不意に少女将官に話し掛けられた若い兵士は緊張のあまり噛んでしまう。そんな態度が微笑ましくあり、セラムは優しくその兵士に笑いかけた。


「そんなに畏まらなくていい。僕は君と変わらない只の人間だ。確かに偉いっちゃあ偉いんだが、でもまあ特別視されすぎるのもよろしくない」


「は、はい」


「そうそう気にすんなって。がはははは」


「とはいえ奴みたいのが増えても困るのですがな」


 そう言ってカルロが親指でバッカスを指す。「違いない」とセラムも苦笑する。「ひでえよタイショー」とバッカスが大仰に嘆く。周りの笑い声に若い兵士もつられて笑う。

 唐突にその兵士が倒れたのはその時だった。あまりに不意の出来事で誰もがすべき反応を違えた。若い兵士が地面に倒れるその音を皮切りに苦悶の声と馬のいななきが連鎖した。

 いち早くバッカスが馬を飛び降りる。何が起こったか分からなくとも最適な行動を取るのは潜った修羅場の数からだろうか。

 急に兵が倒れ馬が暴れる。敵の攻撃だと悟った者はおれど、どんな攻撃を受けているのか分かる者は一人を除いていなかった。唐突に地面に穴が開き、何か固い物が土を抉るその小さな音を聞いた時、唯一セラムだけはその正体に思い至る事が出来た。


 ――銃撃!


 この世界に有る筈の無いその答えに至ったのはホウセンに会っていたからだ。セラムは声の限りに叫んだ。


「皆伏せろ!」


「あんたも伏せるんだよ!」


 馬上で叫ぶセラムをバッカスが強引に引き摺り降ろして押し倒す。雨音に混じって目に見えない何かが土を、鉄を弾く音が連続する。

 何も分からない内に命を刈り取られる正体不明の攻撃は隊を恐慌に陥れた。セラムはバッカスに庇われたままにがなる。


「撃ってきた敵がいる筈だ! 何か見えるか!?」


「何も見えません!」


 セラムは首を巡らす。周りからは悲鳴ばかりで炸裂音は聞こえない。


(そんなに遠くからの銃撃なのか? それともサイレンサーでも付いてるのか? いや、それはいくら何でも突飛過ぎだ。大体こんな山ん中、遠くからの狙撃なんて木が邪魔で出来る筈が無い。敵は近くにいる筈だ)


 周囲を観察するセラムの近くにいた馬の体に穴が開いた。その位置から銃撃の方向を特定する。


「三時方向に注目!」


「何も……あ、いえ、何か動きました! 二時方向から四時方向へ移動中!」


 兵士から返ってきた言葉にセラムはこれがホウセンからの攻撃だと確信した。銃で狙撃しその後補足される前に移動する、そんな戦術を取る者が他にいるとは思えない。


「バッカス! フィリーネ! 奴らを追え! 絶対逃すな!」


「応!」


「はい!」


 セラムは信頼する部下の中でも対応力の高い二人に命令した。チカを捕まえた時に真っ先に動いた彼らなら未知の武器にも即応してくれるのではないかと考えたからだ。そしてこれが銃によるゲリラ戦術ならば絶対に見失う訳にはいかないと判断した。

 それが悲劇の始まりだった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ちっ失敗か。第二目標に切り替える」


 ホウセンが魔力を連続で天に解き放つ。規則性を持ったそれは、魔法使いにしか見えないという魔力そのものの特性を利用したモールス信号だった。この方法ならば魔法使いにしか知られない上に簡単に読み解ける物でもない。敵に知られる危険性無く広範囲に具体的な命令を伝える事が出来る、ホウセンと操術師部隊ならではの画期的な方法だった。

 操術師部隊は第二目標、つまり敵後方にある補給物資を狙い、組み立て前の攻城兵器を壊す事を最優先に行動を始める。

 迷彩服を着た男達が一斉に走る。敵には木々の一部が動いたように見え、補足しづらい筈だ。そんな中、一人だけ別方向に向かう人物がいた。


「セラム・ジオーネェ!」


「あ、おいダリオ! ちっ、馬鹿はほっとけ! 俺達は行くぞ!」


 ダリオだけはヴァイス王国軍の先頭集団に向かって下りていく。ホウセン達はそんなダリオを尻目に後方へ向かった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「銃撃が、止んだ?」


 セラムが恐る恐る頭を上げる。一時的に止んだとはいえまたすぐ銃撃が始まるかもしれないという恐怖は拭えない。だとしたら尚更ここで立ち止まっているわけにはいかない。セラムは急ぎ周囲を確認する。


「ベル、ヴィレムさん、カルロ、無事か!」


「はい!」


「大丈夫です」


「はい少将!」


 口々に返事が返ってくる。どうやら運良く主要な者には当たらなかったようだ。

 しかし。


(どうやら僕はこの期に及んで油断していたようだ。まさかこの世界で銃が出てくるとは。いや、予想して然るべきだった。ホウセンさんの正体も経歴も知っていて同じ時代を生きていた他ならぬ僕ならばこれは予想出来た事態なんだ。この道がばれてる事を警戒して隊列の中央にいなかったのもホウセンさんを見縊っていた。そんな油断、一寸たりとも許される相手じゃなかったんだ)


 セラムがかぶりを振る。反省も後悔も今すべき事じゃない。幸運にも大事には至らなかった。この僥倖を無駄にしない為にも今はすぐにでも適切な行動を取るべきだ。


「よし、皆身を低くしつつ前進。急いでこの場から離れるぞ!」


 そう言ってセラムが足を地面に突いた時だった。何者かの影がセラムに立ちはだかる様に躍り出た。

 それは迷彩服を着ていた。それは見覚えのある男だった。それは施条ライフル銃のような物を構えていた。それは……


「ダリオ・アバッティーニ!」


「セラム・ジオーネェ!」


 その狂気をはらんだ目と目が合った。その銃口の奥までも見えるかのようで、セラムはその銃が自分の額にしっかりと照準が合っている事を確信した。


 ――殺される!


 引鉄に掛かっていたダリオの指がゆっくりと動く。一秒が無限に引き伸ばされ刹那を悠久にも感じる。セラムは次に起こるであろう光景に脳漿がぶちまけられた自分の姿を見た。

 ダリオの指が引鉄を引き切る。カンッと軽い音がした。思ったより拍子抜けする音だな、とセラムは思った。連続した意識の中、銃口から弾丸が飛び出るのが見えた気がした。あるいは気のせいだったのかもしれない。だがセラムは、自分を殺すものは随分ちっぽけなんだなと思った。死ぬ時くらいもっと派手な音と光を放ち大仰に倒れて死にたいものだと思った。

 そんなセラムを現実に引き戻したのは、夢想の世界と切り離したのは、誰かの脚だった。


「セラムさん!」


 まるでよく振った炭酸飲料を勢いよく開けた時みたいな音を立ててその死神は撃ち出された。セラムの額を狙ったその弾丸は、その射線に立ち塞がったヴィレムの脚に命中した。


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