第九十六話 戦場の死神
ホウセン率いる操術師部隊は山中を行軍する。途中道を外れ尾根へと。道なき道をものともせず歩くその足が止まった時、ホウセンが歯をむき出しに笑った。
「みぃつけた」
下の方で鳥が飛び立ち木々が騒ぐ。大軍が進むその独特の気配がセラム隊の居場所を示していた。
「この道なら俺らにバレないとでも思っていたか? あんたは現代人らしく情報の重要性について少しは知っているようだが、俺からすればまだ足りん。戦場に成り得る地を把握しておくのは基本だぜぇ。こういう事も想定してこの山で何度も訓練したんだ。軍隊が通れる道なんて限られてる。大体どの道を通るかは予想出来るし動きなれたこの山で迷う事もねえ」
まるで目の前にセラムがいるかのようにホウセンは語りかける。嬉しくなると独り言が多くなるのは昔からの癖だった。特にこのような獲物を前にした時はつい饒舌になってしまう。
そんな気に当てられてか、空が俄かに黒い雲で覆われてゆく。
「おいおい、まるで山の天気も祝福してくれてるみてえじゃあねえか。なあ!」
ホウセンに促された部下が返事の代わりに鉄筒のレバーを引く。バネと鉄が控えめに音を立てて弾が装填された事を知らせる。
「気を付けろよぉ。その『操水銃』は意思が無いと発動しないとはいえ、お前らが使えば兵器だからな」
ホウセンが自分で作ったプラモデルを自慢する子供のように嬉しそうにその鉄筒を見る。ホウセン含む操術師部隊が全員持っているそれこそが、ホウセンの視点で戦争を変えようとした産物だった。
「セラムちゃんの作ったあの大砲、話を聞いた時はそりゃあもう吃驚したぜぇ。まさかもうそんな兵器が開発されたのかってな。何せ今まで火薬のかの字も無かった世界だったんだ。情報を集めていけば二度吃驚、どうにも火薬を使われた跡がねえ。その時点で確信したな。こいつを作った奴は俺と同じ現代人だって。順当に兵器を進化させてけばあんな発想になるわけがねえ」
ホウセンは喋りながらも敵軍の先頭に向かって歩いていく。迷彩服を着て操水銃を抱えた五十人の操術師部隊もそれに続く。木々に紛れ枯葉を踏みしだきながら危なげなく進んでいくその様は、施条銃を持った現代歩兵と何ら遜色が無い。
「俺ぁ思ったぜ、負けてらんねえってな。けど銃の構造は知ってても火薬と雷管は作れねえ。そこで俺ぁ考えた。『魔法があるじゃねえか』ってな。そこでこの銃だ。こいつぁ出来損ないの水鉄砲だが俺達が扱えば立派な銃だ」
そもホウセンは自身の魔法で十分な殺傷力を乗せられる。メルベルク砦でやってみせた「水弾」がそれだ。水そのものを加圧し水幅を狭め勢いよく撃ち出す、ウォーターカッターの原理を操術でやってのけたものである。ただしこれには弱点がある。至近距離なら鉄をも貫く威力だが、その威力が保てる有効射程距離は精々五メートル。しかもあれはホウセンだからこそ出来る芸当であって、一般的な魔法使いが真似出来るような術ではない。対軍兵器には成り得ない。
それを補い、現代兵器の役割に近づけたのがこの簡易的な施条銃を模した水鉄砲、「水操銃」である。レバーを引いて弾丸を装填、タンク内の水を魔法で加圧しその力を推力に弾丸を飛ばす。水弾のように魔法で鉄をも貫く程に高めた水圧により弾丸を押し出すのだが、水弾よりも水幅を広める事によって弾丸自体を壊す事無く押し出す。
押し出された弾丸は筒の内側に掘られた施条によって回転し直進性と飛距離が増した高い威力の銃撃となる。
引鉄を引けば撃鉄が降り貯水室を叩くが、実はこれ自体には何の効果も無い。そんな事をしなくても水を射出すれば弾丸が撃ち出される。その役割は主にイメージを形作り、魔法を制御する為にあった。それだけの推力が出る程に魔力で加圧しつつ前に出ようとする水を押し留め、瞬間的かつ爆発的に射出するのには相当な集中と制御が必要になる。ともすれば中途半端な力で射出してしまいそうな中、例えるならばデコピンをする時に力を限界まで溜めるように魔力を制御しているのである。引鉄を引き、撃鉄が底を叩くという動作はその集中のタガを上手に外す役割を持っているのだ。これは銃の機構上唯一攻撃の意志を乗せる部分であるとして、銃として作る上でホウセンが拘った部品であった。
ホウセンは火薬の代わりに水を、雷管の代わりに魔法を使ったのだ。訓練された操術師しか扱えない物であり、これならば鹵獲されても戦況に影響を及ぼさない。そればかりかマスケット銃のような単発銃を一気に飛び越えての連発式。実際に連発するには相当な訓練がいる事と、扱える者自体ごく限られるという欠点以外は何世紀分も進んだ兵器であった。
「あんな大砲を作るぐらいだ。あんただって作れるもんなら銃を作ってみたかっただろう? セラムちゃんは銃の長所は何だと思うね? 長い射程と威力? いやいや最初の頃は弓の方が余程優れていた。それだけでこうまで進化はしなかっただろう。では指先の力だけで大きな殺傷力を出せるからか? それならもうクロスボウがある。何でそれらを淘汰しえたんだろうな。……大きな音と煙が出るからか? それらは確かに他には無い特徴だ。馬なんかは大砲の音で驚かせて戦闘不能にさせる戦法も考えられるし、人間だって『次にあの音が鳴れば死ぬ』と思っちまえば戦意は挫ける。けど俺は銃の真価はそうじゃねえと思うんだ」
敵軍の先頭にずんずんと近づく。ホウセンの興も乗り更に饒舌になる。
「銃の真価はその弾の小ささにあると俺は思うね。速度もさることながらその小ささによって弾丸が自分の体に食い込むまで見えない、気付けない。小さいから矢と違って避ける事も受ける事もままならない。敵は撃たれるまでどこから来るか分からない死の恐怖に怯えるしかない。そこが従来の兵器との違いだ。そして時代は進み銃声はより小さく、射程はより長くなり、狙撃という概念が生まれる。戦場の狙撃兵はいつでもどこでも見えない所から死を運ぶ、まさに『死神』だ」
操術師部隊は水操銃の有効射程距離圏内まで近づくと狙撃可能な位置に身を隠す。その中の一人が更に一歩踏み出した瞬間にホウセンの叱責が飛んだ。
「おいダリオ! それ以上前に出るな。敵に気付かれる。お前は俺の近くにつけ」
ダリオはその命令に不満げながらも従う。
操術師部隊全員が配置についた。狙撃には通常付き物の観測手はいない。全員が狙撃手だ。これは単体の目標のみを撃ち抜くだけの任務ではなく、その後軍を相手取り行動しなければならない事と、それ程超長距離ではない上にこの世界の技術で作られた銃では命中率に難があるため、数を減らす事を嫌ったのである。
空を覆っていた雲からとうとう雨が落ち始める。狙撃には悪条件ではあるが、操術師にとってはそうとも言い切れない。
「おお、天も戦場を面白くしてくれるってよ」
何せ水を扱う水操術、そしてそれを利用した水操銃なのだ。嵩張る水の残量を気にせず弾丸のある限り撃ち放題というのは頼もしい限りである。
部下からの配置完了のハンドシグナルを見てホウセンが楽しそうに呟く。
「さあて、セラムちゃんにも狙撃兵の恐ろしさを味わってもらおうかぁ」
「……セラム・ジオーネェ……!」
その名に反応し隣のダリオが憎々しげに唸った。その目には昏い光が宿っていた。




