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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第九十一話 敵の影

 セラムは暇を見つけてグリエルモ宅を訪問した。

 あれからグリエルモは説教じみた事は何一つ言わず、お互い純粋に戦棋を楽しんでいる。


「こうして嬢ちゃん達が来るのも三度目か。ようやるの」


「三顧の礼というものがありまして」


「何じゃそれは?」


「賢者を引き入れるなら自らが三回以上は訪ねろ、という事です。ま、あまり気にしないでください。今回はうちのメイド達が焼いたクッキーを持ってきましたよ」


「おうおう殊勝な心掛けじゃ。甘いもんは嬉しいのう。ここに住んどると菓子なんぞ滅多に食えんからな」


 この世界は甘味というとまず果物だ。砂糖が無い訳ではないが流通量が少なくそれなりに高級品なので、都会の中流層から上の者にしか行き渡らない。自国での生産が難しく、専らノワール共和国からの輸入に頼っている状況なので、甘い菓子は一般的には贅沢品として扱われていた。


「ここでは年に一回食べられるかどうかでしょうね。グリエルモさんが僕の召喚に応じて下されば差し入れもし易いのですが」


「そんな事言っても無駄じゃぞ。わしゃあこの暮らしを捨てるつもりは無い」


 そう言いながら戦棋の盤を用意する。邪険にするつもりはないようだ。

 セラムも対面に座り、持ってきた茶葉でベルがお茶を入れる。


「そういえば今は将軍ってのが無いんじゃとな。この前行商人に聞いて吃驚したわい」


「そうですね。今将軍の代わりと言えるのは元副将軍のアドルフォ大将ですよ」


 戦棋をやりながら雑談に興じる。セラムにとって時間は貴重だが、これもまた必要な時間である。


「それじゃよ。嬢ちゃん、少将なんだってな。しかも改革の中心で国の主力だそうじゃあないか。自分からは言わんのじゃな」


「そういう事はあまり自分で言うべきじゃないと思いまして」


「そこは父親とは違うんじゃな。エルゲントの小僧なら惚けた感じでひょいと言いそうじゃのに」


「そうなのですか?」


 セラムは見知らぬ父親の話に興味を惹かれた。顔も知らぬ、一度も会話した事も無い人ではあるが、この体はその血を受け継いでいる。今のセラムに与えられた厚遇は全てエルゲントから引き継いだものと言える。

 この世界に来てからというもの長く彼の事を調べていたセラムは、自然と彼がどういう人物なのか想像を膨らませていた。


「おう、軽そうな小僧じゃったからな。それでいて計算高く、相手によって一番効果的な言い回しを使い分ける厄介な奴じゃったわい。不思議と自慢にも嫌味にも聞こえんのよな」


「ほえー」


 セラムが勝手に膨らませていたイメージとは随分隔たりがある。もっと厳格な人物を想像していたので、その意外さにぽかんと口を開ける。


「嬢ちゃんの評判も少し聞いたよ。性格はあんまり似とらんのに人たらし加減が父親とそっくりじゃわい」


「それはどんな噂を?」


 尾ひれが付いてあまり過大な評価が伝わっていても気恥ずかしい。これから口説き落とす相手なのだから勘違いさせておけば良いのだが、それを良しとしないのがセラムである。


「なんでも少将閣下は食堂で上官風を吹かして横入りした士官に『列に並べい!』と怒鳴ったとか。誰じゃい、と振り返ったら少将閣下が後方で順番待ちをしていて、その士官が泡食って最後列に並んだと講談のように面白おかしく話しておったぞい」


「それは……身に覚えがあります」


 きちんと列を作って順番を待つのは日本人の美徳だとセラムは思っている。ここは日本ではないがそれは守るべきマナーであり、腕力や権力、立場等を利用して偉ぶる輩はセラムが一番嫌う人種だった。


「下の者は上の者を見て真似して育つものです。軍隊であれどこであれ上の者は見本となるべく行動すべきです。いわんや正規軍人の士官が、というものです」


 グリエルモは深く頷きその言葉を肯定する。


「嬢ちゃんはその歳で良い上司をやっているようじゃ。規律が乱れているのは昔から問題視されていたからのう」


 セラムは赤面していくのを自覚した。面と向かって褒められる事に慣れていないのだ。

 早めに違う話題に向けようと次を促す。


「ほ、他には何か言われてましたか?」


「嬢ちゃんは常勝無敗の人だとか」


「それは過大評価に過ぎますね」


 過ぎるを二重に使う程にきっぱりと否定する。

 セラム自身宣伝の為に連戦連勝という言葉を使った事はあるが、本心ではない。特にゼイウン公国でのホウセン、チカ両将軍を相手取った戦いでは最終的に部隊の四分の一を失い、その内容もお粗末。目的は何とか果たせたので対外的には勝利となっているものの、戦術的敗北もいいところだ。


「謙虚なのは良い事じゃが自分を過小評価するのは将としてよろしくないぞい。今のところ実際勝っておるようじゃないか」


「からかわないで下さいよ。僕の敵に勝てないと仰ったのはグリエルモさんじゃないですか」


「ふうむ、そこまで厄介か、嬢ちゃんの敵とやらは」


 グリエルモが髭に手を当てて嘆息する。かつて軍で指揮を執っていたグリエルモだからこそ、外部で言われている程楽観視は出来ない状況なのだと容易に推測出来た。


「ええ、まあ。一人は純粋に強いし一人は何やってくるのか分からないし、正直勝てるかどうか……。今は情報収集して勝ちの目を探っている段階です」


「なるほどねえ……っと王手」


 セラムが声無き声を絞って苦考しているところで扉が乱暴に叩かれた。


「誰じゃあ? あいよっと」


 グリエルモが扉を開くと、ふわりとした金髪のメイドが転がり込んできた。


「グリエルモ様とお見受けします。突然の訪問申し訳ありません、私ジオーネ家メイドのプリシッラと申します。こちらに我が主人セラム様はおいででしょうか」


「プリシッラ? どうした」


 ゼイウン公国で情報を集めていた筈の彼女の急ぎように、無礼を咎めるのも忘れて聞く。


「ああセラム様、此方に行かれたと聞いて駆け付けた次第。急ぎお耳に入れて頂きたい事案がございます」


「ゼイウンで動きがあったのか?」


 頷くプリシッラ。セラムはちらりとグリエルモを見て打算を働かせた。


「グリエルモさん、彼女が先程言っていた僕の情報です。どうかお座り下さい。プリシッラ、構わん。このまま話せ」


 グリエルモは動じる事も無く席に戻って肘を付く。プリシッラは一瞬躊躇ったが主人に従った。


「ゼイウン公国三名家連合軍がメルベルク砦に進軍し敗北しました。ゼイウン側の将はフォーベック家エーベル、ペトラウシュ家ドミニク、そしてマトゥシュカ家のイングベルト殿。敵将はチカ・アルパ・ザガとホウセン・クダン。確度は五。エーベル将軍とドミニク将軍は戦死。確度は四」


「っ!」


 セラムに衝撃が走る。

 何故進軍したのか。そして三名家が力を合わせても勝てなかったのか。よりにもよって相手はあのホウセン。

 自分が居ない所で事態が展開し、どう転がるか分からない状況に陥っている事に若干の動揺を感じる。


「なんと……エーベルとドミニクなら儂も知っておるぞ。二人とも猛将であった。今は両家を代表する将となっていた筈じゃ」


 強国ゼイウンが正面から挑んで負けたという事実に古兵は驚きを隠せない。


「もうそろそろ王都にも第一報が届いている頃でしょうが、その前にセラム様のお耳に入れるべきだと思いまして」


「良い判断だ」


 情報の価値について、セラムとメイド隊はこの世界の標準的な認識より遥かに重きを置いている。前情報が有る事で軍議のアドバンテージができる。より早く情報を得る事で対策を練ってから挑み、他の人間が持っていない情報を基に判断を下す事が出来る。これは国内の会議においても、セラムが優位に進めるに当たって重要な事だった。


「プリシッラのことだ、それだけじゃないんだろ?」


「はい。複数から裏が取れない分確度は落ちますが、他にも情報を仕入れてきました」


 この場合の確度とはセラムとメイド隊が決めた情報の信頼性を五段階で示す評価基準である。確実な線からの情報から噂話程度の事まで、細分漏らさず収集し分析しやすいよう纏める為の独自のシステムだ。


「リーンハルト銀翼公はゲルスベルグに留まっていたフォーベック、ペトラウシュ両家の援軍と共にメルベルク砦奪還を決断、イングベルト殿を名代として奪還部隊を編制。総勢四万の大部隊で進軍しメルベルク砦を包囲しました。情報の出所はいずれも従軍した兵士からで確度は四」


 実際にはプリシッラは彼らが酒場で武勇伝の如く、もしくは終末の預言者の如く大げさに脚色された物語を聞かされているので、やれ「河に布陣したホウセン軍を鎧袖一触」だの「卑怯にも森から奇襲してくるチカのワーウルフ部隊を物ともせず」だのと無駄な修飾が付くのだが、情報としてはあまり信用出来ないものなので割愛している。ただし、次に言う現象はあまりに荒唐無稽ながら、何人もの兵士が異口同音に、この世の終わりを見たような表情で言っていたので無視は出来なかった。


「複数の兵士がメルベルク砦から天まで届くような炎の旋風を見たと言っています。消し炭になった人間が空から降ってきたとも。確度は四」


「巨大な炎の旋風だと?」


 そんな魔法は聞いた事が無い。可能であるとするならばノワール共和国の魔法使い隊並みの練度を持つ魔法使い集団がいる事になるが、グラーフ王国が魔法先進国であるなどとは聞いた事が無い。

 となれば怪しい人物が一人。


「ホウセンさんか」


 しかしながらいくら彼が優秀な魔法使いだったとしても、独力でそのような現象を起こすのは無理がある。何らかの仕掛けがあるのだろう。

 現実的な手段だと……油。しかしそれだけで炎の旋風は起きない。


「兵士の方によりますと、砦内には堀が掘ってあった、味方は矢の雨を受け続けながら前進していった、途中で門が降り突入した味方は皆炎の旋風にやられた、との証言があります。確度は三」


「油と矢!」


 大量に撒かれた油と、大量の矢という名の薪。これだけあれば相当な火力を出せるだろう。

 いや、油が撒かれていたら流石にすぐに気付かれる。堀に油を流していたとか、何らかの隠蔽工作をしていた。そして進軍を阻む為に矢をばら撒いていたと見せかけて、その実木製の矢を燃料に使ったというところか。


(確か東京大空襲や関東大震災の時に起こったような火災旋風が作られる条件を昔テレビで見たな。あの時の実験では高さ十メートルの炎の旋風が作れた)


 一定以上の火力を保った炎の二方向を壁で囲み、片側から風を送り込む。すると旋風が炎を巻き込みそのような現象が起きる。結構珍しい現象だが、壁で囲まれた砦内なら条件は揃う。


「後は風か……。強風が降りてくるような地形だったとか? あの人の事だ、予め気象条件を調べていたとしてもおかしくない。もしくはただ焼くつもりだったのが偶然が重なって火災旋風が起きただけかもしれないが……」


 呟きながらセラムは考えを纏める。今の仮定でも破綻は無い。が、何か見落としは無いか。どこかで先入観に囚われていないか。

 答えは出ない。いくら考えても不安が残る。


「それをやったのが嬢ちゃんの『敵』かね?」


 グリエルモの質問に我に返る。考えても埒が明かない。これ以上は実際にぶつかってみるしかないだろう。


「ええ、恐らく絵図を描いたのはホウセン・クダン。隻眼の軍師の二つ名を持つグラーフ王国六将軍の一人です」


「なるほどのう」


 今までのセラムの様子に合点がいったらしく、グリエルモは椅子に深く腰掛け顎鬚をさする。


「他の情報としては、敗走した兵士は現在ゲルスベルグに留められています。確度は五。その兵士達に向けてリーンハルト銀翼公から、エーベル、ドミニク両将軍の仇を討つべしといった内容の演説が行われたと聞きました。確度は三。ドミニクが裏切った、イングベルト殿が裏切ったといった噂を聞きました。確度は一」


「それは……まあホウセンさんが飽きもせず情報操作をしてるんだろうな」


 ヴァイス王国でもやられた手だ。特にゼイウン公国は元々国家として一枚岩ではない危うさを内包していた事もあってその効果は絶大だった。更なる仲違いは期待していないとしても、緊張を維持するだけでも効果はある。


「しかし演説か……。単なる士気を保つ為の方便とも取れるが、素直に捉えれば再度進軍するつもりに聞こえるな。んー、又聞きでは曲解してしまうか。とにかく城に戻ろう。近い内に軍議がある筈だ」


「おーい嬢ちゃんや」


 セラムが立ち上がろうとするのをグリエルモが引き留めた。


「今度は儂の方から戦棋を誘いに行くとするよ」


「それは、僕の頼みを引き受けてくれるので?」


「勘違いするない。わしゃあ嬢ちゃんの戦棋相手になるだけじゃい。この暮らしを捨てる気は無いわい」


 即座にそう否定した後、少しばつが悪そうに言い直した。


「じゃがこの国がのうなっては暮らしもなにもないしのう」


「少佐の椅子を空けておきます」


 セラムはにんまりと笑って外套を羽織る。グリエルモは諦めたような溜息を吐いて言った。


「この村に住んでから長いからの。王都に行くのはしばらく時間が掛かる。精々武運を祈っておるよ」


 セラムは最後に深くお辞儀をしてグリエルモの家を去った。


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