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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第八十九話 頭中の戦い

将棋を知らない人は、大体で

王=取られると負け。 飛車・角=超強い。 金将・銀将=そこそこ強い守りの要。 桂馬=トリッキーな動きが出来る変わり種。 香車=前進しか出来ないが距離は無制限の一発屋。

とイメージして下さい。

 セラムの顔に緊張が走った。

 これは只のゲームではない。セラムという指揮官が如何に味方を勝利に導き、部下を生存させるか、それを計られる。

 即ち教導。そして試されているのだ。

 生唾を飲み込む音が骨を伝って耳に届いた。見る間に敵の布陣が終了した。王の守りが薄いように感じられるが、右翼の機動部隊がカバーしている。鶴翼の陣に近いだろうか。

 そして更に将棋ではあり得ない事が一つ。


「戦棋では二歩……歩が縦に二つ重なるのは良いのでしょうか?」


「これは異な事を。歩兵を縦に並べて厚みを作るのは実戦ならば当然の隊形じゃろうに」


 セラムは認識の甘さを恥じた。先のルールに抵触さえしなければ反則手など無いという事だ。

 考えてみれば当然の事。これは模擬戦の代わりなのだから。


(ここまで崩されると定跡も何もあったもんじゃない。といっても定跡なんざ二、三個しか知らんし、それを有効に使える程上手くもないが)


 相手の隊形に対応できる形を考えてみる。しかしこれといった有効策を思いつかないままに時が過ぎる。


「おいおい考え過ぎじゃ。嬢ちゃんは敵が布陣した時も待ってもらうつもりかい?」


 グリエルモに急かされ駒を置いていく。結局、セラムが選択したものは外周の歩による守りを将(金将)や近衛(銀将)で内側から固める、「矢倉」に近い型だった。


「んーん、戦棋を軍人にやらせるとそいつの性格がよーく分かる。嬢ちゃんのは特徴的じゃの。非常に守備に特化した形、損害を恐れる将のようじゃ。しかし固いな。堅固でも柔らかさがないと、そう、女性の尻のように」


 グリエルモは最初の一手で二回駒を動かす。てっきり戦車(飛車)か竜騎(角)あたりで駒を取り離脱するかと思いきや、騎馬(桂馬)と竜騎(角)を戦場に広げただけで手番を終えた。

 しかしその一手でセラムは自分の過ちに気付いた。二手で歩を削られるくらいならば許容範囲だと思っていた。その考えが甘かったのだ。

 このゲームの最初の二手は先手側が一方的に攻めるチャンスである。しかし一番重要な点はどの駒を取るかではない。どの駒で取るかだ。

 今、グリエルモが動かした竜騎(角)と騎馬(桂馬)はどちらも次の一手で駒を取れる場所に陣取っている。セラムとしては必然どちらかの守りを固め深追い出来ないように努める事になる。そしてそれはどちらの駒に落とされるかを選ぶ事と同義。

 このゲームのルールでは敵の駒を落とした時に成る事が出来る。つまりどちらの駒に熟練を付けるかを迫られているのだ。

 竜騎(角)を放置すれば熟練となった上に、二回目の行動で更に陣深くまで攻められるかもしれない。そうなると守りを崩してでも熟練竜騎を落とさねばならず、守りが薄くなったところを槍(香車)で突かれる。グリエルモは竜騎(角)を犠牲にこちらの三駒と戦車(飛車)と同等の強さを持つ熟練槍を得る形だ。

 対して騎馬(桂馬)に攻めさせればどうか。二回行動を使って深追いしても無駄死にするだけなので一駒落として退くだろう。しかし上下左右、変則的に動く機動力の高い熟練騎馬は後々脅威になるだろう。

 最初の二手の二回行動という有利、セラムの思っていた以上に強力なものだったようだ。

 この一手目、セラムは悩みに悩んで竜騎(角)側の守りを固める。


「勝てぬ相手とは戦わない、戦術の基本じゃな。嬢ちゃんは正しい。しかしまあそちらを守るという事は」


 グリエルモの騎馬(桂馬)が無防備な歩を食い破る。


「あちらを立てればこちらが立たず、戦場はままならぬものじゃな。ほっほう、熟練騎馬の誕生じゃ。さてさて、駒を取られたわけじゃが、これでそのまま守っておっても負けが確定するぞい?」


 ルールその六、百手終了した時点の残り駒数で勝敗が決まる、だ。これでどうあっても攻めなくてはならなくなった。後手は相手の配置を見てから決められる有利がある。だがそれは守る為ではなく攻め勝つ為にこそ使うべきだったのだと、セラムは遅まきながら気付いた。

 守りを固めすぎたが故に思うように動けず、セラムは槍の突進力と熟練騎馬の機動力に対応しきれない。敵の遊撃部隊に圧力を掛けられ孤立した歩を落とされてしまう。


「嬢ちゃんの部下がまた死んだぞ。このままじわじわと嬲り殺されるかね?」


 セラムの脳裏にゼイウン公国遠征の風景がよぎった。敵の圧力に屈し穴倉の中で死んでいった部下達の姿が思い出される。

 無意識の内にセラムの口から小さな呻きが漏れ出た。


(守りを緩めれば熟練騎馬と竜騎(角)に各個撃破される、だが攻めなければ勝ち目はない。どうする……? くそ、押されたまま守っていても事態は好転しない、戦車(飛車)を軸に攻め手を残し戦況を立て直す。これ以上は一兵たりとも無駄な犠牲はさせられない)


 大駒を頼りに攻勢に出る。戦車(飛車)や竜騎(角)が自由に動けるように道をあけ、孤立した部隊を切り崩しにかかる。


「嬢ちゃんの思考は実に守備的じゃな。その一方攻撃は大味、信頼する部隊に任せて弱兵の損害を恐れる。じゃがそれは守りではなく逃げ腰になっているだけじゃ。重要なのは攻める為に守り、守る為に攻める事」


 グリエルモの手が攻勢から一転、守備に動き出す。大駒を取られまいと動きが鈍ったセラムの隙を突かれ、歩に駒を取られてしまう。戦車(飛車)によって別の駒を落とし熟練戦車と成るも、鉄壁の布陣は崩されつつある。


「ほれ、そういうところが悪い癖じゃ。弱兵でも幾度の戦闘を経験し熟練した兵は非常に頼りになるもんじゃ。元々強い兵はそりゃあ使い易いがその分伸び代が無い。軍隊というものはいかに遊兵を作らず総合力を底上げするかが大事じゃ」


 言われてみれば、とセラムが言葉を失う。軍隊は組織的な動きによってその力を相乗的に高める。その性質故に個の力よりも全体が同じ力量を持っていた方が強い。一人の英雄がいる烏合の衆よりも全員同じ動きが出来る統率された軍勢の方が遥かに強いのだ。


(そんな事は知っていた筈なのに)


 知っていたが解っていなかった。知識があるのと理解しているのでは雲泥の差だ。

 兵の悲鳴が聞こえる。

 一手進める度に陣形が脆くも崩れ去ってゆく。まるで塹壕による防衛線を突破された時のように。 

 こうなっては戦術を見直すしかなかった。セラムは熟練戦車を敵陣深くに留めたまま近衛(銀将)と騎馬(桂馬)を押し進める。


「ほう、攻め方が変わったな。切り替えの早さは将にとっての美徳じゃ。それとも開き直っただけか?」


 敵の隙が見えても熟練戦車を敢えて動かさず、二線級の駒で攻め手を緩めないセラム。じわじわと駒を落とされるも、致命傷を避け敵陣を押し込んでゆく。


「ええのか? 消耗戦は駒が少ないそちらが不利じゃぞ?」


「いいんですよ。それもこれで終わりです」


 そう言ってセラムは満を持して熟練戦車を動かした。安易に駒を取りにはいかず、手前で止まり進路を塞ぐ形。あと二手で王手まで持っていける状態だと気付いたグリエルモから「しもうた」と声が出た。

 しかしセラムがにやりとしたのも束の間、グリエルモが今迄攻撃の要だった熟練騎馬を特攻させ王手を掛けるという鬼手に出た。

 一見すると他の駒で簡単に防がれる時間稼ぎの一手。まさしく無謀。

 セラムは将(金将)でその熟練騎馬を落とす。


「いやいや、今のはなかなかに良かった。見え見えの罠にかからず、ずーっと辛抱強く熟練戦車を温存しておった。その上ここぞという時に直接落としにくるわけでもなく、しかし要石の如きその用兵、一瞬焦ったわい。じゃが一手遅かったな」


 グリエルモの槍(香車)が中央の歩を落とした。


「熟練槍の完成じゃ」


 今度はセラムが「しまった」と言う番だった。

 見落としていた。将棋ならば香車が成ると金将と同じ動きになる。しかし戦棋では瞬時に方向転換できる槍、つまり飛車と同じ上下左右に無制限に移動できる駒になる。瞬時に自陣に戻る事が可能になり、それはセラムの王手までの道筋が断たれてしまう事を意味した。


(今この熟練槍を落とす事が出来るのは王を守っている近衛(銀将)だけ。しかし近衛(銀将)を動かす事は出来ない。竜騎(角)が睨みを利かせている。近衛(銀将)を落として熟練竜騎となったら手が付けられない。王手を繰り返されつつ此方の兵が切り崩されていくだろう。そうなれば詰みだ)


 このようなジリ貧の戦局でもセラムは今迄で二度勝ってきた。だがそれはどんな勝ち方だったろうか。

 一度目は隘路の村での攻防戦。ただひたすらに機会を待ち守るだけだったセラムを、ヴィルフレドが機転を利かし対岸を騎馬隊で追い抜く事で流れを変えてくれた。

 二度目はゼイウン公国での退却戦。運よく敵将チカを捕らえられた上に、バッカスやフィリーネを始めとする部下の決死の逃走により、チカを逃す事無く態勢を整えてくれたお陰で捕虜交換の条件を引きずり出せた。

 全て優秀な部下がいてくれたからだ。こうして今生きていられるのはセラムの独力ではあり得ない。

 セラムは長考し、一言「成す術なし」と言って王を逃がした。


「大駒は積極的に動かすだけが使い道ではない。ただそこに在るだけで戦場を支配する、それが切り札というもんじゃ」


 グリエルモの言う通り一手足りなかった。だがその一手はあまりに大きい。


(駄目だ、守りながら機会を伺うしかない)


 結局その後は終始傷口を広げない立ち回りで粘るも攻める事は出来ず、百手終了した時点で残った駒は八駒しかなかった。


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