第十六話 初陣
ヴィルフレドの馬に相乗りして列の先頭に付く。傍らの兵が軍旗を持って先導する。
「西の砦陥落! 敵が追ってきています!」
街を出たばかりだというのに絶望的な報告が舞い込んでくる。周りの若い兵達の表情が恐怖で引き攣る。人間同士の戦争を知らない世代なのだろう。
一方戦争を知らないセラムはというと、様々な感情が綯い交ぜになり黒色の狂気が瞳に浮かんでいた。
(奴らはまだこの地獄を残虐で塗り潰そうというのか!)
あまりの怒りでセラムの頭が沸騰し、抑えきれなくなった感情で思考が真っ白になる。
「怒」「酷」「死」「血」「恐」「人」「赤」「殺」「敵」「逃」「戦」「恨」「怖」
真っ白な思考の地平。
その何も無い空間の中、セラムは泡のように沸き立つ言葉にならない単語が天に上り消えていく。
(怒っている。怒っている。僕は何に起こっている?)
かつて無い程に自分の気持ちに集中する中、セラムは一つの悟りに至る。
(敵か、世界の理不尽さか。いや違うな、そんなんじゃない。僕は僕の無力さに怒っている。自分に、怒っているのだ。ならば今やるべき事はとてもシンプルだ)
セラムは口角が勝手に上がっていくのを自覚した。表情筋を制御する事すら出来なくなったのか。恐怖でどうにかなってしまったのかもしれない。
「大丈夫だ」
セラムは根拠もなく呟いた。悪鬼の如き笑みのまま言葉を続ける。
「このまま徒歩の兵が付いてこれる速度を保て。騎兵は列の横に付き道を外れないよう誘導しろ。一定間隔で松明を持たせろ。大道に沿って王都へ向かう」
当然目立つがこの闇の中大群を動かすには仕方ない措置だ。むしろ四散してしまう方が被害が大きい。
命令を聞いた兵士はセラムの迫力に押されてか黙って従う。ヴィルフレドもまたセラムの変貌に驚きながらも、その命令が的確であると判断して口を紡ぐ。本来命令を出すべきなのはヴィルフレドだろうが、有無を言わせぬ凄みがあった。
ヴィルフレドの胸に頭を預けて大きく深呼吸をする。
(焦るな。慌てず急げ)
セラムは学生の時にやった避難訓練を思い出していた。こういう時冷静にやるべき事をやった者が助かる。名前も覚えてない教師の教えだ。
心臓が早鐘を打っている。誰よりも臆病になりながら頭だけは冷静でいたセラムだからこそ、それに気づいた。
「ヴィル、右に光る物がある!」
セラムが鋭く叫ぶ。
「あれは敵か味方か!」
「あちらの方向に味方はいません。敵です!」
「風向きは、旗はどちらに向いている!」
唐突な質問にもヴィルフレドはすぐさま意図を察し答えた。
「旗から見るに敵方に向かって吹いています!」
「では右方向に火矢を放て。敵を近づけるな!」
「了解。後方の兵に伝達! 火矢準備、目標右方向、なるべく遠くに三射!」
一射、二射。思っていたより火は広がらない。三射目にして漸く火の手が上がった。効果の程を確認する間も無く隊は前進してゆく。
「松明兵を残し騎兵を集めろ。突撃してくる敵がいたら横っ腹にかましてやれ」
先頭集団に追いつくような敵はいない。それでも後に続く味方のために出来得る限りの事はする。戦術どころか戦法とも呼べない稚拙な指揮。
「惨めだ」
情けなさで涙が零れた。それがセラムの初陣だった。