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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第八十一話 魔の森

「森が茂ってきたな」


 敵を追い数時間経ったように思う。ゼイウン公国軍は一目散に逃げるグラーフ王国の殿に食いつけぬまま、しかし離される事もないままにメルベルク砦へと続く道をひた走っていた。

 冬の森はひんやりとした空気を纏い風もなく、べったりと肌に張り付いた服を乾かす事を許さない。最初は疲れなど見せる事のなかった猛者達が、冷えきった体を引きずるように騎馬の後を付いてきていた。


「エーベル殿、ドミニク殿、流石に兵達も限界です。ここは諦めて休息を取らせるべきかと」


 イングベルトの悲鳴にも似た讒言を両将が聞き入れた。実際無視できない状態だった。これ以上無理をすれば程なく限界に達し、急激に体が動かなくなる兵が出てくるだろう。


「うむむむ、口惜しや。奴らめ、あと少しというところで追いつけん」


「隊列が伸びておるな。おい! 出来るだけ固まるように伝達しろ! 体力が残っている者で火を起こせ!」


 木々に遮られた道の先にいる筈のホウセンの部隊を見据えるようにイングベルトが前方を注視する。


(前と同じだ。一見無造作に見えて統率の取れた退却、まるで此方が走らされているような感覚だった。わざと捕まりそうな速度で退却しているかのような……)


 前方からは殺気も気配も感じない。しかしこの森を切り拓いた道の途中、日光が遮られ薄暗い木々の奥を見ていると、まるで魔界に続く穴のようで薄気味悪い。

 まさかこの大軍に魔物が襲い掛かろうなどとは思わないだろうが……。

 その時、非日常を告げる警笛のような狼の遠吠えが鼓膜をつんざいた。

 イングベルトの肩が意に反して跳ね上がる。周りを見渡すと兵達が身を竦ませていた。


「こんな森の中だ。狼くらいいるか」


「然り、縄張りに大軍が入り込んだ故の警告といったところか」


 流石に猛将二人は肝が据わっているようで、豪胆に笑う。しかしその笑いが、次の遠吠えで緊張に変わる。

 今度は近かった。まるで獲物と狙い定め、仲間に知らせるように。


「方陣を組め! 森を警戒!」


 将の反応は速かった。武器を構え、即座に命令を下す。しかし普段地獄のような訓練をし、号令には脊髄反射で体が動く筈の兵士達の反応が、鈍い。冷たい水に胸まで浸かり、芯から冷える真冬の行軍をしてきた体は、本人の意識が末端まで伝わらない程に疲弊していた。

 その間隙を縫って餓狼の一群が横合いから襲い掛かる。

 チカ直属の人狼部隊、それは人の形をした獣のようにその鉄爪で敵を薙ぎ倒し、軍を食い破っていく。

 そして更に後方では……。


「ワ、ワーウルフだあっ!」


 それは二本足で立つ大狼だった。その威容は周囲に恐怖を撒き散らし、突然の襲撃である事も加わりゼイウン公国軍を混乱に陥れる。

 狼男の正体はチカの副将、バルトである。

 人狼族も永く人と交わる事によって血が薄まり、変身能力を失った者が殆どだ。その中でも濃い血統を残し、或いは先祖返りし、自在に変身が出来る者がいる。彼の家系は人狼族の中でも数少ない変身能力を保った血統だった。

 変身したバルトは途轍もない俊敏さで跳び回り、自前の鉤爪で敵兵の首を引っ掛け、捻じ切る。その巨躯を目で追う事すら難しい。何人もの兵士が爪の餌食になる中で、自分の命と引き換えにその腕を斬り付ける事に成功した者もいるが、硬い毛に覆われ深手には至らないばかりか、その程度の傷などすぐにふさがってしまう。元々高い自己治癒能力は、最早軽い再生能力の域に達していた。

 チカの部隊とバルトの部隊が縦に伸びた敵陣をまるで縫うように突破離脱、そして再強襲を繰り返す。

 ゼイウン公国の軍は混乱の渦の中、敵の影がより大きく、昏きものになっていくのを感じる。


「後方の部隊に急ぎ前進するよう伝達!」


 伝令が駆ける。しかし任務を全うする前に横合いからの突撃が伝令を抹殺する。人狼族の優れた聴覚により早馬の音を聞き分け要点を潰すチカと、アトランダムに猛然と暴れまわるバルト。両者とも森を使い一撃離脱を繰り返し足を止めないが為に、ゼイウン公国の部隊はいいように翻弄される。

 前列が急いで森を抜けようとすれば後列が離される。しかしここで留まれば部隊が立ち直る前に大打撃を受けるだろう。


「このままでは分断されます!」


「わかっておる! 注目っ!」


 エーベルは槍の石突を激しく地面に打ち付け声を張り上げる。


「敵はここで一気に片を付けるつもりだ! 森を抜け砦を包囲してしまえばそれで終わる!  各小隊長は順次復唱! 小隊毎に方陣を組んで前進!」


「復唱します! 小隊毎に方陣を組んで前進!」


 伝令が使えない以上、軍全体に大きな指示の変更は出来ない。小さい方陣の固まりにして各個に前進させれば被害は減り、冷静さを取り戻すだろう。そして簡単な指示であれば伝言ゲームのように後方の部隊まで伝わってゆく。多少回りくどくても今は確実さを優先すべきだとエーベルは判断した。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 餓狼の雄叫びを聞きながらホウセンは敵が策に嵌った事を確信する。


「最初の一戦で勝ちの味を覚えたろう。この程度の敵ならばと見誤り追いかけてきた。底冷えする寒さの中水浸しの兵を行軍させてな。縦に伸びた隊列、左右に森、そこに北の大地の森の中で生まれ育った人獣族の伏兵、今の気分はどうだ? 森は人獣族のテリトリーだ。そこにいる限り彼らに勝てはしない。今の俺はどう見える? 恐ろしい敵か、踏み込めさえすれば勝てる相手か」


 ホウセンの楽しげな独白に部下が小さく顔を顰める。上司の戦いを楽しむ癖と敵を陥れる事に喜びを見いだす嗜虐癖は、味方である分にはこの上なく心強いものではあるが、彼にはあまり好ましいものではなかった。


「初戦で名前を出してわざと負けたのは油断させる為ですか」


「まあな。けど、それが今どう転がってるか、見ものだな。直接戦えば勝てると思うか、腰が引けちまってるか」


「ホウセン様としてはどちらが良いのですか?」


「どっちでも。どうにだって利用できる」


 ホウセンは部隊の足を止め、小休止させる。この分ならすぐに追ってくる事は出来ないだろう。

 手近な木に登り森の様子を窺う。肉眼で敵の姿を捉える事が出来なくとも、鳥が飛び立つ位置や木の葉の揺れで気配を感じる事は出来る。この体の身体的特徴により距離感を掴み難く、こんな時は片目である事を不便に思うが、後遺症により走れなくなった昔を思えば大した事ではない。それに今は隻眼を補って余りある能力がある。

 ホウセンは意識を集中させ、魔力を編み込む。自分の背後にパラボラアンテナを形づくるイメージで音を拾う。魔力の網に触れた空気の振動を増幅、指向性を持たせ集音する。

 まず聞こえるは獣人族の雄叫びと哀れな敵の悲鳴。木の葉が擦れる位置と方向で、彼らが作戦通り敵の隊列に飛び込み、足を止めずそのまま突破する一撃離脱を守っている事を把握する。

 伏兵を率いているのはチカだ。勇み足で無茶はしないだろう。


「あとは敵がどう出るか……お?」


 敵が同じ言葉を復唱してゆくのが聞こえる。小さすぎて内容までは聞き取れないが、この場を立て直す策を講じたのだろう。


「思ったより対応が速い。流石につええな、ゼイウンは。戦い慣れてないノワールや弱兵のヴァイスだったらもうちょっと混乱していてくれるんだが。しかしまだまだ地獄の一丁目……っとくらぁ」


 チカに今後の作戦は伝えてある。彼女なら任せておいて大丈夫だろう。

 ホウセンは五メートルはある樹上から飛び降りて、空挺部隊ばりの五点着地を決める。着地時に体を回転し、足先から順に体全体を接地させ衝撃を分散する高等技術だ。

 突然落ちてきた上司に驚く兵の視線の中心で、ホウセンはポーズを決めて恍惚と呟く。


「ん~、俺かぁっこいい~。今ならパルクールレースにも出られるね」


 ほんっと、味方としては頼もしいんだけどなあ、とは言わない部下達であった。


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