第七十七話 成長の時
「ヴァイス王国にとって試練の年となった去年を耐え、この新しき年を皆様と迎えられた事をとても嬉しく思います。これもユーセティア神のご加護、そして皆様の尽力の賜物と、感謝の念に堪えません。しかしながら、この場で皆様にとても辛い事を申し上げねばなりません。この場で挨拶をしているのがレナルド国王ではなく、わたくし、アルテアである事に違和感を感じている方もいるでしょう。……わたくしの父であるレナルド国王が先日崩御いたしました。新年を祝うめでたき日に、このような事を伝えるのは躊躇いました。ですが、皆様に愛された我が父の訃報を、他ならぬ皆様に隠しておくのは誠実さに欠けると思い、今日この場で発表しようと決意いたしました。そして今は国難の時。王座を空席にするわけにもいきません。次期国王には今日成人を迎えたわたくし、アルテア・バスクアーレ・ヴァイスが女王として即位します。祭りに水を差してしまい申し訳なく思います。我が父レナルドは国民の皆様の笑顔が何より好きだと言っておりました。どうか皆様におかれましては、正月の三日間は例年通り祝い、笑って過ごされますようお願い申し上げます。葬儀は四日に行います。涙はその日までおあずけ下さい。その翌日には私の戴冠式を行います。皆様のご協力をお願いいたします」
新年の儀では挨拶もそこそこに、その場で国王崩御とアルテア王女の戴冠式が発表された。
予想された混乱は起こらず、殆どの者は静かにその事実を受け止めた。レナルド国王は長く病を患っていた。国民の大半はある程度覚悟があったのだろう。
三日後には慎ましやかな国葬が行われた。空の棺にひれ伏す参列者の涙が、国王の人徳を如実に語っていた。
翌日の戴冠式は粛々と進められた。戦時下の、若い女王の誕生は決して皆に歓迎されるものではなかった。しかし、荘厳なる静寂の中、教皇から冠を戴くその気高き姿は、誰の口からも異を唱える術を失わせる神聖さを備えていた。
この世界の神に特別信仰を持たないセラムですらも圧倒され、寒気すら覚えた。そしてその横顔は、セラムに焦りを感じさせた。
「私は進むわ」
ゼイウン公国への遠征の前に、彼女が言ったその言葉が思い出される。今のままでは置いて行かれる。この世界に来た時から唯一対等な友人として扱ってくれた彼女が遠くに行ってしまう。その思いがセラムの奥から這い回った。
自分がこれでは彼女を、この国を守れない。少なくともこのままでは。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
年が明けてから数日、セラムに多少の暇ができた。領地の事は優秀な部下達に任せてある。軍の事は頼りになる上司がいる。仕事にも慣れて、手の抜きどころが分かってきた。
良い機会だと思った。この前の遠征で当面の敵を明確に捉える事ができた。
ホウセン・クダン。そしてチカ・アルパ・ザガ。
特にホウセンはセラムと同じ日本人であり、傭兵稼業をやっていた戦いのプロ。戦争相手としてはセラムの上位互換だ。頼みの綱の現代知識も、同郷の人間にどれだけ通用するというのか。兵の質と量で負け、将の質すらも負けていては勝てる見込みがない。
今の内に自分を見つめ直す。そう思い、セラムはカルロを探した。
カルロは場内の訓練場で部下の訓練を監督していた。
「カルロ、すまんが時間は空けられるか?」
「少将。ええ、今でも大丈夫です。この時期は仕事が少ないですからね。……おい、あとは頼む」
カルロは訓練をその場の部下に任せセラムに同行する。
「しかしどうなさったのですか? 確か少将はお休みをいただいていたのでは?」
「むっ、ちょっとな……」
セラムはあの祭りの日以来何かにつけてヴィレムを避けていた。何となく顔を合わせづらくなってしまっていた。
告白が嫌だったわけではない。寧ろそれが問題だった。
女になってもう八か月経つが、セラムは男を捨てた覚えは無い。といっても、ここ最近はあまり意識する事も無くなっていたのだが、先の出来事はそれを思い出すのに十分なインパクトを包括していた。
相手は男だという事実に抵抗も感じるが、それを受け入れそうになる自分に戸惑う。
そして何より、今でも沙耶の事を忘れたわけではなかった。
元の世界でも、沙耶を亡くした後女性と付き合った事はあるが、恋や愛といった感情を感じた事は無かった。自分には人間らしい感情が欠落しているとさえ思った。
だがどうだ。その感情を思い出させた人物が男だとは。しかも自分の人生の半分も生きていない小僧っ子だ。
自分が彼を好きだとは認めたくない。沙耶を忘れる事は自分が許さない。
(まったく、いい年をして何を青臭い悩みをしているのか)
それでこうして逃げ回っているのだ。
だがそれだけではない。時間がある内に自分を強くしようと考えたのだ。今まで自分の事は後回しにしてきたが、将として強くなるべき時が来たのだ。
「今日はカルロに教えてもらいたい事があってな。君は魔物の事は詳しいだろう?」
「ええ。個人的に魔物について研究をしていますから」
「適任だ。僕は今回の遠征でオーガに出会った。その時はたまたま上手く敵に押し付ける事が出来たが、今後戦うにあたって魔物は無視できない存在だ。特にゼイウン公国は山が多く、人の生存域外の面積が広い」
「そういう事ですか。確かに人が住んでいない地域は魔物が野放しになっています。昔からゼイウン公国やグラーフ王国北部では魔物の被害に悩まされていたと聞きます」
セラムがカルロを伴って執務室に入る。今日は魔物についての勉強会だ。そのつもりで城内図書館から資料も借りている。
「ならば私も手加減はしませんよ。そうですね、まずは少将が出会ったオーガについて話しましょうか。奴の脅威性は実際に遭遇して肌で感じたと思います。筋肉は鉄のように固く、鎧がまるで紙のようにひしゃげる腕力を持ちます。巨体とはいえ、速力は馬にも追いつきます。軍でも一体あたり最低三十人編成で挑みます。それでも魔物全体の強さから言えば中といったところですが。問題は何故オーガが人を襲うかですが、少将は思い当たる節はありますか?」
セラムは当時の状況を思い出す。あの時は完全に遭遇戦だったが……。
「縄張り、か?」
「その通りです。流石は少将。オーガは縄張り意識が強く、人が近づくだけで攻撃してきます。危険度が高いと言われる所以です。対して前討伐したゴブリンなどは群れごとに家族意識めいたものを持っており、群れに危険が迫ると反撃してきます。また、オーガは雑食で縄張り内の動植物を食べ、人里近くまで現れる事は滅多にありませんが、同じ雑食のゴブリンは積極的に人里に下りて人、家畜を襲います」
「いや、驚くべきは君の事だ。詳しいとは知っていたが、生態まで熟知しているのか」
「魔物の研究なんて風変わりな趣味だとよく言われます」
「いや、そのおかげで助かる。遭遇を避ける事だって出来るわけだしな」
「魔物は他にも沢山います。よろしければ今日だけとは言わず、少将のお時間がある時にお教えしますが」
「是非頼む」
それから暫く講義は続いた。元の世界の学生時代はお世辞にも勉強熱心ではなかったが、皮肉にも社会人になって必要に迫られると勉強のモチベーションが上がるものだ。セラムはその歳にありがちな勉強嫌いな子供ではなく、勉強の必要性を身を以て知っている大人だった。
やがて鐘の音が二時間経った事を知らせる頃、休憩がてらセラムは別の話題をカルロに振ってみた。
「そういえばノワール共和国での件を労っていなかったな。公には言えないが、よくやってくれた」
「いえ、私は命じられた事をこなしただけです。が、あの行動の結果は少々気になりますね」
「君にはそれを知る権利があるか。実は思ったより芳しくない。あの戦闘でノワール共和国とグラーフ王国に入った亀裂を、彼の国のフラウメル議長は見事に収束しつつあるらしい。しかも我が国の欠陥兵器でノワール軍を危険に晒したと喧伝している始末だ。思っていたよりあの議長はやり手だな。僕の弾劾はガイウス宰相が取り成してくれたそうだが……」
「厄介ですね」
「ああ、ノワール共和国は我が国の重要貿易国だし、対グラーフ戦線において絶対に必要な国だ。正直軽率だったかもな。ああ、君は悪くない。僕が敵を知らずに作戦を立ててしまったせいだ」
カルロは沈黙した。何を言うべきでもないと判断したのだろう。
部下に気を遣わせてはいけないとセラムが話題を変える。
「ノワール共和国と言えば、グラーフ王国は何故他の三国を狙わずモール王国を攻めたんだろうな。第一目標は不凍港の確保だと言われているし、僕も集めた情報からそう分析した。しかし不凍港ならゼイウン公国も、ヴァイス王国も、ノワール共和国も持っているじゃないか。我が国は交易路の中心で、経済的に潤っている小国だし、ノワール共和国は様々な交易品を輸出しており、そのどれもが喉から手が出る程に欲しい物の筈だ」
セラムは部下、特にカルロに対してしばしばこういう謎かけのような話をする。自分の中に既に答えがあるものを、態々部下に考えさせる事で成長を促しているように。
カルロは暫し黙考して答える。
「地理的な問題が大きいのではないでしょうか。ゼイウン公国は軍事力が高く、間にモール王国があるので論外としても、他の三国の軍事力評価は左程変わらなかった筈です。しかしノワール共和国は縦に長い広大な土地、しかも未開の地が多く残っており、よしんば制圧に成功したとしても統治が難しいでしょう。そして我が国は制圧後の接敵面積が広すぎる。交易路が分断されるのはゼイウン、ノワール両国共面白くないでしょう。一番波風が立たないのがモール王国だったと。結果論にはなりますが、そのせいで三国による包囲網が形成されたわけですが」
「うん、だからこそノワール共和国にはグラーフ王国に対する敵意を保ってもらって、包囲網を維持する必要があるわけだ。もしノワール共和国が離反となれば包囲されるのは此方となり、地理的優位が無くなるからね」
だからこその発砲作戦だったわけなのだが。
「上層部にこちらの姿勢を見せつけた。裏切ればどうなるか脳内に叩きつけた。一定の効果はあった。だが足りなかったな。民主主義の国を動かすなら民心を揺さぶらなきゃいけなかったか。まあ布石としてはこれで十分……」
考え込む幼い上官にカルロは戦慄を覚える。
この小さな頭脳はどれ程の深謀遠慮を生み出すのか、と。




