第七十六話 祭りの恋心
ヴィレムと共に中央広場を目指す。祭りの最大のイベント、ウルカヌスの送り火を一目見ようと、人の流れがそちらに集中していた。
「やっぱり中央広場に向かうにつれて屋台の数も多くなっていきますね。あ、楽隊が演奏していますよ」
「僕はヴァイス王国の祭りは初めてですからとても興味深いです。セラムさんは来た事ありますか?」
「うえっ? いえ、王都のは初めてです……」
「へえ、じゃあセラムさんの故郷の祭りはどんなのでした?」
「い、いえ、僕はちょっと昔の記憶が曖昧でして。覚えてないんですよ」
そうですか、と言ってそれ以上深く詮索しないヴィレム。何かとても重い事情があるのだと勘違いしているのだろう。その顔は神妙だった。
対外的には父が死んだ事による精神的な理由という事になっているし、事実としては異世界に飛ばされ他人に成り代わったのだから、それはあながち間違いでもない。ただ、セラムとしてはその場で吐いた嘘というだけの話なので、あまり同情されても困ってしまう。
この話の流れを断ち切るために話題を逸らす。
「そういえば屋台の食べ物は豆料理が多いですね。何ででしょう」
煎り豆を売っている屋台を覗き込みながら疑問を口に出す。
「それはねお嬢ちゃん、この豆の形と色が金貨に似てるから金運や福を呼ぶって言われてるんだよ。もっとも最近じゃあ豆ならどんな豆でも良いって感じになってるがねえ」
屋台のおばちゃんがおおらかな声で解説する。確かにこの煎り豆は丸くて平たく、黄色に近い色をしているので、金貨と言われれば成る程と思う。日本でも語呂合わせや似たような感性の縁起担ぎは多いので親近感が湧く。
「僕の故郷のゼイウン公国でも、稲穂は一粒で多く実ることから多産の象徴、転じて安産祈願に使われたりします。そういう連想遊びみたいな信仰はどこにでもあるものなんですねえ」
「ですねえ。身近な物が信仰の対象になるっていうのは世界共通なのかな」
「仲がいいねえお二人さん。デートかい?」
再びセラムの顔が熱くなる。ぼっという擬音と共に湯気が出そうなくらいだ。
「ち、違いますよう!」
「ええ、そんな感じです」
「違うっつってんでしょうが!」
「ひゃっひゃ、可愛らしいお嬢さんだ。どうだい、買ってかないかい? お嬢さんに免じておまけしちゃうよ」
「はっはっは、商売がお上手だ。買っていきましょう」
すっかり余裕を取り戻したらしいヴィレムがセラムをからかうように会話に乗る。対してセラムはいつもの冷静さが微塵もない。ヴィレムの前だとまるで頭と体が別個の意思を持っているように自由が利かない。
(なんだろうね、ほんとにこれは)
赤い顔を手で覆いヴィレムを見る。優男という印象だったが、改めて見ると整った顔立ちに見上げねばならない程に高い背。ここ最近は何だか男らしさを感じる。
「セラムさん?」
「うぇっ!?」
じっと見つめられたその視線に虚を突かれ声が上擦ってしまう。慌てて口元を手で隠す。
「な、何かな!?」
「セラムさんも要りますかって聞いたんですけど、どうかしたんですか?」
「いや、何でもない、何でもないよ! うん、いいんじゃないかな?」
「顔が赤いですけど、大丈夫ですか? もしかして風邪でも」
「!」
額に伸ばされた手に過剰反応して体が仰け反る。それが悪かった。
慌てて引いた踵が地面に躓きバランスを崩してしまう。
「セラムさん!」
ヴィレムが倒れこむセラムの袖を咄嗟に掴む。その袖が、蜂の羽音のような音を立てて分離した。
それだけではない。一体型の服全体が、芸術的なまでの連鎖起爆を起こした。今迄着ていた服が壊滅的に破ける音は、まるで悪魔の嘲笑のようだった。
「にゃっ」
尻餅をつくセラムを真正面から見たヴィレムの顔が茹で上がる。それに気付いたセラムが視線を落とすと、随分扇情的な姿が目に入った。それは最早服を着ているというより、下着姿を布切れで隠していると言ったほうが適切だ。
(にゃーーーっ!)
セラムが声にならない叫び声を上げる。いくら元男といえど、大衆の門前でこの格好は恥ずかしい。男が下着姿になっても大して見向きもされないだろうが、女の身で思いがけず下着を晒すのは、好奇な、或いは下衆な視線に晒されるのだ。セラムはその事を初めて体験し、恥ずかしさのあまり硬直してしまった。
そんなセラムにヴィレムは羽織っていた外套を掛けてその肢体を覆う。視線を逸らしながらの動作は紳士そのものだ。
顔は真っ赤だったが。
「見ましたね?」
「イエ、ミテナイデス」
全く説得力の無い言葉に殴りたい衝動に駆られるが、ヴィレムは助けてくれたのだ。恩を仇で返すわけにもいかず、無言で立ち上がる。
「と、とにかく人がいない所に行きましょう。服も直さないと」
「ちょ、ちょっと。手は離して下さい」
ヴィレムはセラムの手を取り歩き出すが、手で抑えないと最後の砦を守っている布切れが落ちてしまいそうだったので、その手を慌てて振りほどく。
祭りの中心部から離れた公園まで来ると、二人でベンチに座る。
「兎に角応急処置だけでもしましょうか」
そう言ってヴィレムは懐から裁縫道具を取り出す。
「直せるか見ますのでちょっと失礼しますね」
「普段から裁縫道具を持ち歩いてるんですか?」
「ええ、編み物や裁縫の類いは僕の趣味ですからね」
男のくせになんて女子力の高い奴だ。半分呆れ、感心する。
(それにしてもこの状況は……)
半裸状態のセラムの心の支えとなっている外套を少し捲りつつ、ヴィレムが服の損傷具合を下から順に見ていく。ヴィレムは気付いていないようだが、この状況はあまりに恥ずかしい。
「うーむ、結構酷いですね。これは着たまま修復するのは難しいか……も……」
語尾が小さくなったヴィレムの視線がセラムの腰辺りで止まっている。セラムは今度こそこの不埒な男を殴り飛ばした。
息が荒いセラムをヴィレムが倒れながらも制止する。
「待って下さい、取り敢えず落ち着いて!」
「ふしゃー!」
「やっぱり見ずに直すのは無理そうです。服を脱いでいただけますか? 外套は着たままで結構ですので」
月明かりがあるとはいえ暗い中でも分かる程に赤い顔で、目を逸らしたまま言うヴィレムにぎりぎりの誠意を感じる。
「むう、その顔の向きに免じてその言葉に邪なものがないと判断してあげます」
脱ぐ、というより手を離したら勝手に落ちた服をヴィレムに手渡しセラムはベンチで縮こまる。外套のおかげで傍から見ても分からないとはいえ、街中で下着姿というのは流石に抵抗がある。が、戦略家のセラムにも他に名案は思い付かなかった。
「くちゅんっ」
「寒いですよね。すみません、すぐに直しますので」
「うん、おねがい」
「しかし今日は暖かい方だとはいえ、服一枚で外に出て今まで寒くなかったですか?」
「炎と人の熱気で結構あったかかったし、その服厚手だしね。この体暑さ寒さには強いみたいだし」
「この体?」
「ああ、初冬の山中行軍でも結構平気だったから、自分でも意外とっていう意味。それに、せっかくの祭りだから可愛い恰好で出掛けたくてさ」
いつもの策略家然とした笑みではなく、素直な等身大の女の子の姿を見た気がして、ヴィレムは率直な感想が口から零れた。
「ドレス姿のセラムさん、可愛かったですよ」
「うぇっ!?」
その言葉にセラムは心中を掻き乱された。元の世界では当然言われる事の無い言葉だが、セラムとなってからも面と向かって言われたのはあまり無いのだ。皆、セラムの立場からおいそれとそんな事は本人を前にしては言えなくなってしまう。
だからこそ、こんな真っ直ぐな瞳で褒められてしまうとドキドキしてしまう。動機が激しく、高なってしまう。
「これが不整脈か」
自分がチョロイ女の子とは認めたくないセラムである。
「はい、出来ましたよ」
全然手元を見ていなかったが、かなりの早業で修復されたセラムのドレスは、見た目には破れた跡など見当たらない。
「どうやらこの服自体仮縫いだったみたいですね。これも取り敢えずの応急処置ですから、さっきみたいな激しい動きは駄目ですよ」
「あ、ありがとう」
手渡された服を持って固まっているセラムを見て、ヴィレムは不思議そうに首を傾げる。
「ヴィレムさん」
「はい?」
「あっち向いてて」
「あっ、わ、これは失礼!」
身体ごと逸らしたヴィレムの背後でごそごそと服を着るセラム。こういう時男が聴覚に意識を集中させているのは意外と分かるものだ。
まったく、いまいち締まらない男である。
「もういいですよ」
セラムの言葉にヴィレムが向き直る。衣擦れの音に想像を巡らせたのか、待っている間に色々と思い返したのか、ヴィレムは俯いたままだ。
「どうも貴方といるとこういう事が多いですね」
「なにかすいません」
こいつはラブコメ漫画の主人公か何かか。そんな考えが過ると不意に笑いが込み上げてくる。
「セラムさん?」
くっくと喉を鳴らしつつ、セラムは手を差し出す。
中央広場の方角で大きな明かりが灯った。
「ウルカヌスの送り火が始まったようです。一緒に見に行きましょう」
二人で光りが指す方へ歩き出す。その間、二人は何も語らなかった。言葉は無粋だと思った。
中央広場では天まで届けと言わんばかりに炎が燃えている。
赤。朱。紅。緋。丹。絳。赫。赭。赧。
様々なあかが昇ってゆく。
セラムは握った手に強く力を籠められるのを感じる。
「セラムさん」
ヴィレムは炎を見上げたままに想いを紡いだ。
「好きです」
炎は二人の顔をあかく照らしていた。




