第七十五話 祭りの騒動
最後に髪の流れを直して館を出る。大通りまで出ればそこは祭り一色だ。屋台の主人のがなるような客引きが聞こえる。夜中だというのに活気に満ち溢れ、通りゆく人々は笑顔に包まれている。
今夜限りの喜びの宴。
セラムは人の流れの中に飛び込む。もみくちゃにされながら小さめの広場に向かう。そこでは焚火が天に向かって紅々と燃え上っている。
中央広場を囲うようにそのような小さめの広場が四か所あり、それぞれで一晩中火を焚いているのだ。
「わあ!」
木の爆ぜる音と力強い温度を周囲に広げて闇を開く。その光景に神聖さすら感じる。その根源にあるのは安心感と恐怖の同居。太古からの記憶が炎を特別視させるのだろうか。
「これぞお祭りって感じだなあ」
「お、嬢ちゃん一人で来たのかい?」
セラムの呟きに反応して見知らぬ中年の男性が声を掛けてくる。国民性なのか、ヴァイス王国には気さくな人が多いのだ。
「ええ、すごい賑わいですね」
「そうだろう、けど祭りの主役はやっぱり中央広場のウルカヌスの送り火だぜ。やっぱりあれを見ないと一年が終わった気がしないよな。嬢ちゃんも見ていくといい。まだ準備中だが圧巻だぜ」
中央広場では今頃最大級の炎を上げるべく焚き木を積んでいる筈だ。その材料は使い古した箪笥等の家具である。今まで長く使っていた物を年に一度、そうして天に返すのがこの国の風習だった。
男性にお礼を言って中央広場に歩を進める。いくらセラムが有名人といってもテレビが無いこの世界では顔を知っている人は関係者くらいだ。私服のセラムが一人で歩けば誰も見向きもしない。精々が上流階級の子女かなと目で追う程度だ。
セラムは町娘になった気分で屋台を眺める。それはこの世界に来て初めての解放感だった。今この瞬間だけは戦争の事も、領民の事も、元の世界の事も忘れて純粋に楽しめる。
屋台で買ったパンを齧りながら歩く。甘く煮られた豆を混ぜ込んであって、菓子パンのようで美味しい。セラムは並んだ屋台を見て昔沙耶と二人で行った地元の夏祭りを思い出した。
(日本の祭りとは違って食べ物屋以外の屋台が無いな。持って帰っても困る金魚すくいとか、まず落ちない射的とか、絶対一等が当たらないクジとか、不条理な物が多かったけどあれはあれで趣があったよな。景色は随分違うけど、でも祭り独特の熱気を帯びた雰囲気は似てる)
今はただ懐かしいばかりの思い出に浸る。
ぼうっとしていたのが悪いのだろう。前を歩いていた男にぶつかってしまった。
「あっ、すみませ……」
「お、あっ、いでえー!」
「ああ! 大丈夫かヤス!」
一瞬遅れて男がわざとらしい呻き声を上げる。がっちりとした体格のスキンヘッドと細身の目つきが悪い二人組の男。まるで田舎のテンプレの不良だ。
この手合いはどこの世界でもいるのだなと呆れる。
「てめえどうしてくれんだコラ。ヤスの骨が折れてるかもしれねえぞコラ」
「いでえよアニキぃ」
二人はわざとらしい小芝居で脅しをかける。
セラムはというと、そんな二人を冷めた目で見ていた。戦場で本物の殺気を向けられた後では、殺し合いをした事が無さそうな偽物の怒気程度では何も感じない。ただ面倒臭い奴らだなと思っただけだ。
男達はセラムが恐怖で声が出ないとでも勘違いしたのだろうか、セラムの姿を舐め回すようにじっくりと見て下卑た笑いを浮かべる。
「なああんた、これは治療費がいるなあ。けど払えねえってんならちっと付き合ってくれれば許してやるぜ?」
「そうそう、俺達と一緒に祭りを楽しもうじゃねえか」
セラムは無視して歩いていこうとした。だが細身の男がそうはさせじと折れているかもしれない筈の手でセラムの手首を掴む。
「おっと無視すんなよ嬢ちゃん、イロイロと楽しもうじゃ……」
その時だった。少し弱気な、聞き覚えのある声が男達に向けられた。
「そ、その人を離せ……ってええー!?」
「なんだあ? 関係ねえ奴はすっこんで」
「いでででで!」
声の主はヴィレムだった。ただ、声を掛けられた時にはセラムは男が掴んできた手を小手返しで抜き、逆に腕関節を極めていた状態だったので、あまり格好はつかなかった。
「ヴィレムさん!?」
セラムが咄嗟に手を離す。すぐに、何故離してしまったのかと後悔したが、もう遅かった。
「んのやろっ、よくもヤスを!」
強そうな方の男がセラムを掴もうと腕を振り回す。それを一度、二度とバックステップで躱したところで服からビリリッと嫌な音がした。
(んん?)
ドキリとして一瞬気が逸れたのが失敗だった。敢え無く男に二の腕を掴まれる。手首と違ってここを掴まれると力で劣る者は抜け出せない。
「うあっ!」
セラムが押さえつけられたのを見て、ヴィレムが叫ぶ。
「衛兵さん! こっちです!」
突然の立ち回りに呆気にとられていた周囲の人達も、気付いていなかった人達も皆セラム達に注目する。
「ちっ」
ざわめきと視線に耐えられなくなった男達がセラムの腕を離して去ってゆく。
残ったヴィレムが安堵してセラムに手を差し出す。
「やっぱりセラムさんだ。良かった、ご無事でしたか?」
その手を素早く取りセラムが駈け出す。予想外の動きに肩が外れんばかりに引っ張られたヴィレムが驚きの声を上げる。
「って、うぇ!?」
「ほんとに衛兵が来る前に逃げなきゃ!」
「な、何でですか? こっちは被害者……」
「軍の少将が街のいざこざで部下に助けられたら威厳も何もないでしょうが!」
人目を避け少し離れた通りまで出る。ブーツで良かった、走りにくい靴だったら大変だったと今更ながら思う。
「ふう、ここら辺でいいだろ」
「ちょ、ちょっと待って」
息ひとつ乱れず溜息を吐くセラムに対し、ヴィレムは上がった息を整えるのに必死だ。
暫し待ち、呼吸が落ち着いたところでヴィレムが改めてセラムに話しかける。
「それにしてもセラムさん、お強いんですね」
「ん? ああ、昔ちょっと格闘技を。でも思ったより動けたな」
「格闘技ですか。軍人の家系ですもんね。僕はずっとそういうのから逃げてきたからなあ。にしても素手で男を制圧するなんて。僕はあんな動き見た事無いですよ」
「ああ、簡単だよ。ちょっと手首を掴んでごらん。本気で」
「?」
ヴィレムが言われた通りにセラムの手を掴んでみせる。
「手首を掴まれたらこう、相手の側面に体を寄せて脇を締めて手首を腰の辺りに持ってくる。んで、もう片方の手で相手の親指の付け根辺りを押さえつつ、腰を落として掴まれた手を相手の親指を跳ね上げるようにくっと上げる。肩を落として肘から曲げる感じ。そうすると相手の手が抜けるから、逆の手で掴んだ相手の手首を捻って、もう片方の腕で相手の肘を押さえる」
「いたたたた」
いとも容易く動けなくなったヴィレムが、手を離された後もしきりに感心してみせる。
「いや、すごいです。力を入れた様子もなかったのに鮮やかに逆転してましたよ」
昔取った杵柄というやつではあるが、この体でも関節技はなかなか有効なようだ。だが、似たような家系のヴィレムが見た事も無い動きというのは、単に国の違いというわけでもなさそうだ。恐らくこの世界では徒手空拳の格闘技、特に関節技は発達していないのだろう。基本武器を持って戦うのが当たり前の世界なのだから、人間同士の素手対素手を主眼とした技は発展しづらいのかもしれない。
それよりも気になる事があって、セラムは自分の体を再確認する。
「? どうしたんですか、セラムさん」
「いや、破れてるとこは……うん、何でもない」
気のせいか、と納得してセラムはヴィレムに向き直る。
「でも本当に良かった。柄の悪い男にからまれている女性がいると思ったらセラムさんでしたからね、びっくりしましたよ。まさかこんな所で会えるなんて。でも一人で出かけるのは感心しませんよ。セラムさんは可愛いんですから気を付けないと」
何を言い出すんだこいつは。僕が、なに? か、可愛いって。
セラムは顔が熱くなっていくのを感じる。だが、助けてもらったのにまだお礼を言っていない事を思い出し、口を開く。
「ヴィレムさんも、あんな場面で出くわすなんてびっくりしました。助けていただいてありがとうございます。か……」
自分ならあの場面でヴィレムと同じ事を出来るだろうか。いや、もし沙耶が同じ目にあっていたとしたら自分もやるだろう。だが、それは誰もが出来る事ではないと知っている。特に腕っぷしに自信が無いヴィレムのような人ならば、それはそれは勇気がいる事だ。
「か?」
「格好良かったです……」
消え入りそうな声だった。
(ぎゃー! 何言っちゃってんの僕! なんかすっごい恥ずかしい!)
耳まで赤くなっていくのを感じて目を伏せる。今はヴィレムの顔を見れない。
しかし、いつまで経っても反応が無い事を不審に感じ顔を上げる。そこには負けず劣らず真っ赤になったヴィレムが硬直していた。
「……何やってんですか」
「いえ、その」
何をやっているのか、まったくお互い様だ。ふう、と息を吐きセラムが手を差し伸べる。
「ちょっと歩きましょうか」
「え、う」
「一人で出かけるのは感心しないんでしょう?」
まったく僕達は。
ヴィレムの体温を手に感じながらセラムは歩き出す。
――似たもの同士だ。




