第七十二話 商談
マエリスは二日後にやってきた。
「んー、相変わらず良い茶葉を使っていますねー。おおっ、これは先の会で出たプティングじゃないですか。私あの時食べ損ねちゃったんですよね」
「よく何食わぬ顔でしれっと来ましたね」
セラムが抗議の視線を送る。そのジト目に若干気圧されつつマエリスが取り繕う。
「い、いやですねえ。私にも立場というものがありまして……。私の一存で商会の全てを動かすわけにもいかないのです」
確かにあの場で返答すればカールストルム商会が一つの国に肩入れすると公言するようなもの。取引という名目を立てて商談するのならばともかく、「味方に」という文言が入っているとなると商人としての公平性が崩れてしまうのだろう。裏での密談とはわけが違う。
セラムとてその辺りは気付いている。とはいっても「それでもいつも通り歓待してくれる懐の深い貴女が好きです。これ美味しいですねー」などと目尻を下げているのは図太いと思う。だからこそセラムもふくれっ面で怒ってみせているのだ。
「本当に会長の許可を得るのなら二日程度では無理でしょう?」
「まあ、そこら辺は方便と言いますか、あの場で決定を下すのは明らかに私の裁量を超えていますからね」
「それで誰もいない今ならその決定を下せると。やはり会長派はグラーフ王国を支持しているので?」
スプーンを口に運ぶマエリスの手が止まる。スプーンを置き真剣な目でセラムに向き合う。
「セラム様、私がセラム様に手持ちを全て賭ける価値を見いだしているのは本当です。ですが私の意思がカールストルム商会全ての意思とはなりません。賭ける金額をどれだけ引っ張ってこれるかはこれからの成り行き次第なのです」
やはり、とセラムは相槌を打つ。これでカールストルム商会がグラーフ王国に付くかヴァイス王国に付くか割れている事を確信した。会長派と副会長派で意見が分かれているのか、話し合った結果家を割ったのかまでは分からないが、最初の取引でマエリスは「全力で支援する」と言った。ヴァイス王国に付くというのはマエリスの本心だろう。組織の大きさが仇となって自分の考えとは裏腹な結果になっているのだと思われる。
となると、奥の手を引っ張り出してもこちらの利を示さないといけないだろう。
(仕方ないか。どうせ規模が大きすぎてどこかとの共同事業にするか悩んでいたところだし)
セラムは目を閉じ瞬時に有利になる話の切り口を計算する。
「僕はマエリスさんを信頼して良いのですか?」
「勿論です。商人は一度言った事は必ず守るもの、カールストルム商会はセラム様に協力いたしますとも」
「カールストルム商会の経営手腕や商売人としての信条は信用してますよ。僕が言ったのはマエリスさんが信頼に足るかどうかです」
マエリスが喉を鳴らした。ここで言葉の選択を誤れば敵に回してはいけない人物を手放してしまうだろう。
「私はセラム様の事を奇貨だと思っています。……失礼、人を物のように扱うような言葉にお気を悪くされたら謝ります。これは商人としての性です。しかしながら誤解しないでいただきたい。ヴァイスだグラーフだと国同士の諍いに首を突っ込むよりも、私はセラム様個人にこそ価値を見いだしています」
セラムは静かに頷く。ここから先は誰かに言うか言わぬか、言うとしたら誰にかで事の成否が決まる大事な秘密。セラムはマエリスにそれを打ち明け協力を仰ぐと決めた。
「先の会で僕は言いましたね。綿は付加価値を付け易い商品だと。つまり製品化して売ることで儲けを増やし易い物だという事です。僕はその商品に綿布帆を考えています」
「綿布帆……帆船ですか」
「そうです。今でも綿布帆は無いわけではないですがとても高価です。麻や莚で作られた帆も多い。近海の漁業などはそもそも帆が無い船を使っている所も多い。あまり普及してない物ですが、遠洋航海する時には必需品である事は世界を跨ぐ商人である貴女には説明するまでもないでしょう」
「確かにグラーフ王国が今後海路交易を重視するとなれば需要は増えるでしょうね。しかしセラム様が仰った通り綿布帆は高級品です。そこまで数を揃えられる物でもありません。儲けは少ないのでは?」
「この事は他言無用でお願いしたいのですが」
セラムが神妙な顔で前置く。マエリスは思わず前のめりになって聞き入る。
「僕はいくつかの開発を並行しています。その中の梳綿機、紡績機、織機が特に重要な開発物です。綿布の製造工程はご存じですか?」
「え、ええ。綿花のごみを取り除き、繊維を解きほぐして櫛で均して、その繊維を引き延ばしながら縒り合せて糸にする。その糸を織って布状にする」
「簡単に言えばそうです。我が国では綿花の栽培を国策とし、一人の天才によって開発された優れた縫製技術を持ちますが、全ての工程は手作業でありその人件費と労力はとても大きく、かかる時間に対する生産力は乏しい。これが織物製品が高価な理由です。もしこれらが機械化され、作業の単純化、効率化、更には人力以外で作る方法が確立されれば……」
「織物産業の構造が一変する……!」
緊張のあまりマエリスは渇きを覚えた。喉を湿らせようとカップに伸ばす手が震えている。
「ですがそのような技術革新、なかなか上手くはいかないのでは?」
「正直な処順調とは言えません。ですが国策なだけあってもともとそれらの技術の土壌は育っています。梳綿機はまだまだですが紡績機と織機についてはある程度開発が進み、試作機を作る段階まで来ています」
機械による梳綿の工程はセラムも見た事がないので、どのような機械を作れば良いか想像もつかず試行錯誤している段階だが、紡績工程の一部は昔テレビで見た事がある。巻かれた繊維を同時に引っ張りながら回転させて撚糸を作る、それだけ分かっていれば簡単な仕組みの紡績機の大まかな設計図は作れる。そして織機は昔祖母の家で実物を見た事がある。ペダルを踏めば縦糸が交互に引っ張られて横糸が通る道が出来る。そこにシャトルという道具を使って手動で横糸を通して織ってゆく。小さい頃祖母が実際にやってみせてくれたのを興味深く見ていた甲斐があった。これも大まかな設計図はセラムが作った。そして実際に必要な部品や細かい設計図はセラムが主導で集めた学者や技術者が協力して形にしていった。幸い実験都市として名高いセラム領には学術目的でそういった種の人間が集まっていたので、開発は急速に進んでいった。
セラムがやったのは最初のひらめきと後のバックアップだけである。元々この国は綿製品の製造、加工が盛んだったので、地力はあったのだ。
「問題はその開発資金と販路です。流石に一領主としてこれ程の規模の開発を進めるのは限界が見え始めましたので、国との共同事業として練り直そうかとも思っていましたが」
「待ってください!」
マエリスが声を荒げセラムの言葉を制する。認識を改めなくてはならない。セラムは奇貨どころではない。マエリスにとっての最重要人物、金の卵を産むガチョウだ。
「どうかその工場を見学させてもらえませんか?」
セラムはにこやかに笑って言った。
「残念ながら開発現場は機密なので見せる事は出来ません。ですが試作機を使った製品の出来上がりと速さならばお見せしましょう」
「分かりましたわ。その結果を元にお祖父様への説得材料といたしましょう。そして共同事業の話はどうか私共とする事も考えていただきたいのです。資金繰りや販路については私共の方が明るいでしょう。それに経済情報や分析能力にも一日の長があります」
「分かりました」
これが発明家セラム・ジオーネの真骨頂、そして大商人セラム・ジオーネの第一歩であった。




