第七十一話 祝勝会、その裏側
セラムはベルを従えて別室に移動した。室内には本日の賓客である面々が集まっている。三十人程いるその人物達こそ、今日セラムが味方に付けたい者達であった。
その中にはマエリス・カールストルムの姿もある。彼女を知る商人達はカールストルム商会が動いている意味に気付き驚愕する。
小国を丸ごと買える程の資産を持つと言われるカールストルム商会、その副会長が一国の一貴族が主催するパーティーに顔を出しているのだ。何か重大な裏がある、もしくはセラムがそれ程の人物だと思われているのかと勘ぐるのも仕方がない。彼女が乗る馬は間違いなく勝ち馬なのだろうから。
「さてさて皆様、今日の催しは楽しんでいただけているでしょうか。宴の最中に中座していただいたのは他でもありません。本日お集まりいただいた本題をお伝えする為であります」
セラムは今日ここにいる全員をセラム個人の味方に付ける算段であった。
まだ子供であるセラムがそうせざるを得ない理由は、この国の政治バランスとセラム自身の出自と交友関係にある。
今この国は政治的にかなり危うい状態である。なぜならば居もしない王の元、国が成り立っているからである。実際にレナルド王が死んだのは半年前、その死をひた隠しにして対外的には王は病に倒れていると公表してきた。その役目をアルテアが陰に日向にこなしてきた。それも最早限界にきている。事実、城中の者や情報に明るい者は気付いている。公表しないから表だって動けないだけだ。
しかし、国の首脳部は年始の挨拶と共に国民に国王崩御の報せを公表する事に決めた。と同時にアルテアを女王として即位させ混乱を抑える計画である。
アルテアの成人まで待ったのは、後見人を付けない事によって王権を損なう事が無いようにという首脳部の考えである。だが王位の継承期には今までの王政に疑問を持つ者が必ず現れる。特にアルテアのように成人したばかりの、女の身であれば尚更。
であれば、アルテアには味方が必要である。個人としてならば問題ない。特に権力を持つ面々、ガイウスは忠義の士であるし、リカルドは現状を理解した上で国を盛り立てていこうと決意している。アドルフォには野心がない。
しかし個人の思うようにいかないのが派閥というものである。
この国で影響力が大きいのはガイウス派、それに対抗する反ガイウス派の政治団体。リカルドを代表とする貴族達の集まりであるリカルド派である。その三つとも現国王を支持する団体であってもアルテア個人を支持する団体ではない事が問題なのだ。
そこで今影響力を急拡大させているセラムである。彼女がアルテアと友人関係である事は周知の事実であり、若い世代の女性という立場である。セラムの派閥となればそれは必然アルテアを支持する意を表明する事になる。また、アドルフォとも繋ぎを作っておけば軍部の発言力を底上げする事が出来る。
あまり政治バランスが軍に傾くと軍国主義の暴走を止められなくなるので憂慮するところではあるが。
ただこの国の根底を崩さない為にも他に負けない派閥を作り、「政務官」「貴族」そして「軍部」の三本柱でアルテアを盛り立てる必要があるとセラムは考えた。
「皆さんはこうお考えでしょう。レナルド国王陛下が長く病を患い、国は弱っている。現在各方面で代役を務めるアルテア王女殿下はまだ若く、今年は貴族達の反乱が起き、立て直したばかりの軍は頼りない。はてさてどこに味方に付くべきか」
場がざわつく。セラムが発した言葉は集まった人間の心を掻き乱す。それが良いか悪いかは捨て置きセラムは続ける。この場の人間はセラムの招待に応じた者ばかり。誼みを結んでおいた方が得と判断したか、またはセラムという人物の値踏みをしにきた者ばかり。味方に付ける為の第一関門は突破している。
セラムは小刻みに歩き回ったり身振り手振りを交えながら弁舌をふるう。
「いっそ逃げる手もありますが、それは一体どこへ? 手に入れた土地、地位、友人、財貨、それらを捨てて国外に行くのはそうそう出来る判断じゃあありません。周りの国は戦争状態、安全な土地まで行くのもまた一苦労。そもそもこの戦争、一体どちらが有利なのか。今ヴァイス王国に手持ちの金貨を積み上げるのは得か損か。その物差しとなるのが勝率です」
皆が目の前の小娘の口上に傾聴する。その目が一挙手一投足に注視している事を自覚し、セラムは大仰な手振りで紳士のように一礼する。
「自賛ながら反乱を鎮圧し、グラーフ王国相手に連戦連勝を続けているのがこのわたくし、セラム・ジオーネでございます。しかしどこまで勝ち続ければいいのか。戦争というものは金食い虫でございます。勝利を積み重ねていっても国力が落ちる勝ち方というものが存在する。それでは元も子もない。ではではこの戦争を終わらせるには。グラーフという国が消滅するまで戦わなければならないのか」
元のゲーム、グリムワールのエンディングはまさしくグラーフ王国を滅ぼしたところで始まった。だがセラムの描くエンディングは違う。
「いえいえ、そんな事はございません。皆様だけにこの戦争の勝ち方をお教えしましょう」
セラムはホウセンとの話の中で自分の甘さ、正直さを自覚していた。腹に一物を抱えた探り合いは苦手、ホウセンが言った通り嘘がつけない未熟者なのだ。
ならばいっそ正直さを武器にする。
「敵の領土は痩せた土地が多く、人民は貧困に喘いでいます。この世界は食糧こそが力、だからこそ戦争の多くは穀倉地帯の奪い合いから始まるのです。ならば敵の継戦能力はそれ程ではないのか? いやいや、戦争こそ敵の狙いそのもの。大きく勝たなくても良い、小さい勝利を積み上げ一進一退しているだけでも経済が回る、謂わば戦争経済とでも言いましょうか。そのからくりとは! とまあ大きな声を出すまでもない、略奪と奴隷です」
ベルが可動式の黒板をセラムの傍に運んでくる。セラムはその黒板を使い噛み砕いて説明する。
「いくさに勝てば安い労働力である奴隷とその土地の財貨、そして農地が得られます。しかし元々収穫量に比べ人口が多いグラーフ王国、民を富ませるだけならばそれ程人口は要りません。そこで男は戦奴にして戦場で使い潰す。そうして得られた土地でまた略奪を繰り返す。例え敗北して土地を奪い返されてもその間に吸い上げた財貨は、グラーフ王国の王都アレークに運び込まれている。そして奪い返した土地の復興は奴らにしてみれば家畜を太らせると同義なのです。つまり戦争が長引けばこちらが不利」
嘘を言わずに真実を伝えないのは可能だ。何も全てを伝える必要はない。それだけで相手は勝手に邪推、もしくは納得してくれる。
実際のところ戦争が長引いたとしても完全な膠着状態に陥ればグラーフ王国は勝手に自滅する。もっとも、局地的な勝ちも負けもない状態を維持するのが困難である事が問題だが。
グラーフ王国が戦局が膠着状態のまま長期化して困る大きな理由は、奴隷制度が時間制限付きだからだ。
一般の奴隷は一年という比較的短期間で解放される。といっても現代のように幅広く自由が保障されているわけではなく、例えばグラーフ王国民は国外に住む事は許されず、国外に出る事自体制限されている。結局のところ領地が増えず略奪もなければ、王国民として平等に扱わねばならない人口だけが増えるのである。新しく増えた国民は愛国心を持ち合わせておらず、不満や厭戦感情が広がりやすい。それらを抑えるための飴や、戦争の功労者への褒美を与える為には財貨や領地がいる。
巧く戦い続ければこの経済モデルは破綻する。元々が長期戦に向いていないのだ。期限付き奴隷制度には奴隷身分の不満を減らし、その後国民として吸収した時の統治がしやすいようにという思想の元生み出されたものだろう。
他国民を吸収するというのは非常に繊細な国家運営が必要だ。文化や観念、教育レベルに留まらず、この世界では種族すら違う者達を住まわせなければならない。唐突に戸籍を変えるだけではパラシュート無しでスカイダイビングをするようなものだ。
まずは社会通念を教え込む。常識と言い換えてもいい。そして習慣を改めさせ、共通の考え方を植え付け、文化に馴染ませ、知識を教え込む。それは法と教育で以って長い期間を掛け成すべきものだ。
グラーフ王国は戦争という拙速な手段に対応する為に期限付きの奴隷制度を用いたのだろう。その一年間で手段を問わず強制的かつ急速にそれらを進めるつもりだ。
そこには戦後を見据えた国家戦略が透けて見える。
しかしその仮説は今は言わなくて良い事である。
「戦力が拮抗すれば相手は局地的勝利を積み重ねる事を狙うでしょう。奪った土地に執着する必要はないからです。奪うものさえ奪えばあとは一時的に返す、その程度の感覚で領地を手放す事が出来る経済形式です。これをやられるとこちらは非常に厳しい。勝ったとしても損害は少なくないでしょう。我々が狙うべきは短期決戦、その後和平を結びます」
再び室内がざわつく。「和平」という言葉に動揺しているのだ。最終的な着地点はそこであると理解していても感情が追い付かないのだろう。少なくとも今言ってはいけない言葉だと言いたげな雰囲気である。
構わずセラムは声を張り上げる。
「我々が勝利すべき地はここ! ここ!」
セラムが黒板上に描いたゼイウン公国北部とノワール共和国北部を指す。そして最後に黒板の一点を叩いた。
「そしてここ、我がヴァイス王国が最初に失った土地、ゾーナロヴァート地方であります。最短三手で戦争を終わらせる事が出来ます」
「それでは国民が納得しないのでは? ただ失った土地を取り戻すだけでは対等とは言い難い。我々が失ったものは大きい」
客人の一人が発言する。尤もな意見だがセラムはあくまで強気だ。
「それは戦後別のもので補います」
「ゼイウン公国が失った領地は我々より広大です。それを全て取り戻すのは一朝一夕ではいかないかと」
「その事についても考えがあります」
セラムは成り行きによっては梯子を外す形でグラーフ王国との和平を進める事も考えている。その場合はヴァイス王国とノワール共和国が共同で和平声明を出し、ゼイウン公国には独力で領地奪還を進めてもらう事になるだろう。その上で裏で物資等の後方支援を担当する事も考えられる。二枚舌、三枚舌の外交になる。
とは言ってもこれは大戦略であり、まだまだ具体案を詰められる段階ではない。
「ここで具体案を言うわけにはいきませんが、僕の頭の中には戦争を終わらせる案があります。そこで皆さん、僕の味方に付きませんか?」
セラムのあまりに歯に衣着せぬ言い様に一同が面食らう。人を集めて「味方になれ」などと退路を断った言い方、横暴とすら呼べる代物だ。ここで首を縦に振れば後戻りは出来なくなる。横に振れば敵と見做されるだろう。
「とは言え、今の話を聞いても味方に付く利が見いだせないでしょう。いくら僕が戦時の便宜を図ると言ってもあまりに不利益が大きい。ですがこの話の本当の旨みは戦後です。僕は戦後グラーフ王国と交易路を繋ぐつもりでいます」
あまりに突拍子もない話に付いていけない一同。だが、この話は期限付き奴隷制度から繋がるのだ。
セラムが黒板にチョークを走らせる。
「そもそもこの戦争の発端はグラーフ王国がモール王国を滅ぼした事です。では何故彼の国を攻めたのか。モール王国は海に面し、グラーフ王国がかねてより切望していた不凍港があるからです。それは海路という交易路を意味します。船で運べば痛みにくいが非常に嵩張る穀物を大量に運べます。言うまでもなくグラーフ王国にとって最重要資源です。僕はグラーフ王国が交易による戦後の立て直しを予め考えていたと推測しています」
「しかしグラーフ王国はそんなに大量の穀物を輸入出来るような富裕国ではないのでは?」
「いえ、グラーフ王国は潜在的には貧寒国ではありません。鉱物資源は豊富なのです。そしてその価値を正しく理解している者がグラーフ王国にいると確信しています。残念ながら過去のグラーフ王国には友好国も、内政や外交に長けた傑物もいなかった。彼の国が戦争という手段を用い、結果として戦火が拡大してしまった事はお互い不幸であるとしか言い様がありません。しかし今のグラーフ王国は違う。明らかに戦後を見据えた国策を進めています。僕はグラーフ王国には交渉の余地、そして交易の利があると考えます。他の国に先んじて実現すればその利は莫大なものになります」
「侯爵は先程グラーフ王国が海路による交易を考えているとおっしゃいました。陸路でもこの戦争を水に流せる程の条件を引き出せると?」
「勿論です。彼の広大な土地には鉱物資源以外にもまだまだ可能性があると考えます。先程穀物を例に挙げましたが、近場なら陸路でもアリでしょう。他にも我が国の国策である綿の輸出も手堅い交易です。また、綿ならば付加価値を付け易い点も見逃せません」
この場では言わないが交易品についてはセラムにも考えがある。自分に勝算があるからこそ他人にも良い話だと喧伝出来るというものだ。
早速目端が利く商人達は皮算用を始める。
「戦い、勝つ事しか考えてない人達がそれに気付いた頃にはもう遅い。さてその権利、買うか否か?」
正直さは武器になる。それに狡猾さが加われば鋭利な凶器となる。人となりを表す単語として相反するように見えるその二つは、実は矛盾せずに同居する。嘘を吐かずに人を嵌める事は可能なのだ。
「成る程成る程。いやいや流石はセラム侯爵、先見の明が御有りではないですか。感服いたしました」
そう言ったのは今迄ただ黙って聞いていたマエリスであった。実は彼女はセラムが仕込んだサクラであった。ここぞという時に同調する役目を予め頼んでおいたのである。
マエリスとはすでに商談を結んだ仲ではあるが、それを知るのは当人同士のみ。そしてこの場の誰よりも影響力が高いマエリスが賛同すれば、同調圧力によって頷かねばならない雰囲気に持っていけるという策である。
「確かにグラーフ王国はただの蛮族ではありません。セラム侯爵の話も納得出来る。そしてその交易権を独占できれば途轍もない財を生むでしょう」
マエリスの言葉に口々に納得と賛同の意が上る。
場は整った。
「さあ僕の味方になりますか?」
「乗った!」
「なります」
「買った!」
その場の人間が次々にセラムの小さな手を握る。その場の熱は全員に移り、セラムへの協力を誓わせた。
ただ一人を除いて。
「では皆さんセラム侯爵と契約を結ぶという事ですね」
声の主はマエリスである。彼女だけは一歩も動く気配がない。
セラムにとってもそれは計算外の事だった。
「申し訳ありませんが私は一旦持ち帰らせていただきますわ。このような大事、会長の承諾なしでは決められませんので」
セラムはこの事態に対応できずにいた。既に商談を結んでいた筈の相手からの痛烈な裏切り。
言葉を失うには十分だった。
「後日セラム侯爵の元へ伺わせていただきます。それではごきげんよう」
マエリスが艶麗な笑みを浮かべる。セラムはようやく理解した。
彼女は未だにグラーフ王国とヴァイス王国を天秤に乗せたままでいるのだ。そもそもカールストルム商会の地盤はノワール共和国にある。彼の国が政策を固めていない以上どちらか一方に与するのはリスクが大きい。もしかしたら関ヶ原の真田家のように家中を分断して生き残りを図っているのかもしれない。会長は老いて長旅が出来ないとマエリスは言ったが、その実会長はグラーフ王国に繋ぎを作っているのかもしれない。
いや、そう思わせて自身の値を釣り上げる算段なのかも。それら全て正解なのかも。
セラムの胸中は穏やかではない。どうやら化かし合いはマエリスに一日の長があるようだ。