第七十話 祝勝会
ヴァイス王国の王都インぺリアに帰還した数日後、王都の大劇場で祝勝会が開かれた。
祝勝会は貴族の慣習である。常備軍は謂わば公務員であり、通常怪我人には見舞金が出るもののそれ以外の兵には危険手当すらない。民兵を動員する貴族達は、常備軍よりも兵の待遇を良くして士気向上とその後の動員に対する快諾を促す必要がある故に、自腹でこういった催しを開催する事が多い。
所謂打ち上げ会である。
常備軍であるセラム隊にはそのような慣習はなかったが、今回セラムの独断で開催する事にした。
激しい戦闘であった為、部下を労う気持ちからというのは本心であるが、それ以外にも理由があった。
まずは士気向上の為。小国であるが故に少数精鋭にならざるを得ないヴァイス軍は、信賞必罰を明確化、差別化して一兵の質を上げなければ立ち行かない。
ヴァイス王国はノワール、ゼイウン両国の交易路の中心として経済的には栄えているものの、領地の規模と軍事力に於いて戦争中の国の中で最下位に位置している。兵数で劣る分精鋭化して対抗する他ないのだ。
そしてもう一つはコネクション作りである。贅を尽くしたパーティーを開き、各方面に財力を見せつけると同時に権力者や著名人、商人との繋がりを作る。賄賂や談合の温床となる貴族の悪習とも言えるものではあるが、高潔なだけで国は動かせない。
「で、なんでこんな時に限って受け付け係に当たるんだよ」
そんなセラムの事情を知ってか知らずか、愚痴をこぼすのは塹壕戦で戦っていた三人組である。
「まあまあ、そんな事もありますよ。誰かはやらなきゃいけない事です。例えそれがくじ引きで決まった事でもね」
「そうだぞ、開催時間になれば俺達も楽しめるじゃないか。……はい、一般参加者の方ですね。招待状を拝見いたします。確かに、ではこちらの名簿に記帳をお願いします」
今日は弓、槍、円匙を紙とペンと腕章に持ち替え役割を果たしている。
遠征した兵士は無条件で参加できるが、それ以外にもセラム名義で招待状を送った人物は参加可能な催しとなっている。王都に滞在中の貴族や名士の他に商人や学者等、身分関係なく招待されている。
セラムの主な狙いは城中での発言力の強化とゼイウン方面に強い商人にコネを作る事である。
セラム個人の交友関係でアルテア王女とガイウス宰相という超強力な味方がいるとはいえ、セラム自身の派閥というものは無い。特に貴族社会に関しては発言力は無いに等しい。また、前述の二人についても、提案はできても意見を言える立場ではない。直属の上司であるアドルフォは現場からの叩き上げで政治的な争いに無頓着だった為に、国という枠組みの中で軍部の立場は一段低いものになっているのだ。
更に今回の遠征でゼイウン公国での現地調達の限界が見えてきた。国内でなければ軍票、所謂戦時手形のような一時的な代替通貨が使えず、使用している貨幣の種類も違う。都市部ならヴァイス王国の貨幣でも通用するが、村落では物々交換しかない。
とにかく嵩張るのだ。貨幣も金貨や銀貨なので持ち運ぶには重い。それでも国内の防衛やノワール方面はまだ良いのだ。国内ならば軍票にも信用があるし、ノワール共和国はカールストルム商会の庭みたいなものなので多少無理もきく。しかしゼイウン公国には商人の伝手がいない。ここにきて従軍商人の重要性をようやく知ったセラムであった。
初めての遠征で学んだ事は多い。立場が偉くなれば人に教わる機会も減る。それまでに教わる事が出来れば良かったのだが、それが出来る筈の一番の師はセラムが自我を持つ前に死んでしまった。重大な失策を犯す前に気付くしかないのだ。
幅広い人脈を必要とするセラムは主催者であるにも関わらず自ら客を持て成す。今も受け付けに足を運んでいた。
目に留まった受け付け係の三人組に声を掛ける。
「ご苦労様」
「これは少将!」
三人が背筋を伸ばし敬礼する。セラムは手だけで休めと命令し言葉を続ける。
「えーっと、ステファンにワルター、それとダニエレ君だったか。先の戦いでは第一塹壕線でよく戦ってくれたね。君たちの奮闘に随分助けられた。今日は係の時間が終わったら存分に楽しんでいってくれ」
「は、はいっ!」
三人は口々に「顔を覚えていてくれた」と小声で囁き肘をつつきあっている。
セラムは当てずっぽうで第一塹壕線と言ったわけではない。全ての名と顔が一致するわけではないが、旗下の兵士の名前は全員分頭に入れているし、可能な限り顔を見れば名前が出るようにしている。
有能な政治家は応援者の顔と名前を全員覚えているというが、遥か雲の上と思っていた存在に気にかけてもらえていると認識すると、人はその人をとても好意的に思うものだ。
上に立つ者は部下の行動や変化に気が付くだけで人望を得る事が出来る。逆に言えば部下を見ようとしない上司には誰も付いていかない。最初はその理想を追っていったとしても、やがて一人、また一人と離れていってしまうものだ。
セラムは何度も転職を重ねた結果、人望が有る上司と人望が無い上司どちらにも当たった事がある。その中の「良い上司像」を演じる為の努力は惜しまないつもりだった。
これはその努力の一端、必死で覚えた結果である。体が子供だからか、それとも素質なのかは分からないが、この体は元の体の時よりも記憶力が優れていた。それでも超人的というわけではない。これはやはり弛まぬ努力の結果と言うべきだろう。
「あっ、これはこれはジャンニ子爵、よく来てくれました。お忙しい中態々御足労いただき感謝の念に堪えません。どうぞこちらに記帳を。さあ、あちらで話しましょう」
来場した男性に明るい声で挨拶する。パッと名前が出たのは男のコートの紋章に見覚えがあったからだ。これもまた必死に貴族名鑑と睨めっこしながら紋章官に教えてもらったからこそである。
去り際に顔だけ受け付けに向き直り、「あと少しがんばってね♪」と手を振る。
それだけで三人は「この人の為に命を懸けよう」と誓うのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「いやはや、うちのタイショーはまったく大したモンだね。まさか国立劇場を貸し切ってウチの兵士共だけじゃなく偉い人をいっぱい集めるたあ」
バッカスは会場の隅でじっとセラムを見ていた。その台詞には単純に財力や交流技術を褒める意味合いだけではないものも混じっている。
同席していたフィリーネが窘める。
「何です? もしかして護衛を外されたのがまだ不満なのですか?」
そう言うフィリーネも内心セラムの傍で世話をしたくてうずうずしている。とはいえその役目はベルが担っているし、給仕は遠征に参加しなかったメイドや使用人達、劇場の関係者がやっている。フィリーネはセラムから直々に休暇を言い渡されこの祝勝会に招かれたのだった。正当な権利だとセラムに言われたのもあるが、共に戦った兵士達に誘われ断りづらかったというのもある。
うざい男共に給仕をしなくてもよいと思えばまあいいかとここにいる次第である。
「まあそれもある。けどタイショー、いくらなんでも無防備すぎじゃねえか? こんな所、暗殺してくれと言ってるようなもんじゃねえか」
バッカスは山盛りの料理を貪りながら不満げだ。「敢えて護衛を付けない事に意味があるんだ」とセラムに役目を外された事を根に持っているのだ。
確かに、ヴァイス王国内とはいえ参加者のチェックは名簿の記帳だけ。警備はいるものの外部の参加者を広く招致しているのだから、不埒者が忍び込んでも分からない。
「料理や飲み物はこちらで用意した物だけですし、セラム様が口にする物はベル様が厳重に管理していますよ。それに私達の事をお忘れですか? いや、知らないのですか」
諜報はジオーネ家のメイド隊の本領である。かく言うフィリーネも幼い頃から情報収集の仕方、流言の広め方、毒物の知識、暗殺術等を教え込まれ、間諜となるべく育てられたプロフェッショナルである。怪しい動きをすればすぐに目に付く。
会場にはメイド隊が効率良く配置されている。参加人数は六百人超とかなり多い上に広大な会場である為全てをカバー出来るわけではないが、暗殺という点ではセラム自身も気を付けているだろうし、傍には必ずベルかメイド隊の手練れが付く手筈になっている。
「まあ貴方はそんなに心配しなくても良いという事ですよ。気持ちは分かりますが、私はセラム様のお考えを尊重します。……って貴方その体でお酒はまずいんじゃないですの!?」
酒に手を伸ばしたバッカスを慌てて止めに入る。その制止をバッカスはどこ吹く風で聞き流す。
死んでもおかしくない重傷を負っていたのにも関わらず喉を鳴らしながら酒を胃の腑に流し込む。
「っかあ~! やっぱ酒はいいねえ酒は。あん? 医者の言う事なんざ聞いてたら生きてゆけねえって」
しっしと手を振って「いいのいいの」と次の酒を注ぐ。
「まったく、セラム様に怒られても知りませんよ。あの方、こういう事には拘りがあるんですから。まあ私は貴方が死のうが怒られようが知った事ではありませんが」
「げっ、そいつはちと勘弁願いてえな。俺が酒飲んでた事は内緒な」
「そう言いつつやめようという気はないのね……」
フィリーネは再びセラムがいる方を注視する。セラムは何やら招待した参加者の一団とホールを出て行くようだった。
「あの方はまた何をやるつもりかしらね。ま、ベル様がいるから大丈夫でしょう」
そう言ってフィリーネも「セラム・ジオーネ特製レシピ」と銘打たれたプティングとやらを口に含んだ。
「! 何これ!? 甘い! とろける! おいし~!」
初めて食べる繊細な甘さに、相貌すら変わる程に幸せそうなフィリーネだった。




