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少女と戦争  作者: 長月あきの
第三部
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第六十九話 お帰りなさい

 いくさから帰ってくる時、ベルはいつも笑顔で出迎えてくれた。

 だが今日の笑顔はどこか怖かった。


「セラム様、お帰りなさいまし」


 落ち着いた声。だが無理やり感情を抑えたような、固い声。ベルが本気で怒っている時は笑顔で怒るのだとセラムはこの時知った。


「あ、ああ。ただいま」


「ところでセラム様。報告の為に先に到着したフィリーネが開口一番謝ってきました。セラム様をお守りできませんでした、と」


「いや、それは」


「彼女曰く一度セラム様の身柄をむざむざ敵に渡してしまったと。全ての責は私にあると、そう言っていました。彼女の言った事は本当ですか?」


「それは違う! 僕が捕虜になったのはフィリーネにはどうしようもない状況だった。捕虜となった僕を解放する為に最善を尽くしてくれたのは他ならぬ彼女だ」


「ほう、ではセラム様がこの度のいくさで捕虜になったのは本当の事だと」


 空気が一段と冷えた。ベルが笑顔のまま迫ってくる。

 セラムはどこの部分でベルが怒っているのか分かりかねたままに急いで言い訳を考える。


「フィ、フィリーネを怒らないでやってくれ。彼女は本当に良くやってくれた。僕もこの通り無事だ。敵も追い返す事ができた。えーと、えーと、我が軍の損失も大きかったが……」


「セ・ラ・ム・さ・ま」


「はいごめんなさい」


 謝った。何だか分からないがとにかく謝った。

 そんなセラムをベルはきつく抱きしめた。


「私は怖かったのです。セラム様が、遠い、私の手の届かない地で死んでしまうのではないかと。唐突に会えなくなってしまうかもしれないと思ったらとても怖くなってしまって」


「ベル……」


 ふるふると震えるベルの体をセラムはそっと抱きしめる。


「もう離れません! 必ずセラム様のお傍にいます! 私は! 私は!」


「ベル……!」


 ベルはセラムの肩を掴んだままがばっと体を離し、真っ直ぐ目を見つめる。


「次の戦場にも付いてゆきますから!」


「待て」


 瞳をきらきらと輝かせるベルを真顔で制止する。しかし最早その勢いが止まる事はなかった。


「いいえ待ちません! 何と言おうと必ず付いてゆきます! 例え火の中水の中、どこまでもお供しますとも! セラム様! 死ぬ時は! 一緒です!」


「愛が重い……」


 セラムは説得を諦めた。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「少ぉぉ将ぉぉぉー!」


 城に着くなり走り寄ってきた一人の男、カルロはセラムの足に縋り付かんばかりに取り乱していた。

 本当は帰ってきたら真っ先に文句を言うつもりだった。よくもあんな手を思いついてくれましたねと怒り、彼女の小悪魔的な笑顔を見てやるつもりだった。

 だがそんな考えはどこかへ吹き飛ぶ衝撃的な報告を聞いたのだ。彼女が敵に捕らわれたと。

 報告に来た兵士はひどく委縮していた。その場にいた軍の上層部、そして彼女の副官であるカルロは狼狽した。この国にとって巨大な存在が再び消えるかもしれない。誰もがそんな不安を抱いた。

 アドルフォ大将の焦燥感が滲み出た深刻な顔を見るのはその時が初めてだった。いつも部下の前では冷静な人だったから。

 その場で箝口令が敷かれたのは結果的に正解だった。二日後にセラム原隊復帰の報を聞いた時は膝から崩れ落ちる程に安堵したものだ。


「ご無事でええ、ご無事でよがっ、良かった!」


「ええい暑苦しい!」


 セラムはカルロを振り解き足でけりけりする。


「心配しておりましたあー! 私はあー!」


 セラムは涙声になったカルロの肩にぽんと手を置き言った。


「心配かけたな」


 そのばつの悪そうな笑顔を見て、カルロは再確認した。


 ――ああ、私はどうしようもなくこの人に惹かれているのだ。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ガイウスへの報告の為執務室に入った時、そこはいつも通り紙とインクの匂いが仄かに香る穏やかな空間だった。彼は穏やかな表情と口調を崩さず途轍もない速度で仕事をこなす。


「おかえり。どうじゃった?」


 ガイウスは書類から目を離さず聞いてくる。セラムと話す時は基本人払いをしているので口調に気を使う必要もない。


「何とか撃退してきましたよ。ゲルスベルグに招かれましたがやんわりとお断りして帰ってきました。そうそう、ここに来る前にカルロ中佐に遭いましたよ。彼の報告は聞きましたか?」


「ああ、ノワール共和国から抗議が来た件だね。あちらさんの陣に大砲を撃ち込んだとか」


「それについての責任は全て僕にあります。大砲の命中精度の過信から弾の軌道が逸れて誤射してしまったとお伝えください。蒸気圧力式大砲の開発責任者は僕、運用指針の要綱を作ったのも僕、あの作戦を立てたのも、彼に同様の条件になった時に撃つように命令したのも僕です」


 あくまでも誤射、それだけでガイウスは今回の意図と今後の方針を理解する。


「分かった。ところで、今回の遠征では随分無茶をしたみたいだね」


 一瞬空気が張り詰める。ガイウスは視線を書類に落としたまま、手だけを動かしている。口調は穏やかなままだったが、セラムは確かにガイウスからプレッシャーを感じた。


「す、既に報告を聞いておりましたか。確かに一度敵に捕らえられたものの、部下の機転でこうしてすぐ解放されました」


 何も後ろめたい事はない筈、そうは思いながらも被害を出しすぎたか、作戦遂行能力に問題があると見られたか、それとも捕まっている間に良からぬ事を吹き込まれでもしてやしないかと疑われているのか、と嫌な予想ばかり次々と浮かんでくる。

 ガイウスはそこで初めて手を止め顔を上げた。そこにはセラムが昔どこかで見た覚えのある表情があった。


「私は政治の世界に生きている。軍事に疎い身だから軍人に戦場での事を口出したりはしない。けれどね、一般的な大人として子供は守られるべきだと思っている。今の現状もあまり好ましく思ってはいないのじゃよ」


 セラムはガイウスの言っている意味が分からなかった。らしからぬ事に全く失念していたのだ。

 セラムはまだ子供だという事を。


「自己嫌悪じゃ。周りの男共はすべからく断罪されるべきなんじゃろうな。神と君に懺悔したい気分じゃよ」


「そんな……」


 セラムは感じていた既視感に思い至った。

 ガイウスの表情は、元の世界で沙耶を亡くして自暴自棄になっていた頃の自分を見る祖母の顔に似ていた。自分を心配し、力及ばず守ってやれない事を悔いている人の顔だ。


「それは誰のせいでもありません。僕が、僕自身が選んだ道なのです」


「それでも謝らせてくれ。不甲斐ない大人ばかりですまぬ。姫といい君といい、この国は何と情けない事か」


 ガイウスは全力でセラムを守っている。ただ国を見捨てる事までは出来ないだけだ。きっと今でも政治的な圧力から、はたまたセラムの存在を良く思わぬ輩から、それ以外の何かから国内外問わず守り続けているのだろう。

 それが分からぬセラムではないからこそ深く悔い、直接謝らなければ気が済まなかったのだろう。


「大丈夫ですよ。僕はそんなに弱くありません。けれど、そうですね……。頼りにしてますよ、ガイ……いえ」


 セラムはわざと悪戯っぽく微笑わらった。


「おじいちゃん♪」


 ガイウスがきょとんとした。数瞬おいて堪え切れぬ笑いが漏れ出す。

 セラムも一緒に「にひひ」と笑い、暗い雰囲気を吹き飛ばす。


「分かった分かった。儂に万事任せておけい。孫の頼みくらい何でも聞いてやるわい」


「言いましたね? 覚悟してください、僕の頼み事は高価たかいですよ」


 ガイウスが「しまった」と漏らす。完全にいつもの調子だ。


「そうじゃ、姫にも会いに行くじゃろう? 取り次いでやるからちょっと待っておれ。何分ご多忙なのでな。落ち着くまでは気軽に会うというわけにもいかんのじゃよ」


 気軽に会える姫ってなんだ、とセラムは心の中でツッコむが、二人の姉妹のような関係性を知っているからこそのガイウスの言葉だろう。

 落ち着くまでは多忙、と言っていた。そう、あと半月で今年も終わる。新年にはセラムもアルテアも一つ歳を取る。

 アルテアの戴冠式も間近に迫っていた。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「待ってたわー! お帰りなさい、セラム!」


 部屋に入ると同時にアルテアに頭を撫で回される。対応が妹に対するそれだ。

 あまり心配していた様子が無いところを見ると今回の件はアルテアに報告を上げていないのだろう。すぐに解放されたし、余計な心労を掛けさせまいという周りの気遣いだろう。


「無事戴冠式に間に合いましたよ、アルテア様」


「そうね。昔から約束は守る子だったものね。ふふ、頑固なまでに」


 アルテアの言う昔を知らないセラムは「うっ」と言葉に詰まる。だが本体の方のセラムも約束を大切にする人物と知って親近感を覚える。

 自分に親近感というのも妙な話ではあるが。

 撫でられ続けながら考える。元のセラムの人格はどうなっているのだろうかと。

 この「乗っ取り」とも言える現象が起きてから今まで考えなかったわけではないが、結局結論はでなかった。ホウセンも、元の体の主ともいえる人格を意識する事はなかったという。だが気になる事を言っていた。


「ただ嗜好とか癖とか、性格や考え方なんかもちょっとずつ変わったような気はするな。それが体に引っ張られてなのかどうなのかはよぉ分からんが」


 そう前置きしたホウセンの話を纏めると、食べ物の好みは確かに変わったらしい。また、現代に比べて明らかに不便な生活を強いられているにも関わらず、それがそこまで気にならなかったとも。

 そちらは慣れというのもあるのだろうが。


「ところで」


 セラムが咳払いをする。

 二つの膨らみを目の前にしても左程動揺するでもないというのはやはり体の影響なのだろうか。


「僕はいつまでこうして撫でられるのですか?」


「私が満足するまでよん」


 そう言いながらも回転しながら離れてゆく。セラムと久しぶりに会えたからだろうか、やけにテンションが高い。


「しかしあと少しでアルテア様も『女王様』ですか。僕も態度を改めねばなりませんかね」


「あら、公の場以外なら別にいいわよ。っていうか寧ろあなただけはそのままでいて頂戴。おねえちゃん寂しいじゃない」


「おじいちゃんの次はおねえちゃんか、僕の家庭は意外とにぎやかなもんだなあ」


「あら、おじいちゃんって誰の事?」


 興味深げなアルテアに先程のやり取りを説明する。アルテアはさも可笑しそうに笑った。


「あんな凶悪なおじいちゃんがいてたまるもんですか。あの人もセラムには甘いのねえ」


「凶悪って……確かに相手によってはあの人程の難物はいないでしょうけど」


「そおよう。私に対しては結構口煩いのよ?」


 政界の怪物も女の子二人にかかれば形無しだ。彼のペン先一つで人が簡単に殺せるというのに、この二人にとってみれば、娘に口煩く孫に甘いただのおじいちゃんに過ぎなくなる。


「くっくっく、ああ面白い。もっと話していたいけどあまり時間もないのよねえ」


「また来ますよ。他愛もない話をしに」


「約束?」


「約束です」


 そう微笑んで二人は別れた。


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