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少女と戦争  作者: 長月あきの
第二部
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第六十六話 激戦の中で

 もう何日も彷徨っている気がする。馬上のバッカスは最早意識も虚ろだ。

 彼は独り戦場を進む。周りは敵だらけだった。もうその方がいっそ楽で良いとさえ思える程彼は疲弊しきっていた。向かって来るものは全て斬り捨てる。何も考えず刃を振るえる分楽なものだった。

 付いて来た者は一人、また一人と脱落していった。敵の波に掻き消え、もう戻ってくる事も無い。


「隊長! 俺に構わず行って下さい!」


 部下の言葉が耳に残っている。その後そいつには敵が殺到し姿が見えなくなった。


「ここまでか、来いやあ!」


 そう啖呵を切ったあいつは無数の槍に突き立てられ死体を掲げられた。

 何度も死にそうになった。敵の槍が心臓寸前にまで届いた時もある。

 バッカスを庇って胸を貫かれた部下の死に際の顔が何度もフラッシュバックする。

 バッカスは此方に向かって来る気配に反応して武器を振り下ろす。手応えとともに遅れて悲鳴が聞こえてくる。もう目で見てはいなかった。疲れすぎて殆ど目が機能していない代わりに、自分を狙う気配を察知する第六感はかつて無い程鋭敏になっている。


(くそが。部隊が全滅するのはこれで二度目だ)


 かつての傭兵部隊も全滅し、自分だけ生き残った。エルゲント将軍が討ち取られた乱戦での出来事だ。あの時も苦楽、生活を共にした仲間を全員亡くす痛ましい戦闘だったが、精神に堪えるのは今回の方が上だった。付き合いで言えば傭兵達の方が遥かに長いのにそう思えるのは何故だろう、バッカスは考える。


(そうか、守り抜く為に死を覚悟したのは今回が初めてだ。だからか、こんなに一体感を感じるのは。あいつらの死に様が、ただ眩しい)


 もうすぐ自分もあいつらの元に逝くのだろう、それは喜ばしい事に思えた。

 ただ無意識に青龍偃月刀を振るい、何処まで歩を進めただろう。俺は一体いつまでこうしているんだろう。

 そんな思いがバッカスに去来する。本当に何日も彷徨った気がする。ここが何処だかは分からない。ただ此方に向かって来る気配に手の凶器を振った。

 鉄同士を打ち付ける激しい音がした。

 仕留めそこなったか。ならばこのまま押し込んで……。


「……カス。……い、……!」


 ぼんやりとした耳に微かに聞こえる。手の力は緩めず少しだけ意識を耳に向ける。


「……い、起きなさい!」


 今度ははっきり聞こえる女の声。

 ……女? この戦場で?


「……っいい加減にしなさい! この筋肉馬鹿!」


 目の前が不意に開ける。そこにあったのは青龍偃月刀を短剣と籠手で必死に受けるフィリーネだった。

 こいつ何をやって……。青龍偃月刀? ……って


「俺のじゃねえか!」


 慌てて手を離す。地面から重たい音がする。


「ようやく目が覚めましたか。このまま斬られたら七代先まで祟ってやるつもりでした。……ああ、子孫の心配は要りませんでしたね。どうせこんな男と結婚する女性などいないでしょうから」


 この気の強さは幻などではない、本物のフィリーネだ。という事は味方陣営まで辿り着いたのか。フィリーネ達は逃げ切れたのか。

 鈍麻した意識の中で辺りを確認する。


「安心なさい。チカ将軍を連れて無事合流地点まで逃げ延びましたわ。貴方はやり遂げたのですよ」


 優しく微笑むフィリーネ。有り得ない光景に死に際の夢を見ているのかもしれないと思い直す。歓声を上げ寄って来る仲間達に現実感がない。

 だがそれも悪くないか、とバッカスは虚ろに身を委ねた。


「そっかあ、俺だけ生き残っちまったか……」


 全身の力が抜ける。

 そのまま馬から滑り落ちるバッカス。兵達が慌てて抱え止める。


「寝てしまいましたか。このまま優しく運んでやりなさい」


 セラムにしか見せない優しい顔でフィリーネが言う。この男にはそのぐらいの褒美があっても良い筈だ。

 バッカスの誇らしい寝顔に、兵士の一人が不吉な事を言う。


「ですが、疲労の極みで救助された兵は安心してそのまま死んでしまう事があると聞きます。大丈夫でしょうか?」


 不安気なその表情にフィリーネがひくつく。せっかく生きて再び出会えたのに、このままこの男が死んでしまっては洒落にならない。


「お、おい! 起きなさい!」


 バッカスはぴくりともしない。寝息すら聞こえない。

 フィリーネは慌て、バッカスの頬を張る。


「起きなさい! 寝るな! 死んでしまうぞ! このまま英雄にでもなるつもりか!」


「っせえな! 俺は眠いんだよ!!」


 怒鳴り声と共に胸倉を掴まれ、フィリーネは破顔した。周囲の兵がわっと湧き上がる。よかった、よかったと咽び泣く声にバッカスは狼狽える。


「なんだあ? どうしたんだよこれ」


 大の男が頬を張られる様を見て喜ぶ趣味でもあったのかと訝しむが、あまりの眠気にすぐにどうでもよくなった。


「ふぁあいいや。俺は寝る。起こすなよ」


 バッカスは今度こそ大きくいびきをかいて眠った。


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