第六十五話 ホウセンという男3
ホウセンは一息ついてから「もう一度張るぜ」と言って集中を始めた。再度真空の壁を作る為の魔法準備、それは特別な動作や詠唱は要らないようだが、かなりの集中力を要するものであるらしかった。
「ふう、さてどこまで話したかな。……そうそう、俺がこの世界に来てからだな。最初は混乱したぜ。異世界だわ、別人だわ、俺の知らない知り合いがいるしだわで。ああ、エンディングの後にゲームで選んだ主人公になってたんだがあんたもそうか?」
「ええ」
「やっぱりか。って事はエンディングの条件はそれぞれ違ってそうだな。何せ俺のエンディングはグラーフ王国が周辺の国を併呑して大帝国になる事だったからな。まあそんなこんなでこっちの世界に来た後、俺はまず体を鍛えた。何せ元のキャラはひょろかったからなあ。元通りの動きが出来るまで結構かかったもんだぜ」
ホウセンが軽くウェービングとワンツーパンチをしてみせる。柔軟な動きを妨げないように無駄のない体に鍛え上げたのだろう。その動きはしなやかで素早く人を殴り慣れたもので、セラムでは例え元の体であっても絶対に勝てないだろうと思わせた。
「まあ俺の話はこんなところだ。六将軍ってのも開始時のキャラクター設定まんまだしな。あんたの方はどうなんだ?」
「僕はそんなに面白い話じゃないですよ。普通にフリーターやって、普通に就職して、普段通りにゲームやってたらこうなったって話です」
「ふーん、普通……ね」
ホウセンは含みのある言い方をする。
「その割には戦乱の世界に随分馴染んでんじゃねえか。なかなかそうはいかねえと思うぜえ? あの塹壕戦術はあんたの策だろ?」
ええ、まあ、と言葉を濁す。けれど普通の生活をしていたのも事実だし、馴染んだのも必要に迫られたからだ。少なくともセラムはそう思っている。
「けど、あの塹壕は三十点だな」
ホウセンから辛口の評価が飛び出る。相手の経歴から専門家と言っていいのだから返す言葉もない。
「あれ、後から内側を掘り直したろ。奥のほうの穴にその跡が残ってたぜ。それに溝が無え。まあ手榴弾が飛んでくる事は無えからその溝が無くたって穴蔵で爆死って事はねえだろうが、雨が振ったらどうするつもりだったんだ? 余程水はけが良い砂でもなけりゃすぐに籠もれなくなるぜ。あともっとジグザグに作んねえとな」
ホウセンの言う溝とは飛んできた手榴弾を処理する為の物である。ただし、それでなくともただの穴では雨が降れば水溜りになってしまう。それを防ぐ排水用の溝と床板が無い塹壕の中に籠もるのは地獄を超えたものである。塹壕の泥の中、伝染病等で四肢切断した兵士の話などごまんとある事をホウセンは知っているのだ。もっともそれを知っていたとしても時間がそこまで作りこむ事を許さなかったとは思うが。
「大体弓で塹壕戦術も微妙なもんだ。銃と違ってマンストッピングパワーが無え。被害無視で密集隊形の突撃食らったら為す術もないってのは身に沁みたろ」
「あれは貴方の策だったんですか?」
「いんや、今回は全部チカちゃん任せだったぜえ。まあ俺が口出すまでもなくチカちゃんの戦術勘みてえなもんは確かだからな。あと銃と違って連射力も足りねえ。なんで中世でその戦術が広まらなかったか、考えれば分かるもんだが……でもまあ素人にしちゃあ大したもんだ」
元傭兵に言われては形無しだ。いや、寧ろ褒められているのかもしれないが。
「少なくともあんたは順調に滅びの道を歩む筈だったヴァイス王国を立て直してみせた。俺はあんたを買っているんだ。なあ、俺と一緒に来ないか?」
「それはヴァイス王国を裏切れという事ですか?」
「別にあんたが生まれた国ってわけでもないだろ? あんたは巻き込まれた被害者、あそこはただの仮住まいだ。こっちに来れば俺付きの副官にしてやる。おんなじ境遇同士固まってた方が色々やりやすいだろ? もしかしたら元の世界に戻る為の情報だって入ってくるかもしれねえ」
言っている事は確かに事実だ。小国のヴァイス王国より大国のグラーフ王国の方が入ってくる情報は多いかもしれない。少なくとも自分一人では日々に手一杯で元の世界に戻る手段を探す事なんて出来やしない。何のしがらみも無ければこれ以上良い話も無いだろう。
「僕は……」
その時不意に扉が開かれ強風が室内に吹き荒れた。焦ったような第三者の声に、室内に入ってきた兵士が空気の断層に触った為に先程と同じ現象が起こったのだと理解する。
「これは、いったい……」
「何だ。誰も入ってくるなと言っておいたろう?」
「はっ、すみません。しかし火急の報告がありまして」
兵士がホウセンに耳打ちしようと近寄る。
「って事は戦況についてだろう? そこでいい。話せ」
機密情報を捕虜がいる前で話させるホウセン。二人の間に何の秘密もない事をアピールして信頼を得ようというのだろう。
……ただ面倒くさいだけなのかもしれないが。
兵士はセラムの方をちらりと見やってからおずおずと話し始める。
「はい。チカ将軍を連れた一団は敵本隊と合流、その後人質交換を要求してきました」
「そぉか。んで、期日は?」
「明日の正午です」
「分かった。要求を受けると伝えろ」
「はっ」
ホウセンがセラムに向き直り眉を寄せてシニカルな笑みを浮かべる。
「どうもあんたの部下にゃ頭の切れるやつぁいねえようだな」
セラムが頷く。
「どこまでも真っ直ぐな奴等だ。僕の命を釣り針に掛けて、ここぞとばかりに時間稼ぎの駒にすればいいものを」
セラムは涙ぐんでいた。部下の心情など痛いほど分かる。何よりもセラムの安全を第一に、とにかく早くと思っているのだろう。敵地に連れ去られたセラムを一分たりとも放置する事はできないと焦っているのだろう。
「莫迦な奴等ですよ。僕に付いて来るのはそんな奴ばかりらしい」
そう言ってセラムは笑った。




