第六十四話 ホウセンという男2
ホウセンは自分で淹れた紅茶で喉を潤し落ち着いた掠れ声で話し始める。
「魔法の事はこのぐらいにして、だ。こんな状況だ、お互い話したい事もあるだろうし、それ以前にお互いどんな人間か知っておきてえとは思わねえか?」
「そうですね。確かに興味あります」
「まあそうだわな。こんな非現実的な事が起こっちまってんだもんなあ」
ホウセンは少し上を向いて長く息を吐き出す。
「俺ぁ昔傭兵をやっていた。この世界でじゃねえぞ、元の世界でだ」
「傭兵……ですか?」
この世界でならともかく、現代日本で傭兵というのはまず聞かない職業だ。
「ああ、俺は常々思っていた。最強の男とは何か。子供の頃から武道は色々やってみたが、どれもルールのある試合だ。こんな条件付きで『最強』なんて目指せる筈がねえ。俺は自衛隊に入った。けれどそこでも訓練、訓練、災害救助。実戦なんてありゃしねえ」
「ホウセンさんは戦争がしたいのですか?」
「んー、ちょっと違うがな、最強を目指すなら戦わなきゃ始まらねえ。それにその頃になると俺もちょっと考えるようになってな。自衛隊ってのは楽なんだよ。いや、誤解すんなよ? 訓練は厳しい。何かありゃ休みもねえし災害救助では死体運びみたいな精神にクルもんだってする。異動ばっかで落ち着く事も出来ねえ。けどなんつーか、平和なんだよな。日本にいる限り戦争は起こりそうもねえ。海外派遣なんて言っても後方で物資を届けるか民間人の世話をするだけ。殺し合いはあり得ねえ、ハッピーハッピー世はなべて事もなしだ。……日本だけはな」
ホウセンは紅茶を呷って鬱憤を吐き出す。酒でも有れば間違いなく飲んでいただろう。
「なんつーか、居心地が悪くなってなあ。結局、自衛隊も辞めちまった。その後は貯まってた金でアフガニスタンに渡った。ビザが切れたら日本に帰って日雇いのバイトをして、その金でまた戦場に行った。給料なんて出るほうが珍しいからな。出ても雀の涙、ビザ代だけで赤字だ」
「そこまでして何で戦場に」
「別に大した理由はねえよ。弱い者を見過ごせないとかでもねえし、義勇軍に参加した時もこの国の為なんてこれっぽっちも思っちゃいなかった。戦場で最後まで生き残ったら最強の男になれるんじゃねえか、くらいか。ただ、後から思えば日本にいる時は死んでるみたいに生きてた。戦場の方が生きてる実感があった」
その言葉にセラムは胸の痛みを感じた。自分にも覚えがある感覚だったからだ。
灰色めいた世界で死なないために生活していた元の世界から、必死に生きるという事を教え、引っ張りあげてくれたのがこの世界。
「そんなこんなで主に中東の紛争地帯で傭兵稼業をしてたんだが、ある時腰に一発貰っちまってな。当たりどころが悪くて後遺症が残っちまった。日常生活に問題がないくらいには回復したが、戦場で生きてくにはきついもんがあった。潮時かと思ったね。ゲームをしだしたのはその頃だ。日本で暮らしながら暇潰しにゲームを漁ってるうちに見つけたゲームをやってたら……このザマだ」
ホウセンの口調は台詞に反して残念そうではなかった。寧ろ喜んでいるような、とセラムが不審に思っていると、ホウセンの喋りに笑いが混じった。
「俺は神に感謝したね! 俺の最強への道は閉ざされてはいなかった! 再び戦場に立てる、それだけじゃない。ゲームでよくあんだろ? 統率、武力、知力、政治みたいな能力値がさあ。あれの総合値最高の人間なんて分かりやすい『最強』じゃあないか! なれるんだよ。俺は。さいっきょうの男に!」
狂ってやがる、そう思った。だが恐ろしい。人間として大切なネジがどこかに飛んでいったような男でも、策謀は常に冷静。理知的で、人の心の隙間に気軽に入り込んでくるようなひょうきんさを備える、魅力のある男。
「……貴方は、危険だ」
「んー?」
「そんなに……そんなに戦争がしたいのか、あんたは!」
「そう言うあんただってしてんじゃねぇか、センソウ」
ホウセンに指差されたその胸が抉られる。語るに落ちた、そう自覚して恥ずかしさで顔に血が集まる。
「そもそもあんたは戦争をどういうものだと思ってんのよ」
「それは、外交の一手段で経済活動の延長線上にあるものです」
「あんたのそれはクラウゼヴィッツの戦争論の受け売りだろ? 俺も読んだよ。だがなあ、あれは生涯を戦争の中心に身を置いたクラウゼヴィッツが、戦争の事を考えぬいて辿り着いた境地だからこその言葉であって、その手で人を殺した事もないような奴が言っても全く説得力がねえんだよ。あんたを見てて感じたよ。あんた、直接人を殺した事ねえだろ」
セラムはぐうの音も出なかった。人どころか、哺乳類を殺した事すらない。日本では勿論、市場で豚の吊るし売りを見かけるようなこの世界ですら、生きている状態からその様態を変化させた事などありはしない。
「それが歪なんだよ。こんな世界で、命令一つで軍を動かしておいて、自分だけは手を汚してない。……あんた、狂ってるよ」
僕が、狂っている?
呆然とするセラムにホウセンは更に言葉という鈍器を畳み掛けてくる。
「戦争なんてものはな。暴力、略奪、強姦、そんなとこだ。どんなに綺麗事で上っ面を飾りたくっても現場じゃどこを向いても大して変わりゃしねえ。銃さえ持ちゃあ子供だって人を殺せるからな、現実はこの世界より酷えもんさ。奪う為に殺す奴がいるから、守る為に殺す奴が出てくる。それが折り重なると殺す為に殺すようになる。最低なのはそんな奴等を自分の為に利用する輩さ。金儲けの為、利権の為、思想の為、果ては国家の為とかな」
ホウセンは葉巻煙草を咥えて、すぐに舌打ち一つして懐に戻した。真空の壁に囲まれた密室状態にしていた事を思い出したのだ。
「あんたは戦争の渦中に片足どころか頭までどっぷり浸かりながらそういった現実を見ちゃいねえ。他人に人を殺させておいて自分は『守る為に生きている』とかお花畑な事を抜かしてやがる。これが平和な国で生きてる一般人なら鼻先で笑うところだが、タチのわりい事に何度か戦場を経験した軍の少将様だ。もう一度言うぜ。俺は狂ってる。だがあんたは俺以上に狂ってるよ」
セラムはこれ程までに自分を否定された事は未だかつてない。だがそれを詭弁だと跳ね除ける事は出来なかった。
ホウセンはそんなセラムから目を離し窓の外を見やる。
「ちと空気が薄くなってきたな。一旦魔法を解除するぜ」
ホウセンがティーポットとカップ二つを手で押さえると、部屋の中に突如突風が巻き起こる。真空の壁が解除され、空いた空間目掛けて大気が一気に押し寄せた結果、気圧が低くなっていた室内に突風が生まれたのだ。
その衝撃にセラムが我に返る。今、自分は捕虜なのだ。自分を見失っている場合でも、目の前の男を言い負かす場合でもない。
「成る程、僕が現実を見ずに理想を追い求めている大馬鹿者だという事は理解しました」
「お?」
「けれど、だからこそ付いてくる結果もある。理想を持たない軍隊などただの殺戮集団じゃないですか。僕は僕が大切に想っている人達を守る為に戦う。そんな利己的な理由に付いて来てくれる人達がいる。何があってもその理想に潰される事は無い。例え人を殺しても、現実に殺されても」
その言葉に、ホウセンは素直に感心する。こういう時、すぐに心を折られる弱い者も、冷静さを失い攻撃的になり、感情剥き出しで反論にならない暴言を叫び出すような心の弱い者も彼は嫌いだった。彼が興味を持つのは強い者。それは何も肉体的な強さだけではない。
「あんたぁつえーなあ。俺は好きだぜ、そういう確固たる自分を持ってる奴。例え考え方が違ってもな。だが強さが固くなっちまうと脆さに繋がる。あんたが殺人処女を捨てた時、保っていられればいいな」




