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少女と戦争  作者: 長月あきの
第二部
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第五十八話 僥倖

「くそ、ツイてないっ」


 逃げるセラム達をワーウルフの一群が追う。とうとう敵の本隊に追いつかれたのだ。しかも先程からの攻撃の中にワーウルフの女の子の姿が見える。あれが敵将チカ・アルパ・ザガなのだろう。


「総大将が先陣を切って突撃とかどんな浪漫だよっ!」


 ぼやくセラムに鉄製鉤爪付きの手甲の一撃が迫る。それをバッカスが弾き落とし、なおも逃げる。

 一撃を入れ損ねたチカは直ぐ様木に飛び移り、枝から枝へと渡ってゆく。森の中のワーウルフは、水の中の魚のように自由に動き回る事ができた。


「逃げても無駄無駄あ! どこに隠れようと貴様らの匂いで分かる!」


 チカの声が森に響く。一撃離脱を繰り返され、此方の疲労だけが溜まってゆく。すぐに樹々の影に隠れてしまうために敵を目で追う事すら難しい。

 予定の進路から外れ、大分奥深くまで来てしまった。何か手を打たないと動けなくなった者から狩られてしまうだろう。


「ちっくしょう!」


 バッカスが悔しそうに叫ぶ。

 枝葉が掻き分けられる音と共にチカが頭上から降ってきた。にぃっと笑うその顔は獲物を追い詰める肉食獣のそれだった。


(どうにかしなければ僕から狙われる!)


 そうセラムが思った時、鼓膜を突き抜けて脳を揺らすような咆哮が轟いた。

 唐突に木が薙ぎ倒され、その咆哮の主が現れる。その丸まった背を伸ばせば四メートルにも達するかという巨体、地面に届く程に長く巨木のように太い両の腕、赤銅の皮膚は木を薙ぎ倒したというのに傷一つ付いておらず、ギョロリとした目がセラム達を獲物と見定める。

 オーガと呼ばれる魔物だった。

 通常の討伐なら一匹辺り二、三十人で当たる強敵である。世界には一人で狩るような英雄もいるらしいが、そんな規格外でもなければ出会った瞬間死を覚悟する魔物である。

 少なくともオーガを初めて見るセラムは絶対的な捕食者を目の前にした恐怖を感じた。ゲーム画面とは全く違う。思考が停止し、全身が震え足が動かない程の畏れ。

 鍛えられた兵達は皆戦闘態勢を取る。バッカスもフィリーネも、敵であるチカも、この場は共同戦線を張る事に無言で同意する。

 忘れていた、気付かなかったがここは報告にあった魔物の縄張りかとセラムが我に返る。

 オーガが縄張りを荒らす不届き者を成敗しようと腕を振り上げ、その場に居た全員が敵味方の区別なくそれに対して身構えたその虚を、数瞬恐怖に身が竦んだセラムが偶然突いた。


「確保ォーっ!」


 その声に逸早いちはやく反応したのはバッカスとフィリーネだった。


「了解!」


 バッカスが跳びオーガの後ろに回ると同時にその脚を斬りつける。天を貫く叫びと共に振り下ろされるその拳がバッカスに向いた時、フィリーネは馬の鞍に着けていた投網をチカに投げつけた。


「なっ!?」


 意識外の攻撃に抵抗する間もなく自由を奪われる。一瞬遅れて周りの兵士が動けないチカを網ごと馬に括りつけた。


「ガアアアアオオオオオオ!」


 オーガの第二撃をひらりと躱しながら更にバッカスが追撃する。脚に傷を追わせたところでセラム達に合流し遁走する。

 少し遅れて合流したグラーフの人狼部隊がオーガを目の当たりにして動揺する。まんまと敵を押し付けた形になった。

 突然の魔物の乱入により敵の大将を生け捕り、追手を引き離すことに成功したのである。




 森の中を兵が、馬が分け走る。追っ手は撒いたようだが心臓の鼓動だけは収まってくれない。皆先程の恐怖に追い立てられるように歩を進めていた。


「おい。……おい! そこのメイド、いい加減網から出してくれ。抵抗はしない」


 フィリーネの馬に網ごと引き摺られていたチカが不平を訴える。


「莫迦かてめえ、誰が信じるか」


 セラムの馬を引くバッカスが吐き捨てる。さっきから転がり回ったり、ぶつかり跳ねたりしている筈だがチカは口がへの字に曲がっているくらいで、表情を変えない。普通こんなでこぼこの道を馬で引きずられたら顔が苦痛に歪んでもおかしくないのだが。


「私は戦士だ。人狼族の誇りにかけて負けを認めた相手には大人しく従う」


 目は眠そうなままだが、その言葉は確かな意思が込められており、偽りは感じられない。セラムは馬を止めて前を行くフィリーネに言う。


「いいだろう。一旦停止、網を外してやれ」


「いいんですかい? タイショー。こいつまだ余裕ありそうですぜ」


「バッカス、敵とはいえ彼女は将である。将としての扱いをするのは当然だ。ただし、縄は打たせてもらいますよ、チカ将軍」


「うむ、いずれ仲間が迎えに来るまで大人しくしていると誓おう」


 迎えに、ね。そうならないように願いたいものだ。セラムは口元に手を当て表情を隠す。怖がっている事を知られてはならない。


「では失礼します、チカ将軍」


 網を切った後、フィリーネが手際良く拘束してゆく。手を前で縛り、首を通し結び目は背中へ。後ろ手にしなかったのは馬に乗せる事も考えてバランスが取りやすいようにという配慮だろう。

 しかし随分と手馴れているもんだ、とセラムは感心を通り越してちょっとした恐怖を覚えた。もしかして彼女はそういった趣味でもあるのだろうか。それともこれも諜報員としての技能だろうか。


「しっかし頑丈なんだな。あんだけ引っ張られて擦り傷程度しかねえとは。ワーウルフってなあそういうもんなのかい?」


 バッカスの不躾な質問にチカが憮然とした態度で答える。


「受け身を常に取っておったからな。それと私は気にせんが、一族の者に『ワーウルフ』などと呼ばぬように気を付けよ筋肉ダルマ。それは我が一族がまだ魔物と混同されていた時代の名残だと嫌がる者もいる。一部ではあるがな」


 彼女は自身の事を『人狼族』と呼んでいた。人と魔物の狭間で生きてきた歴史は、彼女等にとって今尚足に絡みつく鎖なのだろう。

 手を拘束されたチカはフィリーネの馬に相乗りする事になった。「これでは乗れぬ」と両の腕を挙げて見せるチカに、バッカスがひょいとチカの身体を持ち上げる。セラム程ではないが小さな身体が荷物のように軽々と宙に浮き馬に乗せられる。


「ほらよワーウルフの嬢ちゃん」


「すまんな筋肉ダルマの髭モジャ」


 感情が顔に出やすいバッカスと無表情で淡々と話すチカの間に火花が散る。


「はいはいバッカスそこまで。道中お話をお聞かせ願いたいのですがよろしいですか? チカ将軍」


 轡を並べ、あくまで紳士的、いや淑女的な態度を崩さないセラムにチカは少々興味が湧いたらしい。口調は淡々としたまま饒舌に語る。


「構わぬよお嬢さん。もっとも答えられる事に限りはあるがな。私も許されるなら幾つか質問したい。お嬢さんの名前と歳を伺っても良いかな? 私より少し年下のようだが」


「これは失礼、僕はセラム・ジオーネと申します。歳は十二です。不肖ながらこの連隊を率いています」


「やはりお主があのセラム・ジオーネか。私よりも年下の将軍級などおらんかったでな。随分珍しいと敵ながら感心しておった。私は十六歳だ」


「ほう、チカ将軍はその若さで人狼族の族長、しかもグラーフ王国の将軍なのですか? 情報としては知っていましたが、実際に見るとなるとにわかには信じ難いものがありますね」


「それはこっちの台詞だ、セラム少将。珍しいのはお互い様だな」


 かっかっかと笑うチカ。目が眠そうなまま変わらないのを見るとそれは生まれつきらしい。


「私はグラーフに攻められる前は族長の孫でな。グラーフとの戦争で族長もその息子夫婦、つまり私の親も亡くしてしまい、我が一族は戦奴に身をやつした。私が長を引き継いだのはその時だ。以来ありとあらゆる戦場で武功を立て続け、こうして将軍にまで上り詰めた」


 目を細めるチカ。そこには憎しみの色は無い。集落を攻められ、親族を殺された相手に仕えるとはどういう心境なのだろう、セラムは不思議だった。


「貴女は何故グラーフ王国で働けるのですか? 仇とも言える国に何故そこまで尽力できるのですか?」


「これは異な事を」


 さっぱりとした笑顔から答えが返ってくる。


「戦士が己の誇りをかけて戦い、敗れたのだ。潔く勝者に仕えるのもまた戦士の生き様だろう?」


 同意を求められるがセラムには分からない世界だ。仇は憎いし敗北すれば悔しい。自分が同じ立場だったらいつか復讐をと思うだろう。だがチカにはチカの流儀があり、これは文化の違いというやつだろう。


「そんな事よりよお、敵の情報とかは聞き出さなくてもいいんですかい? タイショー」


「…………」


 バッカスの言葉にチカがムスッとして押し黙る。


「君って奴は。そりゃあ勿論聞ければ聞きたいところだけども」


「私が重要な情報を漏らすわけなかろう。例え拷問されたとしてもな。性急な男は嫌われるぞ筋肉ダルマの髭モジャ類人猿」


「だあれがゴリラだ! さり気なく足してくんじゃねえ!」


「オランウータンかもしれませんわよ」


「フィリーネも混ぜっ返すんじゃありません。それより、チカ将軍がそんな簡単に情報を漏らす人ではないと分かっておりました。僕としてはそんな事より、他愛の無い会話で親睦を深める事こそが有意義な時間なのですよ」


「ほう、面白いな。それでセラム少将は何を狙っているのかな?」


「貴女自身ですよ」


 チカが馬上で身を引いた。腕を胸の前に上げて上目遣いでセラムを見る。


「まさか、お主そういう趣味なのか?」


 その問いにセラムは即答出来なかった。「違います」と言おうとしたのだが、ふと考えてしまったのだ。女の子が好みだというのは正常なことではないかと。寧ろ男相手の方が想像出来ない。その点、チカは十分に魅力的であるし、背の小さい女の子はセラムの好みだった筈だ。そして獣耳に尻尾までついて、それが感情をダイレクトに映し出すように動く様は、例えその趣味が無くても目覚めてしまいそうな程フェティシズムを感じる。


「まさか本当に?」


 チカの耳がパタっと垂れ下がる。バッカスは妙に不満そうな顔をしてるし、周りの兵達は残念そうな者、期待に満ちた目をしている者など悲喜交交ひきこもごもだ。そしてフィリーネは何故か嬉しそうだった。


「いや、違うからね? そういう意味じゃなくて、僕は貴女をヴァイス王国に迎え入れたいんですよ」


 それを聞いたチカは、目を丸くして珍妙な物を見るようにパチクリと何度も瞬きをする。現状押されている側の、しかも小国の司令官程度が、大国の将を引き抜くという。確かに同じ将軍級とは言ったが、その立場は単なる敵味方以上に隔たりがある。

 その言葉に意表を突かれたのか、カンラカンラと笑うチカ。


「なるほどなるほど、いや、気を悪くしないでおくれ。確かにお主は面白い女だ。……くくっ、歳も立場も近しい存在だからと親近感を覚えてはいたが、まさかこう来るとは思わなかった」


 チカはひとしきり笑った後、セラムに向き直って真剣な顔で言った。


「私が頷くと思うか?」


「どうでしょうね。ですがこのまま捕虜として本国まで移送出来れば半々かと」


「莫迦にするでない。私は誇り高き人狼族。私個人が騙し討ち同然で負けようとも一族が敗れたわけではない。そんな事で膝を折ると思うな!」


「無理強いをしても無駄なことは承知の上。ですのでまずは僕を理解してもらう事から始めようと思っています」


 セラムはそう言ってチカに微笑んだ。このままチカを連れて逃げ切れればゲルスベルグ攻略部隊は一旦諦めざるを得ない。逆に言えばこれから全力の鬼ごっこが始まるという事だ。


「さあ行くぞ皆。できれば今日中には森の出口付近まで辿り着きたい」


「少女と戦争」シリーズに外伝「七月七日」を追加しました。

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