第五十二話 ゼイウンへ
会議室にはガイウス、アドルフォ他主だった者達が集まっていた。
「遅くなって申し訳ありません。こちらはゼイウン公国のヴィレム公子です」
「ヴィレム・マトゥシュカと申します。我が母国の存亡の危機と聞いて居ても立っても居られなくなった次第。どうか同席を許可していただきたい」
ガイウスが頷く。アドルフォもそれを確認して進行する。
「貴方も聞くべきでしょう。では軍議を始めます。グラーフ軍はメルベルク砦を発ち、ゲルスベルクへ侵攻を始めました。数は約二万、更に後続軍が確認されています。敵将は六将軍の一人、人狼将軍チカ・アルパ・ザガ。ゼイウン公国も別方面の軍を送っているそうですが、このままでは間に合うか危うい」
ゲルスベルクはヴィレムの生家、マトゥシュカ家がある主要都市だ。ここを陥とされればゼイウン公国は領土の三分の一を失ったに等しく、セラムとヴィレムを使った同盟も意味を失う。
セラムが発言する。
「我軍二千、既に国境付近で練兵しながら事態に備えています。要請に対し僕が単騎で合流、すぐに援軍に向かうことが出来ます」
二千の根拠は糧秣と行軍速度から弾き出した計算にセラム隊を当てはめた数だ。ヴィグエントの時とは何より距離が違い、例え同じだけの物資を準備したとしても動員できる兵数は必然少なくなる。
「問題はゼイウン公国に入った後だな。意見がある者は」
佐官達が順に意見を述べていく。
「戦況は一刻を争います。直線経路にて横合いを強襲、後続と合流する前に敵を叩きましょう」
「二万対二千ではあまりに不利、ここは後方からゲルスベルクへ入り援助物資を送り届け、後方支援に徹するべきでしょう」
「外交面からもその案を支持します。我々が出張ってはゼイウン公国はあまり良い気にはならんでしょう」
ゼイウン公国とヴァイス王国では軍事力の差がある。小国のヴァイス王国は大国のゼイウン公国から保護されている立場だ。それを踏まえて一歩下がるのは理解できる。
「それでは我が国はいつまで経っても属国扱いではないか! 今こそ我軍の力を見せる時!」
「然り! 我々は一度グラーフ王国に大勝している。その立役者たるセラム少将が自ら率いるのだ! 負けるはずがない!」
「無謀が過ぎる。我が国の宝たるセラム少将をむざむざ危険に晒すおつもりか!」
「ならば如何する。都市に籠って勝てる見込みはあるのか?」
「後から追加の部隊を送ることは出来ませんか?」
佐官の言葉にガイウスが眉を寄せる。
「難しいな。備蓄を吐き出しても動員出来る兵は三千といったところ、それをやれば敵が此方に向かってきた時に備えが失くなる状況じゃ」
そもそもこれは三方面作戦だ。リカルド中将はノワール方面に行っており、北はヴィルフレド大佐がグラーフに対し防備を固めている。動ける主だった将はセラムのみ、動かせる軍も二千がぎりぎり。それでも最善をとセラム隊を中心に精鋭を揃えたのだ。今更無理して三千が加わったところで好転するはずもない。
「最善は後続部隊が合流する前に二千で本隊を退け、ゼイウン公国の態勢が整うまで時間稼ぎをすることだろうな」
アドルフォが厳しい理想を述べる。
それが出来れば苦労はしない、と言いたいところだが、結局方針は二通りだ。遊軍としてグラーフ王国軍を直接叩く第一案か、ゲルスベルクに入り一緒に籠城する第二案か。
ここで初めてヴィレムが手を挙げる。
「僕が物資を持って後方からゲルスベルクに行きましょう。中にいるゼイウンの軍を決起させる事が出来るはずです」
ヴィレムがセラムに目配せする。それは敢えて退路を塞ぎ虎穴に入るような覚悟の作戦。セラムの頬に一筋の汗が流れる。
一拍おいてセラムが決意とともに頷いた。
「僕は別方向から敵の後方を突き、ゲルスベルクの軍と挟撃しましょう。成功すれば勝率はぐんと上がります」
それは、と佐官達がざわつく。確かに横から叩くよりは勝ち目はあるだろう。だが失敗すればグラーフの後続部隊と挟まれるあまりに危険な攻撃。それを頼りにするにはあまりに細い糸で繋がった賭け。
だが命を張る当事者が言うのならば反対の仕様がない。
ここにセラムの最も危険な作戦が発動したのである。
「待ちなさいセラム」
ヴィレムが先に邸に戻り、自身もまた雑務を終え城を出ようとするセラムに、背後からアルテアの声がかかった。セラムは振り返り頭を下げる。
アルテアは気丈な顔に優しさを湛えていた。
「聞いたわ、あなたまた無茶をするそうね」
「ご心配をおかけします。しかしここが正念場なのです。今ここでグラーフ王国を食い止めねばこの包囲網は瓦解します」
「わかっているわ。今日は止めに来たわけではないの。あなたの事は役目柄仕方ないものだしね」
アルテアは周りに誰もいない事を確認し、はっきりと宣言した。
「私、アルテア・バスクアーレ・ヴァイスは一ヶ月後、来たる年始めを以って正式にヴァイス王国女王として即位します」
その言葉にセラムは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
この展開はゲームで知っている。だが時期は詳しく語られなかったように思える。思い返せばゲームでも、グリムワールでもレナルド国王とは一度も会ったことはなかった。
セラムはアルテアの耳に口を近づけ、小声で確認する。
「もしや、国王は……アルテア様のお父上は」
「本当は半年も前に亡くなっているわ」
道理で表舞台に出て来ないはずだ。いくら病とはいえ政務が出来ないといって幾月経つ?
いや、途中から分かっていた。もしかしたら、そうは思っていた。だが彼女は、アルテアはあまりにもいつも通りで。空元気の素振りさえ見せず接していたから。
「僕は……っ」
言葉が出て来なかった。彼女のことはこの世界に来てから短い付き合いとはいえ友人だと思っていた。まさか一言の相談も、苦しげな表情すらもなく自分を騙し通していたなんて。
彼女にそんな無理をさせていたなんて。それにまったく気付いてあげられなかったなんて。
「セラム、私は進むわ。だからあなたも生きて戻ってきなさい。私の戴冠式に間に合うように帰ってきなさい」
どこまでも強く、気丈な王女。
その気高き魂にセラムは自然と膝をついていた。
「この生命、軽々しく投げ出さないと約束します」
邸ではベルが待っていた。いつも通りに、落ち着いた様子でお茶を淹れてくれる。
セラムはゆったりと椅子に座りそのお茶に口をつける。
急がなければならないのは分かっている。だがこの貴重な日常を忘れぬように、全身くまなく染みわたるようにと敢えてゆっくりとカップの中身をを飲み干した。
「相変わらずベルが淹れてくれるお茶は美味しいな」
「ゼイウンへ行かれるのですね」
ベルは変わらぬ柔らかな表情で口を開く。
「私も連れて行ってくださいまし」
「ベルにはこの家を守ってもらわねばならん」
「あそこは私の庭のようなものです。グラーフの者が知らないような抜け道も知っています」
「駄目だ。君を連れて行って万が一正体がばれれば厄介なことになる。最悪ゼイウン公国との同盟関係にヒビが入る事態になりかねん。そんなことは君が一番よく知っている筈だ」
「ですが!」
食い下がるベルにセラムは静かに首を振る。彼女は分かっているのだ。此度の戦闘が今までで一番危険なものになるであろうことを。
「わかってくれベル」
「……どうか、どうかせめて私の代わりにメイド隊を連れて行って下さい。彼女らは私がゼイウン公国を抜けだした時から付き従った者達、彼女らの土地勘は必ず役に立つでしょう」
「うん」
悔しそうなベルの手にそっとセラムの手を重ねる。
必ず戻ってくる、そう言ってセラムは邸を発った。
「そろそろ別々の道ですね」
途中まで同行していたヴィレムが寂しげに言う。
これからセラム達は隊と合流してゼイウン公国を横に突っ切る。ヴィレム達は後方から回りこんでゲルスベルクを目指す。ここがその分岐点だ。
「セラムさんに渡しておきたい物があるんです。受け取ってもらえますか?」
ヴィレムが折りたたまれた毛糸の物体を差し出す。
「実は僕は編み物が得意でして、手編みのマフラーなんぞを……。はは、男らしくないと笑ってやって下さい」
ドクンッ、とセラムの鼓動が大きく響いた感じがした。
――寒いと思ったから、ずっと編んでたの――
これは、呪いだ。
例え世界が変わっても逃れることが出来ない呪縛。
沙耶、僕は許されない。許されてはいけない、そう思っていた。だが……。
君に許されていいのか? 僕はこのマフラーを受け取ってもいいのかい?
僕は…………
「セ、セラムさん? どうしました? また僕が何か」
セラムはヴィレムの焦りを手で制し、目をこする。鼻をすすり突き出した手でそのままマフラーをひったくると、セラムが睨め上げた。
「絶っっっ対つけませんっ」
涙声だった。
ヴィレムはセラムの手に渡ったマフラーとセラムの言葉の意味が繋がらず頭にクエスチョンマークを飛ばしている。
セラムはみっともなさも訳の分からなさも承知で続ける。
「つけませんけど、お守り代わりに……貰っといてあげますっ」
その言葉を聞いてヴィレムがにへらと笑う。
沙耶とは似ても似つかない、締りのない男の顔だった。




