第四十九話 みんなで鍋を
運ばれたのは土鍋。これもセラムがこの日の為に作らせておいた物である。
だが鍋物を広い空間で二人きりで食べるのは少し寂しい。セラムは元の世界でそうだったように、鍋物の最高の食べ方を提案した。
「この食べ物は大勢で食べたほうが美味しいんですよ。できれば他の人間も同席をお許し願いたいのですが」
「私は構いませんよ」
マエリスの許可を得たところでベルにヴィレムを呼びに行かせる。
ベルは不満をおくびにも出さなかったが、セラムには分かる。あれは苛ついている時の足音だ。
しかしながら二人きりならともかく、他の人間を呼んで食卓を囲もうというのなら義理でも呼ばないといけない人間である。
「紹介しますマエリスさん。こちらは僕の婚約者のヴィレム公子。ヴィレムさん、こちらはカールストルム商会のマエリス副会長です」
「ゼイウン公国、リーンハルト銀翼公が第三子、ヴィレム・マトゥシュカです。高名なカールストルム商会の副会長殿に会えて嬉しく思います」
「はじめまして。マエリス・カールストルムです。こちらこそ高貴なお方に出会えて光栄ですわ」
「ベルは紹介の必要はありませんね。ベルも一緒に食べなさい。よければ君たちもどう?」
セラムは周りのメイドにも声をかけるが、皆声すら発さず恐縮した顔を横に振る。
まあ仕方ないか、とセラムは引き下がる。鍋を囲むのに四人いれば丁度いいだろう。
「ベルだけは一緒に食べておくれよ。この場は無礼講ということで」
「では失礼して。皆様に取り分けますね」
ベルが深めの取り皿に具を取り分けている間にセラムが料理を紹介する。
「この食べ物は水炊きといって誰でも簡単に作れる料理です。具材は鶏肉、葱、キャベツ、豆類、茸類等。調味料をつけるかはお好みで。食べながら昆布がどこに使われているか当ててみて下さい」
本当は白菜や豆腐、そして調味料に醤油が存在していればなお良かったのだが。
醤油さえあればポン酢を自作することも出来たが、無い物ねだりをしても仕方ないので檸檬の塩漬けやワインビネガー、香辛料とハーブでオリジナル調味料を作ってみた。味は……正直ポン酢の代わりには微妙だが、まあ及第点だろう。
「汁が澄んでいますね。煮込んだというよりはお湯の中に具を入れたという感じの見た目ですが」
「ん……! おいしい! 薄味だけど確かに主張する汁の味、これは何でしょうセラムさん」
「もしかしてこれが昆布の味ですか? 影も形もありませんが、もしかして煮ると溶けてしまうとか」
「マエリスさん惜しいです。昆布は煮立つ前に取り除いてしまうんです。水に漬けておくと昆布の旨味成分が滲み出て美味しい出汁となるんです」
「水に味を付けるためだけに使うなんて、贅沢な使い方ですねえ」
「勿論昆布も食べられますが、調理が必要なので今日はやっていません。それに今までただ捨てていた物が料理になる。素晴らしいことだと思いませんか?」
この世界でも食べられる部分は全て使い切るのが常識だ。美味しくない部位も美味しく食べられるように研鑽する料理家は確かに存在する。だがセラムに言わせれば、普段捨てている骨だって出汁になる。これは料理の歴史の差だろう。
「驚きました。セラム様、いつの間にこのような料理法を勉強なされたのですか?」
ベルは知らぬ間の我が子の成長を見たような表情だ。
何せセラムが赤子の頃から世話係として知っているはずだ。ベルの記憶にはあまりセラムが料理を勉強しているような記憶はないのだろう。少なくとも、セラムがこの世界に来てからは料理を披露する暇はなかった。
「そこは色んな本を読んだり考えたりして、ね」
ベルがその蒼い瞳で覗きこむ。目が泳いでないか気が気でない。
空気を読んでいるのかそれとも空気が読めていないのか、ヴィレムが脳天気に発言する。
「確かにこの汁だけでも飲めてしまいますね」
「喜んでくれて嬉しいです。ですが無理して飲む必要はありませんよ。いや、むしろ少し残しておく事をお薦めします。残った汁でもう一品作りますからね」
作るのは当然雑炊だ。日本人の定番コースメニューと言えるだろう。
「今日はこの昆布出汁を使って更に一品作ってあります。そろそろいいかな、持ってきてくれ」
メイドが厨房へ姿を消す。
「どんな料理でしょう。想像もできませんわ。楽しみです」
「驚いてくださると良いのですが。恐らく見たこともない料理だと思いますよ」
メイドが盆に蓋付きの深めの小鉢を乗せて戻ってくる。それぞれの手元に配膳すると、蓋を開いてみせた。
熱い湯気が立ち上り、中から黄金色の物体が見える。
「これは?」
「茶碗蒸しという物です。先に解説するのは無粋ですね、まずは食べてみてください」
皆興味津々の態でスプーンを滑りこませる。
真っ先に一口目を頬張ったヴィレムが慌てて口を押さえる。
「あっふ、はふっはふ、熱!」
「これは……口の中でとろける程に柔らかく、上品な味が舌に染みこむ。これは卵ですね。ですがどうやって固まらずにとろとろに仕上げたのか……」
上品な仕草で冷ましてから食べたベルが、まるで反芻するように味わいながら考える。
スプーンで掬った跡をじっと眺めていたマエリスが神妙に口を開いた。
「それより不思議なのはどこからともなく汁が溢れ出る事です。まるでお湯が閉じ込められているかのように、だけど掬ってみてもそんな形跡も無い。何と面妖な」
「それは先程の水炊きにも使った昆布出汁を混ぜているからです。そして皆さんの卵が固まるという印象は、きっと直接火にかけている様を思い浮かべているのではないでしょうか?」
三人が頷く。
「これの料理法は、蒸すことです。植物の種から油を採る時に使われる方法ですね。蒸すとこのようにカチカチに固まることはなく、様々な料理に応用できます」
この世界では蒸した料理は無かった。セラムが言ったように技法としては存在するのだが、料理に使われることは今まで無かったのである。
「それにしても出汁とは何という味わい。これは今まで食べてきたような単純な味ではない……そう、言うなれば深い味」
「僕の国にもこんな料理は無かった。蒸すという方法といい、似たような料理というのが思いつかない、まったく新しい料理だ!」
「セラム様が新しい物を作るのは何度目でしょう。……慣れていくのね、自分でも分かる……」
口々に上る絶賛の声にセラムが赤くなって縮こまる。あまり褒められ慣れていないのだ。
一対一ならお世辞として聞き流すくらいはできるのだが、多人数に褒めちぎられると恥ずかしさが勝ってしまう。
「で、ではこの残り汁に米を入れて雑炊にしましゅ、しますね。あ、米はゼイウン公国から取り寄せました。この国ではあまり作られてないでひゅかりゃね。いってきましゅ!」
セラムは逃げるように土鍋を抱えて出て行った。




