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少女と戦争  作者: 長月あきの
第二部
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第四十七話 ジオーネ領にて

 ジオーネ領の館の一室にカツカツとチョークを黒板に打ち付ける音が響く。

 石膏を焼き砕いて水で固めただけの粗悪な物なので、重く折れやすい。黒板もまた板に石粉と煤を漆で練って塗り、砥石で粗く整えた面に蜜蝋を上塗りした物で、ツルツルしていて色が乗りにくい。

 といっても書いたものを消せる、こんな便利な物は今まで無かった。

 これらの発案はセラムだが、実現できたのはお抱えの錬金術師と大工の技術の成果である。勿論、材料のアドバイス程度はセラムも口を出したが。


「で、決算時には資産と負債は必ず同額になります。注意すべき点は借金も資産ということです。これは勘違いしやすいので気を付けて下さい。躓く人は必ずここが理解できていません」


 セラムが教鞭をとっているのは複式簿記だ。講義を受けているのは館の会計係、城に勤めている会計係長、そしてヴィレムである。


「はいセラムさん、何故借金が資産になるのですか?」


「今は先生と呼びなさい、ですが良い質問です。解っている人も復習と思って聞いて下さい。ここ、重要ですからね」


 セラムがチョークを滑らせる。


「借金と聞くと負債に入れたくなりますが、これは借り入れたお金、つまり事実上手元にあるお金が増えることになります」


「ふむ、では借金の利子はどうなりますか?」


 今度は城の会計係長が質問する。


「借入金の利子は支払利息という勘定科目で資産に入ります」


「利子はこちらのお金が増えていないのにですか?」


「そうですね。便宜上、架空のお金が増えるから資産です。単純に借金の一部だからと考えたほうが解りやすいかもしれません。実際に全額返す時は元金と利息を一緒に返すので負債側の現金、つまり失ったお金と同額になるのです。逆に貸し付けている場合はその逆側に書くわけですね」


「成る程、つまり資産とは現在手元にある物とそれに付随する物の全てを指すわけですな」


 流石というべきか、未知の学問を受講しようという人は頭が良い。学生時代にセラムが必死で勉強したものを凄い速度で吸収してゆく。


「ちなみに我が家の資産は膨大な額になります。何せ借金が多いですからね」


 教室に笑いが起こる。「借金の天才」と言われていることを承知の自虐ネタである。


「ヴィレムさんは解ったような解らないようなっていう顔をしてますね。まあ貴方は見学者ですから、もし勉強したいと思ったらいつでもここにおいでなさい。普段は僕の弟子が講義をしていますから」


 講義を終えてから移動途中にヴィレムがセラムに聞いてくる。


「簿記というものが会計処理をより細緻さいちにするものだということは分かりました。ですが、それによってどれほどの効果があるものなんですか? 今までより随分複雑かつ高度になり、その勉強にもかなりの時間と費用が必要に感じました」


 セラムが得意気に声を弾ませる。人に何かを教える時のセラムはとても楽しそうなのだ。


「まずその費用がどれだけ必要なのかが明確に分かります。そして精緻せいちな会計書類は何がどれだけ無駄なのか、くっきりと浮かび上がらせます。逆に何がどこにどれだけ必要なのかも気付くことができます。我が領地では実際この方式で会計するようになってから領民の税が公平になり不平不満が減りました。同時に税収も上がりましたよ」


「ふふ、セラムさんは根っからの学者肌なのですね」


 立て板に水といった様子で人差し指を立てて解説するセラムを微笑ましく見守るような表情のヴィレム。

 それに気付いたセラムが顔を赤らめる。

 それからも続けるヴィレムの質問に答えるうちに、セラムの機嫌も良くなってゆく。

 馬車に乗り込む頃にはすっかり上機嫌になったセラムが、鼻歌交じりに席に座った。


「随分明るい曲ですね。聞いたこともない旋律だ。この国の楽曲なのですか?」


 ヴィレムの質問は大した意味はなかったろう。セラムがあまりに楽しそうに口ずさんでいるから、聴いたことのないその音楽が気になっただけだ。

 だがセラムはハッとした。その曲は元の世界での音楽だったからだ。

 聴いたことがなくて当然、この世界の誰も知らない曲だろう。

 セラムは苦し紛れに嘘をつくしかなかった。


「僕が作ったんですよ」


「それは凄い! もっと聴かせて下さい、最初から」


 ヴィレムの食い付きに押され仕方なしに歌いだす。

 それは昔好きでよく聴き、歌っていた曲だった。軽やかなメロディーに乗せて届く歌詞が心を躍らせる。歌っているセラムも懐かしさが胸にこみ上げ、その歌を聴いていた時の楽しい想いが次々と心中に去来する。

 聴き終わったヴィレムが感嘆の声をあげる。


「こんな楽しげな歌は聴いたことがありません。どんな宮廷音楽や宗教音楽とも、民謡とも違う。貴女の歌には皆を幸せにする力があります。こんな歌まで作るなんて、なんて才知に溢れた人なんだ!」


 歌い終わったセラムは涙目であった。それは褒められたことが面映いわけでも、自分で作ったという嘘が恥ずかしいわけでもなく、楽しく、そして切ない想い出が眼の奥で炸裂したのであった。

 楽しかった想い出には総てに沙耶が隣に居り、その当たり前の光景が二度と戻らないことを再確認してしまったのだ。


「ど、どうしたんですか? 何か僕が気に障ることを言ってしまいましたか?」


「いえ、何でもありません。それより楽しい気持ちになりましたか?」


「え、ええ、それはもう。是非この歌を広めるべきですよ」


「そうですか。ふふ、僕も少し考えが浮かびました」


 皆を幸せにする、その言葉を実現出来るかもしれない。

 セラムは涙を拭いながら笑った。


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