第四十三話 病院視察4
三階に上がり院長室のプレートが掛かった扉の前で待つ。
その間に他を見て回ろうかとも考えたが、今のセラムは正式に少尉として査察している身だ。権限を逸脱しすぎて強制退去させられるのはうまくない。
やがて案内人が扉を開け、入室を促す。明らかに意気消沈しているのはさぞかし院長に怒られたのだろう。
「失礼します。テレンツィオ軍医少佐殿」
「君がセリン情報少尉とやらか。どうやらこちらの注意を聞かず好き勝手に動こうとしているそうだな」
病院長という軍医少佐は面倒くさげな態度を隠そうともせず威圧してくる。どうやら権力を笠に着るタイプらしい。
確かに軍隊は究極の縦社会だ。少佐に言われれば少尉などは例え黒であっても白と言わねばならない。だが医官と情報士官では部署が違う。畑違いな人間が如何に威張り散らそうが元の命令を果たす事に何の矛盾も生じないのである。
「はい、少々誤解があります、少佐殿。私は命を全うすべく必要な措置を講じているだけです」
「ならば私は君の命を守るために必要な措置を講じなければならない。解るな? 君は彼の制止を振りきって重病患者の病室に入っていったそうだが、それは君に病気が感染するだけでなく、君が歩くこの院内、そして君が今後行く所全てに病気を振りまく行為だ。我々はそのような事態を防ぐため活動している。私の言っていることを理解してもらえるかね?」
確かに院長が言っていることも解らないでもない。あの病室の患者の中には、現代医学ならば集中治療室に入るような患者もいよう。本来ならば消毒をし、衣服を着替え、マスクをして入らなければならないところだ。
だが現実は病気の種類どころか、重病人も重傷人も一緒くたになっていて、最悪糞便が壁に染み込んでいる衛生状態の場所だ。患者を守るという観点から言えば最早入室自体は影響は無いだろう。
問題はあの短時間で空気感染するような病原体なのかということだが、これは恐らく問題ない。もしそれ程の感染力ならばとっくにこの病院内に無事な者はいないだろう。何せ看護人はあの部屋で働いているのだ。
勿論強い感染力を持つウイルスの危険性は疑ってしかるべきだが、こうまで悪化した原因は衛生状態にあると言わざるを得ない。
「少佐殿、私は命を懸けこの命を全うする所存です」
「その生命を顧みない馬鹿げた命令を出したのはヴィルフレド大佐か?」
大佐であろうと蔑ろにせんばかりの態度。どうやら医の専門家である自負と、経験の浅い若造を認めないプライドがそうさせているようだ。
ヴィルフレドの命令では効き目がない、とセラムは諦めとともに少々の覚悟を決めた。
「私はセラム・ジオーネ少将のご意思で動いています」
嘘ではない。何せ本人なのだから。
セラムは単純に大佐より更に上の人間が関与していることで少佐を黙らせるつもりだった。何しろセラムの立場は実質上から二番目、会社で言うと課長の仕事を副社長が確認するようなものである。
院長が初めて動揺を見せた。
実はセラムは与り知らぬことだが、医の分野、特に軍医の間ではちょっとした有名人だった。少将としてではなく、セラム個人としてである。
この世界に来たばかりの、あのアドルフォを看病した時以来、噂は医療の現場に尾ひれ付きで広まっていったのである。
曰くまったく新しい画期的な術後療法を編み出した、彼女に看病された兵は皆従来の半分以下の期間で退院した、彼女の部隊は怪我人が異様に少なかった、等々。
セラムが売り込む医療器具や薬品も今は消毒薬と松葉杖だけではない。清潔なガーゼや止血薬、化膿止め、車椅子など多岐にわたる。呪いや民間療法レベルの明らかに間違った治療法をセラムが正していった結果、王都周辺の医学会でセラムの名はかなりの影響力を持っているのである。
医の天使、と言えばセラムのことを指すほどに。これもセラムの与り知らぬことであるが。
ちなみに、「彼女は女神だ」「いや、女神というほどに凹凸はない。天使というのが相応しいだろう」というのが直にセラムの看護を受けた兵士A、兵士Bの談である。
そんなセラムの名が出たものだから、院長は目の前の少女を無下にはできない。そんなことをすれば少将であるセラム本人からどんな沙汰があるか、そして医学会でどんな扱いを受けるか、想像するだに恐ろしい。
「わかった。好きに見るがいい。だが彼を同行させ、危険だと判断すればそこは諦めてもらう」
院長は内心苦々しく思いながらもそう言う他なかった。




