第三十六話 魔物討伐3
冷たい朝の空気を肺に思いっきり入れ眠気を覚ます。ヴィグエントの馬出、門前に土塁で作った広場で兵の集結を待つ。セラムはかつてのアドルフォがそうであったように集合時間より早く来て準備を整えていた。
「こうしていると思い出すな」
これから戦場へ向かう緊張感、不安と高揚が綯い交ぜになった焦燥感を冷えた空気が身体の内に押し込める。
セラムが備品のチェックをしているとそれに気づいたカルロが申し訳無さそうに声をかける。
「少将殿、そのような雑事は部下に任せてください。少将自らやられては彼らも落ち度があるかと萎縮してしまうでしょう。こういう時はどっしりと構えているものですよ」
そういうものかとセラムは指揮官椅子に戻る。とはいえアドルフォはあの時積極的に準備を行っていた。寧ろ現場指揮に慣れたアドルフォだからこその指揮官像というものかもしれない。
だからといって偉そうに座っているのがセラムという少女少将に似合っているとも思えない。落ち着かない気持ちでどうしたものかと周りを見渡す。
すると同じように落ち着かない挙動で立ったり座ったり、装備のチェックをしたりとせわしない兵を見つけた。
(訓練も兼ねて予備兵に新兵を混ぜたとカルロが言っていたな)
彼がその一人なのだろう。明らかにどうすればいいかわからないといった感じだ。横を見れば俯いている者、祈りを捧げている者、絶えずキョロキョロと周りを見ている者、彼らは皆一様に不安が強く出ていた。
彼らはあの時の僕だ。セラムは遠くヴィグエントの駐屯軍兵舎にいるであろうヴィルフレドを思った。あの時は彼がいたから前を向けた。思えばあれ以来誰かに助けられてばかりだ。たまには誰かを助ける側になるのも良いだろう。
セラムは新兵と思われる男に近づく。セラムに気づいた兵が慌てて直立敬礼をする。遅れてそれに倣おうとした兵達を片手を上げて抑え話しかける。
「君達は新兵かい?」
「はい! 今日が初出動であります!」
「楽にしていい。それと座りたまえ。僕は背が小さいから君を見上げるのは首が疲れる」
ジェスチャー付きで冗談めかす。新兵達は一瞬どうしようかと目配せしたが、この場の最上級の上官命令だ。すぐに座って楽な姿勢になる。こういう素直さは若さゆえだろう。言葉の裏を読めないと時には無礼になるのが社会というものだが、今はそんな意地悪試験じみた裏を忍ばせてはいないのでその初々しさが微笑ましくあるくらいだ。
「怖いかね」
「……正直言うと、その通りです」
セラムはにんまりと笑って言い放った。
「僕もだよ」
「……!」
新兵達に動揺が走る。
「僕も魔物と戦うのは初めてだからね。だがまあ安心していい。我が隊には魔物討伐の専門家がいる。それに僕も初陣というわけではないからね。恐怖を呑み戦意に変える術くらいは心得ている」
これは少し言い過ぎ、というか新兵を安心させるために少し吹いた部分がある。正直魔物の前に立った時に恐怖に呑まれることがないかというと、あまり自信がない。
「あの、少将殿。その術とはどのようなものでしょうか?」
「ふむ、僕が初陣の時はここの司令官のヴィルフレド大佐に助けてもらった。ヴィルは馬が好きでね、当時馬に乗れなかった僕を自分の馬に乗せて前を見ろと言ったんだ。あの景色は素晴らしかったな、今から戦場に行くというのにまるで行楽に行くような錯覚を覚えた」
セラムは今でもあの時の感動を思い出せる。突飛な事が起こりすぎてまるで暗闇の中崖を歩くような心地だった当時、馬上の景色にどれだけ救われたことか。
「不安や恐怖や焦りが鍋の中でごった煮にされたような状態だったんだよ。それが馬の上に乗ってそこからの世界を見た途端地に足がついた感じがした。身長に合ってない馬だったから実際の足はぷらんぷらんだったんだけどね」
新兵達に少し笑みがこぼれる。
「君たちも前を見なさい、頼れる先輩達がいる。横を見なさい、共に戦う仲間がいる。後ろを見なさい、僕がいる」
新兵達がお互いを見あう。
「とにかく思いを口に出すといい。それだけで随分違う。戦闘行動中の私語は罰しているが行軍中に少々なら構わんよ。上官に怒られん程度にな」
新兵達から不安の色が抜けた。やるべきことが定まれば他の事など瑣末だと思えるようになる。彼らはもう大丈夫だろう。後は命令を出す上官の仕事だ。
(問題は僕、か)
未だに魔物というもの達とどう相対すべきか定まらない。見たこともないものと戦うというのだから当然といえば当然なのだが、指揮官というものは材料がない状態でも判断して命令を下さなければならない。これで指揮官が務まるのか、というのが正直な思いだ。
安心させてくれる上司はセラムにはいない。




