六
連続投稿です。
「フィンと言いますです! レベル十の新人で、〈森呪遣い〉です。リアルでは中学生でしたっ。えと……ギルドには所属してません。よろしくです!」
少女〈森呪遣い〉――は、初々しい挨拶をした後、頭を下げる。緊張しているのか、はたまた先ほどの恐怖が抜けきっていないのか、微かに震えているものの、はきはきとした口調は非常に好ましかった。
「ああ、よろしく。俺は蒼月。このパーティーの、一応リーダーをつとめている。それで、えっと……」
蒼月はフィンに笑みを向けた後、戸惑ったような視線を、木の陰に隠れる少年に向けた。
「君は、誰だ?」
場所は変わらず野外フィールド。五人は、助けたふたりから話を聞いていた。
フィンは今回の事件に巻き込まれる直前に〈エルダー・テイル〉を始めた、文字通りの初心者である。少年が逃げるような体で街の外へ走って行くのを見て、気になって追いかけたのだという。
そして、肝心の少年。
蒼月達を怯えた目で睨み付ける彼は、〈大地人〉だった。
〈大地人〉とは、〈エルダー・テイル〉におけるNPCのことである。〈エルダー・テイル〉の主人公がプレイヤーである〈冒険者〉なら、〈大地人〉は〈冒険者〉を引き立てる脇役だ。しかし、全てのゲームのNPCがそうであるように、〈大地人〉は決められた枠内でしか動けないキャラクターだった。
それが、今目の前にいる。〈冒険者〉と変わらない姿と行動を持って。
少年――ザジは、一定の距離を保ったまま動こうとはしない。先ほどの行為がよほど恐ろしかったのか、特に蒼月と月華を警戒しているようだった。
しばらく考えた後、蒼月は腰から刀を鞘ごと外し、地面に置く。そしてゆったりとした足取りでザジに近付いた。
ひくり、と、ザジの身体が震える。それをあえて無視し、彼の傍まで歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがみ込む。この間、ザジは身体を震わす以外に動くことは無かった。
蒼月はザジに微笑を見せると、外套の裾を持ち上げる。いぶかしげなザジの顔を、蒼月は優しく拭った。
「何があったのかは訊かないが、とりあえず顔はふいとこうか。泥だらけだぜ?」
とたん、ザジの顔が真っ赤に染まった。蒼月から距離を取り、自分の服の袖で乱暴にこする。鼻の頭が別の意味で赤くなったのを見て、蒼月は吹き出した。
「おいおい、そんなにしたら顔の皮が剥けるって」
「っ……」
籠手をはめた手で頭をゆるりと撫でると、ザジはなぜか泣きそうな顔になった。少年特有の大きな瞳に涙をため、しまいには本当に泣き出してしまう。目を丸くする蒼月に、ザジは体当たりするような勢いで抱き付いた。
「ザジ?」
蒼月が戸惑いの声を上げても、ザジはしがみついたまま、声も無く泣いていた。
―――
しばらくして落ち着いたらしいザジは、先ほどのフィン同様頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう……僕、ザジって言います」
「どういたしまして。それで、ザジ、君は何でまたフィールドに?」
危ないだろう? と蒼月が言うと、眉を下げて彼を見上げるザジ。視線が移動して自分に向いたのを受け、月華は笑みを返した。
「大丈夫。別に私達は君を責めたりしないし、傷付けたりもしない。兄さんも言ったが、言いたくなければ言わなくてもいいんだ」
「…………」
ザジは月華を見つめ、長いこと口を閉ざしていたが、やがて語り出した。
「僕、もともとミナミの人間じゃないんです。名も無い村の生まれで……でも、その村が、モンスターに襲われて、全滅して……僕、逃げてきたんです。その途中で商人に拾われて、こき使われて……〈冒険者〉の喧嘩に巻き込まれたんです。商人は怪我をして、〈冒険者〉は衛兵に粛然されて……怖くて、逃げてきたんです」
「衛兵に?」
月華は兄と顔を見合わせた。
それはつまり、衛兵システムは生きているということだろうか。では、死からの復活は?
「ちょっと待って。今確認する」
月華は念話メニューを開いてレッドの名前にカーソルを合わせた。
鈴の鳴るような音がしばらく流れるが、それはほんの僅かな間だった。すぐに、レッドの声に取って代わる。
『やーあ、月華ちゃん! 何か用かな? 俺の力が必要になったのかなっ?』
「うわっ、レッドさん、ちょっと声量下げてっ」
しまったレモンさんにすればよかった、と少し後悔しつつ、月華は尋ねた。
「ミナミの喧嘩で衛兵にプレイヤーが死亡させられたって聞いたんですけど、本当ですか?」
『……うん?』
念話の向こうで、レッドは首を傾げたようだった。
『本当だけど……どうしてそれを?』
「今度お会いした時に話します。それより、そのプレイヤーはどうなりました?」
『……ゲームと同じさ。大神殿で生き返った。つまり、死からの復活は、ある』
「そう、ですか……」
死からの復活はある。それは朗報であると同時に、絶望的な知らせでもあった。死は終わりではないが、それはつまり、死ぬことで現実に戻ることもないということである。落胆は大きかった。
レッドに礼を言い、念話を切った月華は、仲間を振り返った。
「その子の言うことは本当。プレイヤーも、大神殿で生き返ったって」
「ってことは、死んだら元に戻れるってのは無しか」
ホムラは嫌そうな顔をした。
「んじゃ、俺らはまんまゾンビってわけだ」
「否定はしないが……それよりこの子達だよ。どうする? ザジ君はミナミにひとりで戻すには危険だし……何よりその商人のところに戻すのもどうかと思う」
「そうだな……まあそれは本人の意思に任せるとして。……フィンちゃん」
「はいです!」
しゅぱっ、と片手を上げるフィン。どうも見た目や年齢の割に幼いような気がしてならない。
「君はどうする? ミナミに知り合いはいるの?」
「いませんよぅ。フィン、本当にさっきゲーム始めたようなもので。レベルだって、ポーション使って上げたようなもんです、はい」
フィンは困ったような顔をした。
「だから、おにーさん達のパーティーに入れてもらえたらなあ、と……図々しく思っておりますです」
「そっか。じゃあよろしくな」
「ぅえ!?」
あっさり承諾した蒼月に、フィンは驚愕の声を上げた。
「あの、あの、いいんですか!?」
「ああ。別に構わない。ただ、レベルバランスが偏り過ぎだから、レベルが上がるまでは後衛で待機してもらうけど、いいな?」
「勿論です! かまわないです! やったあっ」
ぴょんぴょん跳ねて喜びを表現するフィンは、実に微笑ましい。頬を緩める月華の耳に、ザジの強張った声が入ってきた。
「あ、のっ。ぼ、僕も連れてってください!」
全員が、フィンでさえぴたりと硬直した。見開いた目を向けられる中、ザジは歪めた顔を蒼月に向けた。
「僕、強くなりたいんですっ。〈冒険者〉みたいは無理でも、自分の身を守れるぐらいには……だ、だから僕を、弟子にしてくださいっ、蒼月さん!」
「え……」
蒼月はぽかんと口を開けてザジを見下ろした。兄らしからぬ間抜けな表情を目の端にとらえながらも、月華もまた、似たような顔をしていた。
連れて行ってほしいという願いは確かに意外だったが、その後の言葉はもっと意外だった。〈大地人〉は――NPCは、〈冒険者〉に弟子入りなどしなかった。しなかった、はずだ。その常識が、溶けた雪のように消えていく。
いや、そもそも目の前の少年は、本当にNPCなのだろうか。
皆が黙り込む中、蒼月の返答は。
「……みんな、ここでザジと一緒に待っててくれ。彼用の武器と、新しい服を勝ってくる」
――是、だった。
「兄さん」
「俺の悪い癖だな。ほっとけないんだ、こういう奴。それに、見込みが無いわけじゃ無さそうだし」
兄を呼ぶ月華の声に、蒼月は苦笑で返した。
別に月華は、兄を咎めるつもりはない。ただ、あきれただけだ。蒼月のお人よしは今に始まったことではないが、まさか今回のような事態にも適用されるとは、月華も意外だったのである。
蒼月は魔法の鞄から取り出した笛を吹いた。呼応して木々の間から現れたのは、立派な体格を持った黒い軍馬である。
「おぉ、現実で見ると迫力あるなあ」
のんきな感想をもらしつつ、蒼月は軍馬の背に乗った。じゃ、と軽く手を上げ、馬と共に去っていく兄に、月華はため息をつくしかない。
「言い出したら聞かないんだよなあ、兄さんは。空路どうするつもりだよ」
「蒼月さんのことだし、何か考えてるんじゃないかな……?」
答えたのは、こてんと首を傾げたリリアだ。彼女は無条件で蒼月のやることを受け入れているふしがあった。
「……まあいいや。私は隊長に念話で話すから、みんなは休んでていいよ」
「隊長とはどなたですか?」
「うちのギルマス」
目をしばたかせるフィンにそう答え、月華はフレンドリストを開いた。ギルドマスター――クラスティの名前を選択し、しばらく鈴の鳴るような音を聞いていたが、唐突にそれが途絶える。
クラスティが念話に出たのだ。
『やあ、月華君。どうしたんだい? 定時連絡にはまだ早いようだが……』
落ち着いたテノールの声、クラスティだ。
「はい。実は、また仲間が増えまして。ふたりです」
月華はフィールドでのできごとを全て話した。フィンのことは勿論、〈大地人〉であるザジのこともだ。
話し終えると、クラスティは押し黙った。何かを考えているのだろうか。
「隊長?」
『……そのザジって子は、確かに〈大地人〉、つまり、NPCなんだね』
「……はい。それは間違いありません。本人もそう言ってます」
月華は無意識の内にザジを見下ろした。ザジは不思議そうな顔で見返す。それに誤魔化すように笑みを見せた後、月華は話を進めた。
「それから、ミナミで起こった喧嘩により、〈冒険者〉が衛兵に死亡させられたようです。その後、〈冒険者〉は大神殿で蘇ったとのこと」
『なら、死からの復活は、今も有効なのか』
「の、ようですね」
『ふむ……』
クラスティは一つ唸った後、思考を一つまとめたようだった。
『それが解っただけでもかなりの収穫だ。これで安心して……とまではいかないが、少なくとも命を気にせず高レベルフィールドに打って出れる。〈ノウアスフィアの開墾〉のことも、何かしら調べられるかもしれない』
「そうですね。こちらも色々調べてみます。……が、いかんせん低レベルプレイヤーもいますし、私達自身、戦闘重視でいきたいんで、そんなにかけられませんが……」
『かまわないさ。もとより情報収集の班は別にいるのだから。その辺りはユミカ達に任せればいい』
「了解です。とりあえず、方針は変わらず戦闘訓練重視でいかせてもらいます。ついでに、ミナミ周辺の調査も」
『ああ。頼んだよ』
「はい。……あの、ところで」
ついでとばかりに、月華は気になっていたことを口にした。
「クシ先輩の空き席、というか、三羽烏の一角、どう埋めましょう? この状況で三羽烏が一羽欠けているのは、あまりよくないと思うのですけど」
『君がやればいいじゃないか。もとよりクシ君の副官のようなポジションだったんだから』
「は……いや、柄じゃないですって。それに現実問題こっちにいちゃ埋められないですし、第一周りが納得しないでしょう。主に三佐さんとか三佐さんとか三佐さんとか」
『一択なのかい、とツッコみたいが、否定できないのも事実だね』
月華とクラスティの脳裏に、同時に特定の人物が浮かび上がった。〈D.D.D〉を語る上で欠かせない三羽烏の一角であり、戦域哨戒のスペシャリスト、高山三佐である。
普段、軍人のごとく冷静沈着な彼女だが、特定のことになるとその鉄仮面が外れる。その特定のこととは、先ほどから話題に上がっている元三羽烏がひとり、櫛八玉のことだ。それを知るふたりにとって、その剥がれようはもはやキャラ崩壊と言っていい。へたをすれば、クラスティですら脅してでも連れ戻す策を練るだろう。
「というわけで、三佐さんが諦めるまでは三羽烏にはなろうにもなれませんよ。クシ先輩が戻るところ埋めたりなんかしたら、私、三佐さんに取り殺されそうです」
月華としては、尊敬する櫛八玉にギルドに戻ってきてほしい気持ちは勿論ある。しかし、櫛八玉の気持ちも尊重したいのだ。例え、ギルドを抜け、引退まで考える理由が、年齢と恋人のいないことに対する焦りだとしても。
「とりあえず、今は戻ることだけに集中させてください。まだ二日目ですよ? 整理しきれないところも、結構あるんです」
『……それもそうだね。それじゃあ、頑張れ。蒼月君にも言ったが、こちらは一切援軍を出さない』
「心得てますよ。では」
念話を切った後、月華は頭をかきむしりたい衝動にかられた。
問題はまだまだ山積みだ。にも関わらず、頭の痛い話も出てきた。昨日今日と、随分と濃い二日を過ごしている気がする。
「……冗談じゃない……」
初めてこの世界で目覚めた時に口にした言葉を、月華は無意識に呟いていた。