四
ミナミの大手戦闘系ギルド〈キングダム〉。そのメンバーは、皆廃人クラスのプレイヤーである。
アキバの大手ギルドの一つ、〈黒剣騎士団〉を超える高いエリート意識の持つギルドで、レベルは上限が当たり前、レアなアイテムやレシピを充分に持っており、なおかつ主要特技は必ず奥伝以上。一般的な中堅プレイヤーなど門前払いどころか歯牙にもかけられない、日本サーバーでも過ぎるほどの実力者集団である。
ゲーム時代でも他者を見下した方針を取っていた〈キングダム〉だが、現実化した〈エルダーテイル〉では、それは顕著になったようだ。そう、蒼月は思う。
特にギルドマスター、″深緑の戦闘職人″のドメルは、その顔に嫌というほど自信で満たしていた。
唐突に現れた彼の要件は、蒼月と月華の名を挙げた時点で大体予想がついた。その答えは、すでに定まっている。問題は、どうやって平和的に収めるかである。なにせこちらには、彼らの言う『弱者』がいるのだ。
「何の用ですか、ドメルさん。俺達、これから情報収集に行かなきゃいけないんですけど」
「いや、時間は取らせないよ。むしろ、君達ふたりにはいい話だと、僕は思うね」
ドメルはにっこり笑った。〈エルダーテイル〉のキャラメイクの関係上、この男も美形であるはずだ。しかし彼の容貌より、わざとらしい笑みの方が蒼月の瞳を引いた。
「ところで……君達は、この状況をどう思う?」
「どう、ですか? ……えっと、ゲームのキャラとして異世界に来たことのことですか?」
「異世界? 何言っているんだい、この世界はあくまで〈エルダーテイル〉だろう」
ドメルは少しだけ首を傾げ、肩をすくめた。
ドメルの認識では、プレイヤー達は異世界に飛ばされたのではなく、ゲーム〈エルダーテイル〉の中に来た、というものらしい。そう考えるのも当たり前と言えば当たり前だが、蒼月にしてみればいささかのずれを感じた。
先ほどの戦闘において蒼月が感じたことだが、この世界は一概にゲームが現実化したとは言いがたい。その一言で済ませてしまうには、あまりにもリアル過ぎる。
今この状況。自らの足でミナミの街に立っていること自体、異常なのだ。技術が発達すれば、ゲームの中にいるかのようなプレイができるようになるかもしれないが、しかし、それとてまだまだ先のことだろう。第一、それでも本当に肉体がゲームの中にいるなどという時代は、絶対来ないはずだ。
絶対にありえない状況。
それはつまり、何が起こるか解らない状況ということではないか。
蒼月が黙り込んだのをどう受け取ったか、ドメルは言葉を続ける。
「凄いよね、これ。技術進歩の結果かな。……まあ、そんなわけないだろうけど。勿論冗談だよ。そう簡単な事態じゃないことぐらい、誰だって解ることだろう。だから当然、僕だって解っている」
「はあ……」
「しかしだ。そう絶望的な状況でもないんだよ。むしろ歓迎すべきだ。僕達強者にとって、自分の力を充分に生かせるチャンスなんだから」
「……」
蒼月は何も言わなかった。歪みそうになる顔を、嘲笑を浮かべそうになる口元を抑えるのに、全神経を使っていたからだ。
それってつまりゲーム以外では非力って言ってるも同然じゃねぇかと、嘲笑ってやりたい。蒼月はゲームで横柄に、傲慢に振る舞っている人間が、何より嫌いだった。
例えば、同じ廃人ゲーマーでも〈黒剣騎士団〉の面々に、蒼月はそれほど悪印象を持っていない。彼らはその柄の悪さから誤解を受けやすいが、気持ちのいい連中であると蒼月は思っている。低レベルプレイヤーや中堅プレイヤーを見下したりしないし、話していても嫌な気分にはならない。
対してドメルは、ゲームができることが他の何よりも、他の誰よりも凄いと言いたげな、それどころかその価値観を他人に押し付けるような人間だった。
しかし、今はそんな人間がおそらく台頭し始めるはずだ。形はどうあれ、現状を受け入れられる人間が。
嫌な未来予想図を描き上げてしまい、蒼月の胸に苦いものが広がる。それを無理矢理腹の底まで重りを付けて沈め、口を開いた。
「つまりこう言いたいわけですか? これはゲームの延長戦でしかないと」
「そう。勿論簡単にはいかないのも事実だ。ハーフガイアプロジェクトが適用されているから、ミナミとアキバとの距離はかなりのものだし、時間の流れも、おそらく現実のそれと同じだろう。戦闘面では、君の感想はどうだい?」
タイミングのよさで予想はしていたが、やはり蒼月達がフィールドに出たことを知っているらしい。蒼月は少し下を向き、考えた。
「……難しいですね。剣道経験者から言わせてもらえば、人間って武器が無い方が、実は強いんですよ。ナイフや棍棒は別として、刀剣や槍も、技術が無ければ使うんじゃなくて使われてしまう。飛び道具は、それが顕著だと思います。この身体の能力のおかげである程度は戦えるけれど、高レベル相手だと自滅する可能性の方が高いでしょう」
「……ふぅん」
自身が弓使いであるからか、思うところがあったらしい。ドメルは己が手にした弓を軽く振った。しかし、すぐに蒼月に目線を戻す。
「だったら、君達のギルドがあるアキバに行くのは、相当難しいんじゃないのかい? これを機に、ミナミに腰を据えるのも悪くないと思うけれど」
「……どういう意味ですか?」
蒼月は少しだけ首を傾げた。
ドメルの狙いは明らかだ。明らかだからこそ、こちらからそれを言ってはいけないと蒼月は思っている。
交渉ごとにおいて、受け身から動くことは下策だ。交渉というのは提案する側がどうしても下手になるものだし、是か否かは受け身次第だ。こちらから口にすれば、そんな有利な立ち位置を自分から捨てにいくものである。
話を早々に切り上げてもかまわないが、相手が〈キングダム〉である上に、ホムラやリリア、リュートがいる以上、無理に話を中断するのは今後何かしらの障害になると蒼月は考えていた。
蒼月から話を進める気が無いことを悟ったのか、ドメルは遠回しな言い方を止めたようだった。
「だから、うちに来ない? 君達ふたりぐらいの実力者だったら、僕達は歓迎するよ」
「……俺達は、フリーのプレイヤーじゃありませんよ。〈D.D.D〉の、れっきとしたメンバーです」
「だが、ミナミには〈D.D.D〉の拠点は無い」
きっぱりと言い放っても、ドメルには何の痛痒も与えられなかったようだった。彼はにっこりと、絵に描いたような笑みを浮かべる。
「ミナミからアキバに行くにもかなり時間がかかるし、旅に危険は付き物だろう。何しろ、お荷物もいることだしねぇ」
くすくす、と笑う声が聞こえた。ドメルの後ろにひかえた、〈キングダム〉の面々である。それとほぼ同時に、後ろから背筋を刺すような気配を感じた。
月華である。
「月華」
「……」
蒼月が視線だけを送ると、月華は表情の無い顔をしていた。ただ目だけは、鋭利な刃物のごとく輝いている。酷く目を惹く、ほの暗い光だ。
しかし、蒼月と目が合ったとたん、その光は消えた。というのも、彼女はまぶたを下ろしてしまったのである。表情は依然無いままだったが、背中を圧迫する気配は消えた。
蒼月はそっと息を吐いた後、ドメルと向き直った。
「確かに、ミナミを活動拠点にするのも悪くは無いとは思います。アキバは遠いし、危険も多い。仲間全員でとなると、労力もかなりのものでしょう。その際ギルドに入るのは、かなりいいとは思います」
「なら」
「ただし」
ドメルの声を遮り、蒼月は唇の両端を持ち上げた。
「五人全員を受け入れられるギルドという条件付きです」
「……なっ」
初めて、ドメルの表情が崩れた。信じられないものを見るかのような顔に、蒼月の笑みは深まる。
「大規模戦闘たった数回経験のホムラ、皆無のリュートさん、レベル上限者じゃないリリアも受け入れてくれるなら、〈キングダム〉に入ってもかまいませんよ」
―――
「むかつくむかつくっ、あいつむかつく!」
ミナミの宿屋で借りることができるゾーンの一室。そこに備え付けられたベッドの枕をぼふぼふ叩きながら、月華は怒りを表した。
あの後、ドメルはしばらく粘りを見せたものの、結局諦めた。どれだけ好待遇を提示しても、蒼月が五人全員で、という条件を取り下げなかったためである。
ずっと見せていた微笑の効果も、少なからずあったのだろう。笑顔を浮かべて全てを切り捨てる蒼月は、ドメルほか〈キングダム〉のメンバーになかなかのダメージを与えたに違いない。やや青ざめる彼らを見ていると、爽快な気分になるぐらいだった。
それでも、月華の溜飲は下がらなかったが。
「負け犬の遠吠えすらむかつく……! 何が『君達がそんなプレイヤーだとは思わなかった』だっ。勝手に人の人格決めつけないでもらいたいものだ!」
「落ち着け。こういうのは感情を動かした者の負けだ」
ベッドに腰かけ、腕と脚を組んだ蒼月は、苦笑を浮かべた。その後、リュートに頭を下げる。
「すみません、リュートさん。交渉のだしに使ってしまって」
「や、構わないよ。ああ言わないと引くような連中じゃないのは、解ってたから」
リュートは気にしていない、と言うように片手を振った。
「しかし、それにしても蒼月君と月華ちゃんって凄いんだね。まさか二つ名持ちとは。しかも何だか強そうじゃないか」
リュートがそう言ったとたん、月華の動きが止まった。氷付けにされたのではないかというような固まり方に、リュートが目を丸くする。
蒼月やホムラはため息をつき、リリアですら困ったような顔をする。視線が集まる中、月華は背骨が無くなったようにふにゃふにゃとベッドに沈み込んだ。
「月華ちゃん……?」
「触れないで……お願いだから二つ名のことは触れないで……」
ぐじゅぐじゅになっている月華に、リュートはあ然とした。そんな彼に、ホムラは耳打ちする。
「月華、あんま二つ名で呼ばれるの好きじゃないんだ」
「え、どうして?」
「今回の事件? 災害? まあともかくちょっと前に、ギルドを抜けた古参のメンバーがいるんだ。櫛八玉って人なんだけど、その人の二つ名の一つに、〈レイドランクの黒姫〉ってのがあって。その先輩を尊敬している月華としちゃ、それと重なるのは嬉しいやら恐れ多いやらでごちゃごちゃになるみたいなんだよな」
「あー……」
「クシさんの二つ名って、〈突貫黒巫女〉の方が有名みたい、だし……月華の〈黒姫〉は、月華の装備が理由だから、気にすることないと、私は、思う……けど」
リリアは頬に手を当ててため息をつく。ゲーム内での月華との付き合いは一番短いリリアだが、月華の反応にはすでにあきれ気味だ。
何を言われているのか理解しているのか否か、月華は完全にベッドに身体を沈めてしまっている。そんな妹の頭を、蒼月が小突いた。
「ほら、起きろ。これからやらなきゃいけないことがあるんだぞ」
「やらなきゃいけないこと?」
蒼月の言葉に反応したのは、月華ではなくホムラだった。月華は声を上げることはなく、しかし、身体はかろうじて起こす。
「ああ。まずもう一度フィールドに出ようと思う。モンスターとは戦わねぇよ。少し確認したいことがあってな。あと、この街にいるはずの、元〈D.D.D〉のメンバーと、情報交換しようと思ってる」
「え……ミナミに、元のギルドメンバーが、いるんですか……?」
リリアが驚いたように目を丸くした。彼女はまだギルドに入ってから日が浅いため、現在のメンバー以外を知らないのである。
「ああ。〈D.D.D〉が巨大化する前のメンバーだ。かなりの実力者だし、ふたり組だからパーティーは組めないが、一緒に来てもらえたら心強い」
「……でもあの人、人格的に大丈夫かな? 私、自分とリリアの身が心配なんだけど」
ようやく復活した月華は眉根を寄せた。
思い出すのは、蒼月の言う人物ふたりである。片方はまともな常識人なのだが、もう片方には人格的――というか、性癖的に問題がある。
――悪い人じゃ、ないんだが……
遠い目をする月華を無視し、蒼月はもう一つ、と口を開いた。
「さっきの戦闘で手に入れたアイテムを売って、それから食料調達。この三つをこなしてくる」
「食料?」
「気付きませんか、リュートさん。この身体、多分空腹を覚えます。現実化している以上、それはまぬがれないと思います。それに、排泄もする可能性がある。もうゲームのキャラじゃありませんからね、この身体は」
蒼月はマジックバックを手に立ち上がった。
「行くのは俺と月華で。さっきの今で、リュートさん達を連れていくのはトラブルの種になりかねません。それから、これからはひとりで行動しないこと。外に出る時は、必ず俺か月華と行動してください。〈キングダム〉が何かしかけてこないとも限りませんからね。街中ですから、攻撃してこないとは思いますが……念のため」
蒼月の懸念はもっともだった。あんな連中が、何もしてこないとは誰も思ってはいない。それを警戒して、宿屋のゾーンを借りているのだから。
「じゃあ、行ってきます。月華、ほら」
「ん……」
月華は身体を伸ばしながら蒼月の傍に立った。
「ホムラ、俺達の装備やメインとサブ職業、戦闘スタイルなんかをリュートさんに大まかに説明しといてくれないか? 詳しいところは戦闘で確認するとして、とりあえず今は大体のところを知っていてもらわないと、あとあとしんどくなるから」
「りょーかいっと」
「リリアは持ってるアイテムの確認をしていてくれ。足りないものや欲しいものがあったら、念話で連絡」
「はい……」
「うし。じゃあ行くか」
「オッケー」
月華は兄の背を追いかけるようにして、部屋を出た。