二
「そういえば、ミナミの戦闘ギルドで大きいのって、どこだっけ?」
街の入口前。フィールドに出る前のアイテム確認をしながら、月華は仲間に訪ねた。
最初に反応したのは、ホムラである。
「急にどうした? まさかギルドを抜けるのか?」
「違う違う。ただ、手を貸してくれないかと思ってね。中小だったらまだしも、大きいところだったらまだ余裕があるかもしれない」
月華がそう言うと、ふぅんとホムラは首を傾げた。その横で、蒼月は顎に手をやる。
「大手は……〈ハーティ・ロード〉、〈甲殻機動隊〉、〈キングダム〉辺りかな。でも、少なくとも少し時間を置かないとなあ」
「みんな、混乱してるから……きっと今はまだ、まともに話もできないかも……」
直前のクエストで新しく手に入れた両手槍、〈戦女の薙刀〉を胸に抱き締め、リリアはうつむいた。
「ごめんなさい……私のせい。私がクエストに誘ったから……」
「リリアのせいじゃない。私達が好きで付き合ったんだ。わざわざ師範システム使ってさ。だから、ちょっと意味合いは違うけど、自業自得だ」
「本来は仏教用語で、自分の行いが自分に返るって意味だから、別に間違ってはいないぞ?」
「……や、兄さん。そういう問題じゃなくて」
とにかく、と、月華は刀の柄頭を撫でた。
「今はそれより、この身体に慣れないと。私と兄さん以外は現実での戦闘経験無いんだし」
より正確に言うと、月華と蒼月は剣道の有段者だった。実家が剣道の道場で、跡取りの蒼月は師範代として過ごしていた。月華自身も、女性や子供に対してなら、ある程度教えたことがある。ふたりにとって、刀は馴染み深いものだった。
剣道にも、二刀流というものがある。使う人間は極々僅かだが、公式ルールにも認可されたスタイルで、その教えもふたり共ある程度は習っている。職業の中で制限無く二刀流が可能な〈武士〉と〈盗剣士〉のふたりだ、扱う分には問題無いだろう。
一方、ホムラとリリアは。
「刀か、刀ね。まー自滅しない程度には頑張るわ」
「……私、薙刀――じゃない、槍なんて使うの初めて……うまく扱えるか不安だし……歌うだけじゃ、駄目?」
「駄目。何のために低レベルフィールドに行くんだ」
「あうぅ……やっぱり」
月華に言い放たれ、リリアはがっくりうなだれた。
「ともあれ……いつまでもここにいるわけにはいかないな。そろそろ行くか」
蒼月は羽織った外套を翻した。
「今回の戦闘方針はゲームの時より攻撃特化でいく。俺を前衛に、月華とホムラは攻撃、リリアは遊撃。初心者用のモンスター相手だが、油断するなよ。死ぬことはまず無いだろうが、なにせ現実の戦闘だ。戦列が乱れる恐れがある。怖くなったら伝えろ。なるべくカバーするし、武器が扱いにくいのならその都度練習だ。あるいは、全く別の武器に変える必要もあるかもしれない」
「了解」
「うぃ」
「はい」
切り替えは早かった。気弱なリリアでさえ、一瞬でスイッチを入れ替えている。しかし、四人とっては通常運転だった。
〈盗剣士〉月華。
〈武士〉蒼月。
〈神祇官〉ホムラ。
〈吟遊詩人〉リリア。
所属ギルドで鍛えた度胸は、ゲームが現実化するという事態に置いても健在だった。
―――
四人の所属するギルドは、アキバの五大戦闘ギルドの一つである〈D.D.D〉だ。特に月華と蒼月は、そのプレイヤー歴もあいまって、ギルド内では古参かつ中核的存在でもある。
何しろふたりが〈エルダーテイル〉を始めたのは、小学生の頃だったのだ。月華は八年、蒼月に至ってはもう十年になる。
なぜ〈エルダーテイル〉を始めたのかというと、読書以外の娯楽に興味を持たなかったふたりに、両親が薦めたのだ。とうに引退しているものの、両親もまた、〈エルダーテイル〉のプレイヤーだったのである。だからこそ、ふたりはその魅力を知る者として〈エルダーテイル〉を月華と蒼月に教えた。
両親が引退していること。それは月華と蒼月にとって、先の見えない未曾有の状況に置いて唯一の僥倖だった。 両親もいたら確かに心強くはあるけれど、こんなことに両親が巻き込まれなかったことにもほっとしている。
一方、ホムラとリリア。ふたりは、家族にプレイヤーはいない。
ホムラは進学校だった中学に入学した時、その入学祝いとしてパソコンを与えられた。その際に、学業を優先するという条件付きで〈エルダーテイル〉を始めたのである。
リアル優先なので四年というプレイ歴の割に経験はいささか足りないが、実力は本物だ。頭の回転も速いため、後方支援ではギルドでもトップクラスである。
そしてリリアは、月華をきっかけに〈エルダーテイル〉を始めた。半年前、彼女の方からオンラインゲームをやりたいと言い出したのだ。
レベルはカンストの半分より上程度だが、どうも才能はあったようで、臨機応変に歌や槍を操る様は、〈吟遊詩人〉では珍しい槍使いというのもあいまって、〈D.D.D〉でもちょっとした話題だ。
それでも、やはり月華と蒼月には及ばない。ふたりが古参であるとか幻想級保持者であるとか、ギルドの中核メンバーであるとかを差し引いても、やはり決定的な差があった。
その差が今なお四人の間にあるのか。それは今のところ、解っていない。
「前方にモンスター発見。数は十二。レベルは十五から二十。三十秒後に接触。戦闘準備」
生い茂った草や木々が視界の隅を隠す森のフィールドでの月華の報告に、全員が武器を構える。月華、蒼月、ホムラの三人は刀を抜き、リリアは半身になって槍の先を前方に向けた。
「カウント開始。十、九、八、七」
いつも通りやりながらも、月華は多少の違和感がぬぐえなかった。
それは、現実になったゲームの世界に、未だ馴染めないがゆえか。それとも、戦闘そのものに対するそれか。
どちらでもよかったし、どちらでも同じことだった。何かが変わるわけではないし、何かがどうしようもなくなるわけでもない。
結局のところ、月華は不安なのだ。仲間と合流し、力強い言葉を聞き、それでも、まだ。
「六、五、四、三、二、一」
零、と口にすると同時に、蒼月が飛び出した。十二匹の鼬に似たモンスターの前に、外套をひるがえして突出する。現実において初めて目の当たりにするモンスターという存在に、ひるんだ様子もなかった。
直後にタウティング技をかけたのだろう。モンスター達は、背後の月華達には目もくれずに蒼月に攻撃を繰り出す。照り返る牙や爪が蒼月に振るわれるのを見て、月華の足が一瞬すくんだ。隣のリリアも同様である。
しかし、月華の硬直は一瞬だった。双刀を握り直し、気持ちを切り替えるように勢いをつけて走り出す。
〈冒険者〉の脚力は、月華の想像をはるかに越えていた。普段なら最低三、四秒はかかっていただろう距離を一秒足らずで詰め、一番手近なモンスターに刃を振り下ろす。
しかし、その後すぐに戦慄した。籠手越しに手に伝わってきた、肉を斬る感触と、目の前で吹き出した赤い血液に。
「っ……!」
現実世界で料理を何度となくこなした月華は、当然肉も切ったことがある。鳥も豚も牛も、父の友人が持ってきたという猪の肉だって切って調理した。
手応えは、それと変わらない。しかしそれとは別の、明らかな違いを、月華の手が教えていた。そもそも料理肉には、血など通っていない。
ああそうか、と思う。
戦闘経験が何だ。技術経験が何だ。
剣道が何だ。剣術が何だ。
慣れが何だ。馴染みが何だ。
こんなの、覚えが無いくせに。
殺し合いなど、したこと無いくせに。
「月華!」
兄の声に、我に返る。はっきりとした視界には、眼前に迫るモンスターの姿があった。
月華はとっさに刀を返し、柄頭でモンスターの腹を殴る。刃で倒すには、あまりにも距離が無かったためである。
思考回路が冷えていく。血の臭いが鼻を刺すが、今は気にしてられない。
考えるな。
考えるのは、後にしろ。
今はただ、敵を斬れ。
己にそう言い聞かし、月華は無心に刀を振るった。腕の神経が途絶えたのか、もう手応えは感じなかった。
月華はいったん下がり、戦況を確認した。
最初に見付けた十二匹の内七匹は、すでに月華と蒼月がほふっている。しかし、いつの間にか数が増え、囲まれ始めているようだった。どうも近くに群れがいたらしい。
「ちっ……やっぱり現実だと視界が狭い。直前まで気付かなかった」
「兄さん、体力は……」
「ん、いや全然平気。今ので十も減らなかった。全く痛くなかったし……まあ身体はレベル九十の前衛だからな。二十そこそこ以下のモンスターの攻撃に、痛みは感じられないんだろう。それより……ホムラ、リリア! 俺が一手に引き付けるから、その間に月華と協力して片付けろ!」
急に話しかけられたせいか、ホムラとリリアはびくりと身体を震わせる。しかし、青ざめているリリアに対し、ホムラはいつもの気の抜けた様子でおう、と答えた。
「けど、いいのか? 回復職の俺が前線で」
「言ったろ。おまえは今回攻撃役だ。それに、戦いに慣れるための戦闘だ。戦略は二の次にするために、低レベルのフィールドにいるわけだし……だから、好きなだけ暴れろ。許可する」
「はいはい……まあやれるだけやってやるよ」
肩をすくめるホムラを見、蒼月は微笑しながら再びモンスターの群れに飛び込んだ。目を引くように、雄叫びを上げて。
あの雄叫びはおそらく〈武士〉のタウティング技の一つ、〈猿叫〉だろう。射程が短い〈武士〉のタウティング技の中で、八メートルというそれなりに長い射程を持つ技だ。
更に〈飯綱斬り〉による赤い衝撃波がモンスターの群れにぶつかる。これにより、モンスター達は完全に蒼月しか見えなくなっただろう。
月華はタウティングに邪魔にならないよう、いったん下がった。体勢を立て直し、再び前線に出るつもりだった。ゲームである時はあのまま力押しでもよかったが、現実化した今となってはそうはいかない。
〈冒険者〉の身体は、確かに優れている。しかし優れているからこそ、扱いが難しかった。この辺りは、少しずつ慣れていくしかない。
リリアの隣に立った月華は、親友の様子をうかがう。彼女の顔色は、よくなかった。
無理も無い。リリアはこの中で、一番気弱な性格なのだ。目の前の、どうしようもないリアルな――リアルとしか言いようがない戦闘を、まともに直視できるとは思えない。
「辛いなら、引いていい」
月華が声をかけると、リリアははっとした顔を上げた。
「何も無理して戦わなくてもいいんだ。今やってるのは、避けられない戦いを想定した訓練なんだから。戦いを回避する方法は、幾らでもある」
「……私」
リリアは再びうつむいた後、きっ、と前を見据えた。
「嫌……逃げない。私だけ逃げるなんて、絶対嫌……」
「……そっか」
月華は微笑を浮かべ、長い黒髪に覆われた薄い背中を軽く押した。
「じゃあそろそろいくよ。あのままだと兄さんに全部倒され尽くしちゃう」
「うんっ」
力強く頷くリリアを見、月華はホムラの方にも目をやった。
「ホムラ、君は大丈夫?」
「平気。刀に慣れるのに時間はかかるけど、別にびびってはいねぇよ」
ホムラは刀を肩に乗せ、ひょうひょうと言い放った。腕のいい〈刀匠〉の手によって打たれた刀は、白銀の刀身を煌めかす。
「じゃあ、行こうか!」
月華は双刀を構え直し、走り出した。
手に残る感触を、頭の隅に追いやりながら。
―――
戦闘は、当然だが圧勝だった。削られたHPは数秒休めば治るものばかりだったし、MPもほとんど消費していない。
しかし、苦戦しなかったと言えば嘘になる。月華と蒼月はある程度善戦したものの、やはり未経験者のホムラとリリアには、実戦はまだまだ厳しいようだった。特にリリアは、両手槍の性質上、月華と蒼月も口出しが難しい領域である。
かといって、アドバイスができないかといえばそうでもない。一芸に秀でる者は万芸に秀でるということわざにもある通り、指南できることは多かった。
「……ん。何か聞こえないか?」
リリアの構え方を見ていた月華は、蒼月に言われて耳をすませた。
なるほど、確かに聞こえる。これは、声だろうか。
しかも――
「悲鳴、だよね」
「うん……男の人、かな……」
リリアもぴこぴこ獣耳を動かし、頷く。ただひとり、ホムラだけが首を傾げた。
「聞こえねぇけど……性能の違いか?」
狼牙族と狐尾族は、名前通り獣と人間のハイブリッドだ。他種族と違い、能力は動物に近い。聴力も例外ではないのだろう。
一方ホムラのハーフアルヴは、これまた文字通り、人間とアルヴ族のハーフである。魔力の扱いに長けているが、人間との違いはあまり大きくない。言ってしまえば人間離れした能力が無い種族だ。遠くの音を拾うことは難しいだろう。
四人は顔を見合わせた。月華、蒼月、リリアの耳には、悲鳴だけでなく爆発音のようなものも届いている。戦闘中なのかもしれない。
「これって、魔法職のプレイヤーじゃない? 外に出たけどモンスターが怖くて逃げながら戦ってる……とか」
「だな……とりあえず、様子を見に行くか」
蒼月は岩から腰を上げ、音の方へ足を向けた。月華とリリアがそれに続く。ホムラも同じく動き出すも、その顔は憮然としたものだ。
平行して走り出す一行だが、そのスピードは一番レベルの低いリリアに合わせた遅々としたものだった。それでも、現実の世界での速度よりずっと早い。息切れする様子も、やはり無かった。
「そういえばさ。兄さん、その鎧ってやっぱり重い?」
月華は隣を走りながら蒼月に尋ねる。蒼月は首を傾げた。
「重いっちゃ重いけど。でも、思ったほどじゃないかな。剣道の防具ぐらいか。走るのには問題無い。おまえは?」
「私も別に。もともと布装備だしさ。逆に凄く軽いよ。足元ヒールだけど、こんな悪路でも走りやすい。やっぱり、特別な装備だからかな」
「だろうな。それに、この身体そのものの素養もあるだろう。……全く別の生き物になった気分だぜ」
蒼月は吐き捨てるように呟いた。対し、月華は黙り込むしかない。
どうしようも無い状況と、どうしようも無い肉体の変化。本当に、いかようにもできない。
月華はため息をついて前方を見据えた。
木々の先にあるのは、また戦場か。相手は、モンスターか。
ゲームのキャラクターに過ぎなかった、モンスターなのか。
「……」
生き物を殺すということを、月華は現実世界で経験したことが無い。手に残る感触が本物だとしても、ゲームキャラに過ぎないはずのモンスターを倒すことが殺すことになるかどうかは解らない。
けれど。
「……行かなきゃ」
戦わなければいけないと思った。戦わなければ、現状を打破できないと思った。
大丈夫。兄さんも、ホムラも、リリアだっている。ギルドのみんなだって、きっと待ってくれてる。
爆発音と叫び声は、もはや聞き間違えようの無いほど近くなっている。月華は足に力を入れ、木々の先へと飛び込んだ。