十七
大変遅くなりました。
早期に見付けた理由は、偶然と言うほかない。本当にたまたま、ふと擦れ違った程度の、そんな低い確率が発動したと言うことしかできない。ご都合主義と言ってしまっても、過言ではないだろう。
ともあれ、吸血鬼は見付かった。半分以上時自己修復のすんだ状態で、けれど、なお傷の残る姿で。〈冒険者〉に対する怨嗟の声を上げながら。
それだけで、月華達には充分だった。
迷いなど、一切なかったのだから。
―――
先行したのは蒼月だった。〈飯綱斬り〉を使っての遠隔攻撃ではなく、自らの足で突貫したのである。
不意を突かれた吸血鬼は、しかし、構えるという反応は見せた。
だが、蒼月の方が一歩速い。彼の振るう刀は、吸血鬼の両腕を斬り裂く。攻撃の反応速度を上げる〈瞬閃〉を使用していたため、吸血鬼の速度では対応できない。そのまま蒼月は、流れるような動作で吸血鬼の喉に〈百舌の早贄〉を打ち込んだ。
「っ、っ……!」
血走った目で文字通り声にならない声を上げる吸血鬼。魔法は無理と理解したのか、即座に拳を蒼月の腹めがけて放ってきた。しかし、事前にかけられていたホムラの〈禊の障壁〉により、阻まれる結果となる。
「蒼月、いったん下がれ! リュートさん頼むっ」
ホムラの指示に蒼月は背後へと跳躍する。それを追いかけようとした吸血鬼に、リュートの魔法が襲いかかった。
「〈フロストスピア〉!」
一抱えもある氷柱が、吸血鬼の右肩を貫く。それだけで相当の冷気を放っているのか、氷柱の周囲の空気が白く凍りついていた。
意識を一瞬リュートに向けた吸血鬼だったが、蒼月の剣撃に気を取られ、彼ばかりを気にかけられなくなってしまう。
ホムラの前に立ちながら、月華は先ほど話し合った内容と現状を照らし合わせる。
自己修復の再使用制限は、おそらく最低でも二分半はかかると見積もっていた。そして、回復量は約二十パーセントほど。今の攻撃で残りの体力は七割を切っただろう。式神越しにホムラが確認した限り、そろそろ自己修復が発動するはずである。
「〈火車の太刀〉!」
蒼月の攻撃が吸血鬼の脇腹を斬り裂く。しかし、吸血鬼は怯まなかった。硬直化した蒼月に向かって、鋭く尖った爪を降り下ろしてきたのである。勿論障壁に阻まれてしまうが、返す手でもう一度攻撃。割れることはなかったものの、障壁が軋んだ気がしたのか、蒼月の頬に汗が一筋流れた。
それを見た月華はホムラに目配せし、走り出す。吸血鬼の右側に回り込み、双刀を振るう。
「〈ヴァイパーストラッシュ〉!」
吸血鬼の右腕に二太刀浴びせた月華は、更に攻撃を重ねる。蒼月と同様、流れるような、舞のような動きだった。
「〈アーリースラスト〉!」
次に斬り裂いたのは胸の中心。斬り裂いたそこに浮かんだアイコンに、今度は蒼月が斬撃を浴びせかける。
斬撃、そしてアイコンによる追加ダメージ。それだけで、吸血鬼のHPは大幅に削られていく。
先の回復分は、これてまプラマイゼロになったはずである。蒼月は間断無く次の攻撃に移ろうとした。
が、吸血鬼もまた、ただではやられはしない。鋭く尖った爪が、蒼月の喉笛めがけて迫ってくる。ダメージ遮断の障壁に阻まれはしたものの、障壁はみしみしと嫌な音を立てた。限界が近いかもしれない。
吸血鬼の回復の再使用制限時間は、あと一分、四十秒。
――まだ、だ。
月華は奥歯を噛み締めた。
この吸血鬼のような戦闘力と回復力が大きい相手を倒すには、どうしても一撃必殺――とはいかないまでも、一瞬で大幅に体力を削らなければ勝てない。ましてや、現実の戦闘になると精神的にきついものがある。何より、精神以外の点も踏まえて、戦闘が長期化すれば、不利になるのはこちらばかりだ。
しかし、早く倒そうと焦る気持ちがあればあるほど、冷静でいられなくなるものである。
「なめるな、〈冒険者〉どもがあ!」
〈百舌の早贄〉の効果が切れた。鋭い絶叫に、すぐ傍にいた月華と蒼月は身体を硬直させる。
それが不味かった。吸血鬼はその隙を突き、手から業火をほとばしらせる。蒼月にかけられた障壁がみしみしと音を立て、しかし耐えきれずに、澄んだ音を立てて砕け散った。月華に至っては、ダメージ遮断そのものがなされていない。
目を見開く兄妹の身体を炎が舐め上げる。ホムラのダメージ遮断の魔法は間に合わない。人体の焼ける嫌な臭いが、辺りに漂った。
月華は耐えきれずに体勢を崩す。しかし、前衛職ゆえか、熱耐性のある鎧をまとっているからか、蒼月は倒れなかった。
「月華、一旦下がれ! ホムラ、俺に回復頼むっ」
揺るぎない指示に、月華ははっとした。指示通り下がろうとするが、しかし、吸血鬼がそれを許さない。
「させるか!」
ぐん、と吸血鬼が腕を伸ばす。それを横から斬り付ける者がいた。
蒼月である。
「させるかはこっちの台詞だ!」
「このっ……」
腕を傷付けられた吸血鬼は、狙いを蒼月に絞り混む。それに応じた蒼月は、火傷だらけの身体でそれを受け流した。
一方、何とかホムラ達のところまで下がった月華は、深呼吸を繰り返していた。
「っは、はー」
「悪ぃな、月華。ちょっと待ってろ」
ホムラは淡々とそれだけ言うと、蒼月に回復呪文をかけ始めた。戦っていた蒼月の身体が、みるみるうちに回復していく。
「っは、吸血鬼の回復は、あと何秒?」
「あと一分。今回はそのまま回復させる。間に合わねぇだろ」
「まあね」
「外すなよ。おまえのわがまま通したんだからよ」
責める口調の割に、ホムラは楽しそうだった。表情は無いままだが、実際楽しんでいるに違いない。普段つまらなそうにしているが、彼はかなりの快楽主義者なのだ。
「今更だけど、大丈夫なのかい?」
一方、リュートは不安そうに眉根を寄せた。
彼は一か八か、や、物は試し、という言葉から最も縁遠い存在だった。彼は大人であり、結果と、それに伴う報酬と代価を考えられる人間だった。
それは臆病などではない。彼が歩んだ道と、それに伴った日数を重ねたことによる慎重さだ。美点である。しかし、それが無謀な若者との差を生むことも事実だった。
だから、彼には理解できなかった。死なないといっても、命は落とすのだ。生死をかけた賭けを、仲間が瀬戸際の時に行うことが、理解できなかった。
月華はリュートの内心を察していた。完全に理解できないまでも、感覚で解っていた。
それは歳の隔たりだ。考え方の違いとは違う、重ねた年数から出てくる結論の差異だ。
例えば、月華は現実世界で剣道を教えている子供達を完全に理解することはできない。彼らは月華に比べて圧倒的に選択肢が少なく、ゆえに月華の答えと彼らの答えは違ってくるのである。月華にとっては無謀で愚かしい行為が、彼らにとっての最善であったりする。
リュートが覚えているのは、月華が子供達に感じる不可解さと同じだった。不可解だからこそ、理解しようとも思えない。
だから、彼は月華達を理解できない。そして、それは二重の意味を持つ。
月華達はあるのだ。例え拠点から離れようと、同志と顔を合わせずとも、アキバ最大のギルド〈D.D.D〉のメンバーだという自負と気概が。
どうせ帰るのであれば、より強く、より強く!
この世界でも、戦い抜けるように――!
「リュートさん、吸血鬼の回復直後に攻撃魔法、強力なのお願い。こっちに向かったら私が行動阻害する」
「え、ちょ、月華ちゃ」
「ホムラは」
「吸血鬼の動きが止まった隙にダメージ遮断だろ。解ってるよ」
「うん。リリアは補助お願い」
「解った……月華にかければ、いいんだよ、ね……?」
「そう。ホムラ、カウント」
深呼吸をした直後、月華は次々と指示を出す。戸惑ったのはリュートだけで、ホムラとリリアは彼女の意図を理解して準備を始めた。
「回復三十秒前。二十九、二十八……」
「月華ちゃんの回復が先じゃないのかっ」
「問題無いです。一撃で仕留めます」
「二十五、二十四……」
「問題大有りだ!もし倒せなかったら……」
「それも想定してのことです。それに、確実性は高いですから。何しろ、レイドボスすら大幅にHPを失う、私の必殺技ですから」
「そうじゃなくてだな」
「十八、十七……」
「貴方は、仲間を信じてないんですか?」
その一言が決定打だった。リュートは一気に言葉に詰まり――よれたため息を吐き出した。
「卑怯だろう、その言葉は」
顔を上げたリュートは、杖を構えた。その瞳は、吸血鬼だけを見据えている。それを認めたリリアが、リュートに援護歌をかける。
「三、二、一!」
「〈ライトニングネビュラ〉!」
ほとばしるのは電光。激しく輝き、命を散らさんとする地獄の紫電だ。空気を焦がし、虚空を走る雷電は、傷を癒した直後の吸血鬼の身体へ特攻する。布と肉と血が焼け、炭へと変わっていく臭いが、後方の月華達にも届く。
全身を焼け爛らせながら、吸血鬼は血走った目でリュートを補足した。その姿に、もはや最初の貴公子然とした姿は無い。ただの醜悪な動く死体だった。
即座に走り出そうとした吸血鬼は、しかし、一定以上進めなかった。
月華による〈魔盗賊〉で得た行動阻害の魔法が発動したせいだ。
吸血鬼は呆然とする。己の脚がうごかないことに混乱する。思考と理解が現実に追い付けず、思い描いていた動きが霧散する。
それは、何より大きな隙だった。
「終わりだ」
呟いたのは、誰だったのか。蒼月なのかホムラなのか――リリアとリュートはまず無いだろう――それとも月華なのか。
月華は〈ライトニングステップ〉で間合いを詰める。それはほんの僅かな瞬間であり、吸血鬼は反応できない。
しかし、反応はできずとも、理解が及ばなくとも、視界は正常だった。
その正常な視界の中で、彼は見た。
黒衣の女〈冒険者〉の両腕にまとわりつく、まるで双刀から発生したように見える、二匹の巨大な黒い蛇を。
「〈ダンスマカブル〉!」
その蛇が何なのか、己は何をされたのか。何一つ解らないまま、吸血鬼の意識は斬り裂かれた。
―――
〈双刀・夜刀神〉。月華のこの愛刀は、二つのある特殊な効果があった。
一つは、クリティカル率と同様の確率で複数回攻撃の追加効果。もう一つは、一日のうち一回だけ、全能力を大幅に上昇させるというものである。
再使用制限は二十四時間、使用できるのもたったの十秒だが、その効果は絶大だった。この効果で、幾度大規模戦闘に貢献してきたか解らない。月華にとって、文字通りの伝家の宝刀である。
使用の際は、二匹の黒い蛇がまとわりつくエフェクトがあり、フレーバーテキストの内容を真に受けるならば、双刀に宿った戦に長けた蛇神なのだろう。僅かな間だけ、彼らは所有者の声に応じ、手助けをしてくれるのである。
「こっちでは久し振りに使ったけど、うまくいってよかった」
そう晴れやかに笑った月華は、ホムラに傷を治してもらっていた。
蒼月、リリア、リュートの三人は、フィンを迎えにいっている。近くにいれば、動かない彼女は戦闘の余波を受けるかもしれない。それゆえ離れた場所に寝かせていた。かといってあまり距離を空けていたわけではないので、すぐに帰ってくるだろう。
月華とホムラは、戦闘を終えたその場所で座り込んでいた。木の根もとに腰を下ろし、向かい合っている。ふたりの間には、倒した吸血鬼が残したマジックアイテムがあった。
紅い石がはめ込まれた、金の鎖のネックレスである。鑑定したところ、名前は〈純血の瞳〉。魔法職用のマジックアイテムであり、〈秘宝級〉のアイテムだ。その効果は攻撃魔法の上昇と、アストラル攻撃のダメージ軽減だ。
最初、リュートに渡そうと思ったのだが、リュートはこんないいものをもらえない、自分はあまり役立っていないの一点張りで、どう渡すか悩んでいるところだった。
「とりあえず、まあ、月華の必殺技が今でも使えたってことが確認できてよかったな」
「うん。ごめんな、手間かけさせちゃって」
「別に。戻ったら大規模戦闘もすることになるだろうし、確認は必要だろ。レベルはともかく、実際はそんなに強くなかったし。若い吸血鬼だったんかな」
ホムラは肩をすくめて吸血鬼がいたはずの場所を見やった。
「レベルの割に弱い吸血鬼、か。私達みたいだな」
「あ? 俺達?」
「〈冒険者〉達。レベルや武器防具が充実していても、中身は平和な世の中に慣れた一般人だ。どうしたって能力に追いつけるはずもない。かといって、私達のように外見と中身を近付ける努力をしている人間がいるかといえば、それは全体的に見て微々たるものだろう」
「それは……確かに」
「教訓として見るべきかもな、今回の戦闘は」
月華は顔を上げた。
視線の先には、フィンを背負った蒼月の姿があった。
ずっと放置しててすみませんでした……
ようやく吸血鬼戦、終了です。改めて、ログホラの戦闘シーン難しいですね。勢いで書きすぎてわけ解らん状態になりました……
多分、あと一つか二つで終了です。
では。