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十四



 白い湯気が視界を覆い、熱を持った蒸気が頬を撫でる。それらは決して不快なものではなく、むしろ久しい感覚に、月華の表情は緩みっぱなしだった。

「現実世界の箱根は温泉の名地だったけど」

 長い手足を投げ出し、湯に身体を沈めながら、月華はほう、と息を吐いた。

「こっちでも温泉があってよかったなあ」

 彼女の言葉通り、月華ほか一行は、現在入浴中である。

 ハコネのとある宿。特別大きいわけではない、しかし、それなりに値の張る宿を取った一行がまず行ったのは、温泉に入ることだった。

〈エルダー・テイル〉のハコネは、現実世界と同様に温泉の名所として表現されていた。しかしそれは単なる設定付けであり、入ればHPが回復したり、一定時間特別な効果はあったが、それ以上の意味を持たない代物だった。

 しかし、現実となった今は違う。本当の意味で、彼らは温泉を楽しむことができるのである。

 これは現代人である一行、特に女性陣には朗報だった。

今まで泊まった宿には、実は風呂がなかった。設定として必要なかったからだろうし、この世界が中世世界ということもあって、一般的ではないのだろう。

 だからこそ、ハコネの温泉は渡りに船だった。

 しかも、露天風呂である。

 石で囲われた湯船は広く、数人一緒に入ってもまだまだ余裕がありそうだった。男女別になっていることも、彼女らにとって朗報である。ちなみに男子風呂は、女子風呂から離れた場所にある。

「私も、嬉しい……」

 隣で安心したようにため息をつくのは、リリアである。彼女もまた、弛緩した顔で力の抜けた四肢を湯に沈ませていた。

 髪の長い月華とリリアは、手拭いで髪を上げている。現実世界でもそれなりに長かったふたりだが、こちらではくるぶしにとどくほどに長い。まとめ上げるには苦労した。

 一方、そもそも髪を上げている必要の無かったフィンは、何やら難しい顔をしていた。

 温泉が気に入らなかったわけではないだろう。実際、温泉に入れると知った時は喜んでいた。

 では、なぜか。

「フィンちゃん?」

「どうしたの……?」

 ふたりが尋ねても、返事が無い。ますますおかしい。

 ややあって、フィンは真剣な表情で凄い、と呟いた。

「は? 何が凄いの?」

 月華は首を傾げつつ、フィンの視線を追う。彼女の目線は、並んで座る月華とリリアの顔の、やや下に向いているようで――

「どうしたら、そんなに大きな胸になれますかっ?」

「ふえ……?」

「……ああ、なるほど、そういうこと」

 目を瞬くリリアとは対象的に、月華は正しくフィンの言いたいことを理解した。

 月華は、自分のバストサイズが平均を大きく上回っていることを自覚している。これはゲームでのキャラクターデザインだけでなく、生来のものである。

 一方のリリアも、着痩せするため普段は目立たないが、年相応に膨らんでいる。どちらかといえば、大きい方だろう。

 対して、フィンは年齢もあってか申し訳程度ほども無いようである。これはPCそのものにも問題があるかもしれないが、彼女もまた、別の意味で年相応ということであろう。それに、実年齢を考えれば、大きな胸に羨ましさや憧れを持っていてもおかしくない。

「どうしたら、と、言われても、なあ?」

「こればっかりは、個人差、だもん、ね……」

 月華とリリアは顔を見合せ、困り顔になった。

 そもそも、固定された外見のPCである〈冒険者〉に、外観再決定ポーション以外の容姿変化が望めるのだろうか。現実化したとはいえ、その辺りは甚だ疑問だった。成長そのものがあるかどうかすら謎である。

 答えあぐねていると、ふたりの内心を何となく悟ったのだろうか、フィンは次第に申し訳なさそうな表情になった。

「あの、難しい質問でしたですか?」

「そうじゃないが……あと、敬語おかしい。でしたか、もしくはでしょうか、ね」

「はいです!」

「その返事からしておかしいんだが……まあいいか。それはおいおいとして……そういえば考えてもみなかったな。リアルになったこの身体が、成長、もしくは老化するのか」

「ザジ君は、〈冒険者〉は不老不死だって、言ってた、けど……それってゲームのキャラだったからだもん、ね……」

 そもそも〈エルダー・テイル〉の中での時間は、現実世界に比べて時間経過が早い。ちょうど十二倍速であり、現実の二時間で一日が終わる。不死であることはともかく、本当にこの身体が不老であるかどうかは不明だ。

 自分の身体なのに自分の身体ではない。そういった感覚は、何度も感じたことではある。

「……食事が必要で、ということは栄養が必要で。つまり生きるための条件は満たさなければならないということ。が、死なない。ゲームシステムを踏襲してるったって、滅茶苦茶だよなあ」

 月華は空を仰いだ。現実世界より圧倒的に多い星々が、視界いっぱいに瞬いてる。常であれば、何も考えずにただ感動することができただろう。

「考えなきゃいけないことも、確かめなきゃいけないことも多いってのに、あーもー、レッドさんのせいで上は紛糾だ」

「らいとすたっふの、人、騒ぐのは、予想、してたけど……」

「クリスマスでの〈西風の旅団〉との一件から、変な絆できてたからね。それを見越して、声かけたんだけど……無理にでも引っ張っていけばよかった」

 月華は顔を前に戻し、そういえば、とフィンに尋ねた。

「フィンちゃんはさ、アキバに行ったらどうする?」

「はい?」

「ギルドのことさ。フィンちゃんみたいな初心者が、しかもリアルで未成年だったら、フリーであるのは危険だと思うんだ。かといって、〈D.D.D〉に無理に入ることはない。その辺りは自由だから。ただ、ギルドに入るか、もし入るにしてもどういうところに入るか、今のうちに決めておいた方がいいいと思ってね」

「フィンは……」

 フィンは眉尻を下げ、うつむいた。やがてぼそぼそと、呟くように言う。

「フィンは、皆さんと一緒にいたいです。ギルドも、皆さんと一緒がいい、です」

「……そっか」

 月華は困ったように笑った後、フィンの頭を撫でた。優しく、ゆっくりと。

「……長居し過ぎたな。そろそろ上がろうか。〈冒険者〉が湯中りなんて、笑えない」

 切り替えるように、あえてはきはきと言いながら、月華は立ち上がった。

「……月華って、格好いい身体付きだよね。前々から、思ってたけど……」

「……ありがと」

 リリアの発言には、照れ入るしかなかったが。


   ―――


 関門都市ハコネは、位置としては〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉の中間地点に当たる。その名の示す通り、関所の役割を担った都市である。

 魔物から、あるいはそれ以外の存在から街を守るため、堅牢な城塞を持つこの都市までくれば、ひとまず一安心であるというのが月華達の考えだった。ミナミとの距離がイセよりずっと開いているということと、ここまでくればあと二日三日でアキバに着くという見込みからだった。

 だからこそ、この街に着いたら自由行動あり、という約束だった。

 そして今、フィンとザジはふたりだけで歩いている。保護者である蒼月達は傍にいない。他の面々は、ふたり一組で情報収集に向かったらしい。

 フィンとザジにとっては初めての自由行動であり、ちょっとした冒険のような気分である。

「ハコネってどんなところでしょーねー。温泉以外に何かあるのかなあ?」

 フィンは鼻歌混じりにスキップで進んでいた。その後ろを小走りでザジが付いていく。

「待ってよ、フィンちゃん!」

「ザジ君が遅いですよ?」

「〈冒険者〉と〈大地人〉は体力が違うんだよお」

 不機嫌なザジの発言に、フィンはあ、と呟いて立ち止まった。

「そうでした……ごめんなさいです」

「もー。せめて歩く時は合わせてよ」

 膨れっ面のザジは、しかし、ふと目を瞬いた。

「ねぇ、あれ何だろ?」

「はい?」

 指差すザジの手をたどるフィン。その先には、人だかりができていた。

 大人の壁は、それだけでふたりの視線を集めた。吸い寄せられるように、ふたりはその集団に近付いていく。

 その大人達は、皆立派な衣服を身にまとっていた。特に中心にいる壮年過ぎの男性は、豪奢と言って差し支えないだろう。

「貴族かな。お忍びとか……?」

「温泉目当てですかねぇ」

 ここが温泉の名所だというのは、蒼月から聞いている。それ目当ての者がここに来ることも考えられる。それが立派な服装の者であれば、やはり貴族なのだろう。

 貴族という意味を、フィンは正しく理解しているわけではない。ただ、お金持ちでいい家柄の人という認識はある。

 物珍しい気持ちで眺めていると、どうやらもめているらしいことが解った。

貴族らしき男が渋い顔で部下らしき人達に何かを言っている。怒鳴ってはいないが、切羽詰まっている様子ではあった。

 何か問題があったのだろうか。しかし、例えあったとして、自分達ができることはないだろう。

 フィンはそう思い、ザジの服を引っ張って別の方に行こうと促そうとした。

 だが、そこに、貴族の言葉が耳に入った。

「〈冒険者〉がいないとなると、とうやって行くべきか……」

〈冒険者〉。貴族は確かにそう言った。〈冒険者〉が必要だという口調だった。

 フィンはザジと顔を見合わせる。ザジは〈大地人〉だが、フィンを含め、他の面々は〈冒険者〉である。ならば、決して無関心というわけにはいかないのではないだろうか。

「……あのっ」

 意を決して、フィンは集団に話しかける。大人の群れに話しかけるというのは、中学生にとってかなり勇気のいる行為だったが、その難易度を飲み込んで、声を張り上げた。

 話しかけられた貴族の方は、目を丸くしてフィンを見下ろした。突然子供に話しかけられて驚かない大人はいないだろう。

「……何だ? 私達は忙しい、おまえ達に構ってはいられないのだが――」

「フィンは、〈冒険者〉ですっ」

 再び声を張り上げると、貴族は表情を変えた。

 信じられないものを見ているような顔で、まじまじとフィンと、隣にいたザジを眺める。

「おまえ達みたいな子供がか……?」

「ぼ、僕は違いますっ。えっと、でも、フィンちゃんと他の仲間の人達は〈冒険者〉です!」

 ザジは慌てて訂正を加える。もっとも、タグを見ることができるフィンはともかく、〈大地人〉の彼らからすれば、ザジの格好は他の〈冒険者〉とあまり変わりない。

 貴族やその従者達は、目を白黒させた。

「そ、そうなのか?」

「そうです。あの、それで、〈冒険者〉が必要なのですか?」

 フィンが尋ねると、貴族に変わって、傍らの従者のひとりが進み出た。

「我らはヨコハマから来た者だ。この方はヨコハマの貴族のひとりであるスティング・ハンズベルト様。私は側近のティールと言う。〈冒険者〉よ、おまえ達の実力は確かか?」

 厳めしい口調に、ふたりは無意識に身体を固める。しかし、臆すまいと自身を勇気付け、続けた。

「フィンは胸を張れるほどの実力はまだありませんが、フィンを連れてきてくれている人達は、とてもとても強いです」

「なら、その者達をすぐに連れてこい。その者達に話をする」

「フィンに話す気は無いですか?」

「子供に話すことでは」

 言いかけたディールを遮るように、気の抜けたかぶさる。

「あん? フィンにザジじゃん。どした?」

フィンとザジにとっては聞き慣れた声だった。ふたりは振り返り、ほっと力を抜く。

「ホムラさんっ。よかったあ」

「あぁ?」

「ちょっと、こっち来てくださいっ」

 軽量の鎧を脱ぎ、腰に刀を帯びただけのホムラは、こちらに上半身だけ向けた状態で立ち止まっていた。隣には月華もいる。こちらはいつもと変わらない格好で、籠手も外していない。最も手近にいた、手持ちぶさたに歩いていた風の彼を引っ張り、フィンはディールに向き直った。

「この人なら文句ありませんか? ありませんよね? だって大人だしっ」

「何の話なんだよ……大体、俺まだ十七なんだけど」

 ホムラのぼやきを総じて無視し、フィンはせいいっぱい胸を張る。ディールは顔を歪めた。

「この無礼そうな男が……」

「だから、何の話だっつってんだよ」

「貴様、何という口をっ」

「あ? 失礼なのはてめえ……」

「ホムラ、私が代わりに話をするから、君は下がって」

 言い返しかけたホムラを無理矢理引っ込めさせ、月華はディールの前に立った。さりげなく、フィンとザジをかばうような位置を取りながら。

「仲間が失礼を。それで、何かご用ですか?」

「用があるのは〈冒険者〉だ。お前達のような生意気な者じゃなくとも、他の〈冒険者〉を雇えばいいだけの話だ」

「それは無理な話かと」

「……? なぜだ」

「ご存知無いかもしれませんが、〈冒険者〉は全員少々面倒が過ぎる事態に陥っていまして……私達は〈大災害〉と呼んでいるんですが、そのせいで、長旅に出る人がいなくなってるんです。ここはアキバからもミナミからも離れていますから、多分、私達以外の〈冒険者〉はいないのではないでしょうか」

 言われて、フィンははっとした。確かに、最終的に強行軍となってしまったとはいえ、事前に様々な準備を行っていたのは確かである。そもそも戦闘そのものを避けるようになった〈冒険者〉達に、よほどの移動手段が無い限りここまでたどり着くことはできない。彼女らがここまで来れたのは、飛行手段があったからである。そうでなければ、今頃この半分も来ていまい。寄り道のような形で滞在を長引かせなければ、今はもうアキバにいてもおかしくないはずである。

 月華の言葉の真偽を判じかねているのだろうか、ディールは顔を歪めて彼女を睨み付けていた。しかし月華はさすがなもので、涼しい顔でたたずんでいる。背筋を伸ばし、自分より年上の男と対峙する姿は、後ろからでも圧倒されるものがあった。

「まあ、あくまで予想なので、探せばひとりぐらいは見付かるのではありませんか? では、私達はこれで」

 月華が足を引きかけた時、主である貴族――スティングが呼び止めた。

その時、月華の唇が笑みを刻むのを、フィンは確かに見た。

月華さんが黒いですぅ、と戦慄するフィンの目の前で、話はとんとん拍子で進んでいくのだった。




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