十二
「ごめんなさい」
入室直後の謝罪に、先頭の蒼月は足を止め、すぐ後ろにいた月華は、は? と首を傾げた。
場所はイセで借りた宿の一室、謝罪し、頭を下げているのは留守を任していたザジとフィンである。ふたりから謝罪される理由は、〈ヤタガラス〉討伐直後の蒼月には無いし、他の仲間も同様である。謝罪を求めたわけでもない。
数秒まばたきをして、改めてふたりを見る。特に変わった様子は無い。
「……どうしたの?」
ややあって蒼月が尋ねると、ふたりは目配せした。フィンが頷くと、それに促されたようにザジが視線を上げる。
「昨日、蒼月さん達に酷いこと言ったから」
「酷いことって?」
「あの……〈冒険者〉は死なないって、だから死ぬのも平気だって、言ったこと……」
ザジは恥じ入るようにうつむいた。
「死なないからって、それが怖くないって、そんなこと無いのに……死ぬ時は、みんな怖いし、痛い、から……それは、〈冒険者〉も〈大地人〉も一緒だから……」
「……」
蒼月は黙ってザジの言葉を聞いていた。やがてザジの言葉が尽きると、柔らかく微笑む。
「気にしてないよ」
「で、でもっ、僕がそう言った時、皆さん、凄く痛そうな顔してました!言われたくないこと言われたって顔してて、だから僕っ」
「気にしなくていいんだ。〈冒険者〉は死なない、大神殿で生き返れる。それは事実だから」
蒼月は笑みを苦笑に変え、頭をかいた。
「確かに、〈冒険者〉でも死ぬのは怖いよ。痛いのは嫌だし、死ぬことを考えると、腹の底が冷える気分になる。けれど、それはザジが気に病むことじゃない。ザジはあくまで、事実を言っただけ」
「蒼月さん……」
「ザジは、何も悪くないよ」
蒼月はザジに近付き、その小振りの頭を優しく撫でた。
「だから、そんなことは気にせず、これからもよろしくな」
「はっ、はい、はいっ。よろしくお願いします!」
ザジは顔を輝かせ、何度も頷いた。
「よかったです、ザジ君よかったですぅ!」
「わわっ」
隣にいたフィンは感極まったのか、ザジに抱き付いた。慌てたのはザジで、手足をあわあわとばたつかせる。それに一同が笑った。なぜ笑われているのか解ってない様子のザジとフィンも、気付けば一緒に笑っていた。
ひとしきり笑った後、蒼月はちょっとだけ表情を引き締める。
「さて、出発は明日なわけだが……どうする?日のあるうちに、イセを探索するか?俺は、情報収集も兼ねて出ようかと思うが」
「僕、行きたい!」
「フィンも行きたいです!」
元気な返事に、蒼月は満足そうに頷いた。
「そっか。じゃあ、俺とリュートさん、それにザジとフィンだな。月華達は、本当に行かないのか?」
蒼月は仲間を振り返る。妹は細い顎を引いた。
「クシ先輩に、お礼言いたいしね。それに、隊長に定時連絡入れないと」
「俺、ちょいイメトレ」
「私……ちょっと疲れました……」
月華に続いたホムラとリリアの言葉に、蒼月は笑顔で返事を返したのだった。
ーーー
現実世界の伊勢に行った経験は、蒼月には無い。しかし、おそらく印象は別物だったろうと思えた。この世界の東北と、現実世界の彼の地元の印象が違うだろうことと同じように。
蒼月はリュートと共に、ザジとフィンを連れてイセの街で情報収集をしていた。
情報収集、とは聞こえがいいが、ほぼ観光気分である。何しろ、ゲーム時代との印象がまるで違う。
まず、ゲーム時代ではNPCだった〈大地人〉の数が、ミナミ同様爆発的に増えていた。もともとここに住んでいる住民だけでなく、行商人やそれこそ本当の観光客らしき者もいる。もっとも、現実世界と違い、彼らの目的は文字通りの観光ではなく、参拝なのだろうが。
ザジいわく、〈大地人〉は貴族社会であり、特にミナミの貴族は、イセやイズモに必ず参拝するのだという。たまに村を訪れていた行商人の話だそうだ。
「その人は、僕達みたいな平民を専門にした商人だから、イセみたいなところは行ったことないらしいですけど」
ザジ曰く、そういうことらしい。
確かに、商人や観光客は皆、身なりのいい、いかにも裕福そうな人々ばかりである。モンスターなどの危険があるこの世界で、護衛も雇えない者がここまで来ることができないのも、無理の無い話だった。
一方、イセの住民達は着物のような、昔の日本のような服装の者ばかりである。タグを確認すると、神職らしき者のちらほら存在した。これはイセが、現実世界の伊勢神宮に相当するからであろう。
「俺達の世界では、気軽に来れる、ただの観光地なのに、何だか変な感じですね」
「私達の世界は、ファンタジーの要素なんて無かったからね」
現実とゲームの差異に、ふたりは何とも言えない気分を味わう。そんな大人の思考など知らない子供は、非常に無邪気だった。
「何あれー?」
「あれ、こけしですよ!」
「こけし? ふーん、変なの」
「何であんなのあるんでしょう……あ、和服あります、和服!」
「ここの人が着てるの? 不思議な形だねー」
「……目を離したらいなくなってそうで怖い」
「子供なんてそんなもんだよ」
ちょこちょこ動き回るふたりを前に、がっくり肩を落とした蒼月の隣で、リュートはほがらかに笑う。さすがにそこは年の功、父親を経験しているとあって、どっしり構えた様子だった。
「それに、ああやって色んなものに興味持つのは、好奇心が旺盛な証拠だよ。フィンちゃんは、ちょっと幼すぎるきらいはあるけど……」
「そういうもんですか」
蒼月の実家である剣道場は、広い年齢に門戸を開いている。とはいえ、子供を相手にしているのは妹の月華だけであり、蒼月は大人、時に自分より年上が指導対象である。大人は分別をわきまえ、年下でも蒼月の話をきちんと聞くから、無闇に動き回ることは無かった。
蒼月は子供は嫌いではない。むしろ好きだし、無邪気に走り回っているところを見ると、微笑ましく思える。だが、子供の予測の付かなさは、どうしたって苦手だった。
「……まあ、それはともかく。ふたりの言う通り、色んな店がありますね」
フィンとザジが見て回っているのは、道に並んだ店の数々である。ほとんどが建物を持っているが、たまに露店が現れたりする。それらは、ゲーム時代ではただの風景の中のオブジェでしかなかった。当然、店頭に並んでいるものを買うことはできなかった。
しかし、今は現実なのだ。相応の金額を払えば、それらは手にいれることができる。
「お土産買っていってもいいかもねぇ。保存できるものだけになるけど」
「食べ物は味が無いだろうし……買うなら、服飾系かな。置物だと場所取るし、第一何に使うんだって話だし。まあ、どっちにしたって食料を買い足すことにはなるんでしょうね」
蒼月とリュートもまた、子供ふたりのように興味深げに店を見始める。どれを買おうか、と相談しかけた時だった。
「駄目です!」
フィンの、叱責と言うには緩く、小言と言うには鋭い声が上がった。
はたと見れば、ふたりは、三人の男と対峙していた。ふたりの背後には座り込んだ初老の男性と、それを支える年若い男がいる。ふたりは彼らをかばって立っているようだ。
対峙する三人と背後のふたりは、おそらく〈大地人〉だろう。三人の方は、貴族とその護衛といったところだろうか。護衛風のふたりはレベルはそれぞれ十七。フィンは勿論、この間十三レベルになったザジでも、フィンと組めば制圧可能なレベルである。
しかし、モンスターではない〈大地人〉と敵対する理由など、あるのだろうか。
「どんな理由があろうと、ぼうりょくは駄目です!フィンは見逃せませんっ」
「貴族様、どんな無礼があろうと、剣を抜いていい理由にはなりませんっ。だ、だから駄目っ」
「黙れ、口の聞き方を知らぬ餓鬼共がっ。貴様らから切り捨ててやる!」
そのやり取り――特に、貴族の様子から、蒼月は最悪な展開を予想した。それは、フィンとザジが殺されること――ではないが、ある意味、それより悪い顛末だ。
考えるより先に、身体が動いた。主の命を受け、護衛風のふたりが剣を抜いたからだ。それに対し、フィンとザジも武器を構える。
その間に、蒼月が割って入った。
驚く子供ふたりの反応には答えず、蒼月は素早く刀を抜く。一瞬硬直した護衛風ふたりの手元へと、白刃が舞った。その後、抜刀から一秒足らずで納刀する。抜刀の速さからは考えられないほど、ゆったりとした様だった。
護衛風はあっけに取られた様子だった。しかし、それはすぐさま驚愕に変わる。
二振りの剣の刃が、根本から折れてしまったのだ。否、折れたのではない。蒼月が、斬ったのである。
街中で攻撃を行えば、即座に衛兵がやってくる。ここにもアキバやミナミのように衛兵がいるのかどうかは不明だが、どちらにせよ、蒼月としては刃傷沙汰にしたくはなかった。
だから、武器を破壊したのである。これなら例え衛兵がいたとしても、その攻撃対象にはならないだろうと考えて。
普通の武器であれば、斬れる斬れない以前の問題である。最悪こちらが武器を失うことになる。しかし、護衛だとしても所詮は〈大地人〉の装備である、レベル九十の〈冒険者〉の武器に敵うはずがなかった。
ましてや蒼月の刀は〈幻想級〉の刀、〈神刀・月詠〉である。並の〈冒険者〉の武器であろうと、押し負けるということは無かった。
護衛の剣がへし折れたのを受け、貴族は呆然と立ち尽くす。しかしはたと気をとりなすと、顔を真っ赤にして怒り出した。
「おのれっ、平民風情、それも狼の獣人が、貴族である私に逆らうのか!」
「あいにく俺は〈冒険者〉です。〈大地人〉の貴族の威光なんて効きませんよ」
冷たく返しながら、蒼月は獣人と呼ばれたことに何とも言えない気持ちになった。獣人という表現からして、おそらく狼牙族や狐尾族、猫人族が少なからず差別を受けていることに気が付いたからである。ザジは特に何も言わなかったことから、上流階級の中での確執なのだろう。
ヤマトの〈冒険者〉は、皆現代日本の住人である。差別からは基本的に縁遠いし、相手が人間以外の種族だろうと気にしない。プレイキャラを人間以外にした者などごまんといる。ゆえに、種族の差別は起こり得ないだろう。
しかし、〈大地人〉は違うようだった。
蒼月が自身の発言で黙り込んでいるなど知るはずもない貴族は、顔を青くしたり赤くしたりと忙しなかった。武器を失った護衛など、すでに及び腰である。更にリュートが蒼月の隣に立ったことで、かわいそうなほど血の気を失っていた。
「だ、旦那様、ここはどうかっ」
護衛のひとりがあえぐように主人に乞う。そこに追い討ちをかけるように、顔をしかめたリュートが口を開いた。
「このまま怒鳴り合っても、恥をさらすだけでしょう。ここはいさぎよくするのが、大人ではありませんか?」
「貴様に言われずとも解っているっ」
貴族は言い返した。しかし、語気は弱い。リュートもまた〈冒険者〉だと気が付いたのだろう。
「帰るぞ!」
豪奢な外套を翻し、貴族は護衛を引き連れて去っていく。本人は堂々と歩いているつもりかもしれないが、その背はよろよろとしていて、何とも情けないていだった。
貴族は一歩歩くごとに悪態をついていた。中には貴族らしからぬ汚い言葉もある。だいぶ離れてから、蒼月の狼の耳には、一際大きな悪態があった。
「あの雌狐といい、〈冒険者〉はなんと厚かましい生き物かっ」
「……雌狐?」
蒼月が眉をひそめた後ろで、フィンが大きな声を上げた。
「おじいちゃん、大丈夫ですか!ほっぺたが腫れてます」
振り返ると、なるほど、確かに初老の男性の頬には、殴られた後がある。腫れ方からして、もしかしたら頬骨が折れているかもしれない。
「大変だ。フィンちゃん、治療頼む」
「はいです。〈ヒール〉!」
杖を男性に向け、フィンは魔法を発動させる。初心者の回復魔法とはいえ、相手はレベルではるかに劣る〈大地人〉である。みるみるうちに傷が回復した。
目をまんまるにした男性が、傷のあった頬を撫でる。隣の若者も、目をしばたかせていた。
やがて傷が無いのを確認し終わって、ふたりは頭を下げた。
「ありがとうございます、〈冒険者〉様。危ないところを助けていただき……」
「あ、ありがとうございます、〈冒険者〉様」
慌てたのはフィンだった。
「さ、様っ? いえ、フィンは回復させただけで、助けてくれたのは蒼月さんとリュートさんで、あわ、あわあわあわ」
「フィン……落ち着こうよ」
あげくザジにたしなめられ、しゅんとしおれるフィンだった。
そのやり取りに苦笑したのち、リュートが気遣わしげに男性に問いかけた。
「一体何があったんですか? 剣を抜くなんて、いくらなんでも物騒が過ぎますよ」
とたん、男性の顔が曇った。痛いところを突かれた、という風ではなく、どう説明しようかと考えている顔だった。
ややあって、口を開く。
「私どもの店は、反物を売ることを生業としております」
「反物って、着物の?」
「はい。と申しましても、着物だけでなく、貴族様の衣装、安いものなら我々平民の衣服のための布も売っております。ようは服になる前の布全てを扱っておるのです。その中で特に高級で、かつ希少なのが、〈虹色蝶の絹糸〉で織った反物です」
「〈虹色蝶の絹糸〉って……確か、レアドロップアイテムでしたよね」
蒼月は記憶の中のモンスター図鑑を開いた。
〈虹色蝶〉とは、低レベルの虫型モンスターである。その名の通り虹色に輝く羽根を持ち、レベル上限も十五という、初心者でも簡単に倒せる設定となっている。しかし、ごくごくたまにドロップする〈虹色蝶の絹糸〉は、強力かつ美麗な装備になるのだ。売れば金貨六百枚は確実に得られるし、それなりに強力な装備になり得る。ドレスのように美しい様にもなるため、見た目を重視する〈冒険者〉からは重宝されていた。
それが、今まで風景の飾りでしかなかった店舗で普通に売られ、なおかつ〈大地人〉が使用していたとは。驚きの設定、否、事実だった。
「〈冒険者〉様もご存知でしょうが、あれはとても希少です。ゆえに、おひとり様が一度に買える量は限らせていただいております。ですが、先ほどの貴族様は店にある〈虹色蝶の絹糸〉の反物を全て売れとおっしゃり」
「拒否して殴られ、危うく斬られそうになったと」
「はい……」
「……うーん」
今まで知らなかったことだが、どうやら〈大地人〉の貴族による差別はかなり根深いものらしい。それが日本サーバ――ヤマト全体に言えるのか、イセやミナミがあるウェストランデ限定なのか、解らないが。
「先ほどの貴族は、地元の?」
「いいえ。イセは斎宮家がかつて居を置いていたとあって有力貴族様が多いですが、皆様うちの決まりを承知してくださっているので。買い占めようとしたということは、財のある方に間違いはありませんが。もしかしたら、キョウの貴族様かもしれません」
「そう、ですか……」
蒼月はうつむき、眉間にしわを寄せた。
貴族の行動に胸が悪くなったのも事実だが、それ以外のものが、胸元に引っかかっていた。
雌狐の〈冒険者〉。なぜか、その言葉がいつまでも耳に残っていた。