プロローグ
小さな村の、小さな教会で、祝福の鐘の音が村中に響き渡る。
教会の扉から出てきたのは、一組のカップル。
茶髪に鳶色の瞳を持つのは、中肉中背の平凡で、童顔の花婿だ。同じ村の仲間である未婚の男友達に小突かれ、もみくちゃにされている。
それを可笑しそうに、幸せそうに笑顔で見守るのは、黒髪黒目の花嫁だ。若く美しい彼女は、村一番の器量良しだ。
花婿の名は、レオン・コード。この村で農夫として生活している。
花嫁の名は、アカネ・ミズシマ。この日より、名を改め、アカネ・コードとして生きていく。
小さな村の、小さな教会で彼等は結婚し、村中の人間から祝福された。
それは、幸せの始まりだった。
幸せの、始まりだった筈だった。
花婿も花嫁も、それを信じて疑わなかった。
その、夜までは……。
* *
まだ新しい木の匂いのする新居で、顔を赤らめて向き合うのは、その日結婚式を挙げたレオンとアカネだった。
二年前に二人は出会い、様々な経験を経て、遂に結婚に至った。
そして、交際期間中は手を繋ぐだけで、結婚式の誓いのキスがファーストキスだったという、近頃では珍しい清らかな関係のカップルは、今、照れと緊張の渦に身を置いていた。
何を隠そう、彼等が向き合っている場所は、キングサイズのベットの上。
そう。初夜である。
(何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ。俺が、おおおおお俺が男なんだから、おおおおお俺がリードしなきゃ!)
(レオン、顔真っ赤。ああ、糞可愛いな、オイ! 喰べて良いかな、喰べて良いよね!?)
新婚夫婦の頭の中は愉快な事になっていた。
茹蛸状態の夫が愛しすぎて、我慢できなくなった新妻が、いざ、とばかりに襲いかかろうとした、その時だった。
――ドンドンドン!
「レオン! すまん! レオン、ちょっと来てくれ!!」
邪魔が入った。
――チッ。
アカネは思わず舌打ちするものの、レオンはそれに気付かず、扉の方へ視線を向ける。
「あの声は……、ヨゼフ?」
そうか、ヨゼフか。
アカネはその名をしっかりと脳に刻み込んだ。
「すまん、アカネ。何かあったみたいだ。ちょっと行ってくる」
今日が初夜であることは、恥ずかしく照れくさくも村中が知っているはずだ。それを邪魔するのだから、よほどの事が起きたに違いない。
レオンは寝室から出て、玄関に向かい、扉を開けた。
「どうした、ヨゼフ」
「すまん、レオン! 実は、西の森からでかい魔物が出て、柵を壊しちまった。それで、畑を荒らしてるんだ。俺たちじゃ、どうにもなりそうもなくて……」
心底申し訳無さそうに訳を話すヨゼフに、レオンは鷹揚に頷いて見せた。
「いや、それなら仕方が無い。気にするな。すぐに行くから、そのまま手を出すなよ」
「わかった。本当にすまない」
レオンは寝室へと戻り、アカネに告げる。
「すまん、アカネ。畑に魔物が出たらしいんだ。少し行ってくるから、その、待ってて欲しい……」
少し恥ずかしそうに、気まずそうに言うレオンに、アカネは頬を染めて頷く。
「待ってる。レオン、気をつけてね」
「う、お、おう!」
顔を真っ赤に染め、威勢よく返事をした夫に、アカネは愛しげに微笑んだ。
そんな妻の様子に、胸を熱くしつつ、レオンは手早く防具を着て、剣を持って家を飛び出した。
(早く帰って、今度こそ、アカネと……!!)
そんな愛と煩悩を胸に、レオンは畑へと向かい、見事に自分より三倍はあろうかという角の生えた熊の魔物を狩ってみせ、意気揚々と家に帰った。
愛しい妻の待つ新居。
扉を開け、そして、呆然とした。
倒れた椅子。
割れた花瓶。
空になったベッド。
アカネは、居なかった。