35.マーザとアンナ
「マーザ様……」
「マーザ……こんな時間に何の用かしら?」
私は、寝込みを襲ってきたメイドの女の子に触れたままマーザに視線を送る。
「お嬢様。失礼を承知で申し上げます。どうかその子からお手を離していただけないでしょうか?」
「なぜ? この子はユーミーお義母様に強要されて私を殺しに来た。それが失敗した今、お金とプライドのことしか考えていないお義母様と顔を合わせれば、暴力を振るわれた後で奴隷として売り飛ばされるわよ」
女の子に触れた手から伝わってくる震えが激しくなる。私はマーザを深青色の瞳で一瞥すると、何の抑揚もつけずに淡々と事実を述べた。
「それなら、適当に転移させた先でいい人に拾われるという僅かな可能性に賭けた方がいいんじゃない?」
どうでもいいから早く寝せて……今日も訓練で疲れているの。
眠気で瞼が重くなり、私の目つきは余計に鋭くなる。だがそれでも、マーザは冷や汗を流しながらも一歩も引かず、確かな足取りで私の前まで歩いてきた。そうして片膝立ちになって私と視線の高さを合わせると、徐に口を開いた。
「シルヴィアお嬢様。どうかその子──アンナをお救いください。ワタシはどうなっても構いません。ですからせめてアンナだけはどうか、お嬢様のお力で守っていただきたいのです!」
マーザは紫紺の瞳に母性を宿し、ユーミーからアンナを守るよう懇願した。
決意は固そう。アンナを守るより、マーザを説得する方が面倒くさいかもしれないわね……でもそれよりももうダメ……もう無理、眠い……。
「わかったから、もう寝かせ……て」
カランッ!
私は握っていたナイフを床に落とし、ベットに向かって倒れる。
「ひゃっ! ……あの……お嬢様?!」
私はベットの上に座っていたアンナに抱き枕に、考え事は全て明日の自分に委ねて眠りについた。
「お嬢様?」
スースーと寝息を立てるシルヴィアに、マーザとアンナは顔を見合わせる。アンナはシルヴィアの腕から抜け出そうともがくが、まるで抜け出せる気がしなかった。
「ずっと怖い人だって聞いていたし、さっきまでは本当に怖かったけど、今のお嬢様は何だか普通の子供みたいです。それにこうしていると何だか安心する……」
シルヴィアに抱きつかれた時は心臓が止まりそうになるほど怖がっていたアンナも、今は全身の筋肉を弛緩させ、緊張を解いていた。
「……あのっ、マーザ様。シルヴィアお嬢様はわたしを守ってくれるんでしょうか?」
「大丈夫ですよアンナ。お嬢様は一度交わした約束は守るお方です。あなたは明日のお仕事をしなくていいですから、お嬢様がお目覚めになったら事情を説明なさい。そうすればきっと、お嬢様はあなたの願いに応えてくれます」
マーザはそう言って二人に布団をかけると、扉の取手に手をかけた。
「頑張りなさいアンナ。ワタシはあなたの幸せを願っていますよ」
貧乏な家族を養うため、アンナは三年前、まだ六歳だというのにレイネル公爵家にメイドとして働きに出た。
指導には手を抜かなかったが、それでも必死に他の歳上のメイドたちと同じだけの仕事を覚えるアンナに、マーザはいつしか親心のようなものを覚えていた。
(本当は、ワタシ自身の手でどうにかしてあげたいと、そう思っていたのですが、ワタシのようなただのメイドには無理でした。だからどうか……)
マーザは取手に乗せた手を下ろし、もう一度シルヴィアの方を振り返り、頭を下げた。
「どうかアンナをお願いします。シルヴィアお嬢様」
それからマーザは名残惜しさをひた隠し、シルヴィアの部屋を後にした。
***
「んんっ……」
「ようやく起きたわね」
「はいぃ……起きましたぁ」
前世の記憶を取り戻してからおよそ三ヶ月。秋の日差しが優しく室内を彩る昼下がり。
寝ぼけた目をして寝ぼけた声を上げ、アンナはベットから降りようと寝返りを打つ。だがアンナは依然として幼い顔を気持ち良さげにとろけさせている。
「あれぇ? なんだかベットが大きいような……」
普段のメイド用ベットなら寝返りを打てば床に足がつくはずなのに、なぜかまだフカフカのベットが続いている。その違和感に、アンナの瞼はゆっくりと開いていく。
「なんだか……部屋が広い気がするなぁ。それに布団も軽くて触り心地もいいし……ここは本当に……わたしの部屋?」
布団に顔をうずめてもっちりとした頬をスリスリするアンナ。そこでようやく、私とアンナの目が合った。
「お……おおお嬢様?!」
布団を吹き飛ばす勢いで起き上がり、急いでベットから降りようとするアンナ。だが彼女は慣れないフカフカのベットに足を取られ、盛大に転げ落ちた。
「いたぁ……」
寝癖だらけの頭の、今ぶつけたところを押さえて起き上がったアンナは、はっとして立ち上がる。
「すみませんすみません! わ、わわわたしなんかがお嬢様とご一緒に、しかもお嬢様よりも長く眠ってごめんなさい……」
「はぁ……」
涙目で頭を下げるアンナを見て、私はため息を吐いて髪を弄り出す。
やっぱりアンナを助けるという約束をしたのは夢じゃなかったわね……。
『人を殺しても約束は守れ』
私が前世で唯一心を許したおじいちゃんの言葉は大切にしたい。
「はぁ……」
ため息を繰り返す私に、頭を下げたまま私の様子を伺っているアンナが震え始める。そんなアンナに向かって私は徐に手を伸ばした。
「ひっ……」
思わず目を瞑るアンナ。
昨日の夜──いや、今日の日の出前くらいにもこんなやりとりあったわね。
なんて思いつつ、私は彼女の髪に触れた。そして魔力を操ると、アンナの茶色の髪は薄緑色に輝き出し、昨日切り落としたおさげの分だけ髪が伸びた。
「あなたは私に何をして欲しいの?」
唐突な質問に、アンナの桃色の目がうっすらと開かれる。
「あれっ? 髪が伸びてる……」
昨日私が切り落とした紙束と自分の髪を交互に確認して目をパチクリさせているアンナ。おさげを作るのに使われていた桃色の紐で、伸ばしたアンナの髪に紐リボンを結び直した。そうすると、アンナは意外そうな目で私を見た。
「シルヴィアお嬢様が、わたしの願いを聞いてくれるってことなんですか?」
「そうよ。あまり気は乗らないけれど……」
「あっ、その……ありがとうございます」
その後アンナから聞いた話によると、どうやらユーミーはアンナのような貧窮した家族を持つメイドの何人かを脅しているようだ。
「わたしたち、奥様に『メイガストが屋敷にいない今、レイネル公爵家当主代理はこのわたくし! 当主の命令も聞けないメイドに払うお金なんて一銭たりともありませんわ!』って言われて……」
「なるほどね」
メイドたち逆らえないのも納得だ。貧乏な家庭に蓄えなんてものはないのだから、ひと月給料が出ないだけで致命的。最悪、家族全員が餓死する。
でも、どうしようかしら……ユーミーお義母様を殺せば、政略結婚だったとはいえ、あの優しいお父様はきっと悲しむ。
「やっぱりお父様にユーミーお義母様の本性を見てもらうのが良さそうね。確か王都の魔道具屋に映像記憶魔道具が……」
ふいに、首筋に悪寒が走る。
「シルヴィアお嬢様後ろ!」
アンナの目には、私ののつややかな首筋に向かって振り抜かれる短剣が映っていた。
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申し訳ないのですが、諸事情により明日は休載させていただきます。
次回は明後日、木曜日の午前八時半前に投稿します。
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