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異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語  作者: パラレル・ゲーマー


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第67話

 季節は、巡る。

 神の気まぐれが、この地球という名の辺境の惑星に最初の奇跡の一滴を落としてから、既に一年以上の月日が流れようとしていた。

 そして、その一滴の波紋は、もはや誰にも止めることのできない巨大な津波となり、世界のあらゆる岸辺を洗い、その風景を永遠に変え続けていた。

 日本は、もはやただの極東の島国ではなかった。

 彼らは、古代の神話と未来の超科学を同時にその手に握る、世界の新たな極。

 アメリカは、その日本の最大の盟友であり、そして最大の監視者として、奇跡のお裾分けに与りながらも、その水面下では日本の本当の秘密を暴こうと、熾烈な情報戦を繰り広げている。

 『グランベル王国』は、神の恩寵を一身に受け、大陸の歴史上前例のない豊穣と、そして恐るべき軍事力を手にした新たな覇権国家として、その産声を上げた。

 そして、その全ての元凶である男、新田にった はじめは。

 東京、中野区の、あの、もはや彼の精神と肉体が完全に最適化された生態系の揺り籠ゲーミングチェアの上で。

 一つの深遠な、そしてどこまでもぐうたらな悩みに、頭を抱えていた。


「………………暇だ」


 心の底から、声が漏れた。

 そうだ。

 彼は、暇だった。

『Path of Exile』も、やり尽くした。

 異世界巡りも、一通り終えてしまった。

 日本政府との丁々発止の駆け引きも、もはやルーティンワークと化し、当初のスリルは薄れつつある。

 彼は、神となった。

 だが、神は孤独で、そして退屈なのだ。

 彼は息抜きに、自らの「事業」の現状を確認することにした。

 彼は、次元ポケットという名の無限の倉庫兼オフィス空間に、意識を集中させた。

 彼の目の前に、SF世界『アークチュリア』で手に入れた思考操作式の半透明のディスプレイが、いくつも展開される。

 そこには、彼の壮大すぎるビジネスのリアルタイムのデータが、美しいグラフと数値となって表示されていた。

 まず、メインの収入源であるグランベル王国と、鋼鉄の街『ギア・ヘイム』。

 二つの世界の市場における砂糖や塩、香辛料、そしてベーキングパウダーの消費量は、当初の爆発的な熱狂こそ落ち着いたものの、今や人々の生活に完全になくてはならない必需品として定着し、安定した高い需要を維持し続けていた。

「……砂糖や塩、香辛料の消費は均衡してきたな。……とはいえ、まだまだ貴重品だし、もっと食生活にしては改善したいという需要の声は根強い……」

 ディスプレイに表示されたAIによる市場分析レポートが、淡々と告げる。


 そして、支出の項目。

 彼の収入のそのほとんどは、錬金術師の街『ヴァイスブルク』のある、ゲーム的世界へと再投資されていた。

 マスター・エリザの工房への、ポーションの定期大量発注。

 冒険者ギルドでの、高レベルのスキルジェムの購入と、希少なユニークアイテムの収集。

「……金貨はポーションや魔石の購入でいくらでも使うし。……まあ、キャッシュフローとしては全く困らないか……」

 収入と支出のバランスは、完璧だった。

 事業は、順調そのもの。

 だが、創の心は晴れなかった。

 なぜなら、彼の元プロジェクトマネージャーとしての魂が、この安定しきった現状に、新たな、そして致命的な「リスク」と「機会損失」の匂いを嗅ぎつけてしまっていたからだ。

(………………まずいな、これ)

 彼は、ディスプレイに表示されたもう一つのデータを見て、呻いた。

 それは、『在庫管理』のグラフだった。

 そのグラフは、危険な右肩上がりを示していた。

 日本政府。

 あの、あまりにも優秀で、そしてあまりにも忠実すぎるしもべたち。

 彼らは、創の「香辛料とかあった方が効率いいよ」というほんの些細な呟きを、神の絶対的な御神託として受け止め、この一年間、国家の全てのリソースを傾けて、その『現物資産』の生産と調達を続けていた。

 その結果、創の次元ポケットの中には、もはやグランベル王国とギア・ヘイム、二つの世界の消費量だけでは到底捌ききれない、天文学的な量の砂糖、塩、香辛料、そしてベーキングパウダーの在庫が、まるで山脈のように積み上がっていたのだ。

(……このままじゃ、不良在庫の山だ。……機会損失、ここに極まれりだな。……それに、いつまでも日本政府にこんな無駄な生産を続けさせるのも、さすがにちょっと気が引ける……)


 彼の頭脳が、超高速で回転を始めた。

 解決策は、一つしかない。

『新規市場の開拓』だ。

(……そうだ。……販路を拡大すればいいんだ。……グランベル王国やギア・ヘイムと『似たような』、つまり食文化レベルが低く、金本位制が確立されている中世レベルの世界を新たに見つけ出して、そこにこの余った在庫を売り捌けば……いや、違うな)

 彼の思考が、一段ギアを上げた。

(……売り捌く? ……誰が? ……この俺が? ……冗談じゃない。……一件、一件、新しい世界で、新しい商人と交渉して、プレゼンして、契約して……? ……そんな面倒なこと、やってられるか。……俺は、スローライフがしたいんだ)

 その瞬間、彼の脳内に神の啓示が降りてきた。

 それは、ぐうたら精神とプロジェクトマネージャーとしての合理主義が、完璧に融合した究極のビジネスモデルだった。


(………………丸投げだ)


 そうだ。

 販売という名の、丸投げ。

 俺は、もはや一介の商人ではない。

 俺は、複数の世界にまたがる巨大なサプライチェーンの源泉、そのもの。

 ならば、俺がすべきことは、現場で汗を流すことではない。

 それぞれの世界で最も優秀な現地の「支店長」を見つけ出し、彼らに俺の商品の独占販売権を与える。

 そして、彼らに面倒な販売、流通、マーケティングの全てを「丸投げ」するのだ。

 俺はただ、定期的に各世界を巡回し、商品を納入し、そして代金である金貨を回収するだけ。

 それこそが、究極のフランチャイズ・ビジネス。

 神の視点からの、事業展開。

「…………ふっふっふっふ……」

 創の口から、抑えきれない笑いが漏れた。

「……俺、天才じゃね……?」

 彼は、興奮に打ち震えていた。

 これだ。

 これこそが、俺の退屈を完全に吹き飛ばしてくれる、最高の新しい「ゲーム」だ。

 彼は、目標を設定した。

(……よし。……とりあえず、新たに十の世界だ。……手始めに、十のフランチャイズ加盟店を開拓してやる……!)


 ◇


 その日を境に、創の壮大な、そしてどこまでもぐうたらな異世界ビジネス出張が始まった。

 彼はまず、次元ポケットの中に山と積まれた日本の献上品の中から、プレゼンテーション用のサンプルを小分けにした。

 最高級の砂糖、塩、胡椒、そしてベーキングパウダー。

 さらに、交渉を有利に進めるための「手土産」として、スイス製の美しい機械式腕時計と、日本の最新鋭のソーラー電波腕時計を、それぞれ数本ずつ用意した。

 そして彼は、新たな世界の扉を開いた。

 彼の【異界渡り】の検索パラメータは、極めて明確だった。

『中世レベルの文明。……金本位制。……そして、飯がまずいこと』


 最初に彼が降り立ったのは、水の都『アクアリア』だった。

 そこは、街全体が巨大な湖の上に築かれた、幻想的な水上都市。

 人々はゴンドラのような小舟で行き交い、その生活は完全に水の恵みと共にあった。

 だが、その食文化は、絶望的に貧しかった。

 彼らの主食は、湖で獲れる魚。

 そしてその味付けは、湖の水を煮詰めて作った、粗末な岩塩だけ。

 創は、その街で最も大きな船乗りたちのギルドの扉を叩いた。

 ギルドを支配していたのは、顔に深い皺を刻んだ、海千山千の老婆、ギルドマスター・マチルダだった。

 創は彼女の目の前で、湖で獲れたばかりの新鮮な白身魚をレビテーションの魔法で宙に浮かせ、ファイアボールの微弱な熱で、完璧な塩焼きにしてみせた。

 そして、その熱々の塩焼きの上に、日本の最高級の岩塩と、そしてほんの一振り、挽きたてのブラックペッパーを振りかけた。

 その一口を食べた瞬間。

 マチルダの、長年の潮風と駆け引きで鍛え上げられたポーカーフェイスが、完全に崩壊した。

「………………神よ」

 彼女は、涙を流した。

「……これが、魚だというのか……? ……わしが七十年、食い続けてきたあの魚と、同じ生き物だというのか……?」

 商談は、成立した。

 マチルダは、アクアリアにおける創の商品の独占販売権を、ギルドの全ての富を賭けてでも手に入れたいと懇願した。


 次に彼が訪れたのは、「竜の顎ドラゴンズ・ジョー」と呼ばれる険しい山脈の懐に築かれた山岳王国『ドラッヘンガルド』だった。

 そこは、屈強なドワーフと山岳民族の人間たちが共存する、質実剛健な国。

 彼らの主食は、洞窟で栽培される巨大なキノコと、岩場に生息する固い鱗を持つロックリザードの干し肉。

 その食事は、栄養価こそ高いものの、味という概念からは程遠い、ただの燃料だった。

 創は、その国の鉱山ギルドの長である、赤髭のドワーフ王、ボルガンの元を訪れた。

 そして彼の目の前で、ドワーフたちが何よりも愛する、しかしどこまでも苦く、そして味気ないキノコビールに、ほんの一つまみ、日本の最高級のザラメ糖を入れてやった。

 その一口を飲んだ瞬間。

 ボルガンの、頑固なドワーフとしての魂が、完全に溶かされた。

「………………甘い」

 彼の髭だらけの顔が、くしゃりと歪んだ。

「…………なんと、なんと幸福な味がするのだ……! これさえあれば、我々ドワーフは、あと百年は戦える……!」

 商談は、成立した。

 ボルガンは、山の奥深くに眠る全ての鉱脈の権利と引き換えにしても、その甘い奇跡の独占権を欲した。


 次に彼が訪れたのは、灼熱の砂漠の中にそびえ立つ、太陽神を崇める神聖テオクラシー国家『ヘリオポリス』。

 その国の人々は、厳しい環境で生き抜くため、独自の香辛料文化を発展させていた。

 だが、その味付けはただひたすらに辛いだけで、複雑さや奥深さとは無縁だった。

 創は、その国の最高権力者である太陽神の化身、ファラオ・アクナトンの前に進み出た。

 そして、彼が毎日の儀式として食しているという、何の味付けもされていないパサパサの聖なるパンの代わりに。

 日本の1トンの在庫の中からほんの一握り取り出したベーキングパウダーと、砂糖、そしてバターミルクを使って焼き上げた、雲のように柔らかく、そして太陽のように甘い『パンケーキ』を献上した。

 その一口を食べた瞬間。

 自らを太陽神の化身と信じていたファラオが、その場にひざまずき、目の前の異世界の商人を、本物の神として崇め奉った。

 商談は、成立した。

 アクナトンは、ピラミッドに眠る全ての黄金と引き換えに、その神の食べ物のレシピと材料の独占供給を、涙ながらに懇願した。


 創の異世界ビジネス出張は、続いた。

 霧に閉ざされた森の奥深く、エルフたちが暮らす樹上の都。

 極寒の氷の大地に生きる、獣人たちの移動する集落。

 巨大な亀の甲羅の上に築かれた、海上都市国家。

 彼は、次々と新たな世界を訪れ、その度に同じパターンを繰り返した。

 圧倒的な食文化の違いを見せつけ、現地の最高権力者の胃袋と心を、完全に掌握する。

 そして、彼らに独占販売権という名の甘い夢を見させ、面倒な実務を全て丸投げする。

 そのプロセスは、もはや彼にとって、ただの作業となっていた。


 そして一週間後。

 十の新たな世界に、十の新たなフランチャイズ加盟店を作り終えた創は。

 心身共に疲れ果てて、日本の自室へと帰還した。

 彼は、ゲーミングチェアに崩れ落ちるように身を沈めると、大きく息を吐き出した。

 目の前のディスプレイには、彼がこの一週間で作り上げた、壮大な異世界交易ネットワークの相関図が映し出されていた。

 日本の国家を頂点とする、絶対的な供給源。

 そこから伸びる、十数本の矢印。

 その一つ一つが、一つの世界の未来を左右する、奇跡のサプライチェーン。

 そのあまりにも壮大で、そしてあまりにも馬鹿馬鹿しい光景を前にして。

 創の心の中に、ふと、一つの素朴な、しかし根源的な疑問が浮かび上がった。

 その瞬間、彼の元プロジェクトマネージャーとしての仮面が剥がれ落ち、ただのぐうたらな三十代の男の、魂の叫びが漏れ出した。


「………………あれ……?」


 彼は、呟いた。

 その声は、どこまでも弱々しく、そしてどこまでも情けなかった。


「………………俺、スローライフしたいのに………………働いてるな…………?」


 そうだ。

 彼は、気づいてしまったのだ。

 この一週間、彼がやっていたことは、彼が最も嫌い、最も忌み嫌っていたはずの行為、そのものだった。

 新規市場の開拓。

 新規顧客との折衝。

 プレゼンテーション。

 契約交渉。

 サプライチェーンの構築。

 それは、彼が会社員時代に、毎日、毎日、うんざりしながらこなしていたプロジェクトマネージャーの仕事、そのものだった。

 彼は、一体何のために会社を辞めたのだろうか。

 彼は、一体何のために異世界へと渡ったのだろうか。

 そのあまりにも根本的な、自己矛盾。

 そのあまりにも滑稽な、本末転倒。

 創は、頭を抱えた。

 そして、その場にうずくまり、しばらく、うーうーと呻き続けた。

 彼の壮大すぎるスローライフ計画は、今、最大の、そして最も内面的な存亡の危機に瀕していた。


 だが。

 彼が、そのまま自己嫌悪の沼に沈みきることはなかった。

 彼のぐうたらな魂は、驚くべき回復力と、そしてどこまでも都合の良い自己正当化の能力を持っていた。

 彼は、やがてむくりと顔を上げた。

 そして、凝り固まった肩を回し、ギシリと音を立てて伸びをした。

 そして、彼は言った。

 その顔には、もはや迷いはなかった。

 そこにあるのは、全ての真理を悟った賢者のような、晴れやかな笑顔だった。


「………………まあ、運動にはちょうどいいか!」


 そうだ。

 これは、労働ではない。

 運動だ。

 地球と、十数個の異世界を股にかける、壮大な有酸素運動。

 そして、頭脳をフル回転させる、最高の知的トレーニング。

 そう考えれば、この忙しい日々も、決して悪いものではない。

 彼は、自分自身を完璧に納得させた。

 そして、全ての悩みから解放された彼は、すっくと立ち上がった。

 そして、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出し、その黄金色の液体を、一気に喉へと流し込んだ。

「……ぷはーっ! ……運動の後のビールは、美味いな!」

 彼は、満足げに呟いた。

 そして、自らの次なる「運動」の計画を立てるべく、再びあの忌まわしい、しかしどこか愛おしいプロジェクト計画書のノートを広げるのだった。

 彼の終わりなきスローライフへの探求(という名のワーカホリック)は、まだ始まったばかりだった。



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― 新着の感想 ―
現実に似た話が在りそうで苦笑いする話ですね。自分としては調味料は「さしすせそ」。 次回はギルマス・老婆マチルダや亀の甲羅の上に有る海上都市国家に業務用スーパーの醤油を最初は試供品としてプレゼントしたり…
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