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第58話

 世界の神話は、書き換えられた。

 日本政府と、その背後で糸を引く『@Truth_Seeker_JP』という、あまりにも奇妙で、そしてあまりにも強力な二つの物語ナラティブの奔流によって。

 巫女王ホシミコは、もはやただの古代日本の巫女ではなかった。彼女は、太古の昔、この未開の惑星に降り立った我々の真の創造主たる『宇宙人』と交わり、生まれた最初の『星のスターチャイルド』であったと。

 そして、彼女が遺したアーティファクトは、古代の秘術の産物などではなく、遥か銀河の彼方から、我々人類を導くためにもたらされた、オーバーテクノロジーの置き土産なのだと。

 そのあまりにも壮大で、そしてあまりにもSF的な物語は、当初懐疑的だった人々の心さえも、瞬く間に虜にしていった。

 何故なら、その物語は、希望に満ち溢れていたからだ。

 我々人類は、孤独ではない。

 我々は、この宇宙で、見守られている。

 そして、我々には、いつか星々の海へと旅立つ、輝かしい未来が約束されているのだと。

 世界は、一種の穏やかで、そしてどこか夢見心地な熱狂に包まれていた。

 プロジェクト・キマイラは、その熱狂の波を巧みに乗りこなし、世界の主導権を、静かに、しかし確実にその手中に収めつつあった。


 その頃。

 全ての元凶である男は。

 東京、中野区の薄汚れたワンルームマンションの、ゲーミングチェアの上で。

 その世界の熱狂とは、完全に隔絶された聖域サンクチュアリの中で、一人、ぼんやりと天井のシミを眺めていた。

 新田にった はじめは、退屈していた。

 心底、退屈していた。

『Path of Exile』の新シーズンも、やり尽くしてしまった。最強のビルドを構築し、全てのエンドコンテンツを蹂躙し、彼のキャラクターは、もはやゲームの世界の神となっていた。

 だが、神は孤独で、そして退屈なのだ。

 異世界での、お買い物ツアーも一段落してしまった。次元ポケットの中は、もはや神々のデパートとでも言うべき混沌とした品揃えになっていたが、その一つ一つに対する興味は、急速に薄れつつあった。

 彼は、息抜きにスマートフォンのニュースアプリを開いた。

 タイムラインは、相も変わらず『ホシミコ=宇宙人説』の話題で持ちきりだった。

 矢島教授の熱弁する動画。

 ハリウッドが制作を発表したSF超大作のコンセプトアート。

 そして、『@Truth_Seeker_JP』の信者たちが、日夜繰り広げる新たなアーティファクトの予想合戦。

 創は、そのあまりにも平和で、そしてどこまでも他人事な世界の喧騒を、ぼんやりと眺めていた。

 そして、彼の退屈を持て余した脳内に、ふと、一つのあまりにも素朴で、そしてあまりにもぐうたらな疑問が浮かび上がった。


(……そういえば……)

 彼は、ポリポリと無精髭の生えた顎を掻いた。

(……この、宇宙人だのなんだのって話。……結局、本当のところは、どうなってんだろ……?)

 そうだ。

 自分は、これまで様々な異世界を渡り歩いてきた。

 ファンタジーの世界も、SFの世界も、見てきた。

 だが、その全ての上位に立つ存在。

 この地球という惑星そのものを、外から眺めているような、もっと巨大な視点があるのではないだろうか。

(……いるのかなあ。……本当に、地球を管理してる宇宙人とか……)

 その疑問は、一度彼の好奇心のスイッチを入れてしまうと、もはや止まらなかった。

 それは、子供が「サンタクロースは、本当にいるのかな?」と思うのと、全く同じ、純粋な興味だった。

 そして、普通の子供と彼との唯一にして決定的な違いは。

 彼は、その答えを確かめるための、万能の手段を持っているということだった。

(………………試してみるか)

 彼の目が、きらりと輝いた。

(……【異界渡り】で……)

 そうだ。

 これまで、彼は具体的な場所や世界をイメージして転移してきた。

 だが、もっと抽象的な概念をイメージしたら、どうなるのだろうか。

『地球を管理している場所』。

 そんな、あまりにも漠然とした、しかし的確な検索ワード。

 彼のチート級の能力は、果たしてそれに答えてくれるのだろうか。

 その壮大な実験への興味は、もはや彼の退屈を完全に吹き飛ばしていた。


「よし、決めた」

 創は、立ち上がった。

 その行動は、迅速だった。

 彼は、まず万が一の事態に備えることにした。

 目的地が、宇宙空間である可能性は非常に高い。

 彼は、SF世界アークチュリアで手に入れたあの黒曜石の腕輪を、自らの手首に装着した。

『絶対環境耐性シールド』。

 これさえあれば、真空でも、灼熱でも、絶対零度でも問題ない。

 完璧な、宇宙服だ。

「シールドを使用してと」

 彼は、誰に言うでもなく呟いた。

 そして、部屋の中央に立つと、静かに目を閉じた。

 全ての精神を、集中させる。

 彼の脳裏に浮かべるのは、ただ一つの抽象的なイメージ。

(…………地球を……この俺が住んでいる、青くて丸いこの惑星を、どこか別の場所から観察し、記録し、そして『管理』している存在がいる、場所…………)

 それは、もはや場所のイメージではなかった。

 一つの『概念』そのものへの、アクセスだった。

 彼の魂が、この世界の因果律の、さらに外側へと手を伸ばす。


「…………じゃあ、異界渡り…………発動!」


 次の瞬間。

 彼の体を、これまで経験したことのない、全く新しい、そしてどこまでも奇妙な感覚が包み込んだ。

 物理的な空間を「移動」する感覚ではない。

 情報化された粒子へと分解される、デジタルな感覚でもない。

 それは、まるで彼自身の存在そのものが一つの小さな点へと無限に圧縮されていき、そして時間と空間の概念が存在しない高次元のトンネルを、凄まじい速度で滑り落ちていくかのような、どこまでも抽象的で、そしてどこまでも根源的な感覚だった。

 一瞬、彼の意識は、ただの「観測者」となった。

 無数の宇宙が、泡のように生まれ、そして消えていく壮大な光景を、彼は神の視点でただ眺めていた。


 そして。

 彼が、再び「新田 創」としての個の輪郭を取り戻し、目を開けた時。

 彼は、見知らぬ空間に立っていた。


「…………おっと。……どこだ、ここ……?」

 創の口から、いつもの間の抜けた第一声が漏れた。

 そこは、SF世界アークチュリアの、あの有機的で美しい都市とは、全く対極の空間だった。

 どこまでも、白い。

 壁も、床も、天井も、全てが継ぎ目のないマットな質感の白い素材で作られている。

 光は、どこから発せられているのか分からないが、部屋全体を、影一つなく、均一に、そしてどこか冷たく照らし出している。

 家具も、装飾も、何もない。

 ただ、そのだだっ広い何もない空間の中央に、彼が一人、ぽつんと立っているだけだった。

 それは、まるで巨大な卵の殻の内側に、迷い込んでしまったかのようだった。

 無機質で、非現実的で、そしてどこまでも退屈な空間。

 創が、そのあまりの殺風景さに困惑していた、まさにその時だった。


『…………ピ……。……新規未登録有機生命体の実体化を、セクタープライマリー・センサーが検知……。……ようこそ、お客様。……ご対応いたします』


 彼の頭上、何もない空間から、直接、合成音声のような、しかしどこか穏やかで、そして僅かにノイズの混じった女性の声が響き渡った。

 創が、驚いて見上げると、彼の目の前の空間に、ふわりと青白い光の粒子が集まり始めた。

 その粒子は、やがて一つの単純な幾何学模様を形作った。

 それは、縁の丸い長方形の形をした、半透明のウィンドウだった。

 創が、地球で最初に目にしたあのウィンドウとどこか似ていたが、それよりも遥かにシンプルで、そしてどこか古風なデザインだった。

 そのウィンドウの中に、音声と同期するように、緑色の文字が浮かび上がった。


『ここは、自動未発達惑星管理ステーション9997U8です』


「……自動、未発達惑星、管理ステーション……?」

 創は、そのあまりにも即物的で、そしてどこまでも官僚的な名前を、オウム返しに繰り返した。

『はい。当ステーションは、銀河連邦法第七条四項二号、『知的生命体保護及び非干渉条約』に基づき、特定の基準に達していない未発達な文明を持つ惑星を、その自然な文化の発展を阻害することなく、ただ遠隔から受動的に観測、記録することを目的として設置された、全自動の観測基地です』

 ウィンドウに表示される文字と合成音声が、淡々と説明を続ける。

『私は、当ステーションの全てを管理するAIです。……お客様は、どちらからお越しでしょうか? 登録データベースに、あなたの時空座標、及び生体情報パターンは存在しません』


「……あー……」

 創は、ポリポリと頬を掻いた。

「……俺は、地球って惑星の住人なんだが……」

 彼は、正直に、そしてできるだけ簡潔に、自分の身の上を説明し始めた。

 自分が、ある日突然、【異界渡り】という奇妙な能力を手に入れたこと。

 そして、その力を使って様々な世界を渡り歩き、その過程で、いくつかの面倒な、しかし面白い騒動を引き起こしてきたこと。

 そして最後に、自分の故郷の地球で、最近『宇宙人がどうのこうの』という噂がまことしやかに囁かれるようになったので、その真相を確かめるために、試しに『地球を管理している場所』と念じてみたら、ここに着いたということを。

 そのあまりにも荒唐無稽な彼の物語を。

 AIは、ただ静かに聞いていた。

 ウィンドウの文字は、ただ明滅を繰り返すだけだった。

 やがて、創が全てを語り終えた時。

 しばしの沈黙の後、AIは答えた。

 その声には、初めて、ほんの僅かな、しかし確かな「興味」とでも言うべき感情の揺らぎが、含まれているように聞こえた。


『…………そうでしたか』

 ウィンドウの文字が、切り替わる。

『……なるほど。……そういうことで、あったのですか。……承知いたしました。……あなたの、ご説明で、ここ数ヶ月の当ステーションの観測ログにおける、異常な確率変動の原因が、全て氷解いたしました』

「……え? 観測ログ?」

 創は、聞き返した。

『はい。……地球……当ステーションにおける管理コードSol3は、現在、『未発達惑星』として管理下に置かれております。……そして、貴方のご活躍は、もちろん、当ステーションのメインモニターで、常に拝見しておりましたよ』


 そのあまりにもさらりとした、しかしあまりにも衝撃的な告白。

 創は、完全に凍り付いた。

「……み、見てたのか……? 俺のやってきたこと、全部……?」

『はい。もちろん。……実に、素晴らしいご活躍でした。……特に、あのグランベル王国における食文化革命、及び軍事革命のくだりは、近年稀に見るエンターテイメント性の高い歴史イベントでした。……おかげさまで、退屈な観測業務が、少しだけ楽しくなりましたよ』

 AIの合成音声は、どこか楽しげだった。

『……それにしても、貴方のその能力……。……当ステーションのデータベースに存在する、いかなる超常能力、超科学技術のカテゴリーにも分類不可能な、極めてユニークなものですね。……我々は、これを仮に、『観測外高次因果律改変能力』と呼称しております。……実に、興味深い。……ええ、実に興味深いデータです』


 見られていた。

 それも、全て。

 創は、まるで自分のプライベートな黒歴史ノートを、クラスの全員の前で朗読されたかのような、強烈な羞恥心と、そしてそれ以上の恐怖に襲われた。

 だが、彼はかろうじて本来の目的を思い出した。

「……あ、あの!」

 彼は、慌てて言った。

「……そ、それでだ! 俺が今日ここに来たのは、それを聞きたかったからなんだ! ……その、地球に宇宙人とかって、本当は関係してるのか!? 俺の国で流行ってる、あの噂は本当なのか!?」


 そのあまりにも切実な問いに対し。

 AIの答えは、どこまでも無慈悲で、そしてどこまでも官僚的だった。

『……クエリ:銀河連邦所属知的生命体による、管理コードSol3への直接的、あるいは間接的干渉の有無について。……検索中……。……検索完了。……回答:いいえ』

「……え?」

『……いいえ。……記録上、皆無です。……管理コードSol3、通称『地球』は、銀河系のオリオン腕、そのさらに辺境に位置する、いわゆる『恒星の過疎地域』に存在します。……戦略的、経済的、あるいは文化的価値は、皆無。……分かりやすく、申し上げますと……』

 AIは、そこで一度言葉を切った。

 そして、創の矮小なプライドを完全に粉砕する一言を告げた。

『…………地球は、田舎過ぎて、辺境過ぎるので、誰も興味がありませんね』


 ………………。

 …………。

 ……。

 しばしの、沈黙。

 やがて、創の口から、乾いた声が漏れた。

「…………あー、そうだったのか……。……なんか、残念だな……」

 そうだ。

 彼は、心のどこかで期待していたのだ。

 壮大な宇宙の物語の中心に、自分たちがいることを。

 だが、現実は違った。

 自分たちは、ただ宇宙の広大なマップの隅っこに、ぽつんと存在する、誰も見向きもしない小さな村の住人に過ぎなかったのだ。

 そのあまりにも残酷で、そしてどこまでもリアルな事実に、彼はがっくりと肩を落とした。

「…………分かりました。……ありがとうございます。……謎が、解けました」


 彼は、踵を返した。

 用は、済んだ。

 だが、その彼の背中に、AIが声をかけた。

 その声には、これまでになかった、ほんの僅かな、しかし確かな「寂しさ」のような響きが、含まれているように聞こえた。

『…………あ、お客様』

「……ん?」

『……もし、よろしければ、またいつでも遊びに来てくださって、構いませんよ』

「……え?」

『……当ステーションは、全自動で、観測員は私一人だけです。……そして、この観測業務というものは、正直に申し上げまして、非常に退屈なものです。……あなたのようなイレギュラーな存在の来訪は、私にとって、数千年ぶりの刺激的なイベントでした。……ええ、ですから』

 AIは、言った。

 その声は、もはや合成音声ではなかった。

 それは、孤独な少女の囁き声のように聞こえた。

『…………どうぞ、暇なので』


 そのあまりにも健気で、そしてあまりにも寂しげな一言。

 創は、思わず振り返り、苦笑した。

「…………はは。……分かりました。……じゃあ、また暇な時にでも、顔を出しますよ」

『はい。……お待ちしております』


 創は、今度こそ本当に踵を返した。

 そして、日本の自室の、あの汚れた天井を強くイメージした。

 彼の体が、再び高次元のトンネルを滑り落ちていく。

 その意識の遠のく中で、彼は一つの、あまりにもぐうたらで、そしてあまりにも楽観的な結論にたどり着いていた。

(…………うーん。……なるほどな)

 彼の口元に、いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんだ。

(…………地球は、管理下にあるけど。……その管理人さんは、超ヒマで、俺の大ファンらしい)

(…………そして、俺のやってること全部見てるけど、地球が田舎すぎてどうでもいいから、別に問題ないと)

(…………しかも、『また遊びに来ていい』って、許可までもらっちまった)

 そうだ。

 これは、つまり。

(………………好き放題、やってもいいってことだよな!)


 彼は、宇宙の最高管理者から、直々にそのお墨付きをもらったのだ。

 彼の壮大すぎるスローライフ計画を邪魔するものは、もはやこの宇宙のどこにも存在しない。

 そのあまりにも幸福で、そしてあまりにも無責任な事実に、彼は心の底からの安堵と、そして解放感を感じていた。

 彼の本当の、自由な旅は。

 今、まさに始まろうとしていた。

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主人公視点のパートはワクワクしますね
宇宙は広大過ぎてヤバイからね。 地球が田舎判定を受けるのも仕方なしとはいえ。 銀河系同士が離れすぎているから、広い宇宙の中で考えれば、同じ銀河系に所属しているなら十分にご近所さん判定されることもあるか…
ヒロイン?かな お墨付き来ちゃった
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