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第2話

 新田にった はじめは、使い古されたノートの真新しいページを睨みつけ、腕を組んだ。

 ページの中央には、彼自身が先ほど書きなぐった、勢いだけは立派なプロジェクト名が鎮座している。


【プロジェクト名:俺の悠々自適スローライフ計画】


「……よし」


 小さく呟き、創はボールペンを握り直した。

 気分は、さながら人生という名の巨大プロジェクトの、キックオフミーティングに臨むプロジェクトマネージャーだ。参加者は、俺一人。クライアントも、俺。そして、このプロジェクトの成否は、今後の俺の人生全てを左右する。

 十年以上、他人のための、会社の利益のためのプロジェクトばかりを回してきた。納期に追われ、仕様変更に振り回され、人間関係に神経をすり減らす日々。だが、今回は違う。これは、正真正銘、百パーセント、新田 創のためのプロジェクトだ。

 そう思っただけで、心の奥底から、アドレナリンが湧き上がってくるのを感じた。


「さて、と。まずは現状の整理と、目的の再確認からだな」


 創はブツブツと呟きながら、ノートに箇条書きで文字を書き連ねていく。その姿は、クライアントとの打ち合わせで議事録を取っていた頃の彼そのものだった。染み付いた社畜根性は、そう簡単には抜けないらしい。


【現状(As-Is)】


 新田 創(35)、昨日付けで無職に。


 退職金あり(約1年分の生活費)。実家に戻れば、当面の生活には困らない。


 突如、超常的な能力【異界渡り】を取得。


 効果:異世界と現実世界を自由に行き来できる(らしい)。


 トリガー:場所を強くイメージすること(たぶん)。


 コスト/代償:不明(最重要確認事項!)。


【目的(To-Be)】


 最終目的(Goal): 働かずに、金に困らず、悠々自適のスローライフを送る。


 中間目標(Milestone): 【異界渡り】能力を利用して、上記目的を達成するための資産(不労所得が望ましい)を形成する。


「うん、基本はこんなところか」


 創は満足げに頷いた。

 次に書くべきは、中間目標を達成するための具体的な「手段」だ。

 彼はノートの次のページを開き、中央に大きく「金策プラン」と書いた。そして、思いつく限りの金儲けの方法を、ブレインストーミングで書き出していく。


【金策プラン(案)】


 交易ビジネスモデル(現代品→異世界)


 概要:現代の安価な工業製品(塩、砂糖、香辛料、ガラス玉、ライター等)を異世界に持ち込み、金貨や宝石と交換する。


 メリット:元手が安く済む。成功すれば莫大な利益ハイリターン


 デメリット/リスク:


 換金問題:異世界の金貨や宝石を、どうやって日本円に換金するのか。貴金属店? ネットオークション? 確実に足がつく。裏社会ルートは論外。


 文化・価値観の相違:持ち込んだ品に価値を見出してもらえない可能性がある。


 コミュニケーション問題:言語が通じない可能性大。


 生命リスク:交易相手が友好的とは限らない。盗賊に襲われる、あるいは国家に捕縛される危険性。


 結論:リスクが高すぎる。初期段階での選択肢としては却下。


 資源採掘ビジネスモデル(異世界品→現代)


 概要:異世界に存在する、地球にはない希少鉱物(ミスリル的な何か)や、魔法の力が宿ったアイテム、薬草などを採取し、現代で売却する。


 メリット:地球上に存在しない物質であれば、価格は言い値。莫大な利益が期待できる。


 デメリット/リスク:


 生命リスク:希少な資源がある場所には、相応の危険(モンスター、危険な地形、現地の知的生命体との縄張り争い等)が伴う可能性が高い。


 専門知識の欠如:何が価値のある鉱物で、何がただの石ころなのか、俺に見分けがつくのか? 毒草と薬草の区別は?


 運搬の問題:巨大な鉱石や大量の素材をどうやって運ぶ?


 売却ルートの問題:誰に、どうやって売る? いきなり「異世界で採れた魔法の石です」と言って信じてもらえるのか?


 結論:これもリスクと専門性のハードルが高い。単独での実行は困難。却下。


 オーバーテクノロジー転売モデル


 概要:未来や、科学が極端に進んだ異世界へ行き、現代にはない超技術(常温核融合、万能細胞、AI等)の設計図や情報を持ち帰り、企業や国家に売却する。


 メリット:成功すれば、人類史に残るレベルの富と名声を得られる。国家レベルの庇護を受けられる可能性も。


 デメリット/リスク:


 そもそも、そんな都合の良い異世界に行けるのか?


 情報の入手難易度が極めて高い。高度なセキュリティをどうやって突破する?


 理解不能:持ち帰った情報が、現代の科学レベルで理解・再現できない可能性がある。


 自由の喪失:国家に能力を把握された時点で、俺のスローライフは終わる。監視下の生活はご免だ。


 結論:ハイリスク・ハイリターンすぎる。論外。


 創はペンを置き、ううむ、と唸った。

 どのプランも、夢は大きいが、それ以上にリスクが大きすぎる。まるで、虎の子の退職金を、いきなり信用取引の全力買いに突っ込むようなものだ。そんなギャンブルはしたくない。俺がやりたいのは、インデックス投資のように、ローリスクで着実に資産を増やしていくことなのだ。


「もっと、こう……安全で、元手がかからなくて、俺自身は汗をかかずに済むような、そんなうまい話は……」


 そこまで考えて、創はハッとした。

 あるじゃないか。一つだけ。究極のローリスク(だと思える)プランが。


 彼は、ノートに新しい項目を書き加えた。


 情報提供・サンプル売却モデル


 概要:異世界に存在する物質(石、土、草など、どこにでもあるもの)を採取し、匿名で大学や研究機関に「新発見の可能性がある」として送付。分析させ、もし本当に価値のあるものだと判明した場合、追加のサンプル提供や産地の情報提供を盾に、高額な契約金を要求する。


 メリット:


 安全第一: 危険な場所に行く必要がない。最初の野原のような、安全そうな場所で採取すればOK。


 元手ゼロ: 採取するのはタダの石ころや草。コストは送料くらい。


 専門知識不要: 価値の鑑定は専門家(研究機関)に丸投げ。俺は結果を待つだけ。


 匿名性: うまくやれば、身元を明かさずに金銭を得られる可能性がある。


 デメリット/リスク:


 価値がない可能性:採取したサンプルが、地球上の物質と何ら変わりなく、全く相手にされない可能性がある(その場合はノーダメージで次を試せばいい)。


 身元バレのリスク: これが最大のリスク。どうやって匿名性を担保するか。


「……これだ」


 創は、確信を持って呟いた。

 これしかない。プロジェクトの第一段階(フェーズ1)として、これ以上のプランはないだろう。

 彼は「情報提供・サンプル売却モデル」の項目を、ぐるぐると丸で囲んだ。


「まずそもそも、金になるか? だな。異世界での物を採取して、国の研究機関に梱包して……いや、待てよ」


 創の思考が、そこで一旦停止する。

 デメリットの項目に書き出した「身元バレのリスク」。これが、思った以上に厄介な問題であることに、彼は気づいた。


「郵送は、まずいか……」


 匿名で送ったつもりでも、今の時代の捜査技術をなめてはいけない。封筒や切手についた指紋や唾液のDNA。防犯カメラの映像。筆跡鑑定。プロの手にかかれば、どこから発送されたか、誰が投函したかを割り出すことなど、造作もないかもしれない。もし、送ったサンプルが本当に国家を揺るがすような大発見だった場合、国は総力を挙げて送り主を探しに来るだろう。

 そうなれば、一巻の終わりだ。


「直接、持っていく……? いやいや、それじゃ匿名にならない」


 創は頭を抱えた。どうすればいい。リスクをゼロに近づけたい。自分の存在を完全に消したまま、サンプルだけを相手に渡す方法……。


 そこで、創の脳内に、ある光景が閃いた。

 Amazonの配達員が、玄関の前に荷物を置いて、写真を撮って立ち去っていく、あの光景。


「置き配……!」


 そうだ。それだ。

 研究機関の建物の、入口の前に、こっそりとサンプルを置いて立ち去ればいい。

 深夜、人目につかない時間帯に、警備員や監視カメラの位置を事前に調べておけば、誰にも姿を見られることなく、目的を達成できるかもしれない。


「メールで、『資料を置いておきます』とでも書いておけば良いだろ!」


 名案だ、と創は一人悦に入った。

 これなら、指紋もDNAも、防犯カメラのリスクも、最小限に抑えられる。完璧じゃないか。

 いや、待て。まだだ。まだ詰めが甘い。


 一つの研究機関だけでは、サンプルを無視されたり、あるいは世紀の大発見すぎて、逆に情報を秘匿されたりする可能性がある。保険は多い方がいい。


「よし、とりあえず5箇所ぐらいに送りつければ、誰か当たりがあるだろ」


 ターゲットは、物質科学や生命科学の分野で最先端を走っている大学の研究室。あるいは、潤沢な資金を持つ民間の化学メーカーの研究所。そして、本命として、国の管轄下にある理化学研究所のような組織。

 それぞれに、少しずつ違うサンプル(石、土、草など)を届ける。そうすれば、どれか一つくらいは、面白い反応を示してくれるに違いない。


「よーし、こうしてられない! 色々準備だな!」


 計画の骨子が固まったことで、創の心は一気に軽くなった。

 彼は椅子から立ち上がり、部屋の中を忙しなく歩き回る。やるべきことは山積みだ。

 まずは、ターゲットとなる研究機関のリストアップ。建物の見取り図や、周囲の状況をGoogleマップで徹底的に調べる必要がある。

 次に、送付する(実際には置くだけだが)サンプルのための容器や、手紙の準備。

 そして、何よりも重要なのが、異世界でのサンプルの採取だ。


「……と、その前に」


 創の動きが、ぴたりと止まった。

 彼の脳裏に、一つの重大な疑問が浮かび上がっていた。

 それは、今回の計画の根幹を揺るがしかねない、極めて基本的な疑問だった。


「俺、日本の、行きたい場所に、ピンポイントで移動できるのか?」


 今まで、異世界とこのアパートとの往復しかしていない。

【異界渡り】という名前からして、世界と世界を「渡る」ための能力である可能性が高い。

 もし、同じ世界の中、つまり地球上での移動ができないとしたら?

 深夜に、東京や神奈川、茨城(研究学園都市がある)に点在する研究機関を、公共交通機関も使わずに、どうやって回るというのだ? 車も持っていない。タクシーを使えば足がつく。

 計画が、いきなり根底から頓挫しかけていた。


「……検証、だな」


 創は、ごくりと唾を飲んだ。

 プロジェクト計画における、実現可能性の検証フィジビリティスタディだ。

 彼は、まず、最もリスクの低い実験から始めることにした。


「まずは……この部屋の中だ」


 彼は部屋の中央に立ち、数メートル先にあるトイレのドアを、じっと見つめた。

 今から、あのドアの前へ飛ぶ。

 創は目を閉じ、トイレのドアの、木目の質感、冷たい金属のドアノブ、そこに立っている自分の姿を、強く、強くイメージした。


 次の瞬間、ふわりとした、ほんの僅かな浮遊感と共に、彼の視界が切り替わった。

 目を開けると、目の前には、先ほどまで数メートル先にあったはずのトイレのドアがあった。

 成功だ。

 あまりにあっさりと成功したことに、創は拍子抜けした。

 彼は、次に、窓際に置かれた観葉植物パキラの前、ベッドの上、キッチンと、次々に部屋の中のポイントへ移動を繰り返した。全て、完璧に成功する。


「なるほど……近距離は問題ない、と」


 創はノートに「同一空間内の短距離転移:成功」と書き込んだ。

 次は、もう少し距離を伸ばしてみる。

 彼は、窓から外を眺めた。アパートのすぐ近くにある、自動販売機。いつもタバコを買いに行く、あの赤い自販機だ。

 その姿を、脳裏に焼き付ける。アスファルトの匂い、自販機のモーターが唸る低い音、商品の見本が並ぶディスプレイの光。五感をフル動員して、イメージを具体化していく。


 転移。


 視界が切り替わる。

 ひんやりとした夜の空気が、肌を撫でた。目の前には、煌々と光を放つ自動販売機。背後からは、遠くを走る車の走行音が聞こえる。

 成功だ。

 だが、今回は、少しだけ違和感があった。

 イメージしていた場所よりも、ほんの三十センチほど、右にずれた場所に出現していた。


「……イメージの精度、か」


 おぼろげな記憶や、遠くから見ただけの風景では、座標にズレが生じるのかもしれない。

 ならば、もっと鮮明で、正確な視覚情報があればどうだ?


 創は、すぐにアパートの部屋に戻り、パソコンの前に座った。

 彼が立ち上げたのは、Googleマップ。そして、ストリートビューの機能だった。

 彼は、マウスを操作し、誰もが知る、東京の、あの場所の画像を表示させた。

 渋谷駅前、スクランブル交差点。

 毎日、何十万人もの人々が行き交う、世界で最も有名な交差点の一つ。

 その、ど真ん中。忠犬ハチ公の銅像が見える、あの場所。

 パソコンの画面に映し出された、三百六十度のパノラマ映像。人々の顔にはぼかしが入っているが、周囲の巨大なビルや、大型ビジョン、道路の白線は、極めて鮮明だ。


「……よし」


 創は覚悟を決めた。

 もし、本当にこの場所に出てしまったら、すぐに部屋に戻る。滞在時間は一秒未満。誰にも気づかれはしないはずだ。

 彼は、画面の中の景色に意識を集中し、そこに立つ自分をイメージした。

 周囲の喧騒、大型ビジョンから流れる音声、雑多な人々の匂い。


 転移。


 次の瞬間、創の全身を、情報の津波が襲った。

 凄まじい轟音。無数の人々の話し声。クラクション。大型ビジョンから叩きつけられるJ-POP。あらゆる方向から押し寄せる、香水と汗と排気ガスの匂い。そして、視界を埋め尽くす、人の波と、暴力的なまでの光、光、光。


「うわっ!?」


 創は、文字通り、人の波のど真ん中に放り出されていた。

 四方八方から、舌打ちと、迷惑そうな視線が突き刺さる。ぶつかってきたサラリーマンに「邪魔だよ!」と怒鳴られた。

 イメージした通りの、完璧な座標への転移だった。完璧すぎた。


「家に帰りたい!!」


 彼は、パニックになりながら、心の中で絶叫した。

 一秒後、彼は、静まり返った自分のアパートの床に、尻もちをついていた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……心臓に悪い……」


 ぜいぜいと肩で息をしながら、創は床にへたり込んだ。

 だが、その顔には、恐怖と同時に、確かな興奮の色が浮かんでいた。

 検証は、成功だ。

 視覚情報さえあれば、行ったことのない場所へも、正確に転移できる。


「……ということは」


 創は、おもむろに立ち上がると、再びパソコンに向かった。

 彼が検索窓に打ち込んだのは、彼の故郷の、実家の住所だった。

 航空写真と、ストリートビューで、見慣れた我が家の姿が表示される。赤い屋根。少し色褪せた外壁。親父が手入れしている、ささやかな庭。高校時代、自分の部屋だった二階の窓。

 十年以上、帰っていない場所。

 だが、その風景は、彼の記憶の中に、今でも鮮明に焼き付いている。

 写真と、記憶。その二つが組み合わさった時、イメージは、かつてないほどのリアリティを帯びていた。


 創は、目を閉じた。

 玄関のチャイムの音。醤油の煮える匂い。居間でテレビを見ながら笑う、母親の声。庭木の手入れをする、無口な父親の背中。

 全てが、愛おしい。


 転移。


 次に目を開けた時、彼は、実家の門の前に立っていた。

 夕暮れの、オレンジ色の光が、町全体を優しく包んでいる。近くの家から、夕飯の支度をする匂いが漂ってくる。遠くで、カラスが鳴いていた。

 アパートの部屋とは、時間の流れ方が、まるで違うように感じられた。


 創は、物陰に隠れながら、そっと家の様子を窺った。

 居間の窓に、明かりが灯っている。人影が見えた。母親と、父親だ。テレビを見ながら、何か話している。

 その、あまりにも平和な光景に、創の胸は、きゅっと締め付けられた。

 会社を辞めたことは、電話で伝えてある。近いうちに帰る、とも。二人は、心配しながらも、息子の帰りを待ってくれているのだろう。

 そんな両親の知らないところで、息子は、とんでもない力を手に入れ、世界を揺るがすかもしれない計画を立てている。

 少しだけ、罪悪感が胸をよぎった。


 だが、その思いは、すぐに別の決意に塗り替えられた。

 この力で金を稼いで、親孝行だってできるじゃないか。温泉旅行に連れて行ってやるのもいい。家を建て替えてやるのだって、夢じゃない。

 そのためにも、このプロジェクトは、絶対に成功させなければならない。


 創は、両親に一礼すると、音もなくその場から姿を消した。

 東京の、殺風景なワンルームに帰還した彼は、確信に満ちた表情で、ノートに力強く書き込んだ。


「地球上でもどこでも移動出来るコトが判明した。これで研究機関への資料配達は楽になったな。住所と場所のイメージさえ出来れば、どこにでもいけるみたいだし」


 彼は、ペンを走らせ、能力の仕様について、分かったことをまとめていく。


【異界渡り・能力仕様ver1.0】


 転移対象: 術者(新田 創)自身。着ている服、ポケットの中身も一緒に転移可能(質量の制限は要検証)。


 転移先: 異世界、及び、同一世界(地球)内の別座標。


 発動条件:


 転移先の場所を、術者が強く、具体的にイメージすること。


 イメージの精度が、座標の正確性に直結する。


 視覚情報(記憶、写真、地図、ストリートビュー等)が、イメージの精度を大幅に向上させる。


 コスト: 不明。今のところ、疲労感や魔力消費的なものはない。


 クールタイム: なし。連続使用可能。


「よーし、あとは資料採取するだけだな」


 計画における最大級の懸案事項が、クリアされた。

 あとは、実行あるのみだ。

 創は、パソコンで、ホームセンターのオンラインストアを開いた。

 異世界での、記念すべき第一回の「採取オペレーション」のための、装備を調達するためだ。


「採取するものは、草、土、石ぐらいか? 一応、草は色々な種類を集めるべきか…」


 彼は、独り言を呟きながら、必要なものをリストアップしていく。

 まず、安全装備。頭を守るためのヘルメット。手足の怪我を防ぐプロテクターと、厚手の作業用手袋。万が一、危険な生物に遭遇した場合のための、熊除けスプレー。

 次に、採取用具。土を掘るための、折り畳み式のスコップ。小さなサンプルを掴むためのピンセット。そして、採取したサンプルを、種類ごとに、場所ごとに、きっちりと分類して保管するための、大量のジップロックと、密閉できるタッパー。

 記録用具も必要だ。どの場所で、何を採取したかを記録しておかなければ、後で価値が判明した時に、産地を特定できない。スマホのカメラとメモ機能を使おう。念のため、モバイルバッテリーも大容量のものを用意しておく。

 服装は、長袖長ズボンが基本だ。虫刺されや、植物によるかぶれを防ぐため。丈夫で、動きやすい、アウトドア用のジャケットとパンツがいいだろう。

 それら全てを詰め込むための、大きなリュックサックも。


 リストを作り終えた創は、その合計金額を計算して、少しだけ顔をしかめた。

 数万円の出費だ。無職の身には、決して安くない。


「……必要経費、だな。これは、未来への投資だ」


 彼は自分に言い聞かせ、ネットストアの「購入」ボタンをクリックした。

 商品は、明日には届く。

 全ての準備が整う。


 創は、窓の外を見た。東京の夜景が、宝石箱のように、しかしどこか冷たく、広がっている。

 あの光の一つ一つの下で、人々は、働き、悩み、生きている。

 俺は、もう、あの場所からは降りたのだ。

 いや、違う。

 俺は、あの場所を、遥か上空から見下ろす、新しいステージに立とうとしている。


 明日、全ての準備が整ったら、行こう。

 再び、あの二つの太陽が輝く、異世界へ。

 悠々自適なスローライフは、もう、目の前だ。

 創は、これから始まる大冒険(という名の金儲け)に、胸を高鳴らせるのだった。

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