第16話
日本政府との二度目の謁見を終え、新田 創は実家の自室のベッドの上で、しばし呆然としていた。
手元に残された、ずしりと重い金貨の袋。ラングローブ商会との取引で得た、確かな成功の証。そして、日本政府に丸投げしてきた、あまりにも巨大な宿題の数々。
彼の人生は、この数ヶ月で、もはや原型を留めないほどに、劇的に、そして奇妙に変わり果てていた。
交易ビジネスのルートは確保した。資金調達の目処も立った。
だが、彼の計画の最も重要なピースが、まだ埋まっていない。
安住の地。
心からくつろぎ、誰にも邪魔されず、怠惰の限りを尽くすことができる、究極の生活拠点。
彼の魂が求める、真の「理想郷」。
「……さて、と」
創は、ベッドから身を起こすと、プロジェクト計画書のノートを開いた。
彼の思考は、既に次なるステージへと移行している。
【プロジェクト名:理想郷探索計画 - SF編】
それは、彼自身にとっても、あまりにも突飛で、しかし抗いがたいほどに魅力的な計画だった。
剣と魔法の世界。中世ヨーロッパ風の世界。
それらは、確かに刺激的で、実りも多かった。
だが、「住む」となると話は別だ。
衛生観念、食事、娯楽、そして何よりもプライバシー。現代日本で生まれ育った彼にとって、それらの要素は、決して妥協できるものではなかった。
ならば、いっそ振り切ってしまおう。
過去に戻るのではなく、未来へ。
ファンタジーではなく、サイエンス・フィクションへ。
彼の持つ【異界渡り】の能力が、それを可能にする。
彼は、転移のためのイメージを、慎重に、そして丹念に構築し始めた。
ただ「未来」や「SF」と漠然と願うのは、あまりにも危険すぎる。そこが、AIに支配されたディストピアかもしれないし、異星人との絶望的な戦争の真っ只中かもしれない。
彼が求めるのは、あくまで「理想郷」だ。
彼は、今まで読んだSF小説や、観た映画、プレイしたゲームの記憶の全てを総動員した。
そして、いくつかのポジティブなキーワードを、イメージの核として設定した。
『恒久的な平和』――長きにわたる愚かな戦争は、全て終わりを告げている。
『労働からの解放』――全ての生産活動はAIとロボットに代替され、人々は生存のための労働から完全に解放されている。
『自然との調和』――テクノロジーは、自然を破壊するのではなく、共存し、より豊かにするために使われている。
『知性への寛容』――あらゆる種族、あらゆる形態の知性体が、互いを尊重し、平等に共存している。
彼は、これらのキーワードから導き出される光景を、脳裏に鮮明に描いていく。
白い曲線を描く優美な超高層ビルが、緑豊かな空中庭園と一体化している。その合間を、リニアモーターカーのような静かな乗り物が、完璧な秩序を保って滑るように行き交っている。地上では、人間だけでなく、獣人のような姿の種族や、機械の体を持つアンドロイド、そしてタコのような奇妙な姿の異星人までもが、楽しげに談笑している。
誰もが、若々しく、健康的で、その表情には不安や欠乏の色が一切ない。
そんな、完璧すぎるほどのユートピアのイメージ。
「……よし、行くか」
創は、覚悟を決めた。
ハイリスク・ハイリターン。だが、この先にこそ、彼が求める究極のスローライフが待っているはずだ。
彼は、ベッドの上で胡座をかくと、精神を集中させ、構築した完璧な未来都市のイメージに向かって、意識の扉を開いた。
「――異界渡り」
次の瞬間、彼の体を、これまで経験したことのない、奇妙な感覚が包み込んだ。
これまでの転移が、物理的な空間を「移動」する感覚だったとすれば、今回は、彼自身の存在そのものが「情報」に分解され、超光速の光ファイバーケーブルの中を駆け巡り、そして目的地で再構築されるかのような、どこまでもデジタルで、情報的な感覚だった。
一瞬、彼の意識は無数の0と1の羅列となり、宇宙の法則が記述された根源的なプログラムコードの中を漂った。
そして。
彼が、再び「新田 創」としての輪郭を取り戻し、目を開けた時。
彼は、見知らぬ空間に立っていた。
そこは、どこまでも白い、継ぎ目のない素材で作られた、柔らかな光に満ちた部屋だった。
部屋の形状は、卵を半分に割ったような、穏やかなドーム状。
家具も、装飾も、何もない。ミニマルを極めた、無機質で、しかし不思議と落ち着く空間。
彼は、自分がその部屋の中心にぽつんと一人で立っていることに気づいた。
足元の床は、大理石のようでありながら、踏みしめるとゴムのような弾力があった。
「……なんだ、ここは……?」
創が、困惑の声を漏らした、その時だった。
彼の目の前の空間に、ふわりと、光の粒子が集まり始めた。
その粒子は、やがて人の形を取り、一体の美しい少女の姿を形作った。
銀色の髪をツインテールにし、どこか無機質なデザインの白いワンピースを身にまとっている。その瞳は、サファイアのように青く、感情というものを一切感じさせない。
ホログラムだ。
創は、瞬時に理解した。
『――ようこそ、統合知性圏アークチュリア、第7セクター中央ハブステーションへ』
ホログラムの少女が、合成音声のようでありながら、どこか鈴の音のように美しい声で、抑揚なく告げた。
『新規未登録アバターのジェネレートをプライマリー・センサーが検知しました。市民IDの仮発行手続きを開始します。対話補助インターフェースの最適化のため、ご希望の言語を選択してください。現在、銀河標準語を含む18万7532言語に対応可能です』
創は、そのあまりにもSF的な歓迎に、完全に思考を停止させていた。
だが、かろうじて「に、日本語で……」と答えるのが精一杯だった。
『了解しました。言語設定を〝地球標準語群・日本語〟に最適化します。……処理完了』
少女の言葉が、完璧で自然なイントネーションの日本語に切り替わる。
『改めまして、ようこそ、アークチュリアへ。私は、当ステーションの管理AI、コードネーム〝イヴ〟です。あなたの来訪を、心より歓迎いたします』
「……あ、ああ……どうも」
創は、ぎこちなく挨拶を返した。
「あの……ここは、一体どこなんだ? 俺は、どうしてここに?」
『ここは、銀河系オリオン腕、ペルセウス座領域に位置する、統合知性圏アークチュリアの移民管理局、第7ステーションです』
イヴは、淡々と答えた。
『あなたは、当知性圏の観測外時空連続体より、確率論的トンネル効果を用いて当ステーションの受容チャンバー内に出現しました。このようなケースは、統計上、0.003%の確率で発生する既知の事象です。一般的には〝異世界からの来訪者〟と分類されます』
その、あまりにも事もなげな説明に、創は開いた口が塞がらなかった。
異世界からの来訪者が、統計データとして処理される世界。
どうやら、とんでもない場所に来てしまったらしい。
彼は、最も気になることを尋ねた。
「……あの、金は、かかるのか? ここにいるのに」
その、あまりにも俗な質問に。
イヴは、初めて、ほんの少しだけ首を傾げ、その青い瞳を不思議そうに瞬かせた。
『〝カネ〟……前時代的な価値交換システムの概念ですね。ご安心ください。アークチュリアでは、全ての知性体の生存権は、絶対的に保障されています。あなたの生体情報をスキャンし、仮市民IDを発行しました。そのIDがあれば、生活に必要な全てのベーシック・アセットは、完全に無償で提供されます』
「……無償」
創は、その言葉をオウム返しに繰り返した。
信じられない。
衣食住、全てがタダだというのか。
『はい。あなたのバイオメトリクス情報は、既存のどの市民データとも一致しませんでした。あなたの存在そのものが、極めて貴重な情報資産です。むしろ、あなたが存在し、この世界を体験してくださること自体が、当知性圏にとっての利益となります。アークチュリアは、既知、未知を問わず、全ての知的生命体の来訪を、心より歓迎いたします』
身元不明。
それが、ここでは何の問題にもならないどころか、歓迎される理由になる。
創は、もはや眩暈を通り越して、笑い出したくなっていた。
ここは、天国か?
『それでは、トラベラー〝ハジメ・ニッタ〟。ステーションの外をご案内いたします。こちらへどうぞ』
イヴが、ふわりと宙に浮き、滑るように移動を始める。
創は、まるで夢の中にいるような気分で、その後をついていった。
白い壁が、音もなく横にスライドする。
そして、その向こう側に広がっていた光景に。
創は、今度こそ、完全に言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、彼が転移の際にイメージした光景を、遥かに、遥かに超えた、神々しいまでの未来都市だった。
空には、数え切れないほどのエアカーが、まるで魚の群れのように、しかし一糸乱れぬ完璧な秩序を保って、無音で飛び交っている。
見上げる空は、どこまでも澄んだ青。だが、その空には、巨大なリング状の建造物が、うっすらと虹色の光を放ちながら浮かんでいるのが見えた。
そして、地上。
建物は、全てが有機的な、美しい曲線を描いていた。クリスタルのように透明な素材や、真珠のように輝く白い素材で作られた超高層ビルが、天に向かって伸びている。そして、そのビルの壁面や屋上は、全てが緑豊かな空中庭園となっており、色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥たちがさえずっていた。
テクノロジーと自然が、完璧な形で融合している。
道行く人々は、創の想像をさらに超えていた。
地球のあらゆる人種がいるのはもちろんのこと、猫や犬のような耳と尻尾を持つ、いわゆる獣人。金属の光沢を放つ、美しい流線型のボディを持つアンドロイド。そして、人間とは全く異なる骨格を持つ、タコや昆虫のような姿の、しかし上質な服を着こなした異星人たち。
それら、多種多様な知性体が、誰一人として互いを奇異の目で見ることもなく、ごく自然に、楽しげに談笑しながら共存していた。
そして、誰もが若々しく、健康的で、その表情には、創がかつていた会社で毎日見ていたような、疲労やストレスといった色が、微塵も感じられなかった。
創は、呆然とその光景を眺めていた。
すると、ぐぅ、と腹の虫が鳴った。
緊張と興奮で忘れていたが、そういえば昼食がまだだった。
『生体反応より、空腹状態を検知しました』
イヴが、無表情に告げる。
『食事をご希望ですか? それでしたら、あちらのオート・キュイジーヌ・ステーションが便利です』
イヴに案内されたのは、公園のカフェテリアのような、開放的な空間だった。
そこには、テーブルと椅子が並んでいるだけで、厨房も、店員もいない。
『こちらの端末に、お座りください』
創が、テーブルに備え付けられた椅子に座ると、目の前のテーブルの表面が光り、ディスプレイとなった。
『ご希望のメニューを、口頭で告げるか、あるいは強くイメージしてください。あなたの脳内の味覚情報をスキャンし、原子レベルで完全に再現します』
「……はあ」
創は、半信半疑のまま、試しに、彼の魂の故郷の味を、強く、強くイメージしてみた。
母親が作ってくれた、あの豚の生姜焼き。少し甘めのタレの味、肉の厚み、そして添えられたキャベツの千切りのシャキシャキ感まで。
すると、目の前のテーブルの中央部分が、音もなく開き、そこからせり上がってきたトレイの上に、完璧な「豚の生姜焼き定食」が、湯気を立てて鎮座していた。
見た目も、香りも、完全に、あの日の実家の食卓のそれだった。
もちろん、これも無料だ。
創は、恐る恐るその生姜焼きを一口、口に運んだ。
そして、衝撃に目を見開いた。
「…………うまい」
うまい。
うますぎる。
母親の味、そのものだ。いや、もしかしたら、記憶の中で美化された「理想の母親の味」を、完璧に再現しているのかもしれない。
彼は、夢中になってそれをかき込んだ。
こんな奇跡のような食事が、いつでも、好きなだけ、無料で食べられる。
この時点で、創の心は、ほぼ決まっていた。
食事を終え、満腹感に満たされた創は、イヴと共に都市を散策しながら、この世界の常識について、さらにいくつかの質問を投げかけた。
「なあ、イヴ。この街の、というか、この星のエネルギーは、一体どうなってるんだ? これだけの文明を維持するには、とてつもないエネルギーが必要なはずだが」
その質問に、イヴは空を指差した。
『あれをご覧ください、ハジメ』
いつの間にか、イヴは彼のことをファーストネームで呼ぶようになっていた。
創が空を見上げると、先ほど見たリング状の建造物が、よりはっきりと見えた。
太陽。
その恒星そのものを、巨大な人工の殻が、幾重にも取り囲んでいる。
ダイソンスフィアだ。
創が、かつてSF小説で読んだ、恒星のエネルギーを丸ごと利用するための、究極の建造物。
『あれが、当星系を管理するダイソンスフィア級恒星エネルギー変換プラントです。主星であるアークチュルスの放射エネルギーの、99.9998%を抽出し、次元間送電網を通じて、圏内の全ての惑星とスペースコロニーに、実質的に無限のエネルギーを供給しています。もちろん、これもベーシック・アセットの一部ですので、完全に無料です』
もはや、創は驚くことにも疲れてきていた。
エネルギーが、無限で無料。
そんな馬鹿な話があるか。
だが、それはこの世界では、当たり前の日常なのだ。
彼は、公園で遊ぶ子供たちを眺めながら、ふと、別の疑問を口にした。
公園で、小さな獣人の子供が走っていて、勢い余って転んでしまった。
その膝から、赤い血が滲む。
すると、どこからともなく、手のひらほどの大きさの、丸い医療ドローンがふわりと飛んできて、子供の膝に淡い緑色の光を照射した。
次の瞬間、子供の膝にあったはずの擦り傷は、跡形もなく完全に消え去っていた。
子供は、何事もなかったかのように立ち上がると、再び元気に走り去っていった。
その光景を見て、創はイヴに尋ねた。
「……なあ。この世界では、人は、死なないのか?」
『〝死〟ですか。それは、極めて哲学的な問いですね』
イヴは、少しだけ間を置いてから答えた。
『不慮の事故や、修復不可能なレベルでの肉体の損壊による〝機能停止〟は、残念ながら現在でも発生します。ですが、かつて人類を支配していた〝老化〟という生物学的なプロセスは、当知性圏では、ほぼ完全に克服されています』
「克服……?」
『はい。全ての市民は、年に一度の定期メディカルチェックの際に、体内のナノマシンによる遺伝子修復及び、テロメア伸長処置を受けることが義務付けられています。我々は、これを〝不老化処置〟と呼んでいます。これにより、市民は望む限り、その肉体を最適な状態――一般的には、地球年齢における20代半ばの状態――に保ち続けることが可能です。もちろん、これも、ベーシック・アセットに包括されています』
不老不死。
それが、ここでは年に一度の健康診断程度の、当たり前の権利として享受されている。
創は、もはや笑うしかなかった。
自分が、あれほど苦労して手に入れようとしていたものが、ここでは道端の石ころのように、ありふれたものとして存在している。
その日の夕方。
創は、イヴに案内され、仮の住居として割り当てられた、超高層ビルの上層階の一室にいた。
そこは、ホテルで言えば、プレジデンシャルスイート級の、豪華で広大な空間だった。
壁一面がスマートガラスになっており、眼下には宝石をちりばめたような未来都市の夜景が、天の川のように広がっている。
そして、その部屋には、彼の思考を完全に読み取り、彼が望むであろう全てのことを、彼が望む前に先回りして実行してくれる、完璧な環境制御システムが備わっていた。
部屋に入った瞬間、彼の体型や好みに合わせて、完璧な硬さのベッドが生成された。
彼が「少し疲れたな」と意識しただけで、部屋の隅から、最新鋭の無重力マッサージチェアが、音もなく彼の元へと滑るように移動してきた。
創は、そのマッサージチェアに、崩れ落ちるように身を沈めた。
ふわりとした無重力感と共に、ナノマシンが組み込まれたアームが、彼の凝り固まった全身の筋肉を、神のような手つきで揉みほぐしていく。
「……あ゛あ゛……ごぐらく、ごぐらぐ……」
創の口から、完全に気の抜けた、おっさんのような声が漏れた。
彼は、眼下に広がる、非現実的なまでに美しい夜景を眺めながら、心の底から思った。
(こりゃーいい……。最高だ……。身元不明でも、金が一銭もなくても、こんな、こんな贅沢が、いくらでもできる……。これこそが、俺が求めていた、究極の理想郷じゃないか……!)
彼は、この完璧な世界で、しばらく過ごすことを、心に決めた。
そのあまりの快適さに、もはや他の世界のことなど、どうでもよくなりかけていた。
だが、彼の根底にある、元プロジェクトマネージャーとしての探究心が、完全に眠ってしまったわけではなかった。
怠惰な生活を数日満喫した後、彼はこの世界の「文化」に触れてみることにした。
彼は、リビングの空間に巨大なVRディスプレイを投影させると、イヴに頼んで、この世界のライブラリにアクセスした。
そこには、人類が有史以来蓄積してきた全ての情報と、さらにこのアークチュリアが接触してきた数多の異星文明の知識が、無限にアーカイブされていた。
彼は、その中から、ふと、「歴史」のカテゴリーを選んでみた。
そして、膨大な項目の中から、彼の目を引く、一つの単語を見つけたのだ。
【分類:ロスト・テクノロジー / カテゴリー:前時代的物理法則干渉理論 / 項目:魔法】
「……魔法?」
創は、興味を引かれて、その項目を選択した。
すると、ディスプレイに、立体的な映像と、詳細な解説が表示され始めた。
そこに映し出されていたのは、彼が魔法学院で学んだものと、驚くほどよく似た、幾何学模様の魔法陣や、古代言語の呪文の数々だった。
だが、その解説は、彼が知るものとは全く異なっていた。
『――〝魔法〟とは、前時代において、一部の知的生命体が用いていたとされる、高次元空間に存在する暗黒エネルギー(ダークマター・エネルギー)を、特定の音声パターン(呪文)及び、幾何学的増幅装置(魔法陣)を用いて現実世界に干渉させる、極めて非効率的なテクノロジーの総称である』
解説は、続く。
画面には、魔法学院で見たものと同じファイアボールの魔法陣が表示された。だが、その魔法陣の周りには、びっしりと、創には理解不能な超ひも理論の数式や、量子力学のプログラムコードのようなものが、無数に書き込まれていたのだ。
『……現代の〝高次元エネルギー物理学〟の見地から解析した結果、これらの音声パターンや幾何学模様は、術者の脳内に存在する量子脳波を特定の周波数にチューニングし、高次元空間への微細なワームホールを生成させるための、極めて原始的なインターフェースであったと結論付けられている。なお、現代の〝サイオニック・アンプリファイア〟及び、〝事象改変ソフトウェア〟を用いれば、このような古典的な儀式を介さなくとも、より大規模で、より安定した現実改変を、思考するだけで実行可能である』
創は、呆然とその解説を読んでいた。
なんだ、これは。
俺が、あれほど苦労して学び、自分の切り札だと信じていた魔法が。
この世界では、「非効率的な」「原始的な」「古典的な儀式」として、完全に科学的に解析され、理論化され、そして過去の遺物として、博物館に飾られていたのだ。
『なお、このようなロスト・テクノロジーを研究・実践することは、一部の好事家や歴史研究家の間では、古典的な趣味として、現在でも人気を博しています』
イヴが、無表情に補足した。
『もちろん、最新のサイ・アンプリファイアとインプラントを用いれば、無詠唱で惑星規模の天候を操作するような大規模な事象改変も可能ですが、それでは〝趣がない〟というのが、彼ら愛好家の主張のようです』
創は、もはや笑うしかなかった。
惑星規模の天候操作。
それが、この世界では「趣味」の領域。
自分が、ちっぽけな光の玉を出して得意になっていたのが、馬鹿馬鹿しくなるほどの、圧倒的なスケールの違い。
「……比較対象に、ならねえな……」
彼は、マッサージチェアの上で、完全に脱力していた。
だが、その脱力感の奥で、彼の心の中に、新たな、そして強烈な好奇心の炎が、静かに燃え上がり始めていた。
(この世界の、魔法……。いや、〝科学魔法〟……。面白そうだ)
俺が知る魔法とは、アプローチが、次元が違う。
だが、その根底にある原理は、似ているのかもしれない。
もし、この世界の理論を学ぶことができれば。
俺の【異界渡り】の能力と、魔法学院で得た知識と、この超科学を融合させることができれば。
俺は、一体、どこまで行けるのだろうか。
怠惰な生活を送りながら、自分の好きなこと(魔法)を、最高の環境で、最高の理論に基づいて学ぶ。
これ以上の、理想的なスローライフがあるだろうか?
いや、ない。
「よし、決めた」
創は、マッサージチェアの背もたれから身を起こすと、決意に満ちた目で、眼下に広がる未来都市を見下ろした。
「しばらく、ここで暮らそう。そして、この世界の魔法を、徹底的に学んでやる」
彼の、終わりなきスローライフへの探求は、思いもよらない形で、新たな、そして計り知れないほどに奥深いステージへと、その扉を開いたのだった。
この完璧すぎるユートピアに、本当に何の裏もないのかどうかなど、その時の彼は、考える余裕さえなかった。
ただ、目の前にある無限の可能性に、胸を躍らせていただけだった。