キャラバン
村を後にして数時間、悠太とリナは腐敗した森の入口を抜け、土の交易路を進んでいた。
紫の霧が足元を這い、黒くひび割れた樹木が白骨のように立ち並ぶ。
風が吹くたびに影の欠片が宙を舞い、まるで紫の火花が散るようだった。
悠太がポケットの欠片を握ると、鋭い針が皮膚を刺すような痛みが走り、熱い鼓動が腕を駆け抜けた。
欠片は意志を持つように震え、まるで囁きが耳元で響くようだった。
吐き気を抑え、悠太はリナの背中を追った。
彼女の銀髪が霧に揺れ、腰の短剣が紫の光を跳ね返す。
遠くで徘徊獣の咆哮が響き、腐敗の黒い吐息が鼻を刺した。
空気は重く、濡れた革のような匂いが肺にまとわりついた。
「目を離すな、悠太。この森は腐敗が濃い。徘徊獣がいつ出てきてもおかしくない」
リナが短剣を握り、紫の瞳で周囲を鋭く見渡した。
彼女が腕を振ると、影の糸が光の絹のように空を切り、道を塞ぐ枯れた枝を裂いた。
糸はしなやかで、まるで紫の光が編まれた帯のようだった。
切り口から紫の輝きが漏れ、地面に淡い光の筋を刻んだ。
悠太は息を呑んだ。
「リナの糸、めっちゃすごいな。どうやって作るんだ?」
リナが視線を逸らし、耳元がわずかに赤くなる。
「…バカ、感心してる場合じゃない。欠片を心で掴むんだ。風の流れを想像しろ。失敗すると体が裂けるような痛みがくるぞ」
悠太が欠片を握り直すと、紫の火花が指先で弾けた。
熱い波が腕を駆け、まるで血が沸騰するようだった。
糸を織ろうとした瞬間、欠片が暴走し、鋭い刃が腕を抉るような激痛が走った。
「うっ、くそっ、痛っ!」
「集中しろって言ったろ! ほら、こうだ」
リナが悠太の手を掴み、欠片の握り方を整えた。
彼女の指は冷たく、力強かった。
悠太は一瞬心臓が跳ね、すぐに意識を欠片に集中した。
紫の光が光の絹となって指先から流れ、細い糸が木の枝に絡んだ。
糸は揺れながらも形を保ち、紫の輝きが淡く脈打った。
「…できた! まだ頼りないけど!」
リナが小さく頷く。
「初めてにしては悪くない。さっさと歩け」
彼女が悠太の荷物を軽く持ち直すと、悠太が慌てて追いかけた。
「お前が持つと重いだろ。俺が持つよ」
「…余計なお世話。黙ってついてきな」
リナの声はそっけないが、紫の瞳にほのかな温もりが宿っていた。
悠太は彼女の背中を見つめ、頼りになると感じた。
リナの指導が、彼に一歩踏み出す勇気を与えていた。
交易路の土には荷馬車の轍が刻まれ、流浪の民の足跡が残る。
道端には壊れた荷馬車が転がり、色あせた布や干し魚が散らばっていた。
錆びたナイフが刺さり、鉄の遺民の刻印が紫の光で揺れる。
悠太がナイフを手に取ると、冷たい金属が手に馴染んだ。
「流浪の民って、いつもこんな道を移動してるのか? 腐敗で危なくない?」
リナが肩をすくめた。
「危ないに決まってる。徘徊獣や腐敗の霧にやられる。でも、止まったら終わりだ。小村が10キロ先にあって、そこで食料や布を交換する。影の民は結界に頼るしかないから、流浪の民の情報が命綱なんだ」
悠太が荷馬車の残骸を見た。
木の車輪が折れ、布には黒紫の染みが広がる。
馬の骨が近くに転がり、腐敗の匂いが漂った。
「鉄の遺民ってどんな奴ら? このナイフ、なんか特別っぽいな」
「昔の技術者だよ。影を嫌って、機械で戦った。歯車や剣、影を弾く武器を作ってたらしい。腐敗で隠れ里に逃げたけど、50キロ先の影の神殿の周りには残骸が残ってる。森を抜けて3~4日、道が悪いから情報がないと迷うぞ」
悠太がナイフを振ると、紫の光が刃に揺れた。
「神殿って、心核があるとこだろ? どんなとこなんだ?」
「影の脈の中心だ。紫の結晶でできた遺跡で、でかい。使徒がうろついてるから、近道の情報がないと危ない。…ほら、のんびりすんな」
リナが歩みを速め、悠太が笑ってついていく。
森の奥から響く咆哮が、空気を重くした。
突然、交易路の先に叫び声が響いた。
紫の霧が濃くなり、黒紫の煙が地面から湧き上がる。
まるで土が黒い吐息を吐いているようだった。
悠太が目を凝らすと、荷馬車が倒れ、流浪の民の老女が地面に蹲っていた。
彼女のペンダントには鉄の遺民の刻印が輝き、ぼろ布の服が腐敗の染みに汚れている。
「助けて…小村が…獣に!」
リナが短剣を構え、悠太に目配せした。
「悠太、行くぞ。小村は森の南端、10キロ先だ。流浪の民の交易拠点で、影の神殿への近道の情報がある。放っとくと全滅する」
悠太が欠片を握ると、鋭い痛みが全身を刺した。
「神殿への道、危ないんだろ? 使徒って何だ?」
「深淵の使徒だ。ゼルヴァスの手下。ゼルヴァスは昔の影の王で、外来者の術で腐った。封印されてるはずだが…使徒が動いてるなら、復活を企んでる」
老女が震える声で続ける。
「血眼の群将が…人間の言葉を喋る! ゼルヴァスの名を叫んで…!」
リナの瞳が鋭くなった。
「黒の深淵の尖兵だ。ゼルヴァスの意識が霧になって、獣を操る。ほら、行くぞ!」
悠太が老女の手を支え、荷馬車に寄りかからせた。
「落ち着いて。俺たちで助けるから」
老女が涙目で頷き、悠太の手にしがみついた。
リナが先に走り、悠太が追いかける。
交易路の先に、小村の炎が赤く揺れた。
小村は壊滅寸前だった。
木造の家屋が燃え、市場の屋台が倒れて交易品が散乱する。
色あせた布、干し魚、木の器が黒紫の霧に染まり、地面には血と灰が混じる。
住民が逃げ惑い、子供が母親にしがみついて泣いた。
馬がパニックでいななき、荷馬車が炎に包まれる。
徘徊獣の群れが襲いかかっていた。
小型獣、八匹、狼のように素早く、紫の爪が月光を反射して光る。
爪が地面を削るたび、紫の火花が散った。
中型獣、四匹、熊のような巨体で、咆哮が家屋の壁を震わせる。
牙が紫の光を放ち、唾液が地面に滴った。
村の中心には血眼の群将が立っていた。
黒い毛皮に赤い目が十個輝く巨狼だ。
影の糸で高速移動し、口から黒紫の霧を吐く。
住民を吊るした糸が紫の光で脈動し、まるで心臓の鼓動のようだった。
群将が人間の言葉で哄笑した。
「弱者は滅びな! ゼルヴァスの復活を止められん!」
赤い目が悠太を捉え、不気味な声が響く。
「外来者よ、お前も腐るぞ!」
悠太が欠片を握ると、鋭い痛みが全身を刺した。
まるで骨に火花が散るようだった。
リナが糸を振り、小型獣を縛った。
紫の光の絹が網のように広がり、獣の爪を絡めとる。
糸は紫の輝きで脈打ち、獣の動きを封じた。
だが、群将の爪スラッシュが空を切り、紫の軌跡がリナの腕を掠めた。
血が紫に染まり、リナが歯を食いしばる。
「くっ…悠太、動け!」
悠太は恐怖で足が震えた。
子供の泣き声が耳に刺さり、欠片を握り直した。
紫の火花が指先で弾け、風の流れをイメージする。
糸が形を作り、子供を庇うバリケードとなった。
紫の光が地面に輝き、住民が逃げる隙が生まれた。
だが、集中が乱れ、糸が揺らぐ。
バリケードが崩れ、紫の光がちらついた。
「くそ…まだダメか!」
リナが叫んだ。
「集中しろ、悠太! もう一回だ! 子供を守れ!」
悠太はリナの声を頼りに欠片を握り直した。
紫の火花が指先で踊り、熱い鼓動が腕を駆け抜ける。
糸が再び形を作り、バリケードが子供を覆った。
紫の光が安定し、住民が市場の裏に逃げた。
悠太は胸が熱くなり、拳を握った。
「…やった!」
リナが息を吐き、短剣を握り直す。
「…悪くない。ほら、次は群れだ!」
彼女が悠太の背中を押し、戦闘が本格化した。
小型獣が素早く飛びかかり、紫の爪が空を裂く。
爪が屋台を削り、木片と紫の火花が散った。
悠太が糸を振ると、紫の光の絹が弧を描き、獣の足を絡めた。
糸は獣の毛皮を照らし、動きを鈍らせた。
中型獣の咆哮が市場を震わせ、屋台が倒れた。
干し魚や布が飛び散り、地面が血と灰で汚れる。
群将が黒紫の霧を吐き、視界が塞がれた。
霧は喉を焼き、まるで肺に黒い吐息が詰まるようだった。
悠太が咳き込み、リナが叫ぶ。
「息を止めろ! 霧は毒だ!」
リナが糸で小型獣を縛り、短剣で突いた。
紫の光が血を散らし、獣が倒れる。
だが、群将の爪スラッシュが再びリナを襲い、肩から血が滴った。
「リナ!」
悠太が叫び、欠片を凝縮した。
紫の霧が固まり、塊が形作られる。
重い輝きを放つ紫の球が、群将の赤い目に向かって飛んだ。
光が尾を引き、目の一つを潰す。
群将が咆哮し、影の糸で高速移動。
悠太の腕をかすめ、紫の軌跡が地面を焦がした。
地面が熱を持ち、腐敗の匂いが鼻を刺した。
「外来者、死ね!」
群将の声が響き、人質の住民が悲鳴を上げる。
子供が母親にしがみつき、老人が地面に倒れた。
悠太は歯を食いしばり、リナを庇うように立った。
リナが糸を振ると、紫の網が群将の足を縛った。
糸は紫の光で脈打ち、群将の動きを一瞬止めた。
「悠太、今だ! 塊で仕留めろ!」
悠太が欠片を握り、熱い鼓動に耐えた。
紫の塊が再び形作り、群将の胸に命中。
紫の光が爆発し、衝撃音が市場を震わせた。
群将が倒れ、赤い目が消える。
残りの徘徊獣が怯え、紫の霧の中に逃げた。
村は静けさを取り戻し、燃える屋台の煙が紫の霧に混じった。
戦後、住民が集まり、子供が悠太に抱きついた。
母親が涙を流し、感謝の言葉を繰り返す。
流浪の民の老女が息を整え、荷馬車に寄りかかった。
「ありがとう…この小村は交易の要だ。影の神殿への道は森の奥、40キロ先の廃墟を通る。使徒がうろついてるから気をつけな」
リナが肩の傷を押さえ、頷いた。
「神殿までの道、詳しく教えて。腐敗した川や荒野はどこだ?」
老女が荷馬車からぼろ布の地図を取り出す。
「森を抜けて3~4日だ。廃墟に鉄の遺民の記録がある。神殿は影の脈の中心、紫の結晶で輝いてる。だが、使徒の獣が守ってる。腐敗した川は廃墟の手前、気をつけな」
悠太が老女の腕の傷に布を巻いた。
「大丈夫か? ゆっくり休んでくれよ」
老女が微笑み、鉄の遺民のナイフを渡す。
「これをやる。神殿の周りには鉄の遺民の防壁や武器の残骸がある。役に立つさ」
悠太がナイフを受け取り、紫の光が刃に揺れた。
刻印が微かに温かく、まるで過去の戦士の意志が宿っているようだった。
リナが悠太の腕の傷に気づき、布を差し出した。
「…バカ、怪我してんじゃん。じっとしてろよ」
彼女が悠太の腕に布を巻く。
指先が傷に触れ、悠太が小さく息を呑む。
リナの紫の瞳が一瞬揺れ、すぐに視線を逸らした。
「…痛かったら我慢しろ。次は気をつけな」
悠太は笑い、布を握った。
「サンキュ、リナ。やっぱお前、頼りになるな」
「…調子に乗るな。さっさと行くぞ」
リナが先に歩き、銀髪が紫の霧に揺れる。
悠太が追いかける。
市場の屋台の残骸を抜け、交易路の奥へ進む。
二人の掛け合いは軽やかだが、戦いを通じて互いを信頼する絆が確かに生まれていた。
腐敗の霧が濃くなる中、影の神殿への旅は続いた。