兆し
その夜、悠太は村の外れの小屋に案内された。木と藁の部屋で、ベッドは硬い藁に毛布一枚。窓から紫の霧が漂い、獣の遠吠えが聞こえる。悠太はベッドに腰かけ、眼鏡を外して額を押さえる。
「帰れないって…マジかよ。こんな世界で、どうやって生きるんだ?」
恐怖と不安が胸を締め付ける。
だが、リナの紫の瞳と冷たい言葉の裏の優しさが浮かぶ。彼女の影を操る姿、シェイドリアの説明が頭を巡る。
「…リナが連れてきてくれた理由、義務感だけじゃないかも。長老の可能性の言葉、受け入れのきっかけだよな。俺、頑張る」
呟きながら、小さく笑う。
翌朝、朝霧が漂う森の開けた場所で訓練が始まった。地面は湿り、小さな影の欠片が散らばる。欠片は親指ほどの黒紫のガラスで、光を吸い込む。リナは一つを拾い、差し出す。
「これに触れろ。感じるんだ。影は世界の呼吸だ。心を落ち着けて、流れを想像しろ」
声は厳しいが、紫の瞳に情熱が宿る。銀髪が朝日で輝き、革の軽装が微かに軋む。
悠太は手を伸ばす。欠片に触れた瞬間、電撃のような痛みが走り、手を引っ込める。
「うっ! めっちゃ痛い! 電流みたい!」
リナは腕を組み、ため息をつく。銀髪が肩に落ち、紫の瞳が彼を射る。
「大げさだな。外来者は影に拒絶される。それを乗り越えろ。昨日見たろ? 影は感じるものだ」
悠太は汗を拭い、眼鏡を直す。
「乗り越えろって…簡単に言うけど、めっちゃ痛いんだから! でも、リナのあの糸の技、めっちゃカッコよかったよ!」
リナが一瞬微笑み、すぐに隠す。
「カッコいいかどうかはどうでもいい。ゲームのチュートリアルだと思えばいいだろ? お前が言ったんだ」
悠太は目を丸くし、笑みがこぼれる。
「へえ、覚えててくれたんだ。よし、レベル1から頑張るよ!」
リナの口元が緩み、紫の瞳が柔らかくなる。
「…ふん。やる気ならいい。さあ、もう一度だ」
何度も試すが、痛みと拒絶に心が折れそうになる。
汗が額を流れ、眼鏡が曇る。
リナは黙って見守り、時折短剣で影の糸を操る。糸が蝶のように舞う。悠太は地面に座り込み、息を切らす。
「俺、ほんとダメだな…こんなの無理だよ」
リナは静かに隣にしゃがむ。銀髪が地面に触れ、紫の瞳が彼を見つめる。
「誰も最初からできるわけじゃない。私の民だって、子供の頃は痛みに泣いた。…私もだ」
悠太は驚き、顔を上げる。
「リナも…泣いたことあるの?」
彼女の瞳が揺れ、すぐに逸らす。
「…昔の話だ。さあ、立て。続けるぞ」
その言葉に、悠太は頷く。彼女の過去に触れた気がして、胸が温かくなる。リナの影の力と説明が、彼に希望を与える。
午後、村の外で異変が起きた。影の徘徊獣が群れで現れ、村の結界――影の糸で編まれた透明な壁――に爪を立てる。
結界が揺れ、紫の光が点滅し、ガラスがひび割れる音が響く。住民たちが叫び、革鎧の男たちが槍を手に集まる。
リナは短剣を抜き、悠太に鋭く叫ぶ。銀髪が風に揺れ、紫の瞳が燃える。
「隠れてろ! 戦いは私に任せろ!」
悠太は木の陰に身を隠すが、足が震えて動けない。獣の数は五匹、赤い目が結界越しに光り、霧が村に忍び寄る。リナは単身で飛び出し、短剣を振るう。銀髪が風に舞い、革の軽装が軋む。短剣が弧を描き、影の糸が尾を引き、獣の肩を切り裂く。獣の咆哮が森に響き、地面が振動。霧が濃くなり、視界が狭まる。
一匹がリナを正面から襲う。触手が鞭のように振り下ろされ、地面を抉り、土が飛び散る。リナは軽やかに跳び、触手を避け、短剣を獣の目に突き刺す。獣が悲鳴を上げ、霧が爆ぜる。
だが、別の獣が横から襲う。爪が空気を切り、シュッと音が響く。リナは体をひねり、銀髪が翻るが、爪が肩をかすめ、血が滲む。彼女は歯を食いしばり、糸を放ち、獣の足を縛る。
悠太は木の陰から見つめ、心臓が喉に詰まる。リナの銀髪が汗で頬に張り付き、紫の瞳が燃える。彼女の勇敢さに圧倒されるが、恐怖で体が動かない。
「す、すごい…けど、こんなの無理だろ…」
膝が震える。
背後の獣がリナの死角を狙う。触手が蛇のように伸び彼女の足首を縛る。リナが気づき振り向くが、触手が締め付け彼女の動きを止める。そこへ獣の牙が迫る。
「リナ、危ない!」
悠太は無我夢中で飛び出す。恐怖で頭が真っ白だが、リナの危機に自然と駆け出していた。
近くの影の欠片を掴み上げた。電撃のような痛みが肘から背中まで駆け抜け、指が焼けるように熱かった。だが、構わず獣に投げつける。欠片が獣の顔に当たると、霧が乱れ赤い目が揺れる。瞬間、触手が緩み、リナは素早く触手を振り払うと、短剣で獣の首を切り裂いた。霧が爆ぜ、獣が消滅した。
リナは肩で呼吸を整えながら振り返る。紫の瞳が驚きに揺れ、銀髪が汗で輝く。
「お前…何したんだ!?」
声に驚きと感嘆が混じる。悠太は痛む手を押さえ、苦笑する。
「わ、わかんない! でも、リナが危なかったから、つい!」
リナは一瞬黙り、紫の瞳で彼を真っ直ぐに見つめる。
「無謀だ。死ぬぞ、こんなことしたら」
声は厳しいが、口元に小さな笑みが浮かぶ。悠太は眼鏡を直す。
「死ぬのは嫌だけど…リナが危なかったから、思わず」
リナの瞳が揺れ、銀髪が風に揺れる。彼女は小さく呟く。
「…バカだな。だが、悪くない」
その笑みに悠太の胸に火が灯る。痛む手を見下ろしながら、欠片の感触を反芻した。拒絶は未だ強いが、何かをつかんだ気がした。
村に戻ると、長老が広場で待っていた。長老の杖が地面を叩き、結晶が紫の光を放つ。村人たちが集まり、悠太に好奇と警戒の視線を向けた。
長老は悠太を呼び、額に触れる。冷たい感触が走り、影の霧が包む。
「影に触れたな。拒絶を乗り越えた瞬間だ。だが、これは始まりにすぎん。明日から本格的な訓練だ。覚悟しろ、悠太」
悠太はゴクリと唾を飲み、頷く。リナは脇に立ち、銀髪を軽くかき上げる。紫の瞳が悠太を捉え、すぐに逸らされる。だが、信頼の兆しを感じた。
「リナ、明日も…よろしくね」
悠太の言葉に、リナは鼻で笑う。
「サボるなよ。置いてくぞ」
軽い口調に、悠太は笑みを浮かべる。
「置いてかれないように、頑張るよ!」
その夜、悠太は小屋の窓から星空を見る。
シェイドリアの空は、紫の霧が星を滲ませ、夢のような美しさだった。
リナの影を操る姿、彼女の説明が頭に響く。
「帰れないかもしれないけど…リナと一緒なら、怖くない。俺、強くなるよ」
彼は眼鏡を直し、拳を握った。影の拒絶に負けず、生き延びるために――そして、彼女の信頼に応えるために。