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ゴシップ現場はもうたくさんです! 新人記者は癒しを届けたい

作者: Mel
掲載日:2025/08/29

 浮気現場を張り込むために記者になったわけじゃないのに――……。


「……来たぞ。あれがターゲットだ」


 私の隣でしゃがみ込み、低い声で告げるのは新聞社《星のささやき》のカメラマン、ブラン先輩だ。

 髪はぼさぼさ、顎には無精髭。くわえた紙煙草を指で持ち直し、片目でシャッターの角度を測る姿はどう見ても堅気の人間には見えない。


 その彼が何年も使い込んだ古びたカメラを構え直すと、ほどなくして暗い路地にふたりの男女が現れた。

 神の僕である司教様と、噂の新人舞台女優。手を取り合い、周囲を気にしながら建物の影へと入っていく。


 ――パシャッ。


 小さなシャッター音が夜気に溶けた。


「よし、これで一本は確定だな。三日張り込んだ甲斐があったぜ」

「……なんか虚しくなってきました。こんなことするために記者になったわけじゃないのに……」

「おいおい新入り。そんな台詞は三年は早ぇ。ひとりでマトモな記事を仕上げられるようになってから言うんだな」


 軽口を叩くブラン先輩は、煙草の煙を残してさっさと歩き出す。私は大きな溜息をひとつ吐いて慌てて後を追いかけた。


 *


 記者を志したのは、とある新聞の記事と、それに添えられた一枚の写真に心を揺さぶられたから。

『王都の貧民街を取材して、苦しむ子たちを助けたい』

 そんな建前を掲げて、渋る両親を説得し、大手新聞社に入社をしたは良いものの――。


 配属されたのは、いわゆる上流階級の醜聞を狙うゴシップ専門部署だった。


 浮気、破談、裏切り、跡目争い、金銭問題――。

 虚飾と陰謀が渦巻く泥沼の中で、「これぞ売れる記事だ」と喜ぶ上司たちに囲まれている。


「――おい、クラリッサ。次の紙面の特集、何がいいと思う?」


 初めて参加した企画会議で話を振ってきたのは、私の面倒を見てくれているブラン先輩だ。長年この新聞社に在籍し、凄腕のカメラマンとして知られているらしい。

 これは温めていた企画を披露するチャンス。思わず前のめりで答える。


「やりたい企画があるんです! 可愛い猫ちゃん特集、なんてどうでしょう!」

「……聞き間違いか? なんて言った?」

「可愛い猫ちゃん特集、です!」

「バカかお前は。読者様は薄汚ぇ猫なんかよりも薄汚ぇ人間の業が見てぇんだよ」

「そ、そんな……世知辛い……」


 私の素晴らしい企画は真顔で一蹴され、抗議の意味を込めて唇を尖らせると丸めた新聞紙で頭をはたかれた。


「ほら、目ぇ覚めただろ。寝言はいいから他の案出せ。ちなみに役人の汚職や不正は政治部の担当だからな。うちのトレンドは泥沼の離婚劇と不倫だ」

「トレンドも何もそんな記事ばっかりじゃないですか! 読者の皆様が求めてるのは癒しですよ! 偉い人の醜聞なんて、もう飽きられてますって」

「これだから世間知らずは……。飽きられるどころかまだまだ需要はあるんだよ。ようやく上級国民様の記事を出しても首が刎ねられない時代になったんだ。今こそ徹底的に叩かねぇでどうする」

「可哀想に……汚い世界に身を置き過ぎて心まで毒されてしまったんですね……」

「……お前、新人のくせに随分いい度胸してんな?」


 そこで会話は強制的に打ち切られ、ブラン先輩はさっさと次の標的の話題へ移した。


 その後「現場を知るのも仕事だ」と言われ、いかがわしい店が立ち並ぶピンク通りに強引に連れて行かれ……数日間、ターゲットが現れるのを張り込む羽目になった、というわけである。とても嫌な社会科見学だった。


「しかしまぁ、アホ面晒して真っ昼間からお盛んなこった。女遊びなんざ勝手にすりゃいいが、偉そうに説教垂れて金巻きあげてなきゃこんな写真を撮られることもなかったろうにな」


 軽薄に笑うブラン先輩にようやく追いついて、新聞社の入った古びた建物へ戻る。

 低い天井に充満する煙草の煙と、雑然と積まれた書類の山。これが大手新聞社の花形部署だと言うのだから驚きだ。


「はい、お疲れさん。少し休んだら早速記事に起こしてくれ」

「はぁーい……」

「なんだ、やる気が無さすぎんな。そんな調子じゃすぐクビだぞ」


 窓際の定位置に腰掛けたブラン先輩が、煙草を手放さずに冷たく言い放つ。クビは流石に困る。私はそそくさとデスクに向かった。


 物書きとしての習性か、書きたくもない内容でもペンを握れば筆は勝手に進んでしまう。

『敬虔なる司教様、今宵の祈りはピンク通りで? 司教と若手女優の"夜の説教"現場!』

 ――そんなふざけた見出しを踊らせた三面記事が、あっという間に出来上がった。


「……文句は多いが、文章は悪くねぇんだよな。だから未経験の小娘でも採用されたんだろうが」

「うぅ……神様にお仕えする方がこんな特殊性癖の持ち主だったなんて、知りたくなかったです……」

「窓辺で目隠しもせずヤってんだから脇が甘ぇんだよ。……おいこら、さりげなく野良猫の描写を入れてんじゃねぇ。なんだよピンク通りの看板猫って。本稿までに消しとけよ」

「えぇー! これくらいならいいじゃないですかぁ!」


 ブラン先輩の手が原稿に伸び、容赦なく赤字のペケが走る。結果、出来上がったのは下事情を赤裸々に記した見るも無惨な下世話記事だった。


「こんなのが読者の癒しになるなんて、やっぱりおかしいですよ! 人の後をこそこそ追いかけて秘密や性癖を暴露するだなんて……」

「何言ってんだ。読者が欲しいのは刺激だろうが。その証拠にゴシップ専門部署が立ち上がってから売上は右肩上がりだ」

「趣味が悪すぎます。ああ、人間ってなんて醜いんでしょう」

「そんなに嫌ならさっさと異動願いでも出すこったな。ま、実績もないままじゃあしらわれるだけだろうが」

「世知辛い……。……そういえば、この部署ってわりと最近できたんですよね? それまでは先輩、どこの部署だったんですか?」


 ふと気になって問いかけると、ブラン先輩は気まずそうに顔をそらした。煙草を灰皿に乱暴に押し付け、そのまま立ち去ろうとする。言いたくない、と雄弁に物語っているその姿、もしかして。


「まさか……前の部署で何かやらかしちゃったんですか? なるほど、それでやさぐれちゃったんですね! あーあ、そうならそうと言ってくださいよ。やっぱり先輩にも癒しが必要なんですよ! よしっ、今から動物専門部署を立ち上げるよう社長に直訴してきます!」

「ん……なわけあるか! 大体なんだよ動物部署って。畜生載せて喜ぶのはガキだけだ。くだらねぇこと言ってねぇで、さっさと書き直せ!」


 プリプリしながらもどこかくたびれた背中を見送りつつ、私は仕方なく指示通りに赤字を反映していく。

 ……悔しいので、余白に猫ちゃんの間違い探しのイラストを描き添えておいた。


 *


「今回のターゲットは、新任議員のローランさまだ」


 いつものようにデスクで原稿と睨めっこしていたら、ブラン先輩がぽいっと封筒を投げてきた。渋々開けてみると、中には豪華絢爛な舞踏会の写真と、関係者らしき名前がずらりと並んだリストが入っている。


「うわ……ローラン様といえば名門のお家柄ですよ。下手したら訴えられませんか?」

「こんなしょぼい相手に怯んでたら、この先やってけねぇぞ」


 ぶっきらぼうに言いつつも、写真を広げて説明を始めるブラン先輩。私はふんふんと頷きながら覗き込む。

 標的はローラン議員。表向きは同格の令嬢セラと婚約中だが、別の令嬢メアリーと頻繁に会っているらしい。


「このメアリーって女の人の家、いわゆる成り上がりですか?」

「よく分かったな。親父が港湾利権でのし上がった新興の商人上がりだ。金目当てか、ただの遊びかは知らんがな」

「……どちらにせよ浮気ってことですよね? やだなぁ、そんな話ばっかり。一途な人っていないんですかね?」

「いたら俺らの商売が成り立たねーだろ。それに、表の顔が綺麗な奴ほど裏ではドス黒ぇもんだ」


 それは偏見では? と思ったけれど、きっとこれまで沢山の人間を見てきた経験から出た言葉なんだろう。吐き捨てるように言ったブラン先輩は、手慣れた手つきで煙草に火をつけた。


「今夜、ローランが出入りしてる店に潜入する。情報筋によれば二人は定期的にそこを使ってるらしい」

「……でもそれって、ただ仲良くお喋りしてるだけかもしれませんよね?」


 婚約者がいるのに男女が二人きりで会うのは確かに褒められたことじゃないけれど、店で話してるだけなら……ギリギリセーフ、なのでは?

 そんな淡い期待を込めて口にすると、ブラン先輩は冷えた目を向けて、ふーっと煙を吹きかけてきた。


「店はピンク通りの最奥だ。理解したか?」

「……つまりいかがわしいお店ってことですね。理解しました。またあそこですかぁ……」

「そういう場所も規制で減ったからな。あそこ一帯は俺らにとっちゃ入れ食い状態だ。……行くぞ、準備しろ」

 


 ――そんなわけで私はまた、街灯の心許ない通りで夜空を仰いでいた。 



 いつまでも慣れそうにない雰囲気に気圧されて、道の端へとそっと移動する。

 すると、前に見かけたサビ猫ちゃんが優雅に尻尾を揺らしているのを見つけて、思わず「わぁっ」と声を上げてしまった。……唯一の癒しだ。


「おい、あんまり離れるな。見ての通りの治安だからな」


 ピンク通りの住人そのものにしか見えないブラン先輩が、ぐいっと私の肩を引き寄せる。その横を、酒瓶を片手に千鳥足のおじさんがふらふらと通り過ぎて行った。


「わっ、ありがとうございます。でもそんなこと言うなら、か弱い女の子をこんな場所に連れてこないでくださいよ」

「か弱い女はな、アポなしで会社に突撃してこねぇんだよ。田舎から身ひとつで来たと聞いたときは頭湧いてるとしか思えなかったぜ」

「その節は……大変ご迷惑をおかけしました……」


 記者になりたい一心で田舎を飛び出したのはいいけれど、「都会に出ればなんとかなるはず!」と根拠のない自信を武器に行動力だけで受付に押しかけた。結果、対応してくれた受付の人を散々困らせてしまったのだ。

 そこに通りかかったのがブラン先輩。面倒そうにしながらも話を聞いてくれたのが、私がこの新聞社に入社できたきっかけだった。


「まあ、その無鉄砲さを買ってやったんだ。ぐちぐち言ってねぇで気合い入れ直せ」

「はぁーい……」


 壁にもたれて酒をあおる人を避けながら歩いていると、路地の端で小さな影が動いた。


「あ、あの子……!」


 小さな黒猫ちゃんが現れて、こちらを見て「みゃあ」と鳴く。まだ子どもで、お腹を空かせているのかもしれない。

 私はバッグを探り、いつも忍ばせているおやつを取り出しかけ――。


「……やめとけ」


 背後からかけられた、咎めるような低い声。振り返ると、ブラン先輩が眉を顰めて猫ちゃんを見下ろしていた。


「不用意に餌付けすんじゃねぇ。野良を人間に慣らすな」

「え、でも……お腹空いてそうですよ? 可哀想じゃないですか」

「腹が減ってるからって人にすり寄る癖がついたら、すぐ害獣扱いで処分されんだろ。飼う覚悟があるなら別だが、そうじゃねぇなら警戒心を奪うな」


 ぶっきらぼうに冷たく言い捨てたブラン先輩の足元へ、黒猫ちゃんが近寄ってきた。

 尻尾をぴんと立て、匂いを擦りつけるように先輩の長い脚にすりすりと身を寄せる。


「わぁ! めっちゃ懐いてますよ! いいなぁ、ずるいなぁ〜!」


 大喜びする私を横目に、先輩は露骨に煩わしそうにしている。……なんでだ。なんで私には来てくれないんだ。思い切って手を伸ばしたはいいものの、「シャーッ!」と盛大に威嚇された。

 びくっと引っ込めた私を見て、先輩は馬鹿にしたように口の端をにやりと吊り上げる。……く、悔しい……!


「……ったく、毛がつくからやめろっての」


 悪態をつきながらも、先輩は口から外した煙草を壁に押し付けて火を消した。


「……やだ先輩、そんな気遣いも出来るんですね」

「あん? こんなもん人間にだって害があるんだ。こんなちっこいのが吸ったら、どうなるか分かったもんじゃねぇだろ」

「あ、身体に悪いって自覚はあったんですね……」


 猫ちゃんはそんなやりとりに興味もなさそうに、先輩の靴に前足をかけてうーんとひと伸び。それから飽きたように尻尾を揺らし、悠々と去っていった。……その気まぐれなところもまた可愛い。

 私が目に焼き付けるようにお尻を見送っていると、シュッとマッチを擦る音が響いた。……どうやら私はちっこくないから配慮してもらえないらしい。


「ええと……じゃあ、早速お店に入りますか?」

「俺は周辺を撮ってから行く。お前は先に入って、バーテンから話を聞いてこい」


 先輩はさっさと背を向けて歩き出す。仕方なく私は店の入り口へ向かった。

 無言で立っていた強面の用心棒は、名刺を差し出したらすんなり通してくれた。

 

 *


 その店は表向きには『文士と音楽家の集うサロン』と呼ばれてるらしい。入り口こそ上品だが香水と煙草の混じった甘い匂いが鼻を刺し、どこからか嬌声まで聞こえてくる。居心地の悪さに背中がむず痒くなった。


「……ええと、情報提供者さんはっと……」


 店内は垂れ幕で区切られたソファ席がいくつも並び、間接照明に浮かぶカップルたちがこそこそと杯を交わしている。カウンターに腰掛けると、バーテンさんが意味ありげな視線をよこしてきた。無言で頷き、名刺を差し出すと、彼は背後のソファ席を顎で示す。


 レースのカーテンの隙間に見えたのは――写真で見た顔、ローランとメアリーだった。


「セラ? あんな女、一緒にいたって退屈なだけだよ。このご時世に伝統だの歴史だの、保守的で仕方ねぇ。……贈り物だって、こんな古臭いペンばかりだぜ?」


 酒で気が大きくなっているのか、耳を澄ませば会話はここまで漏れ聞こえてくる。ワインを片手にペンをぶらぶらさせながら薄笑いを浮かべるローラン。メアリーも笑顔で応じ、二人は勝ち誇ったように次の一手を語っていた。


「婚約破棄は夜会の席で。招待客にヴァンズ家の横領を見せつけてやるのさ。……まぁ捏造だがな?」

「ちゃんと慰謝料も取ってきてよね? お腹には貴方の子がいるんだから、私たちの未来に傷がついたら困るのよ」

「分かってるさ。お前に不自由はさせねぇよ。……てかさ。それ、本当に俺の子だよな?」

「……当たり前でしょ? 酷い人ね。もし疑うなら他の議員様に相談してもいいんだけど?」

「じょ、冗談だって! ハハハ……はぁ……」


 赤ちゃんまでいるなんて――完全にクロ。

 父親が誰かはさておき、突っぱねられない時点でふたりが後ろめたい関係にあるのは確かだ。


 これで記事は書ける。けれど同時に、どうしようもない怒りが込み上げた。

 婚約を続けたまま他所で子をつくり、さらに証拠を捏造して相手の有責にしようだなんて、あまりにも身勝手すぎる。


 思わず眉を寄せていると――。


「……お嬢様、当店はおひとり様でのご利用をご遠慮いただいておりまして」


 唐突に声をかけてきたのは、店内を巡回していたウェイターだった。

 にこやかな笑みは張り付いたようで、目の奥は冷ややかだ。遠回しに「場違いだ」と言われているのがよく分かる。


「え、あの……すぐに連れが来ますから……」

「恐れ入りますが当店のルールでして。もしお連れ様がいらっしゃらないようなら……こちらからご退店いただくことになります」


 有無を言わせぬ口調。伸ばされた手が、私の肩に触れかけた――その瞬間。


「随分と教育の行き届いていない店員だな。……そいつは俺の連れだ。あっち行ってろ」


 低く唸るような声が背後から響いた。


 振り返れば、そこにはブラン先輩が立っていた。

 鋭い眼光はそれだけで人を射殺すようで、ウェイターは一瞬で青ざめ、慇懃に頭を下げてそのまま逃げるように姿を消した。


「……っ、あ、ありがとうございます」


 胸の奥がドキンと跳ねた。

 ――まさか、ブラン先輩に見惚れる日が来るなんて。

 いやいや、これは照明と煙幕の効果で二割増しに見えてるだけ。そうだ、そうに決まってる。


 当の本人はまじまじと私を見下ろして、小馬鹿にするように肩を竦めた。


「こんな店にこんな乳臭い小娘ひとりじゃ悪目立ちして仕方なかったか。……遅くなって悪かったな」

「乳臭いは余計ですよね……?!」

「こんな店、も余計ですね?」


 思わず、といった様子でバーテンさんも不服そうに口を挟む。「わりぃわりぃ」と気のない笑いを浮かべたブラン先輩は、そのまま空いた隣席に腰を下ろし、顎をくいっとしゃくってバーテンさんを示した。

 

「こいつとは昔馴染みでな。『今をときめくローランが女をここに連れ込んでいる』って最初にタレ込んできたんだよ」

「へえ、そうなんですね! やっぱり報奨金目当てですか?」

「……お前のそういう素直さは嫌いじゃねぇが、声落とせ。……ま、背後の連中はこっちを気にしてる余裕もなさそうだがな」


 背後から、耳を疑うようなあられもない声が漏れ聞こえてきた。咄嗟に耳を塞ぎかけたけれど――隣ではブラン先輩が頬杖をついて、私の反応をニヤニヤと眺めている。

 さてはまた馬鹿にしてるな……!

 顔が熱くなるのをごまかすように、ベッと舌を出してやった。


「情報提供者は多いに越したことはねぇ。客の顔を覚えてる店員を味方につけられるかどうかで勝負が決まるからな。……で、連中の話は何か拾えたか?」

「はい。セラさんのこと、めっちゃバカにしてました。なんか横領がどうとか言ってて、それを理由に婚約を解消するつもりらしくて……しかも、その女の人、お腹に赤ちゃんいるんですよ? 信じられないですよね??」

「……お前のその、文章以外だと語彙力が死滅するのは何なんだ? ま、内容は上出来だ。だが、それをただ記事にするだけじゃ芸がねぇ」


 ブラン先輩はそう言って、グラスを傾けて一気に飲み干した。

 どういう意味だろうと私が首を傾げると、愉快そうに口元を歪める。


「夜会の会場でセラ嬢が婚約破棄を喰らって失墜する――その記事で一週。そして翌週にローランとメアリーの醜聞をぶちまける。二段構えだ」

「……んん? それだと……セラさんが可哀想じゃないですか? 事前に教えてあげれば、どうとでも対応できるはずですよね?」


 人として当然のことを言ったつもりなのに、ブラン先輩は呆れ顔で私の額を中指で弾いた。「痛っ!」と情けない悲鳴を上げると、彼は冷たい目で言い放つ。


「読者が欲しいのは刺激だ。事前に知らせたら円満解消で終わっちまって何の面白味もねぇだろーが」

「で、でも……無駄に傷つく人はいなくなりますよね?」

「……やっぱお前、向いてねぇな。田舎に帰った方がいいんじゃねぇのか? ……あいつらももう()()()に消えた頃だろ。現場、撮ってくる」


 ブラン先輩は冷淡な眼差しを残して立ち上がる。

 取り残された私は何をするのが正しいのか分からなくて――ぐるぐると考え込むばかりだった。

 

「……お嬢さんは業界に入ったばかりなのかな?」


 情報提供者のバーテンさんが、空いたグラスにわざわざミルクを注いでくれる。私は苦笑しながら「そうなんです」と素直に応じた。


「田舎育ちだからですかね。世間知らずだのお子様だのって、馬鹿にされてばっかりなんです」

「確かにね。さっきの話も聞いていたけど……ゴシップ記者らしくない発言だったよ」


 バーテンさんの言葉に「ですよねぇ……」と肩を落とす。いや、ゴシップ記者らしくなりたいわけでもないんだけど……。


 売り上げだけで考えればブラン先輩のやり方が正しい。セラさんに非があるように見せて、あとからローランこそ悪だと暴けば読者は大喜びするだろう。

 第一報の見出しは……『ローラン議員が決死の告発! 名門ヴァンズ家、裏金スキャンダルで婚約破棄?!』とか?

 で、第二報は『偽造・浮気・裏切り・隠し子疑惑――被害者はセラ嬢だった!? 最低議員ローランの二重生活と罠』。うん、上司もきっと狂喜乱舞する。


 でも。セラさん本人は一度、醜聞を晒すことになる。

 翌週には疑惑が晴れるとしても、その記事を読まなかった人からは「横領して婚約者に捨てられた女」という記憶だけが残るんだ。

 ……そんなの、私だったら絶対嫌だ。

 

 悶々と葛藤していると、カウンターの向こうでバーテンさんも手を止めていた。グラスを握りしめる指先に力がこもり、眉間に深い皺を刻んでいる。


「……女遊びだけじゃ飽き足らず、横領の濡れ衣まで着せるつもりだったとは、ね」

 

 バーテンさんは深く息を吐き、低く続けた。

 

「俺がまだヴァンズ家に雇われていた頃、セラさんは見習いだった俺を庇ってくれたことがあったんだ。……あんな優しい方を踏みにじるなんて、我慢ならない」


 その目に一瞬、迷いのない光が宿った。

 この人は、セラさんを守るために情報を提供してくれたんだ……! 私は思わず前のめりになった。

 

「そ、そうですよね! 絶対助けてあげるべきですよね?」

「そうしてもらえると有難いけれど……ブランさんは反対するんじゃないかな」


 反対するかなぁ。……するだろうなぁ。ゴシップ記事の構成考えてるときは本当に楽しそうだもんなぁ……。

 

「あんな写真ばっかり撮ってるからスレちゃってんですかね。……やっぱり、ああいう人にこそ癒しが必要だと思いませんか?」

「癒し、か。ハハッ、面白いことを言うね。確かにブランさんには必要かもなぁ」

「ですよね! だから今こそ――猫ちゃん特集を組むべきなんです!」


 私のナイス提案に、バーテンさんはしばし間を置いてから、困惑したように首を傾げた。

 

「……猫? 君は猫が好きなのかい?」

「はい、大好きです! ……あの、『孤高の人』って呼ばれてる方ご存じですよね? この国で革命を起こして、君主制から議員制に変えた――」

「ナイル議員、ね。この国で知らない人はいないだろ。で、彼がどうかしたの?」

「その方が……! 貧民街の路地裏で、野良の黒猫ちゃんを膝に乗せてる記事があったんです! あの写真がもう……最高で!」


 思い出すだけで胸がいっぱいになる。


「いつもどことなく寂しそうなナイル議員が、猫ちゃんを抱き上げながらふわっと微笑んで……。猫ちゃんも信じきった顔でのびのびしてて……もう、胸がぎゅーってなって……!」


 手振りもつい大きくなってしまう。

 あれが私の原点だった。あの写真からは、言葉にできない何かを教えられた。それくらい衝撃的だったのだ。


「あの一枚で、王都では害獣扱いされてた猫の存在が少し見直されたんですよ。黒猫なんて昔は縁起が悪いって避けられてたのに……今じゃ『飼いたい』って人までいるらしくて」

「へえ……まあ確かに、猫はよく見かけるな。ただ正直、ゴミを漁られたりすると迷惑って思うことも多いけど」

「そればっかりは……うーん、一緒に生きていく方法を考えたいですよね」


 そう。猫って、ただ可愛いだけじゃ済まない。ゴミを荒らしたり、希少な鳥を狩ったり、問題もいろいろある。船や倉庫じゃネズミ退治に重宝されるけど、それだって一部の現場での話だ。


「でも、だったら……結果的には良かったんじゃないか?」

「え? 何がですか?」

「だって、その写真を撮ったのブランさんだろ? そんなにあの写真が気に入ってるなら、撮った張本人と一緒に働けて良かったじゃないか」

「…………えっ!? えええっ!? ……え? うそ、え、え?!」


 グラスを取り落としそうになって慌てて両手で支える。あまりの衝撃に、声が裏返った。


「ちょ、ちょっと待ってください……え、あの写真って……ブラン先輩が?!」

「……あっ! やべっ。本人は嫌がってたんだったっけ? 今の、なかったことにして! 俺、何も言ってないから!」


 バーテンさんは顔を青くして、手元のグラスを必死で磨き始める。けれどそんなこと言われたって、忘れられるわけがない。

 だって、あの写真は――猫と人、ふたつの幸せをまるで奇跡みたいに切り取った一枚だった。

 あれがあったから、私は記者を志したのに。


「ぜ、絶対に俺から聞いたって言うなよ? 殺される! マジで殺られるから!」

「ひ、ひえっ……! は、はいっ!」


 慌てふためくバーテンさんにつられて、私も姿勢を正してぴしっと背筋を伸ばす。

 けれど、気になるものは気になる。残念ながら抑えきれそうにない。


「……あの、その……そこまで嫌がる理由って、ご存じないですか?」

「詳しくは知らないよ。ただあの人、もともと政治部だっただろ? それで俺とも知り合ったんだけど、気がついたらゴシップ部に異動しててさ。で、情報を掴んだら寄こせって言うもんだから……正直びっくりしたよ」

「え……」 


 政治部。うちの社でいちばん格式と権威を誇る部署。

 そんな伝統のあるところで写真を撮っていた人が、よりにもよってゴシップ部に……? あんな素晴らしい写真を撮れる人が、なんで……?


 疑問ばかりが頭の中でぐるぐる渦巻いて、気づけば唇を噛んでいた。

 聞きたい。けど、これ以上は絶対に地雷原。デコピンどころじゃ済まなさそうだし、額に穴が開くのはごめんこうむりたい。


 微妙な空気を察してか、バーテンさんがわざとらしく咳払いをして話題を変える。


「……ま、それは置いておいて。もしセラさんに伝えてくれるなら住所を教えておくよ。俺も君の言う通り、事前に知らせてあげた方がいいと思うから」


 名刺の裏にさらさらと番地を書きつける。受け取った紙片を握りしめていると――。


「……おい、こら。何吹き込まれてやがる」


 うんざりした声とともにブラン先輩が戻ってきた。カメラを肩にかけ、煙の匂いを纏わせて。

 そして私をちらりと見下ろし、ぞんざいに手を振った。


「撮るもん撮ったからな。さっさと帰るぞ。さぁて、どんな記事にしてやろうか……」


 いつものように、水を得た魚みたいに活き活きとあくどいことを考えている。

 ……本当にこの人が、あの奇跡の一枚を撮ったんだろうか? 

 疑いは深まるばかりだったけれど、首根っこを掴まれたままでは考えもまとまらない。


 私はそのままズルズルと引きずられるようにして、怪しい店を後にした。


 

 *

 

 

 会場の扉をくぐった瞬間、豪奢なシャンデリアの光が目を射抜く。

 白と金を基調とした広間には、宝石を散りばめたドレスや燕尾服に身を包んだ人々が集い、甘い香水とワインの香りが漂っていた。


「……おいおい、本当に各社に声かけやがったんだな、あのバカ議員」


 首からゴツいカメラを提げたブラン先輩が、呆れた様子で周囲を見回す。さすがに今回は場所をわきまえたのか、ぼさぼさ頭はきちんと撫でつけられ、くすんだグレーのジャケットにネクタイまで緩く締めていた。……普段とのギャップのせいか、ちょっとだけカッコいいと思ってしまったのはここだけの秘密である。


「普通ならこんな話は両家が密室でひっそりやるもんだ。それを夜会の最中に? しかも記者まで招待? ……正気とは思えねぇな。潜入の手間が省けたのは助かるが、これじゃ第一報は他社と代わり映えしないじゃねぇか」

「重大発表があるって触れ込みでしたよね。他の記者さんたちはそわそわしてますけど……まだ内容は知らないのかな」

「あの店の件を知ってるのは今んとこ俺たちだけのはずだ。……ま、あいつにとっちゃこれも政治ショーなんだろうよ」


 改めて周囲を見渡すと、集まっているのは新聞社や雑誌の記者の姿が目立つ。ローランはここでセラさんを糾弾し、婚約破棄をぶち上げて、記事にさせるつもりなのだろう。正義の味方面をして自分の立場を正当化する。そんな筋書きが透けて見えた。


 ……まあ、こちらとしては堂々と取材できるし、美味しい料理も食べられるからありがたいんだけど。


「――ご注目ください!」


 デザートを堪能していると、階段上からローランの朗々たる声が広間に響いた。

 会場が水を打ったように静まり返る。

 光沢のある燕尾服に金の飾りをあしらい、スポットライトを一身に浴びるその姿は、まるで舞台の主演俳優みたいだ。


「なんだ……?」

「芝居でも始まるのか?」

 

 招待客たちがささやき合い、記者たちはノートを構え、控えめなシャッター音が空気を震わす。

 そんな熱視線を浴びながら、ローランは自信たっぷりの笑みを浮かべた。

 両腕を大げさに広げ、喝采でも求めるような仕草で一歩前へ出る。


「本日は、皆様にお集まりいただき感謝します。長らく婚約を結んでいたセラ・ヴァンズ嬢との関係について、重要な発表がございます」


 会場の中央には、白のドレスに身を包んだセラさんの姿。控えめな装飾にも関わらず、他のどんな煌びやかな衣装よりも清廉に映えていた。

 ただ、その表情は静かすぎて何を思っているのかは分からない。


「私は……本日をもって、彼女との婚約を解消します!」


 その一言で、ざわめきが弾ける。

 貴婦人たちの扇が愉しげにひらひらと揺れ、紳士たちはグラスを持ったまま互いに視線を交わす。記者たちのペンが一斉に走り、シャッター音が激しい拍手のように反響した。


 ローランは観衆の動揺をひとしきり楽しんだ後、わざとらしく眉を寄せて悲劇の男の顔をつくる。

 そして、震えるような声で――。


「……理由は、残念ながら……ヴァンズ家が手を染めた、莫大な横領です! 証拠も、こちらにございます!」


 控えていた秘書らしき男が数枚の書類を広げ、テーブル上に並べる。

 すぐさま記者たちが群がり、フラッシュの光が嵐のように弾けた。


「信じたくはありませんでした。ええ、何度も自分に言い聞かせました。きっと何かの間違いだと……。しかし、議員として目を背けるわけにはいかなかった。私は民からの信頼を守るため、この決断を下したのです」


 ……やっぱり議員なだけあって喋りは上手い。声の抑揚、間の取り方、そして悲劇の主人公を演じる表情。事情を知らなければ、私だって信じてしまったかもしれない。


 でも私は、あの男の本性を知っているから。

 話が途切れた隙を見計らって私がスッと手を挙げると、「お、おい……!」と隣のブラン先輩がギョッと振り向いた。


「星のささやき社のクラリッサと申します! 質問、よろしいでしょうか!」


 静まり返った会場に私の声が響く。ローランも質問が出ること自体は想定の範囲内だったのか、わざとらしく頷いてみせた。

 

「ふむ。質疑応答の予定はありませんでしたが……特別に許しましょう」


 その仕草すら寛大さの演出に見える。……都合がいいからこのままやっちゃえ。


「ローラン議員は日頃より懇意にしている女性がいらっしゃるそうですが、その方は今回の件とは無関係なのでしょうか?」


 ヒクッ、とローランの顔が一瞬ひきつる。けれどすぐに好青年の仮面を被り直した。


「……きっとメアリー嬢のことですね。彼女はただの友人です。私が横領の真実に苦しんでいた時、支えてくれた恩人でもあります」

「疑われるようなことは、一切無かったと?」

「結果として誤解を招くようなことがあったとすれば、それはすべて私の至らなさに起因するものです。今回の件は厳粛に受け止め、今後はより一層の自省と誠意をもって、議員としての責務を果たしてまいります」


 うわぁ、出たよ。偉い人特有の型にはまった謝罪。

 ……でも、それでいい。私はただ、観客に"女の影"をちらつかせたかっただけだから。

 殊勝な態度に後方の貴婦人たちが「やっぱり誠実な方ね」と囁き合い、ローランの口元がわずかに吊り上がる。


「……セラ。君からも何か言うことはあるか? この場で潔白を証明できるのなら、私は喜んで考え直そう」


 慈悲深い男を演じるように微笑みながら、挑発的に見下ろしている。きっと反証できるはずがないと踏んでいるのだ。突然の告発に、反撃の用意などしていないはずだと。

 でも、会場の空気が張り詰める中でセラさんはただ静かに彼を見返すばかり。狼狽える様子は一切ない。

 誰もが彼女の言葉を待つ中で、やがて――。


「ええ、ございますわ。少々お付き合いくださいませ」


 澄んだ声が響いた瞬間、空気ががらりと変わった。

 セラさんは静かに裾を揺らしながら、記者たちの間をすり抜けて前へ出る。シャンデリアに照らされ、白いドレスのシルエットがひときわ輝きを増す。

 そしてテーブルに近づくと、煌々とした光に照らされた「証拠」と称された書類へと手を伸ばした。


「こちらが、あなたが仰る横領の証拠……でしたわね?」

「その通り。知人を介して手に入れたものだ。……本当に残念だよ、セラ。ヴァンズ家がこんなことに手を染めていたなんて……」


 ローランは曇りなき眼でセラさんを見据え、すぐに自嘲めいた笑みを浮かべる。会場がざわめき、記者たちが雪崩を打つように彼女へ詰め寄った。


「横領はいつからですか?」

「ヴァンズ家の当主も関与されているのでしょうか?!」

「公共事業にも携わっているんですから、貴女には説明責任がある!」


 "横領はあった"ものとして記者たちが質問を投げかける。これまで悪い噂のなかったローランの言うことだからと、無条件に信じ込んでいるのかもしれない。

 でも、好奇と侮蔑の視線を一身に受けてもセラさんは動じる気配もなく、ゆったりと人々を見渡していた。


「それではこちらをご覧いただけますか? これは、あなたの秘書が過去に作成した内部報告書です」

「……それがどうしたというのだ。まさか私が、自分の秘書に捏造を命じたとでも? 馬鹿馬鹿しい、筆跡を見れば一目瞭然だろう」


 新たにテーブルに並べられた紙束。照明に照らされたそれは、確かに筆跡も用紙の様式も、先ほどの証拠書類とは異なって見える。

 でも、カメラを構えていたブラン先輩が、何かに気付いた様子で小さく鼻を鳴らした。


「……ハッ、筆跡を変えるくらいの知恵はあったらしいな。だが、詰めが甘い」


 その呟きに続いて、セラさんが穏やかに微笑む。


「さすがに筆跡までは揃えなかったようですね。ですが、うっかり覚え間違えていたのでしょう。こちらとこちらの単語をご覧ください。同じ、奇妙なスペルミスがございますの」


 彼女が指差したその箇所に、ざわめきが走る。記者たちがざっと前に詰め寄り、誰かがぽつりと呟いた。


「……本当だ。ミスの綴りがまったく一緒だ……」


 ローランの顔から血の気が引いた。だが、すぐに取り繕うように作り笑いを浮かべ、肩を竦めてみせる。


「……なるほど。だが、同じ誤りをする人間がいたところで何の不思議がある? そもそも、誤字の一致をもって捏造と断じるとはいささか短絡的ではないかね?」


 そしてゆっくりと、記者たちへと視線を巡らせる。


「皆様、よく考えてみてください。このご時世、証拠などいくらでも捏造できますから。第一、ヴァンズ家にまつわる黒い噂は今に始まったことではありません。我々が信じるべきはどちらか……火を見るより明らかではないでしょうか?」


 さすが議員さま。予想外の反論には驚いた様子だけれど、この程度の疑惑ではまだ致命傷にはならない。

 記者たちの間に迷いが走る。視線が揺れ、ペンの動きが止まる。

 けれど、セラさんはただ唇の端をわずかに上げ、次の矢を即座につがえた。


「では、こちらをご覧くださいませ。あなたと"恩人"メアリー様が、幾度となく逢瀬を重ねていた記録写真です。日付も、場所も、明確ですね。……あら、メアリー様も本日はお越しでしたのね。皆様にご紹介してもよろしいかしら?」


 カーテンの陰に潜んでいたメアリーの笑みが、凍りつく。

 会場の空気が一変し、ざわめきは「誠実な紳士」から「下劣な偽善者」へと音を立てて傾いていく。


 それでもローランは食い下がる。写真を一瞥し、大げさに首を振ると、芝居がかった口調で語り始めた。


「……まったく、ご尽力には頭が下がりますね。確かに私は彼女と何度かお会いしました。しかし、それはあくまで信頼できる友人としてです。このような写真がどういった意図で撮影されたのかは存じませんが、個人の私的な交流をここまで過剰に解釈されるのは非常に遺憾です。私はただ、困難な時期にそばにいてくれた彼女に感謝しているだけなのです。それを責められるのであれば、もはや誰も誰かに頼ることなどできない社会になってしまうのではないでしょうか?」


 議員さまお得意の長文言い訳きたー! お隣のブラン先輩も「詭弁じゃねぇか」と吐き捨てている。

 後方のご婦人たちがざわつき、記者たちの手元のペンも、迷うようにまた止まる。


 だがセラさんの指先は迷いなく、すっとひとつの封筒へと伸びていた。


「まあ……それでは、こちらはどうかしら?」


 掲げられたのは、例の店の一室で、言葉にするのも憚られるような痴態をさらすローランとメアリーの写真。


 一拍の静寂。


 そして、次の瞬間――閃光が嵐のように弾け飛ぶ。


 群衆をかき分けて飛び出したローランが、写真を奪うように覗き込み、言葉にならない悲鳴を喉から漏らした。


「こ、これは……捏造だ! そ、それか、よく似た別人だ! 私はこんな場所には行っていない!」

「まぁ。それでは是非とも鑑定にお出しくださいませ。ただ……この写真に写っている、床に投げ出されたスーツの胸ポケットに差してあるペン。あれは、私が贈った世界にひとつだけの品ですの。販売元にもお確かめくださいませ。それでも捏造だと仰るのなら、どうぞご自由になさって」


 セラさんと一瞬だけ目が合う。彼女は大きく頷き、優雅に微笑んだ。


「ですが、忘れないで下さいませ。貴方が私を貶めようとしたように、捏造だろうが何だろうが……大衆が"真実"と信じたものこそ、正義となるのですから」


 囁くような声に、ローランの喉がごくりと鳴る。会場の空気は、今度こそ決定的に傾いた。

 

 観衆の視線は冷えきり、メアリーは耐えきれず踵を返して逃げ出した。

 拍子抜けするほどの静寂を破ったのは、無数のシャッター音。閃光の雨が、沈みゆく男を余すことなく切り取っていく。


「――以上ですわ。婚約解消は私から申し出ます。そしてこれ以上、彼の名誉を傷つけるつもりはございません。あとは民意に委ねます」


 セラさんは毅然と宣言し、大きく手を広げて会釈する。

 その姿に、広間は割れんばかりの拍手と歓声で包まれた。


「……お前、やりやがったな」


 ジト目でこちらを睨むブラン先輩。私は明後日の方向を見ながら、「なんのことですかぁ?」と白々しく惚けてみせる。返ってきたのは、重たいため息だった。


「……まぁ、これはこれで絵にはなるがよ。次週で他社を出し抜くつもりだったのがパァじゃねぇか」

「あ、それなんですけど! セラさん、うちにだけインタビュー受けてくれるって言ってました! だから結果的には、他社より先を行けると思います!」


 ――そう。実は、セラさんには事前にすべて話してあった。

 夜会は中止して、婚約解消も彼女の方から切り出してもらうよう提案したのだ。


 けれどセラさんは、私が思っていた以上にずっとしたたかだった。


『……そう。あの人、私のことを気にかけてくれていたのね……。それなら、その写真を私に預けてくれないかしら。面白いものを見せてあげるから』


 そう言って悪戯に笑い、逆に条件を突きつけてきたのだ。

 その結果が、この華麗な逆転劇。

 一部始終を説明すると、先輩は渋い顔をしてポキリと首を鳴らした。


「今回はたまたまうまくいっただけだ。次からは必ず相談しろ。分かったな?」

「は、はいぃ!」


 勢いよく頭を下げると、不意に大きな手が後頭部に触れた。

 ぽんぽんと叩かれる感触。……え、これってもしかして褒められてる? そう思った瞬間、顔がにやけそうになる。


 ――が。


「しかしなるほど、婚約破棄からの逆襲劇か……。こりゃ読者受けするだろうな。問題はどうやってネタを拾うかだが、やっぱハニトラが一番手っ取り早ぇよなぁ……」


 考え込むブラン先輩の手が、ぐいぐいと私の頭にのしかかってきた。


「せ、先輩、重いです……!」

「この一件が話題になれば二番煎じだろうが読者もすぐ飛びつくだろ。多少盛っても問題はないとして……」

「首がっ、首が折れちゃいますからぁぁ!」


 腹いせのつもりなのか、それとも本気で物思いに耽っているのか。

 私の頭が解放されるまでに、長い時間が費やされた。

 

 

 *


 

 騒動からひと月後。

 社内で猫背気味に記事を書いていた私のデスクに、薄い封筒がペラリと置かれた。


「……何ですかこれ?」

「あの記事のおかげで売り上げが過去最高を記録したそうだからな。お前への褒美だ。……ついでに、俺の過去の負債でもある」


 ブラン先輩は腕を組んで無愛想に立っている。

 恐る恐る封筒を開けてみると――そこには一枚の写真が収められていた。


 孤高の人と呼ばれたナイル議員が、膝に黒猫を抱いている。

 猫はふてぶてしいほどリラックスし、足を投げ出して、優しく微笑むナイル議員の腕の中でご満悦だった。


「これっ! 私が記者を志すきっかけになった写真じゃないですか!」

「何十回も聞かされたから知ってる。……何を隠そう、撮ったのはこの俺だ」

「そっ……れは知ってましたけど! わぁ、生写真だ! やっぱり可愛い!」

「なんだ、やっぱりアイツから聞いてやがったか。お前は隠すのが下手くそなんだよ。事あるごとに猫の話ばっかりしやがって。嫌がらせか?」


 だってどうしても気になったんだもん。だから、私なりに調べてみたのだ。


 あの猫は撮影後、ナイル議員の熱狂的なファンに攫われて一時行方不明になっていたらしい。

 そのせいで先輩は一部の過激派から「野良猫の平穏を壊した」と責められ、二度と動物は撮らないと決めたのだと、政治部の人から聞かされた。


「……でも、結局あの子は見つかって、そのままナイル議員に引き取られて、屋敷で元気に暮らしてるんですよね?」

「ああ。今じゃ絹のクッションで寝てるそうだ。俺より待遇いいんじゃねぇか?」


 むくれて言う先輩に、思わず笑ってしまう。

 すると背後から「やぁ」と軽い声が響いた。


「また猫の話してる。よっぽど好きなんだねぇ」


 振り返ると、手土産を提げたバーテンさんが立っていた。


 彼はもともとセラさんの屋敷に仕えていた料理人で、密かに彼女に想いを寄せていたらしい。けれど、身分の違いを思って自ら身を引いたのだという。うう……いじらしい。

 そうしたら、新しい勤め先で婚約者のはずのローランが別の女を連れて現れたもんだからビックリ。いてもたってもいられず、すぐさまブラン先輩に連絡をくれた。それがあの情報提供の裏事情だったようだ。


「セラさんがお礼を言いたいって言ってましたけど……もしかして、その後いい感じになってたりします?」

「……お嬢さん、鋭いね。ま、どうなるかは分からないけど、まずは職場を変えないとかな。それと今日はお礼にね」

「やっぱり! わあ、上手くいくといいですね!」


 社内に響いた私の声に、遠くのデスクから数人が顔を覗かせる。

 バーテンさんは耳まで赤くなり、ブラン先輩にお尻を叩かれてさらに慌てていた。


「もっと今の店で情報寄越してくれてもよかったんだがな。……ま、ヴァンズ家に潜り込めるならそれも悪くねぇか」

「そ、そんな話にはまだ全然なってませんから! ウェイターくらいなら紹介しますから、それで我慢してくださいよ!」

「ははっ、分かった分かった。……良い報告を期待してんぜ」


 照れ笑いを浮かべながら、バーテンさんは足早に立ち去っていった。

 

 残された私は猫の写真をもう一度見つめ、にんまりと笑う。

 なにせ今回の独占インタビューのご褒美として、部長から紙面にフリースペースも頂いていたのだ。これはもう、猫ちゃんの魅力を伝えよという天啓だとしか思えない。

 

 さっそくピンク通りで見かけたサビ猫ちゃんのことを書こうとすると――。


「……その枠、今回は俺が貰うぞ」


 耳元で低く囁く声。

 ビクリと肩を震わせて振り向けば、ブラン先輩が机に片手をついて私を見下ろしていた。


「は? はあああ?! なんでですか!」

「俺の写真も評価されたわけだからな、俺にも権利はあんだろ。あの糞司教の凋落っぷりを載せてぇんだよ」

「駄目です! これは私の猫ちゃん特集なんです! 可愛い猫ちゃんを見て癒されてもらうための!」

「あのなぁ。可愛い可愛いだけで済むなら、世の中こんなに野良が溢れちゃいねぇんだよ」


 先輩は私の額をコツンと指の関節で突く。痛くはないけど、妙に悔しい。


「だいたいな。猫を記事にするなら、現状の問題も書け。じゃなきゃまた誰かに攫われたり嫌がらせされたりするかもしれねぇだろ。お前はそれでいいのか?」

「う……それは困ります……。じゃあ……猫ちゃんを正しく管理する施設を作るとか……あっ! 猫ちゃんを好きなだけ愛でられるカフェとか! 良くないですか??」

「……まぁその辺は勝手に考えろ。ただし、本業忘れんなよ」

「ゴシップは本業じゃありません……!」


 皮肉げに笑う先輩が煙草に火をつける。悲しいことに、もうこの匂いにも慣れてしまった。最近じゃこの匂いで先輩の居場所が分かるくらいだ。……休みの日なんか、逆に落ち着かなくなるくらいには。


「でも、なんとなく分かりました。先輩、悪ぶってるけど……動物、好きですよね?」

「はぁ? お前の目、腐ってんじゃねぇのか? 畜生になんざ興味ねぇわ」


 心底心外とでも言いたげな顔。でも、ほんのりと滲む優しさに私はもう気づいてしまっている。だから思わずくすりと笑ってしまった。

 そう、先輩はほんのり優しいのだ。……私のことも、何だかんだ見捨てずにいてくれるし。


「……あの、ブラン先輩」

「あん?」

「どうしてゴシップ部なんかに異動希望を出したんですか? 慰留もされたって聞きましたけど……」


 今なら教えてくれる気がして、ちょっとだけ勇気を出して聞いてみる。

 すると先輩は、「何言ってんだこいつ」という顔でこちらを見たあと、肩を大袈裟に竦めてみせて、何でもないことのように言い放った。


「人間のゴシップなら、いくら晒したところで傷つくのは人間だろ? 俺はな、相手が人間なら死のうが地獄に堕ちようがどうでもいいんだよ」

「…………なるほど」

「ローランは議員辞職。お相手の女の妊娠は虚言で裁判沙汰。ハハッ、見苦しいこった。全くもってざまぁねぇな」


 ――予想の斜め上すぎる。

 でも、愉快そうに笑うその横顔は、なんだかとても先輩らしかった。

 相手を追い詰めるときは本当に楽しそうだし、この人にとってはゴシップ部署こそ天職なんだろう。

 

 でも私は、人間の醜さを凝縮した煮凝りを食べ続けるのはごめんなわけでして……。


「……先輩。やっぱり私、この仕事は――」

「結果論ではあるが、お前も今回はいい働きしてくれたな。少しは見直したぞ」

「ほ、本当ですか!? 先輩が褒めてくれるなんて……明日、槍でも降るんじゃないですか?!」


 単純なもので、褒められるとすぐその気になってしまう。

 そんな私を鼻で笑いながら、先輩はまたぶつぶつと呟き始めた。


「婚約破棄現場でもまた見つかりゃいいんだが……一発ハニトラでも仕掛けてみっか? だからお前が――いや、駄目だな。こんな色気のねぇガキじゃ相手にもされねぇか」

「失礼過ぎますよね?! ……そうじゃなくって、私、このままやっていける気がしないんですけど……」

「ったく……仕方ねぇな。これからは一本、いいもん書けたら褒美にフリースペースをくれてやる。その枠は好きに使え。そこで反響があれば、上も動物部署とやらを考えるかもしれんだろ」


 ……なるほど。下っ端が「作りたいです!」と叫んだところで、相手にされるはずがない。

 ならばまずは、小さな枠からでも実績を積み重ねていくしかない。


 それに、先輩の言葉はもっともだった。可愛いだけじゃ記者の仕事とは言えない。問題を提起し、解決の糸口を提示し、読者と一緒に考えていけるような記事にしなくっちゃ。


「先輩! 私が間違ってました……! 一生ついていきます!」

「単純で結構。やる気になったなら何よりだ。それでだ、次の標的なんだがな――」


 ……あれ? 私、やっぱりいいように使われてるだけな気が……。

 ま、まぁいいか。今は私にできることを全力でやるしかない!


「……あ、先輩。フリースペースもらえたら、一緒に猫の取材、行ってくれますよね?」

「お前、本当にいい度胸してんな……」


 呆れたような声。でも、その奥にほんの一瞬だけ、笑みが浮かんでた気がした。


 


 ――そして、後日。


 見事なゴシップ現場に居合わせてフリースペースをもぎ取った私は、ついに先輩と一緒に猫を追いかけて街を歩くことになった。


 時には膝に乗られ、時にはシャツを引っかかれ……。

 猫たちとの触れ合いのなかで知った、地域猫や保護活動の現状。

 それは記事としても、大きな反響を呼ぶこととなった。


 ――気づけば私は、ひとつの夢を見るようになっていた。


 王都のあちこちに猫カフェができて、街角では猫たちがのんびり日向ぼっこ。

 誰もそれを邪険にせず、当たり前に受け入れている。そんな未来を。


 たとえ今はゴシップの現場を追いかける毎日だとしても、その夢を少しずつ確実に形にしていきたい。


 横で煙草をくゆらせる先輩に、「一生ついていきます!」と叫んだあのときの気持ちを、これからも、ずっと胸に抱きながら。


 

 *

 

 

 全く、呑気なもんだ。


 少し離れた街角から、クラリッサの背を眺める。

 楽しげに鼻歌まじりで歩いてやがるが、一定の間隔を保って尾けている連中には全く気付く様子もない。


 ……ま、気付かねぇ方がいいか。


 煙草をくわえたまま、カメラを構えて連中の姿を切り取る。

 フラッシュに驚いたのか、奴らは顔をそらし慌てて路地の奥へと消えていった。


 おおかた逆恨みした連中がクラリッサのことを嗅ぎつけたのだろう。ローランの取り巻きか、メアリーの差し金か……。

 まぁ、相手が誰だろうと知ったことじゃねぇ。ヴァンズ家と交渉して護衛を増やしてもらうしかないだろう。


「ったく、後先考えずに動くからこうなるんだよ」


 呟きとともに白い煙を吐き出す。夜風に攫われた煙は街灯の明かりに揺れ、やがて掻き消えた。


 前を行くクラリッサは、いつも通りのアホ面で猫を追いかけてしゃがみ込んでいる。その無防備な姿に、思わず苦笑が漏れた。


「……まあ、あの呑気さがあるから救われてる部分もあるんだがな」


 猫が攫われ、その責任を追及された。

 そんな話が社内では囁かれていたが、実態は少し違う。

 

 あれ以上の写真は撮れないと分かってしまった。

 ただ、それだけのことだった。



 あいつの熱意に根負けした――まあ、そういうことにしておいてやるか。

 だが、人間の腐臭がしない被写体をもう一度追いたいと思えたのは、確かにあいつのおかげだろう。


 そんな甘ったれた考えを浮かべつつ、今日も猫に威嚇されているクラリッサを、シャッター越しに捉える。


 ……現像が、楽しみだな。


 久方ぶりに、そんなことを思ってしまった。

 

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ナイスデコボココンビ(*≧ω≦)続編読んでみたいです(p`・Д・´q)
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