第1話 大時計共に異世界転移
歩道の両端に咲き誇る美しい桃色を放つ満開な桜、
その道を歩く人々の髪を靡かせる暖かく、少し弱めなそよ風。
私、神月紅葉はいつもと何も変わらず、学校帰りの歩道をゆったりと歩いていた。
勿論いつもと変わらない日常は楽しいが、矛盾しているだろう。この日々が退屈でもあった。
私は後ろに手を組んで持っていた鞄を肩に掛け直し、下に落ちている小石を蹴り飛ばす。
それと同時にふと頭の中で思った。
たまには別方向で帰れば何か面白い事が起こるか、
良いものがたまたま見れるかもしれない。
元々好奇心旺盛な性格である私はずっと気になっていた場所があり、結局そこに寄った事が一度も無かった為、これを機に良く観察してみれば良いのではと
思い付いた。
「善は急げって言うし、ぱぱっと行ってみるか!」
小声で自分にしか聞こえない声量で呟くと、私は
早速スキップをしながら、ある場所へ向かった。
現在歩いている道の奥の角を曲がり、そのまま真っ直ぐに進んで行くと、私が求めていた場所に比較的
早く辿り着いた。
私がもう少し間近で見てみたいと願った場所は、
他の住宅街に囲まれているが、それらとは似合わないような茶色をベースとしたレトロチックで豪華な教会と見違える建物であり、手前の看板には
「ヴリエーミァ堂」と表記されている。
誰も訪れて居ないのか誰も住んでいないのかは分からないが、この建物を中心的にとてつもなく静かで落ち着く雰囲気を纏っていた。
しかしこの間たまたま通り過ぎた時と何処か異様な空気が漂っている気がした。
正確には何故そう感じるのかは詳しく説明が出来無いが、以前見た時には無かった黒いモヤが心にかかっており、中々消えてはくれない。
まるで何者かに追いかけられているような心地だ。
何でこんなにモヤモヤするんだろう。
…ヴリエーミァ堂の中に原因があるのかな?
「誰も居なさそうだし、ちよっとくらい入っても
バレない…よね?」
ブラザーの制服の赤いリボンを片手で握り締め、
自分自身にそう言い聞かせると、私は前を向いた。
そしてその異様な雰囲気を放つ教会らしき建物へ忍び込んだ。
ヴリエーミァ堂には部屋が一つしかなく、その一つの為にあれほどの敷地を利用していたので、
勿論かなり広く、現実ではあまり見かける事の無い
丸い球体に電球を入れて茶色の札のようなものがそこからぶら下がっている和風なシャンデリアのかかった
天井も随分と高さがあった。
窓は両サイドに柱と交互に配置され、柱には
シャンデリアに付いていた球体の光とよく似たものが飾られていた。しかしそれらは光が付いていない為、
部屋自体は地味に薄暗い。
奥の方にはあり得ない程に大きいカーテンがあたかも何かを隠したいと思っているかのように、何かを
覆っている。カーテンの手前の端にはカーテンを開ける用だと考えられる紐が天井からぶら下がっていた。
カーテンの裏に隠されたものの正体が気になった私は、ぶら下がってゆらゆらの揺れる紐に駆け寄ると、
迷わずそれを引っ張った。
すると案の定、カーテンは下から上へと上がって
行き、隠された存在が顕になった。
その途端私は驚愕で体が固まり、空いた口が塞がらない思いをした。
カーテンの裏には私の5倍、いや6倍はある大時計が凛として立っていた。
電池が無いのか、リアルな置き物だからなのか分からないが、長針と短針はどちらも機能していなかった。
私はその大時計に足音を顰めながら恐る恐る近寄ると、大時計を指で伝うようにそっと触った。
指に嫌な感覚がする。
指を時計から離して触った方の指と指を擦り合わせると、埃の固まりが出来上がった。
「うわっきったな!!」
思わず大声を上げて、手に付着した埃を払い落とす。
声量のせいで部屋中に音が響き渡る。
「こんなに汚いし、もう帰ろうかな…?」
そう口にしたその時だった。
突然大時計から鐘の音色がし、外とは大違いな強風が私に襲いかかって来た。
入り口から奥までドス黒い何かに包まれる。
そして、私の視界には大時計しか映らなくなった。
その大時計の針はいきなり回転し出し、あまりの勢いに全ての針が弾け飛ばされてしまった。
私はこちらへ飛び散って来た針に当たらないよう、
両腕で自分を制御する。
運良く針の鋭い先端は当たる事は無かったが、側面がハエ叩きのように激しく腕を叩きつけて来た。
「痛!?」
叫び声を上げてしまう。おそらく今の私の腕には
赤く、針の型の跡が残っているだろう。
そう思っていると、またまた突然の事に
大時計が崩壊を起こしながら宙に浮き始めた。
それと共に私も宙へ身体を預ける状態に至る。
宇宙に行った時の宇宙船の中では、こんなふうになっているのか。
少しウキウキしたが、慌てて首を振り、
その心踊る感情を隅へと追いやる。
今はこんな事で浮かれている場合じゃない。
何かが起こる嫌な予感がする。
早く出口に行かないと。
私は出口を探そうと暗闇の中で大時計から放たれた歯車を手掛かりに出口の方へ進んで行こうと試みた。
しかし、そんな簡単に思い通りに行く訳が無い。
私が出口へ向かおうとした次の瞬間、更なる強風が訪れ、ドス黒い何かが出口まで追い返されると同時に私と大時計は地面へと投げ出された。
その瞬間、目を瞑っていた私はそっと目を開いた。崩壊を起こしたはずの大時計は何故か元の姿に戻っている。
辺りを見回すが、特に何も変わって居ない気がする。
念の為窓から外の景色を見てみようと、自分から一番近い位置にある窓から外を覗いてみた。
そして外の景色に私は驚きを隠せなかった。
外にはいつもの住宅街…ではなく、西洋風でレトロな
建物、城が並んでいた。
全ての景色が全て見える訳では無いが、建物に取り付けられている歯車を見るなり、おそらくこの街?は
時計がモチーフになっている場所なのだろうと悟る。
夢でも見てるのかな?
そう予想した私は外の景色を呆然と見たまま、
無表情で頬を指でつねった。
「痛!?って事は此処は夢の中じゃない…
つまり、いっ異世界…転移…なのか?
いやでも、そんな事現実であり得るのかな…
自分の目がおかしいだけかな…」
独り言をブツブツと呟き、窓の外とその窓に手を
つく自身の手を交互に見返していると、出口の方から大人びいた少女の声がした。
「今すぐその汚れた手を離しなさい、この不法侵入」
私は言われるがままに窓から手を離すと、声の主へ身体を振り向かせた。
「ふっ不法侵入…私の事?」
「当たり前でしょ。逆に貴方と私以外、誰も此処に居ないじゃない」
「確かに〜」
私は表上は平然を装いながらも、心の中では酷く
動揺していた。
それも二つの意味でだ。
一つ目は、ヴリエーミァ堂に入った私も数割程悪いが、それによってこの異世界らしき場所に来てしまっただけのはずが、何故か見た会った事も無い少女に
不法侵入者扱いを受けており、その少女の手には鋭く先端の輝く刃物が握られていたからだ。
もしもそれに刺されて仕舞えば、間違えなく即死だ。
そして二つ目の理由は、その少女が今までに一度も見た事の無いレベルの美少女だからだ。
彼女は癖が一つも無い長くて綺麗な黒髪を低めな
ツインテールで結び、歯車やリボンなどのやたらと
装飾の多いセーラー服を身につけていた。
私が少女の美貌を赤眼をぱちくりさせて眺めている間も、彼女の話は止まらなかった。
「貴方、この静粛なるヴリエーミァ堂に立ち入って何をしているの?此処はこの世界内に住む者しか
入場許可は無いのよ。
……真面目に聞いてるの?」
やばい、ほとんど話を聞いてなかった。
もう少し反省してるように見せてれば良かったかも
しれない。
少女は初めより段々と口調がキツめになって来ている為、流石にまずいと思った私は慌てて両手を前に突き出しながら脳内で一番効果のありそうな言い訳を
探った。
「いやーあのーそのー…
セッセーラー服カワイイネー」
ダメだ。馬鹿みたいな誤魔化し方をしてしまった。
あの子から炎が出て来てるのが見える気がする…。
私は彼女の切れ味の良さそうな刃物で刺し殺されるのを覚悟し、心の中で絶対に意味の無い、神に祈るという行為を行った。
静寂でヴリエーミァ堂中に氷みたいに冷ややかな
空気が流れ込む、そんな緊張感の中でついに少女は口を開けた。
「そっそんなに可愛いかしら…このセーラー服…」
少女は人差し指で微妙に赤く染まった頬を掻いた。
あれ?もしかして…この誤魔化し方なら何とかなるのでは?
私は悪い方では無い、安堵のため息を吐いた。
それから更に褒め称えてあげようと、満面の笑みを
顔に飾り、両手を拍手のように叩き合わせる。
「うん!すっごく可愛い!
君も美人だから凄い似合ってるよ!」
誤魔化しと言ったが、これは実際に思っている、
完全完璧な本心だ。
つまり本心を言っていれば自然と誤魔化しが心から
そう思っているというリアルさが増す為、より許されやすい…気がする。
これで成功したと思ったが、少女のはにかみの赤い顔が怒りの赤い顔に変化している感じがした。
私は後退りしたが、彼女もゾンビのような遅いが
不気味な歩き方で近づいて来る。
「今…安心したわよね?
残念。私がそのお世話で貴方が不法侵入した事を無かった事にする訳ないじゃない」
「いや!ほっ本心だよ!本当にそう思ったんだよ!」
私が尻餅をついても弁解しようと話し続けたが、
少女は無表情で片手に収まっていた刃物を両手で
握り、頭上へ振り上げた。
「不法侵入をした事を後悔させてあげるわ」
「うわぁあぁあぁ…ごっ誤解だから!誤解ー!」
私は間抜けな叫び声を上げて仰向けで冷え切った床に倒れ込むと転がり、少女の刃物を避けた。
「待ちなさい!」
少女は掌から黒いネバネバしていそうな液体を放出するとその液体は形を生成し、数本のナイフに生まれ変わり、それらを転がって柱に激突した私を目掛けて
投げ始めた。
私は慌ただしく地味にこけかけながらも何とか立ち上がり、走る姿勢変える方針で迫り来るナイフを
ギリギリのところで交わして行く。私に当たらず壁に命中したナイフは液体に逆戻りし、その場で溶けた。
私はこの時人生で初めて自分の運動神経が人並み、もしくは人以上に良い事に感謝をした。
昔から運動神経が良くても、それを活用する場が無ければ意味が無いと思っており、出来れば頭のほうが良くなって欲しいと願っていたのに、まさかこんな所で活躍するとは。
だが残念な事に、運動神経が良くても私には持久力があまり無く、比較的すぐに身体の限界が来てしまった。大時計に身体を寄せ付けると少女は掌で長い剣を生成してゆっくりと歩み寄って来る。
私はあっという間に袋の鼠というべく状態に陥ってしまったのだ。
「案外手強いのね…貴方。
でも、能力者の私と普通の人間である貴方との差は
はっきりしているようね。
もう…逃げられないわよ」
少女は台詞を吐き捨てると、勢い良く剣を振り下ろした。その剣が宙を辿り、私の身体に刺さるまでどれ程の時間が余っているのか。
答えはほんの数秒だ。
私は叶うはずも無い願い事を喉から無理矢理に押し出した。
「…結界よ…私を守って!」
私は両腕を前へ引っ張り出し、目を逸らした。
刺された時用の対処法。注射は別の場所を見ていれば案外痛く無いというのと同じような謎の理屈だ。
実際には結界なんて現れる事は無いし、目を逸らしても激痛を感じるだろう。
次の瞬間、少女の鋭く長い光り輝く剣は私には
刺さる事が無かった。
その代わり、鈍い音が鼓膜へ届く。
恐る恐る目を戻すと、目の前には半透明の赤みがかって美しい模様が蠢いてる結界が姿を現し、
願った通りに私を守っていた。