神の存在証明
まず始めに……この話は矛盾している。
人は神の存在を証明することはできないが、神の痕跡を知っている。これが矛盾だ。
神の存在証明の前に知っておいて欲しいことがある。
法と倫理についてだ。
──人類史において、人は法と倫理を守るために無視することはあるが、捨てたことはない。
何故なら戦争がそれを証明しているからだ。
戦争が起きている国家や組織において、法や倫理は重要だ。
法や倫理は人間としてのあり方を守るために存在している。
この"人間としてのあり方"とは独自に求められた生き方そのものである。それを守る為、相手の法や倫理を無視して"殺す"ことが戦争である。
では何故この話をしたかと言うと、これは宗教にも当てはまると私自身が思ったからだ。
昔から現代において、起こっている宗教戦争。それには法や倫理が関係している。
宗教と言うのは、神と言う存在を信じ信仰する行為であるが、宗教によっては神の在りかたが違う。
例えば神の為なら生け贄を差し出す所、神の為なら法を変える所等、様々だ。
それらの価値観による相違は決して避けられない。倫理的"死"が起こるからだ。
そこで1つ、疑問が生まれた。法と倫理の"死"とはなにか……結論から書こう、それは"死ぬこと"だ。
死ぬこととは?そのままの意味である。
人は死ぬことで法を守らなくてもよくなる、何故なら死んでいるのだから法に縛られる必要がなくなるからだ。
倫理感はどうなのだろう。倫理的"死"と言うのは人が死ぬ、とはまた別の意味合いがある。
それは存在的"死"だ。
存在的"死"とは、この世の誰からも忘れ去られ存在を認識してもらえないことである。歴史が過ぎるのと同じで、存在と言うのは常に変化していく。
この倫理的"死"を恐れるがあまり、人は宗教と言う組織や国家を作り、相手の法や倫理を無視して戦争が起きる。
倫理感を守るために人は争い、法と倫理的"死"を恐れている。
故に人は神の存在を証明する事ができない。その代わり、嘘か実か"神の痕跡"だけは証明できる。




