王子から婚約破棄されてしまった!キラキラ王宮生活の夢が台無しになってしまう!
私の名前はリリー・マルティネス。金色のウェーブがかった髪に、紫の瞳を持って生まれた。自分で言うのもどうかと思うが、割と美人だと思う。
公爵家の長女として生まれ、この国の第二王子、リチャードと婚約している。
生まれた時から婚約が決まっていたらしく、幼いころに結婚相手がいることを告げられた時は驚いた。
しかし、大きくなっていくにつれて、「将来の生活が約束されてるのって最高じゃない・・・?」と思うようになった。
将来は綺麗な王宮で騎士に守られた安全な生活。豪華な服を着て、メイドさんたちにお世話してもらって、毎日お風呂に入れて。おいしいごはんも毎日食べられる。
少女らしい恋をしたいと思う心はあったが、将来の生活を考えればこの婚約に不満はなかった。
もちろん、きちんと妃としての義務を果たせるように勉強はしており、成績は優秀、実績もいくつか積んでいる。
6歳からずっと詰め込み教育を受けていたので大変だったが、未来への投資と思えば少し楽しく思うこともあった。
そんな私は今年で18歳になり、貴族の義務として学園に通っている。三年生なので、もうすぐ卒業を控えている。同い年の王子ももちろん在学している。
私と王子の婚約は、私の生家のマルティネス公爵家と王家の縁を強めるための結婚。
王子もそのことは了承している、と思っていたのだけど・・・。
最近王子の周りで良くない噂が立っていた。
婚約者に隠れてほかの令嬢と遊んでいるという噂だ。
この国では政略結婚が多い。
望まない婚約をしている人もいれば、ある程度良好な関係を築いている人もいる。
私と王子は前者といえるだろう。
しかし、政治的な策略にしろ、家の維持にしろ、婚約というのは貴族の義務である。
今回の噂が広まれば、その義務を放棄すると捉えられる行動をする王子も、放置した私も問題視される。
そして、私の王宮生活の夢も危うい。
そのため、何度か王家に申し入れをしたり、王子に手紙を出したりしていた。
学友たちの間ではあまり良い噂を聞かない王子のほうに非があると捉えている人も多いらしい。
しかし、そうはいってもどうにかしなければ未来の私のキラキラ王宮生活が危うい。
リリーは自分の努力が泡になって消えるのは避けたいのであった。
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ある時、食堂で友人たちと食事をとっていた私の前に現れた王子は、一人の小鳥のようにかわいらしい令嬢の腰を抱いていた。
食堂の人々がざわめいている。友人たちも困惑しながらも数人は厳しい目を王子に向けている。
思わず眉を顰めてしまったが、いつものように淑女らしい笑顔を取り繕う。
リチャード王子はなんだかいつもより態度が大きいように思う。
「やあ、リリー。今日は君に良い知らせがあるんだ。」
「リチャード様。ごきげんよう。そちらのご令嬢はマグネ子爵家のマーガレット様ですね。婚約者がいる身でほかの女性を連れている軽率な行為は控えるよう、進言させていただいたはずです。」
私の将来の生活のためにも、王子として確固とした立場を築いてもらわないと困る。
それに、周囲の注目を大きく集めてしまっている。どうやってごまかすつもりなのだろうか・・・。
隣にいる令嬢のほうをチラリとみると、意地の悪い笑みを浮かべていた。
婚約者のいる男性に言い寄るのは重大なマナー違反だ。
彼女も自分がどんな立場にいるのか理解していないのだろうか・・・。
「お前みたいな口うるさい女よりもマーガレットは素敵な女性なんだ。慈悲深くて誰にでも分け隔てなく優しいんだ。彼女は、お前よりも王家の妃としてふさわしい!!」
王子は自信ありげに、大きな声で言った。してやったり、という顔だ。
ええ・・?何を言っているんだこの王子は。
たしかに、王子には以前から素行の悪さは感じていたので、そのたびに注意したりした。しかし、口うるさいと思われていたなんて。
それに、一介の子爵令嬢に務まるほど、王弟妃は簡単な仕事ではない。私が10年間勉強して、それでようやくやっていけるだろうと思えたくらいだ。今から勉強したとしても間に合わない。
「殿下。私はいつも王族としてふさわしいふるまいをするように申し上げているだけです。それに、教育を受けていない彼女が妃として務めるのは不可能です。」
「ふはは!必死に言い訳しても無駄だ。俺はお前と婚約破棄すると決めたんだ!!!彼女と結婚する!」
本当に頭がおかしくなってしまったんだろうか。
「リチャード様!私、うれしいです!!」
隣の子爵令嬢が、王子にのことをうるんだ瞳で見上げている。この子も頭がおかしいんだろうか。
周囲が大きくざわめいている。それは当然だ。第二王子が婚約破棄したなんて一大スクープだ。
頭が追い付いていない私は、開いた口がふさがらない。何がどうしてこうなってしまったのか・・・。
婚約者としての義務は果たしていたし、私はどこに行っても恥ずかしくないくらいの礼儀作法、教養、魔法、語学を身に着けている。
私と結婚しないのは政治的に見ればかなりの損失だ。
そもそも親同士が決めた婚約だ。それを破った王家の印象はかなり悪くなってしまう。
以前から少し不出来なところのある人だと思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。婚約関係が破棄されることはないだろうし、王子も王族としての教育を受けているから、大丈夫だろうと楽観視しすぎていたかもしれない。
「というわけで、リリー。お前とは婚約破棄だ!!!お前のような真面目でしつこい女などまっぴらごめんだ!」
先ほどは意味不明な聞き間違いかと思ったが、今回ははっきり聞き取れた。
婚約破棄・・・。その言葉の意味をこの人は分かっているのだろうか。
家同士の約束を反故にすることになる。一方的に契約に違反するということだ。
今回の騒動は王家の総意ではないだろう。
しかし、いずれこの噂が王家まで届けばどうなる?
王家はどうするだろうか。王子を謹慎させる?王子の意思を尊重して王家を除籍させる代わりにこの令嬢と結婚させる?それとも何らかの賠償措置をとってこのまま婚約を続ける?
・・・いずれにせよかなりまずい。王子の頭の悪さを甘く見ていた。
これじゃ私の将来設計が狂ってしまう!
結婚したとして、将来の終身雇用先が立場の悪い馬鹿王子の妃!?
というか、こんなことをやらかす人なら将来もっと大きなことをやらかすに決まってる!
そうなったら私も巻き添えを食らって処罰される可能性もある。それは本当にまずい!
ああ、そうなってしまったら妃になったとしてもキラキラ王宮生活なんて夢のまた夢になってしまう・・・。
ならば、今のうちにこの人との縁を切っておかなければ!
しばらくうつむいたまま黙りこくっていた私を、王子は落ち込んでいるとでも思ったのか、満足そうに見下している。
隣の令嬢もしてやったり、というような表情だ。
周囲の人々も、ある人は心配そうに、ある人は興味深そうに、私の動向をうかがっている。
私は、声をかけようとしてくれた友人を制止して、深呼吸してから優雅に立ち上がり、あくまで冷静に王子に向き合う。
「わかりました。その婚約破棄を受け入れます。今までお世話になりました。」
きれいなカーテンシーをした後、友人たちと周囲の人々に会釈をしてから、私は食堂から早足で立ち去った。
まったくどうしてこうなってしまったのだろう。
自分や国の利益よりも愛だの恋だのに現を抜かすなんて・・・。
そんなことを考えていたら午後の授業になかなか集中できなかった。
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その日の放課後、私は婚約破棄されたと両親に鳩を飛ばした。
あの後学友たちに色々聞かれたが、今は一人にしてほしい、と言ったらみんなそっとしておいてくれた。
今は、いつもの場所で友人と二人でお茶をしている。
「そうと決まったら新しい嫁ぎ先を探さないと・・・。」
私はため息を吐きながら、隣国の公爵令嬢、ステラ・グレイフィードに愚痴っていた。彼女は隣国からの留学生だ。
彼女はとてもきれいな人だ。青みがかったプラチナの髪はしゃんとまっすぐ伸びていて、銀色の瞳は日の光を反射する雪景色を切り取ったかのようだ。少し背が高いところも彼女の魅力を引き立てている。
ここは人目に付かない学園の裏手のガセボだ。人払いもしてあり気兼ねなく話せるので、放課後に彼女とよく話をしている。彼女はほかの学友と違って、身分や派閥を気にせず話せる唯一の相手だ。
今日はステラが「今日は大変だったね」と言いながら私の好きな紅茶とお菓子を用意してくれた。
天気も良がいい日は木漏れ日がさすこの場所を私たちは気に入っている。
今の季節は近くにラベンダーが咲いており、風が吹くたびに穏やかな香りがする。ステラはこの香りが気に入っていると言っていた。
私の正面に座ったステラが紅茶を優雅にすすりながら労わるような目をむける。
「前々からあの王子と婚約なんてかわいそうだと思ってはいたのだけれど、ほんとに気の毒ね。」
「ほんとだよ~。私の幸せ王宮生活が・・・。」
「ふふっ、リリーはいつもそれね。でも気持ちはわかるわよ。お姫様みたいな生活って憧れるわよね。」
「はあ・・・。同じくらいの年で私に釣り合う身分の人はもうみんな婚約決まってるし、ほんとにどうしよう・・・。」
私は頬杖をつきながら、もう砂糖の溶けきった紅茶をかき混ぜる。、
ステラは、そんな私の様子を見ながら、私の好きなフィナンシェをとり、私の前に差し出した。
わたしはふてくされながらもそのフィナンシェを口に入れた。
こうやってステラがなにかを食べさせてくることに、はじめのころは驚いた。しかし、「私の国では相手に食べさせるのは親愛の証だから。」と言われ、二年も続けているうちに慣れてしまった。
むすっとした顔でフィナンシェを味わう私に、ステラはにこっと笑いかけた。
「それなら、いっそ隣国の人と結婚するとかは?」
「隣国の人・・・?うーん、知り合いなんていないし・・・。って、あ!もしかしてステラに良いツテがあったりするの?」
その可能性は考えていなかった。確かにそれならまだ婚約していない人がいるかもしれない。
期待に満ちた目線でステラを見ると、ステラは顎に手を当てて一瞬考えてから、私を見て言った。
「あー・・・、えっと、今度、私の兄さんがこちらに遊びにいらっしゃる予定があるの。兄さんはまだ結婚していないから、顔を合わせてみる?」
なんと!それはあまりにも好条件だ!
私は思わず身を乗り出した。
「おお!ぜひ会わせてほしい!」
私はなんだかんだ妃教育を受けてきた身だ。ステラの国では少し勝手が違うかもしれないが、うまくやっていけるだろう。
それに、ステラの家は公爵家だ。今と同じような生活が送れるなら十分だ。王宮ほどじゃないがとてもいい嫁ぎ先といえる。
隣国との友好関係を深める目的だとかで嫁いでしまえば、あとはこの国とのしがらみからも遠ざかることができる。
うんうんと満足そうにうなずく私に、ステラは苦笑した。
「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。あ、もしかして公爵家ならいい生活送れそうだ~。なんて思ってるんでしょ?」
「あはは・・・。よく分かったね。まあ、前からそういう話結構してたもんね。」
「そうだね。リリーは将来は豪華な生活をするんだ!って意気込んでたもんね。」
ステラがくすくす笑う。
そんな言い方をすると私が欲張りみたいじゃないか。平民のような生活でも構わないとは思ったこともある。でも、せっかくこんなに苦労して勉強してきたんだ。お金に余裕があって、ご飯が用意されてて、将来の不安がない生活を送ったってバチは当たらないだろう。
「そりゃ誰でもそういう生活したいもんじゃない?もちろん、その分の仕事はしっかりこなすけどね!」
「ふふ、リリーはすごく優秀だから、王家に嫁いでたら国を豊かにしてただろうね。ほんと、あの王子は何やってるんだか・・・。前々から嫌な奴だと思ってたけど、大衆の面前でリリーをあんな目に遭わせるなんて。」
ステラは不満そうだ。
彼女はいつも私に寄り添ってくれるので、とてもありがたい。
「まあまあ、もう終わったことだし。もしまた婚約を結びなおしたいって言われても断ろうと思ってるんだ。そっちが先に破ったんだからって。」
「そうね。それがいいと思うよ。きっとあんな王子と結婚してもリリーは幸せになれないと思う。」
「そうそう、あの王子と結婚したら変なことに巻き込まれて平穏な暮らしなんてできそうもないよ。」
ふふっと笑ってから、まじめな顔でステラは私を見つめた。
「それだけじゃなくてさ、・・・愛されない結婚なんて、寂しくない?」
ステラがそんなこと言うなんて少し意外だった。
そう、なんだろうか。そういう人たちだってたくさんいるだろう。別に愛のない結婚でもいいじゃないか。
私と王子は政略結婚だった。だから、そういうのは自分には関係ないものだ。でも、違う人と結婚するというのは、自分で相手が選べるんだとしたら、どうなるんだろうか。
「で、でも、私そういうの想像したこともないから・・・。自分の能力を買ってくれる人なら満足かな。私、自分が優秀だとは思ってるからさ、きっとある程度尊重してくれると思うし。」
小さいころは憧れたことはある。おとぎ話のお姫様みたいに、自分のことを愛していると言ってもらえることに。
でも、王子は昔からそっけなかったし、自分の人生はそういうものと無縁なものだから、きっとほかの人と結婚してもそういう関係しか築けない。
もちろん今でも、仲のいい夫婦や、自分の婚約者との惚気話をする友人に憧れないわけではない。
でも、私には色恋なんてわからないし、どうしたらいいのかもわからない。今までどおりが一番いい。
そんなことを考えているうちに俯いてしまった私の様子をうかがいながら、ステラはクッキーをゆっくり食べている。
しばらく間をおいてから、ステラは言った。
「リリーはさ、自分の価値が自分の能力だけにあるのだと思ってるんだろうけど・・・。リリーはそれを抜きにしても、とっても素敵な女の子だと思うよ。」
驚いて顔を上げると、ステラが真剣な表情で見つめていたので思わずドキッとしてしまった。
こういう時、ステラの綺麗な顔の威圧感は力強く、言葉に説得力を持たせているように思う。
そんなこと言われたのは初めてだ。
私が何も努力せず、何一つ秀でたところのない人間だったら?相手の役に立つような能力がなかったとしたら?
どんな自分になっていたか想像がつかない。
思わず黙ってしまった私を横目に、紅茶を飲みほして、ステラは言った。
「とりあえず、今度兄さんと話してみてよ。きっと兄さんもステラのこと気にいってくれるわよ。」
「あぁ、うん。そうだね。あ!それに、お兄さんと結婚したらまたステラとたくさん会えるもんね!」
そう考えると悪くないかもしれない。ステラは私にとって一番の友達だ。
「あはは・・・、そうだね。」
元気を取り戻した私の前で、ステラはちょっと気まずそうだった。
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数週間後、ステラの家のお屋敷に招待された私は馬車に乗っていた。
さすがに婚約破棄されてすぐにお見合いをしているのはどうなのかと思ったところもあるので、今日はステラのお茶会に招かれたという形で向かっている。
あの後、王家から「第二王子が一時的に錯乱していただけなので婚約破棄はなかったことにしてほしい」という旨の手紙が届いたり、子爵令嬢と第二王子が謹慎を言い渡されたという噂を聞いたりしたが、全部無視することにした。
今日の縁談が上手くいけば隣国で暮らすんだから関係ない。それに、もし結婚できなかったとしても、この国を出て商人なりなんなり、自分で何とかしようと思ったのだ。今まで頑張ってきたことを活かせば成功するビジョンはそれなりにある。
両親は、私の幸せが一番だ、あとは任せてほしいと言ってくれた。私が生まれてから婚約のおかげで公爵家と王家は良い関係を築けていること、王子と私が割り切った関係であることを心配していたこと、跡取りには兄がいるから心配しなくていいことを告げられた。いままで十分すぎるぐらい頑張ってきたんだから、もう自由に生きてほしいと。
私も、もう豪華な生活を送りたいとかはどうでもよくなっていた。むしろ、なにかから解放されたような、晴れ晴れとした気持ちなので不思議だ。
案外、両親の言う通り頑張っていたのかもしれない。婚約破棄されてよかったなと、少し思ったくらいだ。
そんなことを思い返していると、馬車が屋敷の前で停まった。到着したようだ。
屋敷の執事であろう、初老の男性の手を借りて馬車を降りる。
そういえば一度もステラのお屋敷にお邪魔したことなかったな。
屋敷の入り口まで行くと、美しい男性が迎えてくれた。
「ようこそお越しくださいました。リリー・マルティネス嬢。私はアストレア・グレイフィードです。お会いできて光栄です。」
そういって彼は胸に手をあててお辞儀した。
事前に聞いていたステラのお兄さんの名前と同じだ。少し細身だがそこそこ鍛えているのか筋肉質だな、と思った。
アストレアさんもさすが兄妹といったところだろうか。おそろいの銀の瞳に、こちらはサラッとした青いショートの髪。ステラもそうだが、アストレアさんもきれいな顔をしている。きっと両親も美人さんなんだろう。
「お出迎えいただきありがとうございます。ご招待にあずかりましたリリー・マルティネスです。本日はお時間をとっていただいてありがとうございます。」
丁寧にカーテンシーをする。こういうのは第一印象が大事だ。服装も少し気合を入れてきた。きっと彼の眼にも完璧な淑女として映っていることだろう。
「お疲れでしょうし、お茶をご用意しております。どうぞこちらへ。」
そういってアストレアは私をエスコートして庭に面したティールームに案内してくれた。
外には静かで落ち着いたイングリッシュガーデンが広がり、初夏の日差しに照らされている。ティールームは庭より南に置かれているからか、ちょうど日陰になっており、美しい庭を気兼ねなく楽しむことができそうだ。どこからかラベンダーの香りも漂っている。今の時期はいろんな場所で咲いているのだろう。
「こんなにきれいな景色を楽しみながらお話しできるなんて嬉しいですわ。」
「こちらこそこんなに素敵な方とご一緒できてうれしいです。」
アストレアは柔和な笑みを浮かべる。笑い方まで兄妹そっくりだ。
「妹から事情は聞いております。・・・災難でしたね。」
「あはは・・・。お恥ずかしい限りです。」
「いえ、第二王子もあなたのような方を手放すなんて馬鹿なことをしたものです。」
少し気まずかったので紅茶を飲んでごまかす。私の好きなアールグレイの香りが口に広がる。ステラに今度飲んでみたいと言っていたオレンジのフレーバーだ。これもステラの入れ知恵だろうか。こうやって陰から応援してくれているのかと思うと嬉しくなる。
それからしばらく、二人でたわいもない世間話をした。
王子とはこんなに穏やかな時間を過ごしたことはなかったので不思議な感じだ。
あっという間に時間が過ぎ、庭を散策したり、木陰でお互いの好きなものを話したりしているうちに、お開きの時間となった。
もちろん、お互いに相手を見定める目的はあるだろう。しかし、思いのほか会話が弾んで、とても居心地の良い時間だった。
帰りの馬車に乗り込む私に、アストレアはこう言った。
「後日、マルティネス公爵家に婚約の申し入れをしたいと思います。今回の件のほとぼりが冷めてからになると思いますので、もうしばらくお待ちいただくことになりますが・・・。」
こんなにトントン拍子にうまく事が進むとは嬉しい限りだ。
事前にグレイフィード家のほうにも話を通してあるんだろうか。だとしたら向こうも前向きにとらえてくれていたということだろう。
「とてもありがたいお話ですわ。マルティネス家としても、グレイフィード家にとっても素晴らしい提案ですわね。」
私が微笑んで言うと、アストレアは、はは、と苦笑してから言った。
「また、お会いしませんか?今日のような楽しい時間を、またあなたと過ごしたいのです。」
胸がじんわりと暖かくなった。星の光のような銀色の瞳に、なんだか目が離せなくなってしまった。
「え、ええ。ぜひ。またご一緒しましょう。」
「はい。ではまたステラに言伝をしておきましょう。今日はありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございました。」
カタカタと馬車に揺られて帰る私は、今日の出来事がとてもキラキラしていたように思えた。
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それから二か月。、私はステラとお茶会をするという名目で何度もアストレアに会いに行った。
彼と話しているとなんだか浮足立ってしまうような感じがする。こうやってなんでもない話をして、お菓子と紅茶を口にしてのんびり過ごす。そんな時間がとても好きだと思うようになっていった。
彼はことあるごとに私のことを見つめてくる。そうされるとなんだか胸のあたりがきゅっとする。
家に帰ってからも彼のことを考えてしまうことが増えた気がする。
そんな中、今日は、学園でまたステラとお茶会している。
「兄さんとはうまくいってるみたいね。私もうれしいわ。」
ステラは最近、私とアストレアを取り次いでくれている。
ここ最近の話題は私とアストレアの話ばかりだ。
「ステラのおかげだよ~!ありがとう。来月にはもう卒業だし、そうしたら公爵家で暮らせるよ。たのしみ~。」
「あはは、リリーはそればっかりね。兄さんはリリーのお眼鏡にかなった?」
「もちろん!いつも私の知らない知識を教えてくれたり、あと、言葉の言い回しもとてもきれいでね、それに私のことたくさんほめてくれるし、すごくいい人だなって。」
ステラは兄を褒められてうれしそうに微笑んだ。
「ありがとう。リリーがそういってくれるととても嬉しいよ。」
そういわれるとなんだか恥ずかしくなってしまって紅茶に手を付ける。
ちらっとステラのほうを見ると目が合った。ステラが思いついたようにチョコを手に取り、目の前に差し出したそれを私はそれを口に入れた。
チョコを食べながら、私はステラをまじまじと見る。
「ステラってほんとにお兄ちゃんに似てるよね。双子だったりするの?」
ステラは一瞬目を見開いたあと、ふふ、と笑った。
「リリーはかわいいね。そうだなあ・・・今度の日曜にまた私の屋敷に来てよ。いつもは邪魔したら悪いと思って私は顔を出してないけれど、次は私とお兄ちゃんと三人でお茶でもする?」
たしかに、三人で会ったことはなかったな。
「いいね!でも二人に囲まれたらまぶしすぎて目がつぶれちゃうかも・・・。」
「あはは、大丈夫だよ。・・・たぶん。」
ステラはちょっと不安げな顔だった。
~~~
次の日曜日、私はまたグレイフィード家の屋敷へ向かっていた。
アストレアとステラは仲がいいんだろうな。
二人の綺麗な顔を思い浮かべるとめまいがしてきた。
あの二人に囲まれたらほんとに目が焼けちゃうかも。
そうやってうだうだ考えているうちに到着した。
今日出迎えてくれたのはステラだった。
「リリー。今日は来てくれてありがとう。早速で悪いんだけれど、ちょっとついてきてもらっても構わない?」
「おはよう、ステラ。もちろん大丈夫よ!」
歩き始めたステラの隣につき、屋敷の中を歩く。
「ねえ、今日はアストレア様はまだお見えにならないのかな?」
「うーん、そうだねえ・・・。」
ステラはちょっと気まずそうにそう言うと、やがて一つの部屋の前で停まった。
「リリー。」
ステラが物憂げ顔で振り向いた。
「私はリリーにとっていい友達かな?」
急にどうしたんだろう。
「もちろん!ステラは私にとって一番の親友だよ。」
私が答えると、ステラは何度か口を開けたり閉じたりしながら、覚悟を決めたようにこちらを向く。
「じゃあ、アストレアのことはどう思ってる?」
本当にどうしたんだろう。いつになく真面目に聞いてくるなんて変な感じだ。
「え、えっと・・・。」
私はアストレアのことをどう思ってるんだろう。いい嫁ぎ先?尊敬できる人?
・・・いや、わかってる。口にしたことはないけれど、あの楽しい時間を過ごすうちに、好きになったんだ。
でも、そういうのはきっと私には不釣り合いだ。私はきっとそういうのには向いてない。今まで通り、都合のいい婚約者のままでいい。そう思うと胸がきゅうっとしぼむような心地がした。
「リリー?」
ステラが不安そうに覗き込んでくる。彼と似ているその瞳を見てアストレアの顔が浮かぶ。
「好き・・・なんだと思う。」
口にした瞬間耳が熱くなる。だめだ、だってそういうのに振り回されたらまた・・・
「・・・じゃあ、こっちきて!」
ステラが動揺している私の手を引いて扉の中へ入る。
部屋の中はベッドやクローゼットが置いてある。ステラの私室だろうか。
「え、えっと、ステラ・・・?」
「ごめんね、ちょっと恥ずかしいから向こう向いててね。」
そういうとステラが服を脱ぎ始めた。
びっくりして慌てて後ろを向く。
「ちょ、ステラ、何してるの!?」
背中から衣類のこすれる音がする。
しばらくして音がやんだ。
「え、えっと、もう振り向いてもいい?」
ステラの返事はない。
「え、大丈夫?ステラ?」
心配になって振り向くと、そこにステラはいなかった。
ステラが立っていた場所にいるのはアストレアで、でもいつもの青い髪じゃなくてステラの綺麗な髪をなびかせている。
アストレアの服を着たステラが立っている、とでもいうのだろうか。
顔の印象はステラだ。おろした髪が顔の左右の輪郭を隠していて、いつもの凛々しいメイクをしている。
でも、着ている服はアストレアだ。もともと線の細い人だと思っていたけれど、そばに脱ぎ棄てられているドレスを見るに、いつも着こなしていたのだろう。しかし、男物の服を着るとがっしりとした男性らしいシルエットが強調されている。というかアストレアはかなり筋肉質な感じがある。いつもどうして女の子に見えていたのか不思議なくらいだ。
なんだかちぐはぐな感じだ。
というか、こんなことが可能なんだろうか?ステラはどう見たって女性だし、アストレアはどう見たって男性だ。いやまあ、どちらも中性的な顔ではある。でも、体形も声も簡単にごまかせるものじゃないはずだ。
顔を白黒させている私に、アストレアが話しかける。
「ごめんね。そんなにびっくりされるとは思ってなくて。ちゃんと説明するね。」
いつもの低い声だ。ステラのような、アストレアのような目の前の人物に頭が追い付かない。
アストレアに促されて部屋のソファに座ると、彼も向かいに座った。
少し待ってて、と言ってから、メイクを落として髪も結んで戻ってきた。
綺麗な銀髪のほうが本当の髪らしい。
でもやっぱり、変な感じだ。
「じゃあ、そもそもなんで僕が学園に女装して通っていた理由から話そうか。」
いつの間に用意したのか、お菓子と紅茶が運ばれてくる。私の好きなものばかりだ。中にはステラしか知らないはずのものもある。
「僕が10歳のころに、隣の国の第二王子が使節団に連れられてやってきたんだ。その時、初めて君のことを見つけたんだ。」
アストレアが懐かしそうに話を進める。
「君は、リリーは、その時、すごく寂しそうな顔をしてたんだ。覚えてる?」
記憶をたどれば、確かに隣国へ出向いたことがある。たしか、第二王子の婚約者として同行していた。しかし、そんなにさみしそうな顔をしていたのだろうか。
「ふふ、そんな顔してたっけ?って顔してるね。多分、リリーは覚えてないと思う。当時のリリーが何を思っていたのかはわからないけど、毎日勉強漬けだったんでしょ?その上王子から冷たくあしらわれているのも、当時の僕の目からでも分かった。」
そうだったのだろうか。でも、勉強していたのは将来のためで、自分への投資だ。そりゃ大変だったけどその分やりがいもあった。
「リリーは豪華な王宮生活のため!ってよく言ってたけどさ。」
そうだよ、私はそのために努力してた。
「でもさ、それって、きっとつらい状況に耐えるための言い訳だったんじゃない?」
そう言われて、喉が一気に渇く。
違う、同年代の子たちが外でピクニックしたことも、街にこっそり遊びに行って親に怒られたことも、兄弟で使用人と一緒になってクッキーを焼いたりしたことも、私には関係なかった。
私は、生まれた時から決まった道しかないのだ。
だから、豪華な王宮生活にあこがれたから頑張ってただけで。
「リリーと話をするうちに、リリーは本当は活発で、ロマンチックな女の子だって思ったんだ。」
確かに、ステラとはそんな話もした。町の屋台のご飯はどんな味なんだろうとか、丸一日何もしないで好きなことをしていたいとか、そんな愚痴をこぼしたこともある。
「それで、昔にリリーが使節の一団としてやってきている間、僕はなんだか気になって、遠くから何度かのぞき見してたんだ。女の子の私生活を覗くなんて悪かったと思ってるよ。」
ふふ、とアストレアが笑う。
なんだかおかしい。私は当時、そんな風に思っていたんだろうか。本当は好きなことをして過ごしたかったんだろうか。
でも、否定したい気持ちもあれば、納得している自分もいる。
思いつめてしまった私を見かねたのだろうか。
目を伏せてから、少し遠慮がちに、フィナンシェを手に取って私のほうへ差し出す。
いつものステラの手は手袋をしていた。でも、今のアストレアの手はごつごつしている。
アストレアのほうを向くと、困ったように微笑んだ。
フィナンシェを見て、また彼の顔を見て、もう一度フィナンシェを見て。
私はフィナンシェを食べた。
今目の前にいる人は、私が好きになったアストレアでもあり、今までずっとそばにいてくれたステラでもあるんだ。
「それでね、ずっと頑張ってるのにつらそうな顔してるリリーのこと、帰った後もなんだか忘れられなくてさ。僕と他の令嬢との婚約の話も何度か出たんだけど、気が乗らなくてほとんど断ってしまったんだ。しばらくして、隣国の学園との交換留学の話が上がったんだ。僕は、リリーにまた会うチャンスかもしれないと思った。」
綺麗な銀の髪に、いつもと同じフィナンシェ。放課後のステラのお茶会のような感覚になる。
さっきより少し気持ちが落ち着いてきた。
「それで、交換留学に名乗りを挙げたんだ。でも、婚約者がいるリリーと僕じゃ話なんてできない。なんでもいいから、なにかリリーにできることはないかと思ったんだ。そこで、僕は昔母や姉に女装させられて遊ばれていたのを思い出した。昔は今よりもっとかわいらしい顔つきだったから、二人とも楽しかったんだろうね。留学に行くときはもう15歳だったから、結構きついかなって思ってたけど、声を変える練習をしたり、体形を変えたり、服を工夫したりしているうちに、それなりに令嬢の格好ができるようになってね。」
なんか体形を変えていくうちに逆に筋肉付いてきちゃったんだけど、それが良かったのかも。なんてアストレアが笑った。
きっと並大抵のことじゃない。もとから中性的だったとは言っているが、ステラは綺麗でとても美しい令嬢だった。そう思えるように、そう見えるようにする努力は私には想像がつかない。
なんでそこまでして会いに来てくれたんだろう。
「それで、女装して学園に入学することにした。母も姉もなんだか乗り気だったから、名義とかはごまかしてくれたんだ。ステラって名前は、女装して遊ばれていたころに僕の名前をもじって、母がつけた。まあ、父は婚約者もいないのにいつまでも浮かれて何をやってるんだって眉を顰めてたけど。でもそこで、またリリーに再会できて、頑張って仲良くなって放課後のお茶会までできるようになった。そこではリリーが気を使わないでいてくれて、すごくうれしかったんだ。」
アストリアが微笑んだのにつられて私も口角が上がってしまう。
「私もステラとたくさんお話しできてすごくうれしかったよ。でも、なんでそこまでしてくれるの?いずれ国に帰る予定だったんでしょ?」
アストレアが恥ずかしそうに頬を搔きながら言った。
「多分、ずっと心配だったんだと思う。いつかふらっと消えてしまうんじゃないかって。でも、リリーは僕が思ってた以上に前向きだった。自分なりに自分の幸せを見出して、それをつかもうとしてた。ステラとして話しているうちに、段々リリーを尊敬するようになっていったんだ。卒業した後も、たまに二人で会って、お茶会とかして、リリーの良い友人としていられればいいと思ってたんだ。」
そうだったのか。一度会っただけでそこまで心配されるような様子だったんだろうか。
思い返すと、今くらい前向きに勉強し始めたのは12歳になったころだったように思う。
それまでは、家で冒険小説や恋愛小説、自分とは縁のない世界に思いをはせていた時期もあった。
「そこで、あの第二王子が婚約破棄なんて言い始めて。僕はこれはチャンスだと思ってしまったんだ。それでまあ、兄がいるって嘘をついて、今に至るんだ。髪はもともと女装するために伸ばしてたのを隠して、服もいつもは部屋着くらいしか着ないような男物を着て。不思議なもので、恰好が変わると気分も変わるんだ。友人としてじゃなくて、異性としてリリーと向き合うようになった。それで、前よりリリーのことを幸せにしたいって思うようになった。」
アストリアがいつもと変わらない銀色の瞳で見つめてくる。
私は、今まで自分の心に無意識に蓋をしていたことをようやく受け入れられた気がした。
それに、こんな話をされたら、ますますアストレアのことを好きになってしまうじゃないか。
「・・・ありがとう、アストレア。えっと、それともステラって呼んだほうがいいのかな?」
アストレアはいつものステラと変わらない、でも私が好きになったアストレアと同じように、柔和に目を細めた。
私のこと、この瞳でずっと見ていてくれたんだ。何とも言えない感情が湧き上がってくる。
「どちらでも構わないよ。リリーが好きなほうで。」
私の中でのステラと、アストレアが重なっていく。
「じゃあ、アストレアって呼ぶね。私も本当のあなたと向き合いたいから。」
アストレアが破顔する。顔をくしゃっとさせて、とても愛おしそうな目で見つめてくる。
「どうしよう、こんなことになるなんて思ってなかったけど、今、僕はすごくうれしいんだ。」
そんなことを言う彼につられて私も笑ってしまった。
「私も、こうなって良かったなって思っちゃってるんだ。」
それから、私に向き直ったアストレアがおもむろに立ち上がった。
エスコートするかのように私に手を差し出すので、私もその手を取って立ち上がる。
横の窓から西日が差し込んでいる。その窓の目の前に連れられる。
アールグレイとラベンダーの香りが混じった部屋の中で、私の目の前でアストレアが跪く。
アストレアの綺麗な髪と瞳が西日を反射する。彼は私をまっすぐ見据え、左手を胸に当て、右手を差し出す。私はそっとその手に自分の手を重ねた。
二人の影が長い影を落とす。
「リリー・マルティネス様。私は未来永劫、あなたを愛し、幸せにすることを誓います。受け入れてくださいますか?」
「もちろんです。」
断る理由なんてない。豪華な生活なんかなくていい。
ずっと、この人と一緒にいたいと思った。それだけだ。
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それからしばらくして、正式に両家の承認のもと婚姻が結ばれた。
リリー・グレイフィードとして隣国に渡った私は、公爵家の仕事をこなしつつ、アストレアと時間を作っては昔にやりたいと思ったことをたくさんした。
婚約破棄は、私の王宮生活への夢を台無しにした。
でも、おかげで私は重荷から解放されて、以前よりもっとのびのび生きられるようになった。
大好きな人と結ばれることができた。
前よりずっと前向きになれるようになった。
それに、今は大好きな人と一緒にいられるのがとても幸せだ。
以前に夢見ていた幸せとは違うけれど、そんな未来よりも今が一番幸せだと胸を張って言える。
だから、今日も幸せをかみしめて生きていきたいと思います。
リリー→自信家、自分の気持ちに鈍感、すごく前向き
アストレア→おとなしい、自分の幸せより他人を優先しがち、奥手
のイメージで書きました。
卒業を目前にして、リリーのことを見かねたアストレアがリリーを諦められずに手を回して子爵令嬢を王子にけしかけていたとかいう話もあったりなかったり・・・。アストレアはそこそこ執着が強い人間です。ステラとして重ねてきた日々もすべて計算してたんでしょうか。好きでいてほしいからこそ秘密にしたいことってきっとありますよね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(誤字脱字などあれば教えていただけると助かります。)