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2.誘拐され奴隷となる


海賊に連れ去られたマチルダは、抵抗する間もなく海賊船の薄暗い船倉に押し込められた。


じめじめとした空気と、魚の生臭い臭いが鼻をつく。周囲には、同じように捕らえられたであろう乗客や船員たちが、恐怖と絶望に打ちひしがれて座り込んでいた。




数日後、船はとある港に到着した。見慣れない異国の言葉が飛び交い、活気に満ちた港の喧騒が、船倉(せんそう)の底まで響いてくる。マチルダは、他の捕虜たちと共に甲板に引きずり出された。眩しい日差しが目に突き刺さり、自分がどこへ連れてこられたのか、全く見当もつかなかった。




港には、様々な民族衣装を身につけた人々が行き交い、堅牢な建物が立ち並んでいる。その一角に設けられた、粗末な柵で囲まれた場所に、マチルダたちはまるで家畜のように並べられた。やがて、彼らを値踏みするような視線を向ける人々が現れ始めた。




奴隷市場だった。




マチルダは、自分がこれからどうなるのか、想像もできなかった。

故郷を離れ、姉に会えるはずだった希望に満ちた旅は、悪夢のような現実に塗り替えられてしまった。

ただただ、震えるしかできなかった。

泣いてしまわないように唇を強く噛みしめる。



何人かの男たちが、マチルダの前に立ち止まり、顔や手足をしげしげと眺めた。言葉は分からなかったが、彼らの下卑た笑みと、品定めするような冷たい視線が、マチルダを底なしの恐怖へと突き落とした。




そしてついに、一人の恰幅の良い男が、マチルダを指さした。男は、傍らに控えていた従者に何かを告げ、数枚の金貨を差し出した。マチルダは、自分の運命が決まったことを悟った。




連れて行かれたのは、港から少し離れた場所に建つ、堂々とした邸宅だった。

門には見慣れない紋章が掲げられ、警備の兵士たちが鋭い視線を光らせている。この国の言葉を全く理解できないマチルダは、ただ不安な気持ちで邸宅の中へと足を踏み入れた。




邸宅の中は広大で、豪華な装飾が施されていた。多くの召使たちが忙しそうに立ち働き、独特の香辛料の匂いが漂っている。マチルダは、男に連れられ、奥へと進んでいった。




やがて、豪華な調度品が並べられた一室に通された。

そこに座っていたのは、美しい絹の衣装を身につけた、年の頃三十代後半と思われる女性だった。顔立ちは整っているが、どこか冷たい印象を受ける。この女性が、マチルダの新しい主人となるのだろうか。




男は女性に何かを説明し、恭しく頭を下げた。

女性は、興味なさそうにマチルダを一瞥し、何かを指示した。言葉は分からなかったが、召使いらしき女性が近づき、マチルダの腕を掴んで別の部屋へと連れて行った。




与えられたのは、簡素な寝台と最低限の調度品しかない小さな部屋だった。窓からは中庭が見えるが、高い塀に囲まれており、自由に出入りすることはできない。

マチルダは、自分が完全に閉じ込められたのだと痛感した。



「グラニー……。うぅ……」



グラニーは年老いていたし、あんなに強く打ち付けられていた。

恐らく無事ではないだろう。

ずっと傍にいて大切に育ててくれた大好きなグラニー。最後まで私を庇って……。

お父様、お母様、お兄様、お姉様……。皆……。どうしたらいいの……。














それからの日々は、言葉の通じない世界での孤独なものだった。

マチルダは、この邸宅の主である宮宰の妻の雑務をこなす、家内奴隷として働くことになった。

最初の頃は相手の指示も理解出来ず、洗濯などの作業も今までしたことが無く、まともにする事も出来なかった。

その様子を観察していた召使い達が女主人へ報告をしたのだろう。


恐らく手の綺麗さなどから、ある程度裕福な育ちだったことがバレていたのか、それ以降に任される仕事は、洋服のブラッシングや、室内の作業なものが比較的多かった。



幸いなことに、マチルダは故郷で読み書きを習っており、簡単な楽器の演奏もできた。ある日、主人の妻が、退屈しのぎに何か弾いてみろと命じた。戸惑いながらも、マチルダは故郷の歌を静かに奏でた。その音色に、普段は冷たい表情の主人の妻が、一瞬だけ興味深そうな目を向けたのをマチルダは見逃さなかった。



楽器を演奏した事が今後どう影響するのか、興味を持たれてしまった事で自分がどうなってしまうのかわからないマチルダは不安でいっぱいだった。




それ以来、時折、マチルダは主人の妻の前で楽器を演奏するようになった。


また、暇を見つけては、邸宅にあった書物を読み解こうと試みた。

最初は全く分からなかった文字も、根気強く解読していくうちに、少しずつ意味が理解できるようになっていった。

家内の人間に休憩中などにも教えて貰うことができたのも幸運だった。




言葉を覚え、読み書きができるようになったことで、マチルダは邸宅内の様々な情報を得られるようになった。宮宰の妻の機嫌が良い時には、故郷の島の話を聞かれることもあった。

もちろん、奴隷としての辛い境遇は変わらないが、読み書きと音楽は、マチルダにとってここでの生きる希望となっていた。




故郷で習った曲はどんなことがあっても忘れないように、寝る前に楽器は無くとも何度も練習を繰り返し誰にも聞こえないように小さく、小さくメロディを口ずさみながら涙を零す。




故郷への想いが募らない日はなかった。

青い海、優しい両親と兄と姉の笑顔に大事に最後まで守ってくれたグラニー、そして温かい故郷の人々。いつか必ず、この牢獄のような場所から抜け出し、故郷へ帰りたい。



マチルダは、静かに、しかし強く、心の中で誓うのだった。遠い異国の空を見上げながら彼女の瞳には、消えかけることのない希望の光が宿っていた。






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