10.奴隷の娘は王妃となる
マチルダの視点に戻ります
王宮での初めての演奏会の後、幼さの残る少年の王に頻繁に声を掛けられるようになり、御前での演奏の機会も増え、いつしか王宮に部屋を用意され、王の希望の際はいつでも演奏に参じれるように控えるようになった頃。
幼さが抜け、まだ少年であることは変わらずとも精鋭さが増したある日の夜。
マチルダは少年王であるフレデリック に呼び出された。
「マチルダ……私は、そなたを愛している。身分も年齢も全てを超えて、そなたのことを……」
震える声で真剣な瞳で彼が言う。
年齢差、身分差、故郷への郷愁、家族への思い。色々なものが心の中を渦巻く。
私の心はどこにあるのか。海賊に攫われてから今までのことが思い出される。この国に来てから私の孤独と苦しさ、寂しさを理解してくれるのは彼しかいないと思えるのは確かだ。
彼に私の心を渡して、彼と共にこの国に殉ずる覚悟を。
「私の心は、今、そなたで満たされている。それこそが、真実なのだ」
涙が自然と零れる。わたし……私は彼と居たい。ずっと、彼と共にありたい。
「私の心も貴方に。愛を捧げます」
それから少年王であるフレデリック は私達の結婚の為に奔走することになった。
宮宰から王権を取り戻す。それは簡単な事ではない。何より私を買い取ったのは宮宰家である。恩を仇で返すような形になってしまう。たくさんの葛藤の中で手立てを探す中、宮宰夫人から暗々のうちに言伝を受け取る。
意外なことに宮宰の力を削ぐ協力をしてくれるという。
「あの人、私に領地の事を放り投げて好きに勝手に国を動かしていい気になっているのよ」
「奥様、本当によいのですか」
「えぇ、全く問題ないわ。自分の領地に帰って大人しく暮らせばいいのよ。代わりに私が好きにするわ。安心しなさい。あなたの傍についてあげるわ」
とても心強いが少し怖くもある。ただ、私達二人の未来の為には協力者は必要だ。
夫人の協力のおかげで無事フレデリック の元に王権が戻った時、夫人はワインを片手にとてもにこやかな笑顔を浮かべていた。
それから結婚式までの日々は王妃となるべく必要な教育を受けることとなった。
結婚式の日、マルチダはまだ半信半疑だった。幻ではないかという思いがよぎる。
足元の赤い花弁が続く小道 は、まるで夢のようだ。周り を見渡せば、華やかな装いをまとった貴族たちが、私たちを見守っている。その視線には、好奇心、賛同 、そしてほんの少しの訝が混じっているのを感じる。
まさか、私がこの場所に立つ日が本当に来るとは。
海の上で攫われ、奴隷として生きてきた日々。いつ終わるとも知れない絶望の中で、私が心の支えとしてきたのは、ハープと家族や故郷への思いだった。
そんな私に、光を与えてくれたのは、あの方だった。少年王と呼ばれながらも、その瞳には 隠された優しさと孤独を湛えた、若き王。
私の奏でる 音楽 に耳を傾け、私の心に真剣に向き合ってくれた、初めての人。
彼の傍にいる時、私は初めて、奴隷という仮面を脱ぎ捨て 、一人の人間として認められたような、温かい安心感に包まれた。
王妃となることへの戸惑いがないわけではない。私のような者が、王の傍に立つことへの 重圧。周囲の視線、そして、王国の伝統 。それらは、私にとって大きな壁となるだろう。
それでも、私は決意している。
私を信じ、 この困難な道を選んでくれた、愛する人の傍にいる。
彼の支えとなり、この国のために尽くす。彼の愛に応える、一人の王妃となるのだ。
祭壇の前で、私は彼の瞳を見つめた。喜びと少しの不安が入り混じった私の瞳を、彼は温かい眼差で包み込んでくれる。
「大丈夫だ」と、彼の瞳が語りかけているようだ。
「誓います」
私は笑顔で彼に向ってこれからの人生を誓う。
奴隷の身でありながら王妃となったマチルダは、後にその慈悲深さを示し、王国における奴隷解放を主導した。慈善活動にも熱心に取り組み、多くの人々に救いの手を差し伸べたという。
数奇な運命と、身分を超えた愛、そして数々の慈善 。その高潔な生涯は、彼女の死後、奇跡として語り継がれ、ついには聖マルチダと呼ばれるようになった。
しかし、歴史の表面にわずかに記されているのは、少年王フレデリックが奴隷を王妃とした事実。
その王妃は、若き王を支え、国を幸福へと導き、奴隷解放という偉大な業績を成し遂げたということ。
そして、その死後、彼女の功績が認められ、聖マチルダと尊称されるようになった。
という断片的な記録のみ。
千年以上という時の大きな流れの中で、遠い国の歴史に刻まれた二人の物語は、わずか三行の言葉として 残ったのみ。私たちが、その心を結び合わせた真実の愛の物語を知ることは、永遠にないのかもしれない。
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