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8 原色の会

アワが列車ではるばるカントリーサイドへ向かった頃、ルペラは手紙を受け取っていた。

差出人はネロ、黒の原色だ。

確か彼女は、いまルペラの師匠アナシアと外世界へ旅に出ていたはずだ。


なにごとだろうかと訝しげに手紙を開く。手紙は、たった一枚だった。

内容は「結晶病末期の患者の治療薬を作って欲しい」ということと、「近々来るであろう原色の会からの招待状に従って欲しい」とのことだ。


ネロとは、アナシアが緑の原色であるつながりで面識があり多少の恩もあるが手紙をもらうほどの仲ではないはずだ。

ますます意味が分からず、とりあえず原色の会からの招待状を待つか、と結晶病末期の患者の治療薬はいったん保留にした。









ネロから手紙を受け取って数日後、原色の会から招待状が届いた。いや、招待状というよりもこれは、原色の会と彩色の会が会議を開く虹の館へ召喚の命令書だ。

普段なら当然このようなものは突き返すに限るが、ネロへの恩に免じてそれを受ける。


指定の日時は、明後日の9時。

これはセンターエリアへ泊りがけだな、とルペラは持っていくものを考え始めた。








虹の館は大理石がふんだんに使われた、白い建物だ。

大きな柱がたくさんあるギリシア風の建物で、どこか博物館っぽさもある。


虹の館の入り口に立っている背の低い女性は黒の原色ネロ。

漆黒の癖のない髪を背中に流して、同じく漆黒の瞳がくりりと可愛らしい魔女だ。

随分と幼げな見た目だが、彼女は最後の大戦の参戦者。ルペラより年上だ。


「ルペラ、急にごめん。色々あったんだ。会議の後またゆっくり話したい。説明すべきこともたくさんあるし、話したいことも、謝りたいことも。でもまずは、アナシアは生きてるよ、まだ。ネロが死なせない。でも生きている、よりもなんとか生きている、のほうが正しいって感じだし、原色の会は死亡と見なした。これは私の力不足。ごめんね」


虹の館で真っ先に出迎えてくれたネロは、まくし立てるようにそれだけ喋る。

ルペラは久しぶりに会うネロへの挨拶や近況の報告も決めていたが、ネロの言葉で何を話そうとしていたか、何を言うべきなのかを全て忘れてしまった。


アナシアはルペラの師匠で命の恩人で育ての親で、たった一人のルペラの家族で。


暗い穴へ突き落されたようで、寒くて怖い。

つんと鼻が痛くなったが、人の目があるところで涙なぞ流してたまるか、と堪える。

何より生きていると言っている。

そうだ、何か危険な状態にあっても、死んだわけではないらしい。


ならばアナシアに泣いたことを知られれば、お酒が入ってから確実に面倒くさい絡まれ方をするだろう。

その様子を思い出して、ルペラは指先に少し暖かさが戻ったように感じる。


少しばかり余裕を取り戻して、ルペラは出会い頭に大きな爆弾を落としてくれたこの恩人をどうしてやろうか、と。その前に挨拶をせねば。この人は曲がりなりにもルペラよりも遥かに偉い原色なのだ。


「ネロ様、お久しぶりです。何やらわが師がお世話になったようで、感謝申し上げます。何やら大切そうなことを真っ先に簡潔に教えていただいたことへも、感謝を」


「う、そうだね、ネロが焦りすぎたよ。時間はまだあるもの……みんなが待ってる、菫青(きんせい)の間へ急ごう。あと、これはネロからのお願い。色々言われると思うけど、抑えてね。それから、様を付けなくてもいいよ。もう間もなくルペラも対等になるから」


「それは……」


ルペラもネロと対等になる、その真意を聞こうとしたところでルペラは、ネロが立ち止まるのを見て菫青の間に着いたことを悟る。

菫青の間は、原色の会が会議を開くときに使う部屋だ。ちなみに彩色の会は、碧青(へきせい)の間で会議を行う。原色の会と彩色の会が合同で会議を行う時は紫苑の間で行われる。


菫青(きんせい)、というから青や紫とかかわりがあるのか、そういえば菫青石とかいう宝石があったか、と考えていたが、その部屋は木がふんだんに使われた、落ち着いた部屋だった。


部屋の中には大きな楕円のテーブルが置かれていて、そこに4人の魔女が座っている。

アナシアはいない。

座っているのは、紫、青、黄、赤、白の原色のうちのいずれか4人だろう。

空いている席は3つ。2つは緑と黒の席だろう。


ネロがそのうち一つへ座る。

ルペラは、入り口に一人残された。


一番奥の席に座った鮮やかな菫色の髪と深緑の目の魔女が口を開く。


「来るべき人は皆揃いましたね。緑の魔女、すぐそこに座ってください。今日からそこがあなたの席です」


ルペラは言われた通り一番手前の席に座る。

“今日からそこがあなたの席”、まるでルペラが原色になるかのような言い方。

先ほどネロがアナシアを原色の会は死亡と見なしたと言っていた。原色に選ばれた魔女は、死ぬまで原色だ。ごくたまに原色や彩色が不審死を遂げることもあるが。そして、原色が死ぬと新しい原色を色持ちの中から選ぶ。それは、前の原色があらかじめ選んでいることもあるし、別の原色からの推薦で決まることもある。

アナシアが次の原色にルペラを選んでいたのだろう。


「では臨時会議を始めます。進行係は本日も私、エシュリが行います。緑の魔女、私は紫の原色です。緑の魔女は初めて会う方がほとんどかと思いますので、皆さん自己紹介を。緑の魔女、あなたは最初にお願いします」


ルペラはぴくりと眉を動かして、青の原色を見やるが、青の原色は微笑を湛えたままこちらを見返す。

ここで誰かと衝突すると、周りは原色だらけだ。ヘタすればこちらが消されかねない。それは悪手か、とルペラはおとなしく自己紹介をする。


「緑の原色アナシアが弟子、緑の魔女ルペラ。お会いできてうれしいわ、原色様方」


エシュリの隣に座っている、ともすれば黒と見間違えるような濃紺の髪の女性がこちらを見る。瞳は美しい碧眼だ。


「青の原色ネオフォル」


次に口を開いたのはネオフォルの向かいに座った女性だ。輝く蜂蜜色の髪を後頭部で一つにまとめている。いわゆるポニーテールというやつだ。同じ色の瞳が優し気に細められる。


「黄の原色ルシアーナ、よろしくね、緑の魔女」


ルシアーナの隣は空席で、ネオフォルの隣に座ったネロがルペラを見る。


「知ってると思うけど、黒の原色ネロ」


ネロの向かいには燃えるように真っ赤な癖の強い髪を耳のあたりでショートヘアにした女性が座っている。この女性が赤か白のはずだが、白の原色は銀髪で色白、瞳はごく薄いブルーグレーと聞いている。ならばこの女性が赤の原色で、空席は白の原色だろうか。


どん、とその赤髪の女性はテーブルに拳を叩きつける。

ネロがそれを冷ややかな目で睨み、黄の原色がやれやれと言うように肩をすくめてため息を一つ。青の原色と紫の原色はぴくりともせずにルペラを見ている。

怒りが滲んだ低い声が響く。


「エシュリ、私は認めていないわ、あのアナシアの弟子なんて。聞く評判も最悪よ、私はこの女が到底原色たる器とは思えない。どうせアナシアの贔屓(ひいき)でしょ、再選定を求めるわ」


「師がなんて?」


思わず口をはさんだルペラの声も、ひどく低く冷ややかだ。


「はっ、あの女は優しさと偽善をはき違えたような奴で、身内に吐き気がするほど甘い、挙句人間の権利すら主張する、そんな奴だよ、間違ってるか? お前はその席に座るべきじゃない」


そう言えば、赤の原色は人間をひどく嫌う反人間派の筆頭だったか。人間を魔法族と対等に扱うよう要求する親人間派筆頭のアナシアとは仲が悪かったのだろう。

そして彼女の弟子で魔法なしのルペラのこともまた、嫌っているのだろう。

アナシアを悪く言うのは酷く腹立たしいが、ここは抑えるとき。そう、抑えるべきだ。


「あら、赤の原色様ともあろうお方が、私情で原色の会を動かすの?私、原色の会はもっと厳かな会だと思っていたのですけれど」


「あぁ、忘れていたよ。お前は箱庭生まれだったな。平和な箱庭で生まれて、何も失わず己の生まれ持った才能だけで努力もせずぬくぬくと今まで生きてきたような甘ったれた奴には、最後の大戦の悲劇は分からないだろうなぁあ? 何もかもを人間に奪われた私みたいなやつの気持ちは。寝る間も惜しんで走り回っても、昨日笑いあった友の屍だけが積みあがっていく地獄を過ごした気持ちは。親兄弟皆殺しにされて一人生き残ってしまった気持ちは!」


地を這うような、怒りがこもったルペラの声が響く。


「お前なぞに、私や師の何が分かるの? 私、自分が一番可哀そうだと思っているような人が嫌いなの、ちょうどお前みたいな。吐き気がするわ」


「箱庭生まれが。舐めた口をきくと後悔するぞ」


「フェフィリアーナ」


今にもつかみかかりそうな二人に口をはさんだのは、エシュリだった。


菫青(きんせい)の間での死傷沙汰は許しませんよ、フェフィリアーナ。原色たるもの、その色皆の手本となるような言動を心がけなさい。緑の魔女、あなたもです。色持ちは色持ちらしく、色なしの手本となる言動を心がけなさい。そして、彼女を推薦したのはアナシアではありません。アナシアは後継を決めていませんでした。推薦したのはそこのネロです」


そこでエシュリはほうとため息を一つ。赤髪の魔女はネロを睨みつける。

エシュリが感情の読めない瞳でルペラを見つめて、ルペラとエシュリの翠眼がぶつかる。


「そこの赤髪の魔女はフェフィリアーナ、赤の原色です。空席は白の原色ペンタルアのものです。フェフィリアーナと私の言葉でもう想像がついているかもしれませんが、アナシアはすでにその席を降りました。次にその席に着くのはルペラ、あなたです。一応は拒否権もありますが、装飾の式までです。装飾の式は明後日。それまでに決めてください」


エシュリが、5人全員をひとり一人見つめる。


「今日はここで止めにします。本日菫青の間に集まってくれたことへ感謝を。続きは3日後、同じ時間にここで。フェフィリアーナ、ルペラ、頭を冷やしておいてください。次も同じことを繰り返すのならば、私とて考えがありますよ。私は、物騒なことは嫌いなのです」


紫の原色が話し終わるや否や、赤の原色はさっさと菫青の間を出ていき、青の原色が呆れたようにため息を吐いてそのあとを追う。

黄の原色はぽん、とルペラの頭に手を載せ、その手を振って青の原色に続く。


「ルペラ、行こうか」


ネロがいつの間にかルペラの背後に立っていて、ルペラに声をかける。


ルペラはちらとエシュリのほうを見るが、エシュリは相も変わらず微笑を湛えてこちらを見ている。

優し気な笑みだが、アナシアの笑みのような、心が温かくなるようなものではない。むしろ、底知れない恐ろしさがある。


「行くよ」


ネロに手を引かれ、ルペラは菫青(きんせい)の間を後にした。


「ネロ様、どこへ向かわれているのです?」


「私の執務室。あそこならだれも入ってこれないから」


途中すれ違った使用人らしき女性にネロはお茶を用意するよう言いつけて、すたすたと廊下を進んでいく。


この虹の館は、廊下ひとつ取っても洗練されていて美しい。

壁、床は美しい大理石で、廊下の中央には赤い絨毯が敷いてある。絨毯の端には繊細な模様が織り込まれているし、置いてある花瓶も花も周囲と良く引き立て合う。


ふと目の前が急に開け、色とりどりの花々が咲き誇り小鳥がさえずる庭が見える。

小さな池も見えて、睡蓮が浮かび美しい鯉が泳いでいる。

どこを取っても非の打ちどころのないような庭だが、ひときわ目を引くのは薔薇だろうか。赤、黄、紫、緑、青、黒、白。7色の株が揃っている。


ルペラが見とれているのに気が付いたのだろうか、ネロは廊下を降りたすぐそこに置いてあるベンチに案内する。

廊下の端は階段になっており、庭に降りやすいように、廊下から庭が十分に楽しめるようになっている。


「翡翠の庭、中庭だよ。虹の館の中庭は無色の一族の持つ庭園にも負けないと思う」


無色の一族、魔法族の王族だ。生まれてから死ぬまで生まれ持った色以外に染まることを許されないから、無色の一族。

無色の一族当主、つまり王は原色の会及び彩色の会のメンバーへ指揮命令権を持つ唯一の人である。


「目立たないところに鳥籠があって、ナイチンゲールが飼われてる。鳴き声は美しいけどね、見た目はそこそこで、だから目立たないように。それに、ここのテーマは妖精の庭なんだけど、妖精の庭に鳥籠に囚われた小鳥がいたらおかしいでしょ」


そろそろ行こうか、とネロが立ち上がる。


ネロの執務室は、階段を上がり2階の東側にあった。


「虹の館は4階建てでね、1階は菫青(きんせい)の間、碧青(へきせい)の間、紫苑の間がある。2階は彩色と原色の執務室。みんな一つずつ執務室を持ってるんだ。3階は彩色の、4階は原色の自室があって、一つひとつが凄く広いし家具とかが豪華だからなんだか居心地が悪いよ。美術品として見るのは良いと思うけど、あそこで暮らすのはなかなか精神が削られる。」


案内された執務室は、あまり使われていないのだろう、壁に用意された本棚には数冊の本が寂しそうにあるだけだし、机の上はよく片付いている。


ルペラとネロが執務机の手前に置かれたソファに腰かけると、さっと使用人が入ってきて紅茶と茶菓子を置いてそばに控える。


ルペラは紅茶を一口含んで、思わず感嘆のため息を溢した。

香りは華やかでのびやか、ほんのりとした甘みが爽やかで、ほのかな渋みすら紅茶を引き立てている。

ルペラ自身、紅茶を淹れる腕はそれなりだと自負しているが、これはあまりに巧すぎる。


「ダージリンのセカンドフラッシュ? すごく美味しいわ。淹れ方をぜひご教授賜りたいくらい」


お茶請けは見た目も美術品のように美しいマスカットのフルーツタルト。華やかで香り高いダージリンとマスカットは、互いに良く引き立て合う。よく考えられた組み合わせだ。

ネロの目配せで、傍に控えた使用人が説明する。


「おっしゃる通り、本日の紅茶はダージリンのセカンドフラッシュです。産地のA-11-cは、細かに調整を行いダージリンが最も美味しくなるように作られた箱庭です。そちらのマスカットのフルーツタルトは、本日のパティシエの自信作でございます。どうぞお楽しみください」


瞳をきらきらと輝かせているルペラとは対照的に、ネロは興味なさげにふぅんと返す。


「そうだ、ルペラ、あなたは原色の会から招待を受けたから、虹の館に滞在できるよ。別に外に宿を取っても何も言われないけど、移動は楽だし、食事は美味しいし、お金も掛からないし、胃が痛くなる調度品なのを考えてもなかなかいいよ。昨日どこかに泊ったと思うけど、宿に置いてきた荷物は誰かに鍵を渡せば、持ってきて予約取り消しの手続きもしてくれる」


ならばそうするか、とルペラはそばに控えた使用人に宿屋の鍵を渡す。


頭を下げて退室しようとする使用人に、ネロが代わりは呼ばないでいいよ、と一言。

使用人が出ていくと、ネロが紅茶のカップをかちゃりと置き、人払いだよと説明する。

ここで使われているものは、カップすら美しい。音を立てて置くとせっかくの美しい茶器に傷がつくのではとルペラは眉をひそめたが、この館のものはすべて原色と彩色のために用意されたのもなのだからまあいいかと一人納得する。


「まずは急に呼び出してごめんね、こういうの嫌いでしょ。最初ネロはあなたを推薦するつもりはなかったの。でも、エシュリは微笑むだけだし、ルシアーナは興味なさげ、ペンタルアは相も変わらず欠席で、ネオフォルはフェフィリアーナを気に入ってるからフェフィリアーナがごねればそれを通す。だから名前も聞いたことがないような人が推薦されてて、たぶんフェフィリアーナの息がかかった人だけど、他が出ないとそれが選ばれるからあなたを推薦した。そこそこ揉めたけど、最終的に3対2であなたになった。まあ身内贔屓だと言われたらそれまでだけど、あなたは原色になっても見劣りしない功績があるから大丈夫と思う」


見劣りしない功績、結晶病の治療薬だろう。


「それよりも、師の件はどういうことなのです?」


ぱくりと大きな一口で残っていたフルーツタルトをたいらげたネロは、目線を彷徨わせる。


「どこから話すかなぁ、アナシアとネロが外世界に行ってたのは知ってるよね」


ルペラはこくりと頷く。外世界は箱庭の外のことで、最後の大戦によって汚染され、とても人が住める環境ではないと聞いている。

アナシアとネロは調査のために、何かしらの魔術やらを使ってそこを旅していた。


「いろいろあって、アナシアが結晶病になっちゃったの。恐ろしいスピードで結晶化していって、薬を飲む間もなかった。だから、結晶化しきったところでネロが石化の魔術と遅延の魔術をかけた。今アナシアは石になって、他より一万分の一の時間を過ごしてるよ。そのあと、体の摩耗を防ぐために体から魂を引き剝がして近くの岩に憑依させた。で、体はその岩に埋め込んで壊されないようにしてるの。場所は私が魔力で記録してるから、いつでも転移できる」


石化の魔術、遅延の魔術、魂を操る魔術、転移の魔術。どれも黒にしか扱えない非常に高度な魔術ばかり。それほどの魔術を連続でいくつも使うとは、さすがは黒の原色なだけある。


「だから、手紙で末期の患者の治療薬を?」


こくりと、ネロは頷いた。


「できないとは言いません。それは私のプライドが許さないですから。でも、できる可能性は限りなく低い、これはご理解ください。だって、心臓が動いてないと今の治療薬で使った方法を使えない。結晶化しきっているなら、石化の魔術を解いた瞬間に塵と化すでしょう、石化したまま、完全に結晶化した状態で効果を発揮する治療薬。そんなものがあるなら私が知りたいものです」


ルペラはもちろん、アナシアがこのままただ死に行く様を指を咥えて見ているつもりはない。

けれども、どれだけ感情的になろうとできないことはできない、それは変えようがない。

そして、ルペラは喜ぶべきか悲しむべきか薬学の最先端を走る一人で、結晶病の治療薬を以前一つ作り上げた張本人。

ネロの言うそれの実現がどれほど難しいことなのか、今ルペラ以上に理解している人はいるまい。


「つまり、ルペラは自信ない?」


不安そうにこちらを見るネロ。


「当然です。私は万能じゃないの。でも、そうじゃなきゃ師は死ぬだけ……私がやらないと、そうなんでしょう?」


「うん。頑張って」


ぐしゃりとルペラは自身の髪を掴んで頭を抱えて、そのままぶつぶつと何かを呟きだす。

薬のことを考えているのだろう。


「そうだ、ルペラ、原色になれば特級禁書庫の閲覧許可が下りるよ。特級禁書庫のことは、ほんとは原色と彩色と無色以外に言っちゃいけないんだけど、あそこは超古代文明の資料が遺されてる。ネロが見た分だけでも、超古代文明の科学技術は恐ろしいほど進んでいたことが分かる。滅んだってのがあまりにおかしいくらいに。まあ、どれだけ当時の医学関係の資料が残ってるか分からないけど、見てみる価値はあると思う」


ネロはあまり興味なかったから詳しくなくてごめんね、と肩をすくめたネロ。

特級禁書庫。原色の会、彩色の会、そして無色の一族以外にその存在はひた隠しにされていて、そこには存在しないはずの超古代文明の書物が遺されている。


「ルペラが、原色になりますって言えば、今からでも見に行けると思うよ」


そう、治療薬以前にそのこともある。

原色の立場は、政治的立場で見ても魔法族のトップ。まあそれなりに危険も伴う立場である。

ただでさえ敵を作りまくっているうえに魔法が使えず自衛の手段をほぼ持っていないルペラは、原色の席にあまり魅力が感じられなかった。

特級禁書庫は魅力的だが、アナシアの病状はネロの魔術によって当分現状維持のはず。ならば薬の完成を焦る必要はない。どうせルペラの寿命もまだ途方もない長さがある。


「拒否権はあると言っていましたから、少し考えさせて欲しいです」


「拒否権? ……あぁ、あんなの、建前上そう言っただけで、無いよ、菫青(きんせい)の間に足を踏み入れた時点で」


え、とルペラは思わず顔を上げ、ネロもえ、とこちらを見る。


「原色に選ばれるなんてすべての魔法族にとって名誉だし、それを断るなんて恥も外聞もない。原色の会にも傷がつく。そんなのを許されると思うの?」


随分と自分勝手な集まりだ。


「ますます嫌よ……」


「そんな、もうあとに引けないよ……」


なんて所に巻き込んでくれたんだ、一生恨むぞ、とネロを睨みつけながら、なりますよぅ原色に……と言ったルペラに、ネロはぱっと微笑む。


「良かった、それでも嫌だって言ったらどうするか迷ってた。もちろん守るつもりだったけど、私にも限界があるし」


ずずずと音を立ててカップに残った紅茶を飲み干したネロは、音を立てて紅茶を飲んだことで先ほどよりも目つきが鋭くなったルペラに睨みつけられながら話を続ける。


「えっと、フェフィリアーナは今日うるさかったと思うけど、あの子はルペラより一つ前に原色になった、つまり二番目に若いから、そこまで気にしないでいいよ。口先ばかりは大きいけど。一番気を付けるべきはエシュリだね。エシュリは今一番原色の席に着いてた時間が長くて、一応原色と彩色は互いに指揮命令権を持たないって決まってるけど、エシュリの一言はそれなりに影響力あるよ。あと、単純に紫だからね。一応簡単に原色や彩色を手にかけられないルールはあるけど、エシュリはいざとなれば呪殺も簡単だから。呪い返しや幻術対策もエシュリの右に出るものはいないけど」


先ほどのエシュリの底知れない恐怖を掻き立てる微笑みを思い出す。

なるほど、あの笑みの裏で幾人も手にかけてきたのだろう。

呪殺の恐ろしいところは、形跡も残さずに遠くから命を奪えるところ。だから無色の一族によって厳しくその使用を制限されて、呪殺に必須の消耗品はそもそも手に入らない。

原色ならばそれくらいは簡単に解決できるのだろう。


「ネロは一応、体が壊されたときに魂が霧散してかないようにはできるけど、黒の扱う魔術って基本的に生者を守るってより、死者をどうするかってのが多いの。白の魔術なら呪殺対策もあると思うけど、ペンタルアはもうここ2000年くらい一度も顔を出してないし」


白の魔術と聞いて、黄の原色の隣にあった空席を思い出す。


「そんなに長い間欠席したままで、原色のままでいられるの?」


ネロは困ったように目線を彷徨わせる。


「白の魔女は、ううん、魔術師も含めて、現状ペンタルアしか存在してないの。この先も、1人増える予定があるだけ。彩色の会はもう3000年前から白の席が空席のまま。だから許さざるを得ない。でないと白の魔術が失伝してしまう」


白の一派は、最後の大戦で最も参戦者に対して戦死者の比率が多かった色だ。

無論、純粋な数ならば戦死者が多かったのは最も多く戦場に投入されて前線で戦った赤の一派だが。


「そんなに? 戦死したにしても、3000年あれば一人二人は育つでしょ?」


ネロは明後日の方向を見ながら口を開いたり閉じたりしている。


「それは聞かないで。その、いずれ知ることになるし、それは今じゃない」


ふぅん、と納得していなさげにルペラが相槌を打って、しばらく執務室はしんと静まり返る。



「ペンタルアのことは気にしないでいいよ。どうせこの先もペンタルアが出てくることはないと思うから。……エシュリだけど、気に入られようとかは逆効果だよ。あぁ、ルペラはそういうの苦手だよね、じゃあ大丈夫か」


ネロがそこで空になったカップを持ち上げて、きょろきょろとティーポットを探す。

近くのトレーに載せられているそれを持ってきて、自分のカップに注いでぐいとあおる。

程よく冷めた紅茶は一気に飲むのにちょうどよい温度だったらしい。無論、紅茶は一気に飲むものではないが。


「エシュリは良くも悪くも私情で動くことが無いの、だから、脅すことはあってもそれを実際に行動することはほとんどない。一回だけあったけど、その時はちゃんと正規の手続きを経て行動してた。呪殺に正規の手続きっておかしいけど、ここってそういうもんだし、あの人は仕方ないで片付けられるだけのことをやらかしてたから。私が魂を呼び起こして聞いたから確実だよ」


そこで、ネロのお腹がぐぅうと鳴る。


「あう、う……あの、ほら、菫青(きんせい)の間に行くのってホントにストレスで、その、腹の探り合いみたいな真似する人もいるから頭もすごく使うし、お腹、空くじゃん……」


今までの張りつめた空気は一気に霧散して、なんだか力が抜けたルペラはソファに背をもたれてため息をひとつ。


「私もお腹が減りましたから、お食事を頂きましょうか。ネロ様が美味しいと仰っていたものですから、私、楽しみにしていたの」


「えぇ、ルペラ、せっかく敬語が抜けたと思ったのに戻っちゃったよ」


「それはネロ様があんまりに衝撃的なことばかり仰るものだから。ネロ様、食堂へ行きましょう?」


敬語なんて要らないのにと口をとがらせていたネロは、食堂と聞いて露骨に嫌そうな顔をする。


「一応それ用に琥珀の間があるけど、ネロの自室でいいでしょ? ルペラ? 琥珀の間はいつもフェフィリアーナたちが使うからネロはあまり行きたくないの」


ルペラはあの赤髪の失礼な原色を思い出す。

確かに食事の時まであの顔を見なければならないとしたら、美味しいものも美味しくなくなる。

こちらの顔を覗き込むようにして反応を見ているネロに微笑んで頷く。


「そっか、良かった。一度客間に向かう? それともそのまま?」


ルペラは宿屋に置いてきた荷物を思い出す。

「一度客間へ行きます、取ってきたいものがあって」


「あぁ、そっか。」




ネロは客間までの案内を申し出たが、それを断って部屋の外に控えていた使用人に案内を頼む。ネロはアナシアに返しきれない恩があるらしく、何かとルペラを気にかけてくれるが彼女もまた原色の一人なのだ。ネロの目的地は違うのに道案内をさせるのは頷けない。


また後でネロの自室で、と二人は四階の階段を上がりきったところで別れた。


箱庭は、大きな平べったい円柱のような形です。

センターエリアはその中心にあり、周囲に魔法族の住居区であるレジデンスエリアが、さらにその周囲にバッファーゾーンがあります。


バッファーゾーンの外周は26のエリアに分けられ、それぞれエリアAからエリアZの名前が振られています。

バッファーゾーンからは連絡路が長く伸び、その途中途中にセントラルエリアが作られ、セントラルエリアからさらに複数個のの人間が住むカントリーサイドがあります。


いいね等頂けますと作者が喜びます。

この度は私の作品をお読みくださりありがとうございます。

もしよろしければ、次の話もお読みいただけますと嬉しく思います。

分かりにくい部分が多いかと存じますので、質問などございましたら気軽にお願いいたします。

物語に大きくかかわらないものであれば、あとがきのスペースを借りてお答えいたします。

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