1 茶会
「少年、お店のあたりも綺麗にしておいて、それから、誰かが来たら私を呼んでおまえは部屋にでも居なさい」
今日はルペラは朝からずっとお菓子や料理を作っていて、少年にもあちこちの掃除をさせていた。
あの時寝ていた部屋はルペラの私室だったようで、少年は今一階の物置の一角を部屋として与えられている。
最初と比べてかなり家事の腕は上がり、洗い物や掃除は任せられている。
少年がお店も兼ねた玄関辺りの掃除をしていた時、ルペラの言う客人は来た。
「久しぶりねルペラ!! 元気だった? 去年ぶりよね! リラったら楽しみでお土産も買ってきちゃったの! …あら?」
勢いよく扉を開けて入ってきた女性は、大声でそのまま話し始め、一通り喋ってからようやく少年の存在に気が付いたようだ。
短く切りそろえた水色の髪に水色の目。ふわりとスカートが広がった、刺繍が施された華やかな服を着るルペラとは対照的に、シンプルな黒いタイトワンピースを着ている。
「あらあら、ルペラったらようやっと弟子を取ったの?! 水の魔女リラよ、ルペラの友人ね。あの人、口調がきついしなんだか感じも悪いけど、人とのかかわり方が分からなくて不器用なだけで、本当はすごく優しいし可愛いの、嫌わないであげて欲しいわ。もう、リラは弟子を取ったなんて何も聞いてないわよ! ねぇ、あなたの師匠は今どこにいる?」
リラはどうやら少年をルペラの弟子と勘違いしたようだ。
「ちょっとリラ! もう少し静かに家に入れないの? 少年、掃除ありがとう。もう部屋に帰っていいわよ」
キッチンに続くドアを勢いよく開け、リンゴとバターの良いにおいとともに顔を出したルペラは、普段からは想像がつかないような大声で喋った。
リラは嬉しそうに顔を綻ばせてその扉へ向かい、少年も自室に帰ろうとそのあとに続いた。
「その子は部屋に帰らせちゃうの? リラ、あの子の話が聞きたいわ。リラたちのお茶会に参加させてあげたらいいわよ、それがいいわ、そうしましょう!」
1人で嬉しそうに話しながらリビングに向かうリラとは対照的に、ルペラは露骨に嫌そうな顔をしている。
「二人でいいわよ、いつも通りがいいわ」
普段の食事より幾分か豪華でかなり手の込んだ食事を運びながら、ルペラは少年に目配せをした。
部屋へ帰れと言う意味なのか、運ぶのを手伝えと言う意味なのか少年が分かりかねているとリラから声がかかる。
「君、こっちへ来て! ほら、そこの丸椅子を持ってきて、ここに座って!」
少年はルペラの顔色を伺うが、ルペラはため息を吐いて顎でリラのいるダイニングテーブルのほうを指した。
やがてルペラは料理を全て運び終わり、丸テーブルの上は料理が所狭しと並んでいる。
「あなたがもし気が付いたら絶対そう言うだろうと思ったから、あなたが少年に気が付く前に少年は部屋に帰したかったのよ」
ルペラが細かい氷の入ったワインクーラーを、普段は花瓶が乗っている小さなテーブルに乗せると、リラは持っていた鞄からワインを取り出してそこに入れる。
「ねぇルペラ、この子はまだワインは飲めないでしょう? ミルクでも用意してあげてくれない?」
「水でいいわよ。少年、自分の飲み物くらい用意できるわよね」
少年はこくんと頷き、コップを持って立ち上がる。
少年が水を汲んできて椅子に座ると、リラは短く何かを呟いて祈るように手を組んだ後食べ始めた。
「それ……」
「ん? あ、そっか。君はまだ青が食事をとるところを見たことが無いのね。私たちは過去も未来もすべてが見える目を持った存在がいると信じているの。その存在に祈るのよ、色んな時に。あなたも調薬の前にセージを焚いているでしょう? それと同じようなものよ」
リラはナイフとフォークを手に取って、一瞬考えるような仕草をする。
「ルペラを見てたらわかると思うけど、緑は薬でしょ? だからルペラは調薬に使う道具は大切に扱えって教えたんじゃないかしら? 私たち青は過去や未来を見るの。だからそれを見せてくれる存在は大切にしないと」
調薬をしたことどころか、薬が関わるスペースへの出入りが禁じられている少年は、首を傾げる。
「あら、まだそこまで習ってないのね。追い追いよ、やっぱり丁寧に薬草を処理できないと良い薬は作れないもの、ね?」
納得したように頷いて、ステーキの付け合わせを食べ始めるリラ。
「ちょっとリラ、これは私の弟子じゃないわよ」
ワインを楽しんでいたルペラは慌てたようにそう言う。
「私は弟子を取るつもりなんてないし、どんなに気が狂っても人間を弟子になんてしないわ」
「人間?!」
リラは驚いたように復唱して、喉に何かを詰まらせたのかワインをぐっとあおる。
「小間使いでも雇ったの? 弟子もいないのによく許可が下りたわね、審査が緩くなっているのかしら? なら私も今のうちに申請を出そうかしら……それにしても、あなたが人間と一つ屋根の下で過ごすなんてずいぶんと珍しいことをしたじゃない」
「あら、無許可よ。薬草畑の端に生えてきたの。管理局に見つからないうちに追い出すけれど、何も覚えてないみたいだから余計なことをべらべら喋られても困るし、しばらく居させているだけよ」
ルペラは普段からは到底考えられないほどよく喋るし、口調もどこか優しい。ただし喋る言葉は、少年にとってはちっとも優しくない。
料理も、普段の数倍おいしい。
「そういえばリラはあなたの名前を聞いていなかったわ。ルペラは少年としか言わないし……なんて名前なの?」
急に話しかけられて驚いた少年は危うくステーキで喉を詰まらせそうになり、慌てて水を飲む。
「名前は……ないです……」
「あら……ルペラは何か名前を付けてあげなかったの?」
ルペラは当然とでも言うように手をひらひらさせて答える。
「付けるわけがないじゃない」
「うーん、じゃあ名前が無いのもかわいそうだしリラが付けてあげるわ」
リラは一瞬考えるようなそぶりをして、すぐに思いついたのかぱっと笑顔になる。
「アワとかどう? 古代語で喜びって意味よ」
ぴくりと眉を動かしたルペラが、口を開く。
「なんでもいいけれど、アワって、喜びだけじゃなくて希望とかそういう意味も含まれていたわよね、ずいぶん大層じゃない?」
「いいのよ、記憶を無くしていて人嫌いの魔女に拾われたとか、苦労しそうじゃない」
リラがけらけらと笑う。
「あら、じゃあリラが連れて帰ってくれるの?」
陽が落ちて辺りが暗くなり始め、ルペラは吊り下げられたランプに緑色の石を掲げて光を灯す。
「えぇ?! リラの家はセンターエリアに近いのよ、無許可はバレるわよ。1万ルビなんて払いたくないわ!」
リラの叫び声と、ルペラの愉快そうな笑い声が響く。
食事の後には、焼きたてのアップルパイと温かい紅茶が出された。
「あぁ、この味! リラはこのアップルパイを食べるために一年間頑張ったのよ」
リラは嬉しそうにアップルパイを頬張り、アワと名付けられた少年はこの家で初めて出されたお菓子に驚いている。
「リラ、今日は泊っていくの?」
「うん、そのつもり」
ルペラは途端に困ったような表情を浮かべる。
「いつもあなたに貸す布団は今これに使っているの……そういえば布団のこと考えていなかったわ……」
ルペラとは対照的に、リラは呑気な表情を浮かべている。
「あら、そんなことならリラはルペラの布団で一緒に寝るわ。昔よくそうしてたじゃない」
「狭いわよ! あの頃はお互い体が小さかったからできたのよ!」
「いいじゃない、一晩くらい」
仲がよさそうに笑いあう二人の魔女はとても幸せそうで、温かい。
2人であまりに楽しそうに話し込んでいるので、アワはなんだか居心地が悪くなってきて自分の部屋へと帰っていった。
ルペラはアワが自分の部屋へ帰ったことを横目で見ると、一つため息を吐いた。
「あの少年、もうひと月は経つのにちっとも自分のことを思い出さないの。人間の孤児院にでも連れて行っていいかしら。そろそろ常識も覚えたでしょう」
「どうしても居てほしくないならそれでもいいんじゃない? でも、あなたって家も庭も広くて管理が大変そうだから、小間使いとして雇ったっていいんじゃないかなって思うけど。ルペラがリラ以外の人と関わってくれるのは嬉しい」
紅茶を一口飲んで、リラはテーブルに頬杖をつく。
「そんなに自分のことを喋ってほしくないなら、忘却薬でも飲ませたら? あれって絶対に思い出せないんでしょう? 今の記憶喪失だってそれが原因かもしれないわ」
「それはないわよ。市販の粗悪品はすぐに思い出せるし。でもね、何度か盛ってみたけど、あの少年、魔力で効果を調整する類の薬の効きが凄く悪いの。魔力耐性がとてつもなく高いみたい」
残り僅かになった、皿の上のアップルパイをフォークで突きながらルペラは続ける。
「魔力での調節が必要な魔法薬は人間には良く効くはずなのよ、魔力耐性が低いから。なのに、あの少年、ちっとも効かないの。その辺で売ってる粗悪品なら分かるわ、でも私の作る薬がよ?! あそこまで効かない人は魔法族でも見たことがないわよ」
リラは微笑みながら顔を横に向ける。
さらりと髪が頬から滑り落ちて、緑色の、雫の形の宝玉が付いたピアスが光を反射しきらりと光る。
「ほんとに人間なの? あの子」
「魔力が引くほどないわ。さすがに人間よ、えぇ」
「あなたみたいに、魔力異常持ちなんじゃないの? 知ってるかもしれないけど、えーっとなんだっけ、魔力許容量異常症とか、そういうケースも稀にあったらしいわよ」
ルペラが最後の一口を食べ終えて、紅茶を飲む。
「知ってるわ、でも、魔力異常って箱庭に住み始めてから一度も確認されてないのよ。外世界で生まれた年代ならどんなに若くても私たちくらいはあるはずだし、あの少年がそうとは信じられないわ」
「魔力異常の原因が分からない以上そうは言いきれないわよ。行政区に行けばそういうのを調査する場所もあるし、もし魔法族なら本当に弟子にすれば良いじゃない。それで解決だわ」
ルペラは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「嫌よ。調査くらいは良いけれど、そもそも無許可なのに行政区に連れて行ったりできないわ」
そんなルペラを見て、リラはにやっと笑う。
「法の穴をついちゃえばいいの。申請を出してから結果が出るまでの間は働かせていても黙認されるわ、あたかも今日から住まわせる素振りを見せればいいの。あの子用の部屋の必要が出てくるけれど」
それくらいできるでしょう? と言外に言ったリラの顔を見て、ルペラはため息を吐く。
「あなたって本当にそういうことはすぐに思いつくわよね、はぁ、確かに最近作った新薬の販売許可を取りに行かないといけないからそのついでにやるわ。でも、もし魔法族だったらあなたが弟子にとってちょうだい。それが嫌ならルーチェにぶち込むわ」
「あの魔術学園? それはかわいそうだわ……うーん、あの子の魔力作用度が高かったら弟子に出来るけど。魔力が無いと魔力作用度って低くなりやすいじゃない」
食器を片付けようと立ちながら、リラは続ける。
「魔法学園に子供を入学させる親の気持ちが分からないわ。あそこに入った子って、魔力の色が黒以外じゃただの落ちこぼれになるしかないじゃないの。リラがもし子供を産んだら、絶対にあそこにだけは入れないわ」
「あなたの子供なら私が弟子に取るわよ。でも、あなたって結婚できるの?」
「ちょっとルペラ、それどういう意味?」
くるりとルペラのほうをを振り向いたリラに、ルペラはカップに残った紅茶を飲み干してから答える。
「さあ?」
ルペラも残った食器を持ち上げて、キッチンのほうへ向かう。
「ルペラだってそうでしょ」
「私は別にいいの。魔法なしと結婚したなんて、なんて言われるかわからないもの。……ほら、あなただって相当言われてるでしょ」
リラはルペラから食器を受け取りブリキのバケツに入れながら眉を顰める。
「周りがなんだって言うのよ。無魔法ってだけで、あなたの魅力に気が付けないただの節穴のような目しか持ってないだけじゃない」
ぜんぶの食器が薄めた灰汁に浸かったことを確認して、リラは立ち上がり歩き出す。
「ほら、もう寝ましょ。朝起きられなくなっちゃうわ」
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