13 背負うべき責
ルペラはその日、虹の館の廊下を特級禁書庫目指して歩いていた。
毎年冬に開かれる定例会議まではここへ来ることはないと思っていたが、先日発生した問題、もとい箱庭の魔力供給網の不具合のせいで呼び出されていた。
そろそろ夏も終わるが、翡翠の庭には相変わらず薔薇が咲き誇っている。
ルペラは今、アナシアを治せるような薬を模索していたがなかなか策が尽きていたので、ならば、と早めに来て特級禁書庫を漁ろうと考えたのだ。
地下へ向かう階段を降り、見えた大きなドアの取っ手を握る。
魔力を軽く流すと、扉は重々しい音を立てながら、ひとりでに開く。
「あら、どなたかと思ったらルペラだったのですね、久方ぶりです」
ドアのすぐ向こうに置かれたソファに腰掛け本を読んでいたのは、エシュリだった。
「先客がいたのね、お久しぶり」
エシュリはにこりと微笑んで、再び本へ目線を落とした。
エシュリが微笑むと感情が読めなくなるので、ルペラはどうも彼女が苦手だった。
「ルペラ、あなたはここでどのくらい本を読んだのです?」
何かよさげなものはないかと本棚を物色していると、エシュリに急に声を掛けられた。
エシュリは、手元の本から目線を動かさないままだ。
ここの本棚は、非常に見づらい。
損傷の度合いで分けられているので、図鑑の隣に創作物が置かれたりしているのだ。
「そこの紙切れだけよ。日記みたいなものもあったし、新聞みたいなものもあったわ、あとは……あれは何なの?」
エシュリは、入り口のそばにある最も損傷の激しい紙切れが置かれた棚へ目線を移す。
「あぁ、超古代文明時代の、商品の紹介でしょう」
しばらく、しんと静まり返った書庫にはルペラの足音とエシュリがページを繰る音だけが響いていた。
「ルペラ、あなたは私たちを非難するやもしれませんね、あなたは愚かで、優しく、分不相応にも手のひらから命が零れるのを許せない」
エシュリの足音が近づくのが分かる。
「ですが我々とて愚者の集まりではないのです。それぞれ胸に抱いた野望こそ違えど、皆私たち魔法族のとこしえな繁栄を願っています」
エシュリが、一冊の本を手渡した。
「あなたに読んで欲しい。非難するのならば、怒るのならば、思うままに」
ルペラはエシュリを訝し気に見ながら、本を開いた。
「私たちには決して踏み込んではならないものがあります。神になり替わろうと願うことです」
神になり替わろうと願うこと。
それはつまり、奇跡を起こそうと驕驕ること、人を造ること。
「これは……」
本は、だれかの日記のようだった。
「聡明なあなたには理解に難くないでしょう。私たちは、神に届こうとした愚者の被造物たちなのです」
『魔力許容型人類の寿命が長いのは生命活動の一部を魔力に頼っているからだというのが定説だが、生命活動に限らず記憶の処理なんかも頼っているというのが私の説だ。記憶力が欠如した魔力許容型人類の説明はこれでつく』
『やった! ようやく成功した! 魔力の量を増やせば増やすほど、理論上は寿命が延びるはずだ。どこまで伸ばせるのかやってみたい』
『これが成功すれば、非魔力許容型人類も魔法を扱えるようになるし、寿命を延ばすことも可能なはずだ! 現に、オリジナルは平均寿命が200の魔力許容型人類はその100倍ほどまでに寿命を延ばせた』
『培養槽からあの子たちを出す許可は下りない。なぜだ、遺伝子操作をしていてもどの子もみんな人なのに』
「その者たちは、自らの作り上げた物で滅びました。それにとどまらず、すべての文明を飲み込みました。我々が科学技術の発展を阻害し、錬金術を厳しく制限するのは、その過ちを繰り返さないためです」
『許可は下りた、制限付きだ。ふざけるな。あの子たちを新型兵器の魔力貯蔵庫代わりに使いたい? あの子たちは人だ、だれかの人形でも、目先の利益に目が眩んでお偉方が起こした戦争の道具でもない』
『兵器利用は容認できないが、提案のあった例の件が面白そうだと思った。死亡した後に跡形なく消えるシステムを組み込むというやつだ。死んだあと体を魔力で固めて、それを霧散させれば可能だと思う。具体的には――』
魔力が固まり、霧散する、跡形なく消える。
結晶病だ。
「どうしてこれを公表しないの?! これを知れば、結晶病の治療薬はもっと早く作られていたかもしれない、多くの命が無駄に失われたのよ」
「超古代文明の記録で、我々が準錬金生物である証明だからです」
エシュリが、ルペラの手から本を抜き取る。
「我々は被造物で、結晶病も、永き命も、仕組まれたものです。魔法族の出生率の低さは、我々が被造物だということの裏付けとなるでしょう。この者は後に、魔法族の祖たちを利用した魔力兵器によって文明もろとも潰えました。そうして世界は終焉期を迎え、生き永らえた魔法族の祖と人間は息をひそめて過ごしました」
エシュリの深緑の瞳が、ルペラを見つめる。
「我々はこの先も、決してこれを公表しないでしょう。ですが、我々はこのことを知っている必要があります。立場には相応の責が伴う。この秘密は、私たちが背負うべき責です」
ルペラの、エシュリよりも明るい緑の瞳がエシュリの深緑を見返す。
「教えて。師もこれを?」
「アナシアが知っていたかはわかりません。彼女は私がこの席に就くよりもずっと前からその席に座っていましたし、ここを嫌っていましたから」
「なぜ私にこれを?」
エシュリが、背を向けて歩き出す。
「時間があるのでしょう? この箱庭が、私たちが背負う罪を見せます」
エシュリはルペラを従えて馬車へ乗り込んだ。
向かう先は、無色の館があるよりもはるかに奥、箱庭の正しく中央。
箱庭の、禁足地。
そこは、真っ白な芝が生えた草原だった。
エシュリが、奥を指さす。
その方には、赤黒く染まった木がひとつと、真っ白な木がいくつか。
「白の大樹です。これ以上は、白の魔力を持った人しか近づけません。白の魔力がつよすぎるのです。3000年前、錬金術が生んだ奇跡で、この箱庭の維持管理に必要な膨大な魔力の生成全てを賄う準錬金植物です」
魔力は生命活動によってのみ生まれ、その生産量は微々たるものだ。
箱庭を作った3000年前、真っ先に上がった問題は魔力をどう賄うかだ。
そうして、名も知らぬ錬金術師がそれを解決できる錬金植物の錬成という栄誉を為した、それはあまりに有名な話だ。
「あと6年は持ったはずの大樹が、毒に侵され枯れ落ちました。箱庭の魔力供給網は大打撃です。そのため、6年後に執り行われるはずだった併せの儀式を早めることとしました。……あれに使われた毒は、錬金植物を枯らすに特化した複合毒です。あなたは、何か知っていますね?」
錬金植物を枯らすに特化した複合毒、知っているも何も、おそらくそれを作り上げたのはルペラだ。
だが、それを信じたくはなかった。そうでなければ、ルペラにその毒を作ってほしいと言ったネロも、このことに関わっているということになるからだ。
だんまり決め込んだルペラを見ても、エシュリは相変わらずの微笑を湛えている。
「構いませんよ。どうせ、いずれすべては日の下に晒されるのです」
帰りましょうか、とエシュリはルペラを馬車へ案内した。
「ではこれが確定でいいかの? 併せの儀式は七日後に執り行い、安定するまでの半年はカントリーサイドへの魔力供給を停止する、カントリーサイド及びセントラルエリアにいる魔法族には帰還の命令を。うむ、抜けはなかろう」
ベンタイが読み上げた書状を満足げに見やり、12人全員が頷いたのを見て書状にサインを施す。
それに倣って、1人1人がその書状にサインをしていく。
このサインには、インクではなく魔力を使う。
ペンが特別製で、使う人の魔力をインクの代わりに出来るのだ。
魔力は人ぞれぞれ違う、これならば偽装は不可能なので、正式な書類にはこの方法がとられる。
全員がサインを終え、ベンタイが取り出した魔石で使用人を呼び出し無色の館へ届けさせようとしたとき。
紫苑の間のドアが勢いよく開けられ、1人の使用人が息を切らせながら入ってきた。
ディートリヒが鋭く声をあげる。
「会議の最中だぞ! 無断でこの部屋に入る意味を理解しているのか?!」
「理解して、おります。無色の館より、伝令です。白樹の、子が、お隠れになったと」
息を呑む彩色と原色たち。
ルペラにだけ、意味が分からなかった。
「どういうこと?」
「ん、お前さんはそうか、まだ知らなかったか。白の大樹、知っておるじゃろ? その白の大樹は、大樹の核と白の魔力を持った子供が合わさって生まれるのだ。だから、白の魔力を持った子供は白樹の子と呼ばれ無色の一族によって保護される。白の大樹が魔力を生み出すのはおおよそ200年。それが明ければ、昏々と眠り続けている子供を起こし、新しい木を造る。だが、起こす技術は未だ確立せんがのう……」
髭を撫でつけて遠い目をしたベンタイの言葉を、エシュリが続ける。
「白樹の子は先日一人亡くなりましたので、今しがた亡くなった子が最後の白樹の子です。早急に替わりを用意する必要があります。箱庭の存続に係る問題です」
エシュリが立ち上がる。珍しく、その瞳には焦りが浮かんでいる。
「ここで話し、無色の館に伝達するのではタイムロスが大きい。すぐに無色の館に向かいましょう。会議の続きはそこで、無色の当主を交えて」
フェフィリアーナが口を開く。
「ペンタルアの弟子。いたでしょう、1人。2000年経っても魔術師にすら成れていない。子供でなくては魔力の生成できる時間が短くなるけれど、繋ぎにはなる。探しに行きましょう。ペンタルアにはなるだけ早く、魔力を作らなくなった白の大樹から白樹の子を起こす方法を確立させることで納得してもらえばいい」
エシュリが数秒の思案の末、口を開く。
「それはペンタルアと話さねば決められることではありませんが、試す価値はあります。捜索隊を手配しましょう。カントリーサイドから、封鎖するまでの期間で一気に進めます。危急の事態ですので、無色の当主へは事後報告とします」
「その必要はないわよ、エシー」
ルシアーナが立ち上がったエシュリを見上げる。
「ペティのことは、私が個人的に探していた。今は、バッファーゾーンのエリアCからエリアEに接する辺りに居るはずよ。私が個人的に紫たちに声を掛けて探そうとしていたけど、エシーとエルキュールの一言で総動員させてちょうだい」
エルキュールがおや、と声をあげる。
「紫たちに声を掛けて何かしていたのはエシュリではなかったのですか。僕はてっきり」
「捜索隊の件は預かりました。私とエルキュールで手配しましょう。皆、まずは無色の館へ。エルキュール、あなたは少し残ってください。捜索隊を手配してから向かいましょう。ベンタイ、手間を掛けますが、そちらはあなたにすべてお任せしても?」
ベンタイが任せておけとでも言うようにうなずいて立ち上がる。
それを合図に、次々に皆が立ち上がり外へと向かった。
無色の館での話し合いは連日連夜行われ、箱庭の必須ではないいくつかの機能を停止させるなどして魔力の消費を抑えている。
更に錬金術協会へも、白の大樹の代わりとなりうる、白の魔力を持った子供を使わない代替品の研究の命令が下された。
協会もおそらく、明かりが消えずに研究が進められているはずだ。
そして、レジデンスエリアに住む魔法族をセンターエリアへ集めレジデンスエリアへの魔力供給を停止する案も検討されている。
話し合いや命令書の製作に使われている部屋がノックされ、無色の館の使用人が入ってくる。
「ペンタルア様がお見えになります。皆様、お迎えのご用意を」
彩色と原色、そして無色の当主は無色の館の正面玄関前でペンタルアの到着を待っていた。
やがて一台の馬車が門をくぐり、中から2人ばかりの男性が顔を出す。
恐らく捜索隊の一人、紫の魔術師だろう。
その次に顔を覗かせるのはペンタルアだろうと皆が考えていた。
確かにそうだったが、その二人の男はそれぞれぐったりとした銀髪の女性と少女を抱えてこちらへ運び、地面に横たえ恭しく膝をついた。
2人は力なく倒れ伏している。
一同は絶句して固まっていたが、フェフィリアーナのペンタルア……という呟きのあと、フィロスカスが二人の元へ駆け寄って跪き容態を確認する。
その背後に、エルキュールが駆け寄った。
フィロスカスが脈を測ったり、瞼を持ち上げて瞳孔を確認したりした後、背後に立つエルキュールを見上げて一言二言呟く。
「僕は、ペンタルアへは事情をしかと説明し、丁重にもてなし連れて来いと言いました。これは、一体どういうことです?」
唸るように、エルキュールが言い放つ。
「ネロだよ」
皆の背後からネロがそう言って、倒れ伏すペンタルアとレイラ、跪くフィロスカスと怒りをにじませるエルキュールへ歩み寄る。
「ネロがそう命じた。」
特急金書庫は所蔵されているものも書庫自体も、失われた技術の結晶です。
超古代文明時代では、魔術と科学が絡み合った非常に高度な技術が確立していました。
使用されていた言語自体も、魔術文字の原型になったそうです。
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